見たくなかったもの
「うわっ、全然止んでない・・・・・・」
昇降口から外を覗いた私は、どしゃ降りの雨を前に面倒くさげにため息をつく。
部活での筋トレ終わりというのもあって、憂鬱さが倍増される気分だ。
うちの学校では、体育館を使う部活が卓球部、バトミントン部、バレー部、そして私が入っているバスケ部の四つがある。
さすがにこの四つの部活が一斉に練習できるほど体育館が広くないので、日にちによって使用する部活を分けているのだが、たまたま今日は卓球部とバレー部の日。
しかも何故かバト部は帰ったのに、私たちだけは残されて基礎トレや筋トレをやらされた。
おのれ顧問め・・・・・・まあいいや、今はそんなことより早く帰ってお風呂入りたい。
カバンから折りたたみ傘を取ってバサリと広げる。
この雨量だとちょっと頼りないけど、上手く差して帰るしかないよね・・・・・・。
帰ったらびしょ濡れになっている未来しか見えない。
けどこんなところで立ち往生していても意味がないので、さっさと帰ることに。
どうせお風呂入るし、少しくらい濡れても問題ないでしょ!
校門を出て左に曲がり、まっすぐ歩いていく。
毎回思うんだけど、学校から家までずっとまっすぐって楽だよねー。
「ありゃりゃ、これはひどい」
路肩にある排水溝から水が溢れて、歩道を足の踏み場がないほど水浸しにしている。
なるほど、足をびしょびしょにしないと先に行けないと?
車が通っていない時に一旦車道に出てやり過ごすのも考えたけど、そっちもバッチリ水たまりができていた。
と言うかむしろ車道の方が重症。
諦めて歩道を進むしかないみたい。
「はうぅ、すごい水吸ってる・・・・・・」
スニーカーがずっしりと重みを感じられるほど水を吸っている。
これ靴下まで濡れてそうだなぁ・・・・・・・・。
雨足もまた強くなってきたみたいだし、これ以上濡れるのは嫌だよー。
少し急ぎ足で帰り道を行き、遠目に坂の前の交差点が見えるところまで来た。
「あとちょっとで家だぁ・・・・・・・ってあれ?あれってたぶん、お兄ちゃんだよね・・・・・・?」
私の視線の先には、ちょうど坂を登り終えて交差点を家の方向に曲がっていくお兄ちゃんの姿があった。
そう言えば、今日は委員会があるから帰るの遅くなるって言ってた気がする。
むふふ、後ろから飛びついて驚かせてやろ〜!
「─────────っ!?」
だけど、少し近づいて気がついた。
同じ傘の下で、お兄ちゃんに寄り添うようにして歩く女の子の存在に。
彼女の幸せそうな表情がチクリと胸に刺さる。
その途端、私の足は動かなくなってしまった。
「桃花・・・・ちゃん・・・・・・そんな・・・・・・」
ただでさえ雨のせいで悪かった視界が、溢れ出る涙でさらにぼやけてしまう。
私は必死にそれを隠そうとするけど、一向に収まる気配がない。
それどころか止まることなくどんどん流れていく。
早くこれ止めないと・・・・お兄ちゃんのところに行けないのに・・・・・・!
何で止まってくれないの・・・・・・!?
胸が苦しい。
こんなの、知りたくなかった。
「いやだよ、そんなの・・・・・・・そんなの・・・・・・!」
いつの間にか、私はお兄ちゃんと桃花ちゃんに背を向けて逃げ出していた。
あんなの、見ていたくない。
目を背けたい。
行くあてもなく、ただひたすら走り続けた。
◇◆◇◆◇◆
どれくらい走っていたんだろう・・・・・・・。
私は息を切らしながら壁に寄りかかる。
どこかで傘を落としてきたから、もう身体もカバンもびしょ濡れだ。
「どんな顔して、お兄ちゃんに会えばいいのかな・・・・・・・・」
いずれは帰らなくてはいけない。
でも今お兄ちゃんを前にすれば、私はこの気持ちを抑えきれないはずだ。
俯いて流した涙が、ピチョンと足元の水たまりに落ちる。
「あらあらぁ〜。こんなところで傘もささずに、どうしたのかしら〜?」
不意に聞こえてきた声に、思わず身体がビクリと跳ねる。
ふえっ、び、びっくりしたぁ!
