べリベリータルト
メイドがゆったりとした仕草で動き、私たちの前にお茶を淹れてくれる。
「甘い香り……」
「アッサムの紅茶でございます。ミルクティーにしても美味しいので、お好みでミルクを注いでくださいませ」
思わずポツリとこぼすと、メイドが微笑みながら教えてくれた。そして、注ぎ終わると優雅な一礼をして下がっていく。
ううむ、さすがは王太子に仕えるメイド。レベルが高い。
とはいえ、うちのエステルの方が可愛いし優雅かな。
メイドが下がると、本格的に二人っきりとなる。
アークやセルビス、ランダンであれば気兼ねなく雑談をするところであるが、ルードヴィッヒとはそこまで親しかったわけではない。
求婚されたこともあってか、どちらかというと距離を取っていた方だ。
どう会話をしていいかわからない。
しかし、二十年が経つと本当に人というのは変わるものだ。
二十年前は少年だった王子も、今やおじさんに差し掛かる年齢となり立派な王太子になっている。
サラリと流れる金色の髪と翡翠の瞳はとても綺麗だ。年齢以上に若々しく見えており、いい歳の重ね方をしていると思う。
「な、なんだ? 人の顔をまじまじと見て」
まじまじとした視線に気付いたのだろう。ルードヴィッヒがやや居心地が悪そうな顔をする。
「すみません。ルードヴィッヒ様も随分変わられたのだと思いまして。昔は私よりも身長も小さくて華奢でしたもんね。ランダンなんかには女の子と間違われていましたし」
「二十年も前のことだ。その話はよせ」
「すみません。私からすれば、ついこの間のことでしたので……」
「そうだったな。すまない、お前の気持ちを考えていなかった」
ぶっきらぼうな言葉は照れ隠し故なのだろう。
ルードヴィッヒが申し訳なさそうにする。
「気になさらないでください。かつての仲間と時間の流れに差があるのは寂しいとは思いますが、今はそこまで悲観してはいません。こんな私でも、昔と変わらず慕って付いてきてくれる者もいるので」
「そうか」
ちらりと後ろにいるルーちゃんに視線をやると、ルードヴィッヒはホッとしたような笑みを浮かべた。
急に視線を向けられたルーちゃんはたじろいでいる。そんな姿も可愛らしい。
「せっかくだ。なにかお菓子でも食べるか?」
会話が途切れ無言の時間が続くと、ルードヴィッヒが急に切り出す。
親戚の子供を預かったもののどう接していいかわからず、とりあえず餌付けしておくかのようだ。
「いえ、お構いなく。この紅茶だけで十分です」
まろやかな渋みとしっかりとしたコク。
芳醇で甘い香りがするこの紅茶はとても美味しい。
「そうか? 実は王都でも有名なベリベリータルトが手に入っているんだがなぁ。半年先まで予約で埋まっていて食べることは難しいらしいぞ?」
「食べます!」
私がすぐに言い直すと、ルードヴィッヒは少し驚き、すぐに笑ってメイドを呼びつけた。
……貞淑な聖女を演じるつもりがついやってしまった。
でも、ベリベリータルトはサレンやリリスが言っていた幻のタルト。
いつもすごく並んでおり、予約でいっぱいなのだとか。
時間があれば何とかして食べにいきたいと話し合っていたが、まさかこうして巡り合えるなんて。
目の前にあると言われて我慢なんてできない。だって、食べたいんだもん。
ルードヴィッヒの呼びつけたメイドがワゴンを押してやってくる。
そこにはベリベリータルトがホールで載っていた。
私の顔よりも大きい。土台の上にはたくさんの苺が載っており、艶々とした照りを放っていた。
見ているだけで頬が緩む。
メイドがナイフを入れて丁寧に切り分け、私とルードヴィッヒの目の前へと差し出された。
「うわい! いただきまーー」
「――ゴホン」
ナイフとフォークを手にして早速食べようとしたところで、後ろから咳払いが聞こえた。
はっ、食前の祈りをやっていなかった。
思い出した私はスッとナイフとフォークを置いて、食前の祈りを捧げる。
「女神セフィロト様、あなたの慈しみに感謝してこの食事をいただきます。ここに用意されたものに祝福し、私の心と身体を支える糧としてください」
早口で祈りを終わらせると、私は再びナイフとフォークを手にした。
ナイフを通すとクリームをかき分けて土台へ。そこが意外と硬くて力を入れると、ザクッとした音が鳴って切れた。
すごい。サクッじゃなくてザクって音だ。これは生地の歯応えに期待ができる。
程よい大きさになったものを口に入れる。
「美味しい!」
最初に広がったのは濃厚な甘味と酸味を吐き出す苺。
それでいながら瑞々しくて酸味もちょうど良いときた。これまでに食べてきたどの苺よりも甘い。
苺に纏わりついていうのはホイップクリームとカスタード。通常ならば甘すぎる取り合わせだが苺のフレッシュさと酸味がそれを中和していた。
そして、なにより厚みのある生地。
噛みしめればザクッとした食感があり、すべての味を受け止めてくれていた。
甘味最高だ。
「ルードヴィッヒ様は食べないのでしょうか? もしかして、体調が優れないとか?」
二口、三口と食べていくが、目の前にいるルードヴィッヒはこちらを見ているだけで食べていない。
これだけ美味しそうなタルトを前にして食欲が湧かないなんてあり得ない。そうでないとしたら、きっと体調が悪いに違いない。
なんだか顔が赤いけど、もしかして日射病とか?
