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公団の王様

作者: 凪沢渋次

 誰も知らないと思うのだけど、僕は、本当の本当は“王様”なのだ。


 遠く、アンバルシア王国の王子として生まれたが、内乱によって王族は命が狙われることとなり、幼かった僕を守ろうとした乳母たちが、敵の目を欺くため、あえて日本の貧しい庶民の家に預けたのだ。

 次の春には6年生になる。6年生と言えばもう充分大人だ。政務に携わることもできる。そろそろアンバルシアからお迎えが来る頃だろう。国の方もすっかり落ち着いて、国民も、元の王族が平和に治めてくれることを期待しているに違いない。前の王様、つまり僕の本当のお父さんは、おそらくもう生きてはいないだろう。きっと国民は僕の帰還を心待ちにしているはずだ。きっと今、国を挙げて、僕の居場所を探しているところだ。乳母たちの機転には感謝するけど、ちょっと上手に隠しすぎた。僕はすっかり日本の、庶民の家の子として溶け込みすぎている。同じような形の団地が何棟も並ぶこの地域では、さすがのアンバルシア秘密警察も、簡単には僕を見つけられない。


 世を忍ぶ仮の家族であるところの、仮のお父さんは、家にいるときはいつもご機嫌に酔っ払っている。仮のお母さんはお酒が全く飲めないので、コーヒー牛乳か、麦茶に砂糖を入れて飲んでいる。

 今日は年に一度の、仮の親戚たちによる忘年会だ。8畳のダイニングと4畳半の部屋が二つあるだけのこの部屋に、大人8人、子供4人が集まるので大混雑だ。

 大人組はテレビに近い大きなテーブルに集まり、お寿司やカニを囲んで、ビールやウイスキーの水割りを飲んで盛り上がっている。仮のオジさんであるコウジさんは、もう顔を真っ赤にしていて、起きているのか寝ているのかわからない。

 子供組、つまり僕と仮の弟、シュウと、仮のいとこたち、ゆうこちゃんとけんさくくんは、小さなちゃぶ台を囲んで座らされ、今日だけは特別にコーラを飲ませてくれる。けんさくくんは小さいので、すぐに立ち上がって、ご飯に集中できないが、中学生のゆうこちゃんがそれを叱ってまた座らせている。けんさくくんを叱るときのゆうこちゃんが、ゆうこちゃんのお母さんであるしのぶおばさんにそっくりで、やっぱり家族は似るのだなぁと思う。


 僕とシュウは全く似ていない。本当の兄弟じゃないのだから当然なのだが、シュウは昔からご近所でも評判の“美少年”で、運動神経もよく、幼稚園のかけっこでも常に一等賞だった。僕はインドア派なので、あまりかけっこに興味が無く、目下の興味はクラスで毎週月曜日に行われる漢字テストの、連続100点満点記録だ。僕と藤木くんだけが記録を更新し続けている。しかし、この国では、漢字テストで満点とることよりもかけっこが早い方がもてはやされる傾向にあり、僕の漢字テストのことは誰も褒めようとはしない。きっと祖国アンバルシアだったら、盛大な祝賀会が催されていただろうに、まったく、乳母たちも、本気で僕を隠しすぎた。


 大人組の向こうにあるテレビでは、よく知らない古い歌ばかりを歌う退屈な番組が流れている。僕たち子供組が大好きなコント番組がそろそろ始まるので、チャンネルを変えたいところだが、大人組はそれをしようとすると「今この番組を見ているからダメ」と言う。ウソなのだ、大人組をさきほどから観察しているが、全くテレビなんか見ていない。何号棟の誰さんが“キョウサントウイン”だとか、“ロッキード”がどうしたとか、つまらない話に夢中で、歌なんか聴いていないのだ。酔っ払っているので、声も大きく、そもそも歌なんか全く聞こえてない。だったら大人組がこっちのちゃぶ台に来て、僕ら子供組にテレビを明け渡すべきなのだ。

