漆黒の腕
「あの時と同じムカデだ!」
私の声が上がると共にルーちゃんがそれを阻止しようと走り出す。
しかし、ザガンがムカデを口にする方が早かった。
「カアアアアアアァァッ!」
ザガンは獣の咆哮のような声が上がり、彼の身体からバキボキとした異音が鳴り響く。
「……瘴気がドンドン大きくなっていく!」
「なんだこれは」
魔神による強化を始めて見たミオとフリードが、急激な瘴気の増大に驚愕する。
驚いている間にもザガンみるみるうちに身体を隆起させ、八本の脚を生やし、巨大な蜘蛛のような姿になった。
「ムカデを食べることで魔神から力を貰ったんだよ!」
「先程よりも瘴気や力も何倍も増します! 気を付けてください!」
私たちが忠告の声を上げると、蜘蛛となったザガンが瘴気の波動を広げた。
私とミオは咄嗟に聖魔法を発動して、瘴気の中和を試みる。
「……これがソフィアの言っていた魔神の力。すごい、瘴気……身体が痺れる」
私は平気だが、ミオには少し荷が重いようだ。
感知以外は不得手といるミオであるが、並の聖女の水準は軽く超えている。それでも完全に防ぎきれないというのは、魔神の力が強大である証だろう。
「浄化は私に任せて」
私は聖魔力の出力を強めてザガンの瘴気を一気に浄化した。
「ソフィア!」
巨大化したザガンと睨み合っていると、後ろから声が聞こえた。
振り向くと、先程別れたアークたちがやってきていた。
「アーク、ランダン、セルビス!」
「おうおう! 魔物を片付けてやってきてみれば、すげえ奴がいるじゃねえか!」
あれだけの魔物を討伐して、こんなにも早く駆け付けてくれるなんてさすがだ。
「ところで、なんだあの化け物は?」
「魔王の眷属のザガンだよ。私たちで追い詰めたら、例のムカデを食べちゃって……」
「おいおい、あれがザガンかよ。原型すらねえじゃねえか」
ザガンを知っているだけにランダンやアークは驚きを隠し得ないようだ。
前回の眷属もすごい変わりようだったけど、今回も中々にすごい。
顔立ちの整ったダークエルフの面影はまったく感じられないからね。
「どうやらあのムカデは、食べたものの特性によって変異するようだな。中々に興味深い」
その中でもセルビスは冷静にザガンを眺めて分析していた。
なんだかこの三人がくると、すごくホッとする。そう思うのは長年パーティーを組んでいた仲間だからだろうか。
「こんなところで何を企んでいたのかは知らないけど、王都の真下で好き放題させない!」
アークが勇者らしい見事な口上を述べると、一番に突き進む。
「俺もまだ戦える!」
「私もです!」
アークの言葉に触発されてかフリードとルーちゃんも気合のこもった声を上げて前に出る。
「おお、やっぱりアークがいると全体的に締まるね!」
「これで本当に勇者パーティー再結成だな!」
勇者であるアークがビシッと言ってくれると雰囲気も引き締まるというものだ。
「私も援護するよ! 『聖なる願い』『剛力の願い』『守護の願い』『瞬足の願い』『不屈の願い』」
アーク、ランダン、セルビスに私は五重がけの付与を与える。
こちらを見下ろすザガンは、お尻をこちらに向けて糸を放ってきた。
私たちを纏めて覆い被さらんとする巨大な網。
「『暴嵐【ウインドストーム】』」
それをセルビスが暴風の刃でズタズタに引き裂いた。
ザガンから射出された糸がハラリと落ちていく中、真っ先に動き出したのはアークとランダンだ。
身体能力が著しく強化されたアークとランダンは、ザガンの突き出した脚を華麗に避ける。
そして、すれ違い様に聖剣と大剣を一振り。
脚の二本が見事に切断され、ザガンが大きく体勢を崩す。