今は季節の変わり目だけあって、体調も崩しやすいし。
「い、いや、そんなことはないぞ。俺も食べるさ」
心配して声をかけると、ルードヴィッヒは我に返ったような反応をしながらもナイフとフォークを動かした。
「初めて食べてみたが中々に美味しいな」
「ですよね! ルードヴィッヒ様も苺は好きですか?」
「……ああ、好きだな」
ルードヴィッヒは噛みしめるように言いながらタルトを食べていた。
かなり心のこもった言葉だ。どうやらかなり苺が好きらしい。
会話の取っ掛かりがなくて困っていたが、それほど甘味が好きなのであれば問題ない。
私は王都にある甘味の話を中心に、ルードヴィッヒに話しかけ続けた。
●
「ふう、美味しかったです」
ベリベリータルトはあまりに美味しくついお代わりを重ねてしまった。
時刻はもうすぐ昼だというのにお腹いっぱいだ。
「一人で半分も食べるとは見た目の割に――いや、なんでもない」
余計な言葉を漏らそうとしていたルードヴィッヒに、にっこりと笑みを向けると彼は口をつぐんだ。
そういった余計な言葉は女性に対してタブーだよ。
それにしても、幻のタルトと言われるだけであって、かなり美味しかった。
惜しいのが話をしていたサレンやリリス、そしてルーちゃんと味わえなかったことだろうか。
「……良かったら包んで持って帰るか?」
惜しむように残りのタルトを見つめていると、ルードヴィッヒが提案してくれる。
「いいんですか?」
「俺一人では食べ切れないからな」
「ありがとうござます!」
ちょっと食い意地を張っているようではしたないかもしれないが、サレンやリリス、ルーちゃんの笑顔が見られるのであれば、甘んじてはしたない女という烙印を受け入れよう。
これだけ美味しいんだもん。やっぱり、皆と分かち合いたい。
「ルードヴィッヒ? ここで何をしているの?」
「エリーゼ!?」
メイドがタルトを包んでくれるのを眺めていると、後ろからルードヴィッヒの妻であるエリーゼがやってきた。
独占欲が強いと言われるエリーゼがいながらも私とのお茶会。
堂々としていたから、てっきりエリーゼの許可をとっていたと思っていたんだけど、反応を見る限りそうじゃないみたい。浮気現場を差し押さえられたかのようだ。
エリーゼの冷えた視線を受け、汗をダラダラと流しているルードヴィッヒ。
「エリーゼ様、ご無沙汰しております。会って早々になって恐縮ですが、私は教会の方に戻らなければなりませんので……」
悪いけど、夫婦喧嘩には巻き込まれたくない。
「ええ、今日のところはお互いに忙しいようですしね。お時間があれば、ゆっくりと私ともお茶でもいたしましょう」
「はい。それでは失礼いたします」
笑みを浮かべているエリーゼであるが、目がまったく笑ってないので怖い。
メイドから包んでもらったべリベリータルトを受け取ると、私とルーちゃんはそそくさとこの場を離れることにした。