 しかし、この主張をしようものなら仮のお母さんはすぐに、「せっかくゆうこちゃんたち来てるんだから、トランプしてもらいなさい」と言うのだ。毎年のことなので容易に想像がつく。

 確かにトランプは楽しい。僕は七並べには一家言あり、子供組相手ではほぼ負けない自信がある。

 毎年、この忘年会の、食事の後の時間にはトランプ大会が催される。最初は子供同士で、そこにじわじわと大人組も混ざって入ってくる。大人組の中では、コウジおじさんが圧倒的に強く、僕の好敵手と言っていい。けんさくくんはちゃんとルールも理解していないのにすぐにトランプに入りたがる。結局、ゆうこちゃんか、しのぶおばさんがけんさくくんの隣に着き、どのカードを出すか、指示を出す形を取ることになる。それでもけんさくくんはカードを場に出すのだけは自分でやりたがるので、ゆうこちゃんもそれをやらせてあげている。しかし、そのカードの置き方もけんさくくんは雑で、他の並んだカードがぐちゃぐちゃになってしまう。僕はそれを、なるべくすぐに直すことにしている。七並べは最後に4種類のカードの列が美しく連なることで完成するゲームだ。一部がぐちゃぐちゃだと、本当の完成にはならないし、そもそもどの数字が出せるのかがわかりにくくなる。

 カードの整えるなど、アンバルシアなら下男の仕事だが、ここでは僕の役割になっている。屈辱的だが、長年そうしてきてしまったのだから仕方ない。僕が少し不満そうにその仕事をしているのを見つけると、仮のお母さんは必ず「あなただって小さい頃はそうだったのよ」と言う。

 そんなわけはないのだ。僕がけんさくくんの年の頃は、まだアンバルシアに居たはずなので、仮のおかあさんが知っているわけがない。本当のことを隠すためとは言え、こんな身内の前でもウソをつくのかと、その責任感と役への入り方には感服する。


 トランプ大会の後半には部屋の空気が重たく籠もってくるので、換気をしようと、仮のお母さんがベランダに繋がるサッシの窓を開ける。ひんやりした空気が一気に部屋に流れ込み、けんさくくんは「寒い寒い」とわかりきったことで大騒ぎを始める。寒がりながら足でどんどんと床を踏みならすので、下の階の人に怒られやしないかとヒヤヒヤする。けんさくくんの家は埼玉で、一軒家なので、こういう団地のルールを知らないのだ。僕がやったらすぐに怒る仮のお母さんも、けんさくくんのときには優しく「ドンドンしちゃダメよ」と笑いながら言うだけだ。ゆうこちゃんもこのルールは知らなかったようで、仮のお母さんに「ごめんなさい」と恥ずかしそうに頭を下げていた。中学生になると、弟のために頭を下げるシーンがやってくるのかと思うとちょっとだけ不安な気持ちになった。この様子をシュウはどんな顔で見ているのかそっと覗いてみたが、ただ眠そうなだけだった。


 9時になり、子供組は寝るように言われる。しかし、眠れるわけがない。大人組はこれからダイニングでカラオケを始めるのだ。ラジカセにマイクを繋げて、またもや知らない古い歌を歌い始める。襖には大した防音効果もないので、大人組の歌声は子供組の寝室にほぼそのままの音量で聞こえてくる。

 僕の評価では、コウジおじさんが一番歌が上手い。しかも、比較的新しい歌を歌ってくれるので、僕でも知っている歌を歌ってくれることがある。気になって少しだけ襖を開けて覗いていると、しのぶおばさんがそれを見つけ、「歌いたいの?」と、嫌なフリをしてくる。慌てて襖を閉めて寝たふりをするが、こうなると、酔った大人組の悪ふざけは止まらない。「ダメ!一曲歌ってから寝なさい」と、さっきと180度逆の指示を出す。挙句、「男なら人前で歌える歌を1曲くらい持っておかないとダメだ」と、よくわからない訓示まで持ち出す始末だ。断るのも面倒なので、最終的には、古い歌の中でも唯一歌える『学生時代』を歌う。すると毎年大人組は手を叩いて喜ぶ。「よく知ってるねー」「上手いなー」と、必ずベタ褒めする。記憶にはないが、おそらくアンバルシアの王族は、幼少期に歌のレッスンを受けているようで、僕は歌が上手だった。一度だけゆうこちゃんが歌っているのを聞いたことがあるが、ゆうこちゃんは音痴だった。勉強も運動も、何でもできるゆうこちゃんだったけど、歌に関しては完全に僕の方が上だった。


