モヤモヤ
「スライムが瘴気の浄化までしたってマジか?」
報告を受けてやってきたイザベラに説明すると、彼女は目を丸くした。
「うん、私もビックリした」
まさか治癒だけでなく浄化もしてしまうとは私も驚きだった。
「浄化能力まであるとすれば、同じ個体をたくさん生み出し、汚染区域を浄化してもらうという手も……」
「確かに!」
「さすがにそれは難しいだろう。聖魔力を宿しているとはいえただのスライムだ。瞬く間に瘴気持ちの魔物に狩られることになる」
「そ、そっか」
そう甘くないという現実を突きつけられてシュンとする私。
「とはいえ、それは護衛をつければ問題ない。運用方法を考えれば、頼もしい力になってくれるだろう」
まだまだ課題となる点はあるかもしれないが、スラリンの能力が心強いことは確かだった。
私の結晶を取り込めば、同じような個体が生まれるのかは不明だが、今後の新しい一手になるに違いない。
「考察してるとこ悪いけど患者の移動が終わった。ソフィア、エリアヒールを頼めるか?」
「うん、任せて」
申し訳なさそうに頼んでくるイザベラの言葉に私は快く頷いた。
さすがに大人数の治癒となるとスラリンでは心もとない。
今日はスラリンに任せっきりでほとんど働いていないので、私も頑張らないと。
やる気を十分に漲らせた私は、イザベラに案内されて診察室から聖堂へと移動。
そこには大人数の重傷患者が収容されていた。
アブレシアの教会で目覚めて迷い込んだ時の救護室と同じ――いや、それ以上の規模の患者がいた。
部位を欠損して呻き声を上げているものや、包帯が血で滲んでいる者などたくさんだ。
中には容態が安定している者もいるが、それらはじっくりと治癒を重ねることで治療中なのだろう。
治癒の能力が高くなければ、少しずつ重ねがけをすることで治癒をすることもある。
「結構な人数だがいけるか?」
「問題ないよ」
イザベラが心配そうな声を上げる中、私は両手を組んで聖魔法を発動。
「『エリアヒール』」
私を中心にドーム状の淡い翡翠色の光が広がった。
「うおお、怪我が治ってる」
「……傷が痛くない」
それらは寝そべられていた患者たちを包み込み、みるみるうちに怪我を治癒していった。
あちこちで上がる患者の歓喜の言葉と、病み上がり故にそれを窘める見習い聖女やメイドの声で騒がしくなる。
「相変わらずのバカげた聖魔力だぜ。あたしたちの立つ瀬がないね」
「たとえ、私一人でたくさんの人を癒せたとしても、常に全員を癒すことできないよ。こうやって皆が平和に生活できているのは、イザベラみたいに支えてくれる人がいるお陰」
自嘲するように呟くイザベラに私は、素直な想いを伝える。
たとえ、たった一人が多くの者を癒すことができたとしても、所詮は一人の力だ。
たった一人でできることなど、たかが知れているものだ。
私なんかよりもこうやって毎日の生活を支えている、イザベラたちこそ本当にすごいのだ。
「相変わらずこっぱずかしい台詞を吐くなぁ」
「そうかな?」
「でも、ありがとよ。世界を救ったてめえが言うと、こっちも報われるってもんだぜ」
にししと嬉しそうに笑いながら言うイザベラの姿は、どうからどう見ても立派な聖女だった。
●
治癒院での治癒活動を終えると、セルビスは早速研究データを纏めるために研究棟に戻った。
メアリーゼに治癒院での出来事を報告すると、私たちは屋敷に戻ってゆったりとした数日を過ごしていた。
『ひいいっ、こないでください! 私は悪いアンデットじゃないですから!』
屋敷のリビングを掃除しているエステルが気になるのか、スラリンがうごうごと近づいていく。
それに対してエステルは悲鳴を上げていた。
「スラリンがそんなに怖いの?」
『この子に纏わりつかれると身体がピリッとして痛いんです!』
私の聖力を宿しているスラリンと、レイスであるエステルの相性はあまりよろしくないようだ。
加減をすれば、問題なくエステルとも触れ合えるのであるが、スラリンにそこまで繊細な力のコントロールはできないみたい。
「スラリン、力が加減できないうちはあんまりエステルに近づいちゃダメだよ?」
私の窘めるような言葉を聞いて動きを止めるスラリン。
