王国文官
湯屋で天然治癒風呂事件を起こしてしまった翌日。
メアリーゼの執務室に呼び出されていた。
「……ソフィア、あなたは目立ちたくないのではなかったのですか?」
「ま、まさか、私が入っただけで怪我が治癒するだなんて思わなくて……」
ため息を吐きながら言うメアリーゼの言葉に私はおずおずと言う。
「悪気がなく、とんでもないことを起こすのは昔と変わりませんね。懐かしいようなハラハラとするような」
「ええ? そう?」
私は昔から常識人でそれほど騒ぎは起こしていなかったような。メアリーゼと私の評価に大きな隔たりがあるような気がする。
「自覚がないところも相変わらずですね」
「まったくです」
私が首を傾げるとルーちゃんとメアリーゼが揃って言う。
メアリーゼだけでなくルーちゃんまでそんなことを言うとは、もしかして本当にそうだったのだろうか。ちょっとショックだ。
「ええ!? な、なんか、ごめんなさい」
過去のどの出来事がやらかしだったのか私には判別がつかないが、今回事故を起こしてしまったのは私なのでとりあえずは謝っておく。
「あれから湯屋の方はどうなったの?」
私たちはあれからすぐに帰ったので、その後の状況は知らなかったりする。
「ええ、今のところは噂が原因で客が押し寄せたことくらいでしょうか?」
「それって怪我が治らなかったら文句を言われるんじゃ……」
「湯屋の店主は改装して薬湯を作ると息巻いておられました」
ああ、湯屋は昨日の事件を利用して儲ける気だ。なんと商魂たくましいのだろう。決断が早いよ。
「ソフィアには無料でいいので、たまに入りに来てほしいとのことです」
ああ、そうすることで私に対する詮索や文句も言わないということだろう。
「……わかった。たまにだけ利用するよ」
さすがに毎日入ると、私のせいで大変なことになるだろうから本当にたまにだ。
それでも効果が表れればお客さんはこぞってやってくるのだろうな。
「ありがとうございます。これも女神セフィロト様のお導きですね」
そして、メアリーゼもこの件を利用して女神様への信仰心を強めようとしている。
湯屋の店主とメアリーゼの結託がすごい。
「……大司教にもなると色々とあるんですよ」
私とルーちゃんが驚いていると察したのか、メアリーゼが少し疲れた表情で呟いた。
偉くなるというのも大変だ。
「でもこれから私はどこでお風呂に入れば……」
湯屋にはたまにしか入れない。かといって、教会の浴場を使っても同じように騒ぎが起こる。これは困った。
お風呂に入るなとか言われたら私は死んじゃう。またお湯で身体を拭くだけの生活に戻るというのだろうか。
「……実はこの階層には司教以上の者のみが入れる小さめの浴場があります。これからはそちらを利用するといいでしょう」
「本当!? メアリーゼ、大好き!」
メアリーゼの実に素晴らしい提案が嬉しくて、私は彼女に勢いよく抱き着く。
やっぱり、メアリーゼは優しいから大好きだ。
◆
メアリーゼの執務室から出た私は鼻歌を歌いながら教会の廊下を歩く。
静粛な教会の中をこのように歩くのはあまりよろしくないが、メアリーゼのいる階層は人なんてほとんどいない。
並の役職のものでは入ることすら許されないからだ。つまり、この広い階層には私たちくらいしかいない。だからこれくらいの鼻歌もへっちゃらだ。
「教会でもお風呂に入ることができてよかったですね」
「うん、想像していた以上に広かったしね」
あの後、メアリーゼの案内でお偉いさんだけが利用できる浴場を見せてもらったのだ。
湯屋のように広くはないが、大人が十人は入れるような立派なもの。並のビジネスホテルにあるものよりも大きい。
てっきり小さめのお風呂かと思っていたけど、予想以上に大きかったのだ。
「利用者もほとんどいないようですし、実質貸し切りのようなもの。こちらの方が快適かもしれませんね」
「うん、贅沢だよ」
広さは劣るけどあの広さの湯船を一人で使えると思えば、湯屋などよりも贅沢だ。