「ソフィアの付与を受けるのは二十年ぶりだ。効力が上がったって聞いたけど、ここまでとは」
その結果にはアーク自身も驚いているようだ。どこか興奮したような声音。
「アークこそ付与を受けるのは久しぶりなのにすごいね!」
「領主として忙しくしてるけど鍛錬を欠かしたことはないさ」
アブレシアにいた時はそんな雰囲気は出してなかったけど、陰で努力しているのもアークらしいや。
大きく体勢を崩したザガンが他の脚を器用に動かして体勢を立て直す。
切断された脚の傷口から、肉が蠢いて新しい脚が生えた。
「再生能力か」
「だったら、それがなくなるまで斬り刻むまでさ」
再生能力を目にしても大して気にすることもなく、再び前に出る二人。
ザガンはいくつもの脚を器用に突き出し、時には薙ぎ払う。
巨木のような巨大な脚が凄まじい速度で振り回されるのは、かなりの脅威であるが二人にとっては脅威ではないらしく、軽々とした身のこなしで避けて、脚を切断していた。
「付与が五重がけの状態でも自在に動き回れるとは……」
「今はまだ遠いですが、必ず追いつき――いいえ、追い越してみせます!」
そんな光景の傍らでフリードとルーちゃんも応戦していた。
二人のようにいくつもの脚を同時に相手取ることは難しいが、二人で協力してザガンの脚の関節部分を斬り付けている。
アークやランダンみたいに切断することはできなくても、関節にダメージを与えることはできるのでそれだけでザガンの動きも鈍っているよう。
「『魔弾』」
時折、吹きかけられる糸はセルビスが全て魔法で処理している。それだけでなく、地面に落ちた糸が皆の足に絡まないようにきっちりと焼き払っていた。
仲間が自由に動き回れるために、自分のやるべき役目を理解しているのはさすがだ。
アークやランダン、フリードやルーちゃんも被弾する様子は全くない。
傍にはミオも控えているので私も攻撃に加勢することにする。
「『聖魔弾』」
私は杖から聖魔力の塊を作り出して射出する。
杖を動かしてコントロールし、ザガンの脚の関節を撃ち抜いていく。
「なっ!?」
「ハハハ! セルビスの魔法が真似されてやがるぜ!」
「フフン、どう? 名付けて『聖魔弾』」
驚きセルビスに私はここぞとばかりに胸を張る。
セルビスの魔法を私なりに改良したものだ。
どう? 褒めてくれてもいいんだよ?
などと思っていたが、視線を向けてくるセルビスの表情は随分と険しい。
も、もしかして、真似をされるのが嫌だったかな? 私なりに改良してみたんだけど。
「おい、真似をするならもっときちんとしろ。なんだその杜撰な魔法式は? 見ているだけでイライラする」
どうやら私の改良したレベルが低くてご立腹のようだ。
「ご、ごめんって。私にはセルビスみたいな精密な操作は無理だからこれで勘弁して」
「ダメだ。帰ったら魔法式の改良だ」
うう、少しは褒めてくれると思ったのに、うちの魔導士はスパルタだ。
「……すごい。強くなったはずのザガンが一方的。これがソフィアのいた勇者パーティー」
傍で戦う様子を見守っているミオが見入るように呟く。
かつての仲間を褒められて嬉しくないはずがない。
「えへへ、皆すごいでしょ?」
「……うん」
魔神の強化を得て窮地に陥るかと思ったが、アーク、ランダン、セルビスという頼もしい助っ人によってザガンを圧倒する。
「脚の再生が止まった!」
アークがザガンの脚を切断したが、傷口から新しい脚は生えてこない。
ザガンの再生能力が限界を迎えたようだ。
身に纏っていた瘴気の力も弱まっているように感じる。
「ようやくか。そろそろ終わりにしようぜ」
「ランダン、セルビス」
「しょうがねえ。ここはアークに譲ってやるよ」
「好きにしろ」