それを見てホッと胸を撫で下ろすエステル。
しかし、程なくするとスラリンはまたしてもエステルに向き直って近寄っていく。
『ひゃわっ! どうしてまた近寄ってくるんですか! ソフィア様の言うことを聞いてください』
「ありゃりゃ、完全に面白がってるみたい」
「エステルの反応があそこまでいいと仕方がないかもしれませんね」
多分、私の言葉を理解した上で遊んでいるんだろうな。
エステルの仕事が進んでいなさそうだけど、傍から見ていると楽しそうなので放置することにした。
スラリンの能力についてはもう少し調べたいところだけど、この間はとても頑張ってくれた。あまり酷使しても可哀想なので、今日もゆっくりしてもらおう。
呑気にそんなことを考えて紅茶をすすっていると、来訪を知らせるベルが鳴った。
「私が見にいきます」
「うん、お願い」
こういった雑務はメイドであるエステルがやるべきだけど、見ての通りスラリンにじゃれつかれていて動けない状態だしね。
未だに悲鳴を上げて逃げ回っているとエステルを眺めていると、様子を見に行っていたルーちゃんが戻ってきた。傍らには来訪者らしいミオとフリードがいる。
「二人とも遊びにきたの?」
嬉しさから跳ねるようにソファーを立ち上がって尋ねる。
しかし、ミオはふるふると首を横に振った。ガーン。
「じゃ、じゃあ、どうしたの?」
「……ソフィアに相談したいことがある」
そんな風に告げるミオの表情には混ざっているようだった。
その言葉と表情に私は面食らいながらも、ゆっくりと話せるようにソファーへと促す。
エステルは未だにスラリンににじり寄られていたので、スラリンは回収してミオとフリードのために新しい紅茶を用意してもらった。
「相談って、なにかあったの?」
ミオとフリードが差し出された紅茶を口にし、落ち着いたところで率直に尋ねた。
すると、ミオは少し迷った様子を見せながらも口を開いた。
「……ここ最近、王都で嫌な感じがする」
「嫌な感じっていうと?」
「……モヤッとした感じ」
これはまた随分と抽象的な言い方だ。
「それは王都で瘴気持ちの魔物を感知したということでしょうか? あるいは瘴気の反応があったとか……?」
私が首を傾げていると、ルーちゃんがおずおずと尋ねる。
感知系に秀でた彼女がそのようなことを言うということは、それらである可能性が高い。
「……わからない」
しかし、ミオはゆっくりと首を横に振った。
だとしたら何だというのだろうか。まるでなぞなぞみたいだ。
「きっかけは王都に入ってかららしくてな。最初は気のせいだと思っていたらしいが、ここのところ急に違和感が強くなったらしい」
私たちが首を傾げているとフリードが詳しく説明してくれる。
「……ソフィアでもわからない?」
ミオからの伺うような真っすぐな眼差し。
違和感の正体を私ならわかるんじゃないかって期待しているみたいだけど、残念ながら私の感知精度はミオ以下だ。
「ごめんね、私にはわからないよ」
「……そっか」
私がそのようにハッキリと言うと、ミオが残念そうに目を伏せる。
期待してやってきてくれたのに申し訳ない思いだ。
「うーん、違和感で思い当たるのは、やっぱり瘴気だと思うけどそうだったら私たちも気付いているしね?」
「はい、仮に見過ごしていたとしても、王都には結界が張られています。瘴気持ちの魔物が侵入してくるのは不可能でしょう」
ルーちゃんの言う通りだ。
ここは教会本部が設置されている堅牢な王都だ。多くの貴族や王族が住まうだけあって、瘴気や魔物への対策は万全だ。
クルトン村や発展途上のアブレシアとは防備も断然違う。
違和感の可能性である瘴気持ちの魔物が、侵入してくることはないだろう。
「……だけど、ずっとモヤモヤする。嫌な感じ」
世間的な常識で照らし合わせればそうなのだけどミオは浮かない顔だ。
「こういう時のミオの予感はいつも当たる。嫌な予感の正体が何かはわからないが警戒しておいてほしい。今日はそれだけを伝えにきた」
「う、うん。わかった。なにか異変があったらすぐに伝えるよ」
「助かる。こちらも引き続き探ってみる」
ミオとフリードはそのように言い残すと屋敷を去っていった。