顔を上げて見ると、いつの間にか目の前に一人のお姉さんが立っていた。
「あ、あの時の・・・・・・」
この前、舞衣たちとの買い物帰りにぶつかってしまった人だ。
「何かあったの?」
「いえ、別に何も・・・・・・・・」
せっかく優しく聞いてくれたのに、私は素っ気ない返事をして視線を逸らしてしまった。
これでは何かあったと自白しているようなものなのに。
「もしかして、雨だからはしゃいでたのかしら〜?」
「ち、違いますよ、小学生じゃあるまいし!」
予想外のコメントに、思わず素で返してしまう。
そんな私の反応を見てクスクス笑いながら、彼女は左手に持っていたものを差し出した。
「これ、あなたのでしょう?」
渡されたのはなんと、どこかで落としたはずの私の折りたたみ傘だった。
お姉さん曰く、道端でたまたま拾ったらしい。
「それがたまたま私のものだったと。そんな偶然あるんですか・・・・・・?」
「意外とあるものよ、気にしない気にしな〜い。それよりもあなたが泣いていた理由、おねーさんに話してみない〜?誰かに聞いてもらえば少しは楽になるかもしれないわよ〜?」
・・・・・・・まあ、たしかに・・・・・・。
どこかでそんなことを、聞いたことがあったような気がする。
私は少し迷った末、お姉さんに聞いてもらうことにした。
人に話して良いことか分かんないけど、何故かこのお姉さんになら話して大丈夫だと思ったから。
◇◆◇◆◇◆
「なるほどねぇ〜・・・・・・」
もらったコーンスープを飲みながら話すと、それを聞いたお姉さん────サキさんは、深々とため息をついた。
やっぱり、おかしいのかな。
血の繋がったお兄ちゃんを好きになるなんて。
「あのねぇ、朱華ちゃん」
「いてっ・・・・・!?な、何するんですか!」
ジト目のサキさんにデコピンされた。
しかもかなり強めのを。
突然の出来事に目を白黒させていると、珍しくげんなりした様子のサキさんが肩を竦める。
「まさか、お悩み相談の途中に惚気られるとは思いもしなかったわぁ」
「の、惚気って・・・・・!そんなこと別に・・・・・」
「あれが無意識って恐ろしいわねぇ。糖分の過剰摂取で死にそう」
お姉さんにも早くモテ期が来てくれないかしら、と黄昏ているサキさんからは哀愁が漂っている。
なんだか大人のお姉さんなイメージがどんどん崩れてる気が。
なんでだろう、ただお兄ちゃんが好きってことと、なんで好きになったか、そしてさっき見たことを話しただけなのに・・・・・・・。
「たしかにショックなのは分かるけど、そんなに好きなら迷う必要なんて無いでしょうに」
「お兄ちゃんはきっと、花恋さんや皐月さん、桃花ちゃんの誰かを選びますよ・・・・・・。て言うか、サキさんはおかしいと思わないんですか?」
「ん?朱華ちゃんが実のお兄ちゃんを好きなこと?う〜ん、おねーさんは別におかしいとは思わないよぉ〜」
「なんで・・・・・・」
「だって、好きになっちゃったんでしょ?ならしょうがないじゃない〜。あなたを止める権利なんて誰にも無い、恋する乙女は無敵なのよ〜」
パチンっとウインク付きで背中を押され、私は自然と笑顔になっていた。
サキさんに話を聞いて貰えたおかげで、少し気持ちが楽になったみたい。
「元気出たなら、早く帰ってあげなさい。お兄ちゃん心配してるわよぉ」
「そうします。サキさん、ありがとうございました!」
ちょうど雨が止み、雲の隙間から日の光が覗いている。
折りたたみ傘をしまって歩き出そうとすると、サキさんから待ったがかかり、一枚のパーカーを渡された。
「その格好じゃ目立つから、これあげるわぁ」
そう言われて自分の格好を見てみると、濡れたせいでワイシャツが透けて凄いことになっていた。
ちょ、こう言うのは早く言ってくださいよ!
下着まで丸見えじゃないですか。
「うら若き美少女の下着を堪能してたのよ〜」
「誰かに見られてたらどうしてくれるんですかぁ・・・・・・・・!」
「安心して、ここら辺は人来ないから」
まあたしかに誰も通らなかったですけどね。
微妙な気分になりつつも、もらったパーカーを羽織る。
「じゃあ、さようなら!ほんとにご迷惑をお掛けしてすみません」
「気にしないでねぇ、私がやりたくてやった事だから。気をつけて帰りなさ〜い」
ヒラヒラと振られる手には、私が飲んでいたはずのコーンスープの缶が。
あれ、いつの間に!?
「ゴミは私が貰っとくわぁ」
「何から何まですみません・・・・・・」
サキさんのご好意に甘えて、私はお兄ちゃんの待つ家に向かって走り始めた。
◇◆◇◆◇◆
駆けていく少女の後ろ姿を見つめる私は、少しナイーブになってしまった心を落ち着かせるように、軽くため息をつく。
何よぉ、果てしなく甘々じゃないのぉ〜・・・・・・。
砂糖を大量に入れたカフェオレ飲んだ気分だわぁ。
それに比べて私のモテ期はまだ・・・・・・まあ仕事柄しょうがないのは割り切れているのだけれど、目の前であんなに惚気られるとねぇ。
はぁ、誰か良い人が私を奪ってくれないかなぁ〜。
「・・・・・・っと、忘れちゃうところだったわ〜。
それっ、行っておいでぇ〜」
私の傍に現れた魔力の塊が、ふよふよと漂いながら走る朱華ちゃんにくっついた。
それは段々形を変えて、二頭身の人型になる。
「任せたわよ〜、小悪魔ちゃん ♪」
そう呟くと、二頭身の羽を生やした女の子は、返事をするようにピカリと魔力を点滅させた。