アーク、ランダン、セルビスが短い会話の中で意思の疎通を図る。
彼らの中で既に動きが組み上がっているらしい。
「『暴嵐【ウインドストーム】』」
「『ブレイクインパクト』ッ!」
セルビスが風魔法でザガンの全身を切り刻み、動きを拘束する。
魔法が終わると同時にランダンが魔力のこもった大剣を振り下ろし、ザガンの脚を一気に三本へし折る。
ザガンが苦悶の声を上げて体勢を崩し、その真上には聖剣を振り被ったアークが。
「『ブレイブスラッシュ』ッ!」
魔王を倒した必殺の一撃を放った。
凄まじい光の奔流が立ち上る。これだけに派手にやると、光は地下水路だけでなく王都の外にまで噴き出ていそうだ。
アークの一撃によって光が収束すると、そこには元の身体を僅かながら残したザガンがいた。
「ぐ、ぐおおお……」
「あの一撃を食らってまだ生きているのか」
「虫のように凄まじい生命力だな」
魔神によって強化された異形な身体は朽ち果てて、ボロボロになっているがまだ息はあるようだ。そして、セルビスの一言が辛辣。
「ソフィア」
「うん」
アークの意図をくみ取った私は、ザガンを浄化するべく聖魔法を組み上げる。
すると、目の前にいるザガンが顔を上げて手を伸ばした。
「く、くそ。ただで死んでなるものか……ッ!」
思い起こされるのは魔王が死に際に放った濃密な瘴気。
まさか、またしても道連れとして瘴気をばら撒くつもり? こんな王都の真下でそんなことはさせない。
私はすぐ様に聖魔法を完成させて、蹲っているザガンへと叩きつけようとする。
しかし、それよりも早くにザガンは手を地面に叩きつけた。
それを合図に足元にある魔法陣が赤く不気味に輝く。
「ソフィア! 早く浄化しろ!」
「『ホーリー』ッ!」
なにをしようとしているのかは不明だが、ロクでもないことはわかる。
セルビスの声で迷い打ち消した私は、完成した聖魔法でザガンを浄化した。
ザガンの身体は瞬く間に浄化されて存在が消えた。
次の瞬間、何もない虚空から空間が広がり、真っ黒な手のようなものが突き出してくる。
それは真っすぐに私の首元に迫る。
「ソフィア様ッ!」
あ、死んだ。と思いきや、私と入れ替わるようにルーちゃんが前に出て、真っ黒な手を斬り付けた。
キイインッと硬質なもの同士がぶつかり合ったような音が響き渡る。
ルーちゃんの斬り付けた聖剣は確かに手に当たっている。しかし、濃密な瘴気がそれを阻むように聖剣を受け止めていた。
「……なに、このおぞましい瘴気」
傍にいるミオが唇を真っ青にして震えている。
私でも感じた。この瘴気の強さは明らかに魔王以上だ。
「ルミナリエ! 離れろ! 『ブレイブスラッシュ』ッ!」
ルーちゃんがすぐ様離れると、アークが前に出て真っ黒な手を斬り付けた。
アークの一撃は瘴気の壁を見事に打ち破り、手首を切断してみせる。
「ソフィア! 早く浄化を!」
「うん!」
この真っ黒な手の正体が何かはわからないが、今までにないくらいに危険なことはわかる。
「『エクスホーリー』ッ!」
私は即座に聖魔法を組み上げて、全力の聖魔力を叩きつけた。
真っ黒な腕は私の浄化の光を浴びてボロボロと崩れていく。
「なるほど、これが魔王を滅ぼした勇者と大聖女の力か。俺の身体の一部とはいえ、切断し、浄化してみせるとは……」
そんな中、聞いたことのない悍ましい声が脳裏に響いてきた。
聞いているだけで肌がぞわぞわする。
「誰だ、お前は!?」
「魔神だ。いつか会う時を楽しみにしよう」
アークが問いかけの声を投げると、魔神と名乗る声の主は不気味に笑った。
やがて腕が浄化され、消失すると、魔神の笑い声は聞こえなくなる。
やけに静かになった水路の音だけが嫌に響いていた。