 大人組のカラオケが終わり、ようやく会はお開きになる。寝かされたけんさくくんをそっと抱き起こし、ゆうこちゃん一家が帰っていく。「もう少し広かったら泊まってもらえるのに」という、毎年するお決まりのやり取りをしてから、今年の忘年会が終わる。

 静まりかえった部屋で、仮のおかあさんがせっせと後片付けをしている。仮のお父さんは残ったウイスキーを飲みながら、テレビのニュースを見ている。さんざん楽しそうにしていた癖に「来年はもう、うちではやりたくないな」と言ったりしている。確か去年もそんなようなことを言っていた気がする。だからきっと来年もこの会はここで行われるに違いない。

 静かになったダイニングからは、ニュースのアナウンサーの声がよく聞こえてくる。ニュースではまた“ロッキード”の話をしている。なんだかよくない事件のようだけど、“ロッキード”という言葉の響きはかっこいい。


 僕は布団を抜け出し、こっそりベランダに出た。そして団地群の間の狭い夜空を見上げてみた。向かいに新しいマンショが建ったせいで、ここからの景色はより狭くなった。去年までは、ここから江戸川の花火が見えたのだ。新しいマンションのせいで来年の花火はベランダから見られなくなる。もしかしたら、アンバルシアの秘密警察が僕を見つけられないのも、このマンションのせいかも知れない。


 仮のお母さんが言うには、このマンションには“お金持ち”が住むのだそうだ。もしも、僕がアンバルシアに戻っても、あのマンションの最上階の一室を買い取って、仮の家族たちにプレゼントしてもいい。花火大会の日にはゆうこちゃんたちも招待して、ベランダから花火を見せてあげよう。


 遠くで消防車のサイレンの音が聞こえる。

 近くをバイクが通り過ぎる音も聞こえてくる。

 空気が冷たいので、大きく吸い込むと鼻が痛くなる。ベランダから部屋を覗くとシュウがすやすやと寝息を立てている。

 静かで冷たい夜は、見慣れた景色もまるで異世界のようだった。ベランダの下の公園には誰もいない。誰かが忘れていった、つぶれたカラーボールだけが一つ転がっている。

 冷たい風が吹いてきたので、部屋に戻って、布団に入り、爪先で毛布を整え、しっかりとかぶった。布団の中の世界もまた静かな異世界だった。今、ここにライトを灯したら、もしかしたらアンバルシアの城の中に戻れるのかも知れない。温かな暖炉のある部屋で、もふもふの絨毯が敷かれている部屋だ。そこでは僕が王様なので、どんなわがままも通る。毎日コーラを飲んで、自分専用のテレビでコントの番組を見る。

 トランプのキングのカードの顔の部分が自分になっているのを想像してみる。自分だとあまりしっくりこないので今度はシュウの顔を当てはめてみる。鼻筋の通ったシュウの顔の方があのカードにはぴったりハマる。

 七並べの端っこにキングのカードが、反対端にエースがある美しい列を思い浮かべる。ジャックを出したいのに、誰かが10を止めているシーンが思い出される。止めていたのは確かコウジおじさんだった。コウジおじさんはそういうときでも一切顔に出さず、むしろ「誰だ?止めてるのー」と被害者面をしているときすらある。さんざんそれを言った後に、さらっと止めていた10を出して一番で上がるのだ。

 ウソはよくないことだが、そういうときのコウジおじさんは、なんだかちょっとかっこいい。

 “ロッキード“って響きくらいかっこいい。


 温かい布団の中に吸い込まれるように、僕は今日も、ゆっくりと眠りに落ちていく。

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