非日常の始まり
たまたま美海さんとバイトをあがる時間が同じだったので、一緒に帰ることになった。
一緒に帰ると言っても、俺の家は藤が丘一丁目のあたり、美雨さんの家は本鵠沼の駅近らしいので、一緒なのは藤沢駅までだが。
「「お疲れさまでしたー・・・・・・・」」
中にいる他のクルーたちに軽く会釈して裏口から出て、まだ賑やかな道を駅に向かって歩き出す。
「あ〜〜つっっかれた〜〜〜〜・・・・」
「そうですねー・・・・」
美海さんが大きなため息をつくが、もはやまじめに返事をする気力すら失せた俺は力無く答える。
二人そろって足取りは重く、目は若干死んでいた。
それだけ激しい戦いだったのだ・・・・・・!
二時間もの長期戦の末、やっと列が途切れたのが約二十分前のこと。
飲食店でバイトするにあたってある程度は覚悟してたけど、まさかこんなに辛いとは思ってなかった。
まあ、あそこまで混むのはだいぶ珍しいらしいけどね。
あ〜・・・・・・もう早く帰ってさっさと寝たい。
「咲夜く〜〜ん・・・・・・」
「なんですか〜〜・・・・・・?」
後ろから俺の服の裾を掴んで引かれながら、生気の抜けた声を出す美雨さんに、同じく生気の抜けた声で答える。
すると。
「・・・・おんぶして・・・・」
「嫌ですよ!?なに自分だけラクしようとしてるんですか!」
思わず振り返って美雨さんの方を見る。
いやもう、びっくりだわ!
確かに疲れてるのはすっごい分かるんですけど、それは俺も同じなんで。
頑張って歩いてください。
て言うかむしろ俺をおんぶしてくださいお願いします!
「あ、お姫様抱っこの方が良かった?」
「違いますよ!それはそもそも疲れてるとか以前に、恥ずかしいから無理です!」
「え〜〜・・・・・」
いや、そんなすごく残念そうな顔されても・・・・・。
そこまでおんぶをして欲しかったんだろうか。
やっぱり相当疲れてるのかな?
そんなことを考えているうちに、いつの間にか小田急の改札の前まで来ていた。
「じゃ、美雨さんお疲れさまです。また明日のバイトで・・・・・」
「ちょっとちょっと、待ちなよ咲夜君。こんなか弱い乙女を一人で帰す気かな?」
えぇーー・・・・・今度はなんですか・・・・・・。
すいません、今いつもみたいなからかいに付き合える元気、もうないです。
「あれですか、"家まで送ってけ"ってやつですか」
どんよりした目でそう尋ねる。
もしそうなら、そういうのは後輩じゃなくて恋人とやってください。
「ちがうよ!オネーサンの家で、素敵な夜の営みを過ごさないかって意味だよ!」
「ぶっ!?」
ちょ、この人大声で何言ってんの!?
まだ人の結構いる改札のど真ん前でなんて事叫んでんだこの人は。
話の展開が急すぎる。
「だって・・・・・咲夜くん、普通にアピールしても全然気づいてくれないんだもん・・・・・・!」
「?」
一体なんのことだろう。
あ、もしかして、いつものからかいのことか?
いやでも、アピールって・・・・・?
「もしかして美雨さん、相当疲れてます?ヤバいからかいしちゃうくらい」
いつものより数段レベルの高いこと言ってるぞ、この人。
疲れすぎて頭がオーバーヒートしちゃったとか。
「冗談じゃない、本気だよ?」
「っ!」
突然真剣味を帯びた瞳に、思わず息を呑む。
今までのふざけた雰囲気が霧散し、何か強い意志が感じられる様になった美雨さんは、そのまま俺の手を取ると・・・・・・・・。
「じゃあそういう訳で、咲夜君お持ち帰り〜♪」
「いやダメですよ?なに真剣な雰囲気で誤魔化そうとしてんですか」
「えー、いーじゃんべつにー!オネーサンが身も心も癒してあげるよ?」
「行ったら逆に疲れそうなので遠慮しておきます!そういうのは、美雨さんに彼氏ができたら、その人とやってください」
顔が火照るのを感じ、そっと顔を背ける。
それがまた美海さんの胸にズキューンッと来たらしく・・・・・・・・。
「やんもうかわいい!」
「わぷっ!?」
美雨さんは俺の頭をぎゅっと抱きしめて自身の胸の谷間に挟み込み、さらになでなでしてきた。
ちょ、美雨サン!?
ふくよかな感触が顔を包み、なにやらいい匂いが鼻腔をくすぐる。
この体勢はまずい、ひじょーにまずい。
なんとか逃げ・・・・・・・・られない!?
どっからこの力出てきてんの!?
全力で抗ってみたが、びくともしなかった。
あ、これ無理だわ。
抜けられん。
結局されるがままとなり、ひたすら撫で回された。
やがて満足したのか、にこにこと微笑みながら抱擁を解いてくれた。
「それにしても、彼氏ねー。私、好きな人はいるんだよ?さっき言ったみたいに結構アピールもしてるし」
「・・・・・・へー、そうなんですか。その人と付き合えるといいですね」
何気なくそう言うと、何故か美雨さんはほおを膨らまし、不満そうなオーラが漂い始めた。
あれ、なんかまずいこと言いました?
「この調子だと先が長そうだよ・・・・・・・」
美雨さんはやれやれ、と額を抑えてため息をついた。
理由がわからない俺は、ただ首をかしげることしかできない。
「ま、かわいい咲夜君も見れたし、今日はこの辺で終わりにしようかな」
あ、そうしてもらえると助かります・・・・・。
これ以上は俺のチキンなハートが持ちません。
「じゃあ、また明日」
「ばいばーい!」
大きく手を振りながら、美雨さんは小田急線の改札を通ってホームの中へ入っていった。
じゃ、俺も帰りますか。
俺は踵を返して駅を出る。
あ〜〜、階段登るのめっちゃ辛い・・・・・。
駅前の家電量販店のわきにある階段を下り、たった今赤信号になった交差点の前で立ち止まった。
しまった、タイミングわるっ・・・・・・・。
入れ違いに青くなった信号を横目に、ポケットからスマホを取り出しラインを開く。
送られていたメッセージの返信や、ラインニュースを眺めていると信号が青になった。
交差点を渡って右に曲がり、そのまま進んで街灯の灯る住宅街に入る。
そこからさらに少し行ったところにある、左右をコンビニで挟まれた交差点を左に曲り、その先の坂を登り始めた。
毎日思うんだけど、この坂どうにかならないかな。
傾斜が結構あるので、そこそこつらい。
ほんとに俺って今日何回ここ通ったんだろ・・・・・・・・・。
少し息を切らしながら真ん中あたりに差し掛かった時、正面から大柄な男性が歩いてきた。
いくら夜中と言えど夏なのでそこそこ暑いのだが、この男は何故か厚手の茶色のコートを羽織っている。
暑くないのかな・・・・・・・いや、それよりもでっか・・・・・。
一九〇センチ以上あるんじゃないだろうか。
べっ、別に羨ましくないもん!
ぶつからないように歩道の端によって、男性とすれ違・・・・・・・・・・・・・・・あれ?
何故か男は、歩道のど真ん中で立ち止まっていた。
・・・・・・何してんのこの人?
「お前・・・・・・」
男の口から、聞いたこともないような重い声が響く。
「お前、神月咲夜、だナ?」