やらかしてしまったけど、結果としてはハッピーな私だった。
風呂問題の不安がなくなった私は、上機嫌で自らの部屋がある階層へと歩いていく。
すると、私の部屋の前には見慣れない女性が立っていた。
不審な人物が待機していることに警戒するが、女性の纏っている衣服は王城に勤める文官を表すもの。
身分がわかったところで警戒感は下がったが、今度は王城務めのお役人さんが何の用だという疑念が膨れ上がる。
「……もしかして、湯屋の騒ぎ?」
「昨夜の出来事ですし、メアリーゼ様が上手く収めてくれたのでそれはないかと思います」
「……じゃあ、何の用だろ?」
「私にもわかりません」
ルーちゃんと小声で話してみるも、結局思い当たる節はなく部屋の前にたどり着いた。
文官の制服に身を包んでいる赤髪の女性は私たちを見ると話しかけてきた。
「お初にお目にかかります、ソフィア様。私は文官のセレナーデ=トリステンと申します。世界の救世主といわれる大聖女様にお会いできて光栄です」
突然話しかけてきたことよりも、彼女が私のことを知っていることに驚いた。
「……どうしてそのことを知っているのです?」
動揺している私の代わりに、ルーちゃんが警戒心の混ざった声で尋ねる。
私が目覚めたということを知っているのは、ごく一部の人間だけ。王城の文官がどうして知っているのか。
「セルビス様にお聞きしましたので」
「はい!?」
セルビスとは昨日会ったばかりだ。
私が目覚めたことを公表せず、普通に暮らしていくことを彼は支持すると言っていた。
それなのに昨日の今日で吹聴するとはどういう考えだ。
「正確にはセルビス様の不審な外出を国王様や王太子様が、訝しんで無理矢理聞き出した感じです」
私たちが不安に思っていると、セレナーデがこうなった事情をぶっちゃける。
真面目な顔をしているけど意外とその辺はフランクみたいだ。
「ああ、なるほど――って、一日外出しただけで訝しまれるってどんな生活してるの?」
「セルビス様は普段は研究棟に籠られ、滅多なことでは外出しませんから」
それだけで訝しむ国王様たちもそうだけど、訝しまれるセルビスもどうかと思う。
「というか、尋ねられても適当に誤魔化してよ……」
「セルビス様が戻ってから国王様と王太子様がずっと付きまとっていましたからね。あのウザさではセルビス様がゲロってしまうのも仕方ないかと」
宮廷魔導士にそこまで付きまとうなんて国王と王太子は暇なのだろうか?
そんな言葉が喉から出そうになったが、文官が目の前にいるので自重した。
「……二十年前に比べると平和になったね」
「え、ええ。少々、平和になり過ぎた感は否めませんが……」
せめてもの抵抗とばかりに皮肉を言うと、ルーちゃんも苦笑いしながら頷いた。
「そういうわけで国王様と王太子様がご内密に会いたいとのことなので、ご同行をお願いできませんか? 外に目立たぬように馬車を置いてありますので」
ご内密にということは無闇に私の目覚めを公表するつもりは今のところはないのだろう。
私が身分を偽っていることをセルビスが一応伝えて、釘を刺してくれたのかもしれない。
「わかりました。同行します」
「ソフィア様、よろしいのですか?」
私が素直に頷くと、ルーちゃんは不安そうな眼差しを向けてくる。
「別に話し合うだけだよ。国王様たちとは関わりがあったし、一度は顔を出さないといけないと思っていたしね」
「ソフィア様が問題ないのであれば……」
国王や王太子にバレてしまったのだ。抵抗して会わないという方が面倒なことになりそうだ。
私のこれからのことについて、きっちりと話しておくのが今後のためにもなるだろう。
「では、付いてきてください」
私たちの意見がまとまったのを見て、セレナーデがゆっくりと歩き出す。
こうして私は久しぶりに王城へ足を踏み入れることになった。
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