彼は誰の泣き声
『…のニュースです。
新…エネルギー……利用した兵…の開発が進め……ています。実現すればエネルギー効率は従来の…倍になる見込みとのことで、関係各所からの注目が…………………』
虚ろな頭にニュースの音が流れてくる。
またそんな話かよ、と思ったところで、ようやく意識が覚醒した。
休眠ポッドがシグナルを認識し前面が開く。体を起こしてうーんと伸びをすると、姉が声をかけてきた。
「ようやく起きた。そろそろ準備しないと学校遅れるよ?」
言われて時計を見ると、ルチアナ生徒標準時七時半過ぎを指している。確かにそろそろ準備をしないと。
ポッドの上からぐっとジャンプする。体がふわりと浮いて、狙い通りテーブルの手前に着地した。テーブルの上には強化栄養案と補助栄養チューブが一人分置かれている。姉はもう食べ終わったらしい。
パンを口に放り込み、栄養水で流し込む。これだけで1日に必要な栄養の三割が摂取できるというのだから驚きだ。
テレビのニュースは切り替わっており、今度は移民反対デモの様子が流れていた。
「上流エリアに住んでるお金持ち様方は、暇でいいわね」
姉がつぶやいたのとほとんど同時に、二人のアームデバイスとニュースで警報が鳴った。
『緊急速報です。
都市エリアE7で四体のUSCが発見されました。近隣住民の方は速やかに近くの建物、または隔壁内に避難してください。
繰り返しお伝えします』
寸分たがわぬ映像と音が、一秒のロスもなく三箇所から発せられる。
「今日はE7ね。学校行く分には大丈夫かな」
「でも気を付けて行くのよ? 念の為E5は通らないようにしなさいね」
「近道なんだけどなあ」
「ダメよ! あんたにまで何かあったら、私……」
「ごめんごめん、分かってるよ姉ちゃん。今日はF8から回っていくから」
泣きそうになる姉をなだめて、学校の制服に着替えて家を出た。
「本当に、気を付けて行ってらっしゃい、リュート」
ルチアナ星は人工二億五〇〇〇万人からなる単星国家だ。
百年ほど前に他星系で人口爆発が発生し、一五〇〇万人ほどが移住して始まった移植地だったが、あまりに辺境だったため本国との通信にラグが発生しなんだかんだで独立を宣言。授業では色々言われたが要するに「戦争するには遠すぎる」という理由から比較的温厚に独立国家となった。
よその街は知らないが、首都であるこのルチアナ第一都市は政治中心部であるAエリアを中心に、ほぼ同心円にAからKに区画分けされている。
Cエリアまでは初期発展地区、地球化が未完だった頃に入植した土地のため、隔壁できっちり覆われている。何らかの地殻変動が起こっても安全なその土地は地価が高く、いわゆる上流階級エリアと呼ばれている。
この星にUSC、未確認影状生物が最初に現れたのは三年前、俺が十四歳の八月三日だった。
あいつらはどこからともなく街中に突然現れた。影のような真っ黒な体は軟体生物のようにゆらめき、明確な殺意を持って、無差別に人を襲った。老若男女、身分の貴賤関係なく、完全に手近な場所から。
最初に出現した時は八人が殺害され、十五人重軽傷を負った。
三年経った今でもあいつらが何なのかは分かっていない。少なくとも公式には発表されていない。
幾つか分かっていることと言えば、ルチアナ星全土で発生しているが、他星では見つかっていないこと。明け方と夕方にしか発生しないこと。発生には一定以上の空間が必要なこと。壁をすり抜けたりはできないこと。そして、人間以外は襲わないことくらいか。
銃器、鈍器を始めとする物理的な攻撃や電撃は効果がなく、生体エネルギーをぶつけると何故か霧散して消えた。
電気を使用するよりも機器の生産コストが高いせいであまり普及していなかった生体エネルギー武器が急ピッチで量産され、ほんの一月後には十二歳以上の全国民に配布された。
移民の話は遅々として進まない。
二億五〇〇〇万人という人数を移送できる宇宙船も、それだけの人数を受け入れられる近隣国家もなかった。
いやあることにはあるのだが、近隣の大国というのは要するに独立前の宗主国なわけで、ものすごく仲が悪かった。
生産プラントだけ残して近くの星に移住するか。しかし近くに簡単に地球化できる星がないからここに来たんだ。もっと離れたら他の国家から離れすぎる、それでは一切の貿易ができなくなる。ではどうする、このままでは街にあいつらがのさばり続けるぞ。
堂々巡りの議論は結論を生まず、武器の増産や効率化だけが着々と進んだ。
朝のニュースでUSCの発生場所を確認し、大丈夫そうなら出勤や通学をする。全員が生体エネルギー武器を携帯し、外ではなるべくまとまった人数で行動する。建物内は不自然な区切りやドアで迷路のようになっているが、それも何日か生活すると慣れてしまう。
時々出る死者。定期外来輸送船が来ると少しだけ人数の減る学校。頻繁に開催される戦闘講習。
政治から離れたDエリア以降では、もはやこの生活が普通になっていた。
上流地区はというと、道そのものをチューブにして生活区域ではUSCが一切発生しないよう街中そのものを変えたらしい。一〇〇パーセント住民からの寄付で。金持ちの考えることはすごい。何がすごいって、それだけ金があればどこへでも移住できただろうってところがすごい。よくわからない。
俺はこの街で、姉のミュラと二人で暮らしている。
両親は、まあ、いわゆる警官だった。名前を知りたければネットでちょちょいと調べれば簡単に見つかる。最初の八人のうち、ファミリーネームが同じ二人だ。
市民を守って立派に殉職した。
本当は逃げてでも生きて欲しかったけど、言わない。それは姉が沢山言ってくれてるから、俺は言わない役目だ。
姉は競争率のめちゃくちゃ高い在宅の仕事に就くことができ、家はなんとか回っている。
俺の学費が両親の見舞金から出ていることだけが気がかりだが、高等学校だけは絶対に卒業しろというのが両親の教えだったので、本当は早く働きたいのだけど学校に通っている。
来年学校を卒業したら、警備員になる。
警備員というのは最近できた準公務員枠で、要するにUSCとの戦闘員のことだ。
このことで先日姉とは大喧嘩をしたが、これだけは曲げない。
警備員は当たり前かもしれないが本当に不人気で、常に欠員を募集している。しのため様々な就職特典がつけられているのだが、その中の一つが親族のCエリア社宅居住権だ。
あまり体の強くない姉には安全場所にいてほしかった。
俺と姉が普通に働いていたのでは、ここ三年で更に地価が倍になった上流エリアにはひっくり返ったって住めっこないから。
どうやって姉を説き伏せようかと、そんなことを考えながら学校への道を走っていると、突然目の前が揺らいだ。
とっさに足を踏ん張って後ろに飛び退く。先程まで自分の居た場所の空気が、はっきりと分かるように歪んだ。
ゆらゆらと黒い四肢を揺らしながら、それは現れた。
長く伸びた人の影だと言われてしまえば信じてしまうような黒い物体。
――USCだ。
両腕の生体デバイスを起動させる。連動して位置情報システムが俺を把握し、左腕のアームデバイスがF7エリアでのUSCの発生を知らせた。
USC発生時の原則は、視界から外さないようにしながら最速のバックテップで距離を取りつつ建物内に逃げ込むことだ。
ただし、それができるのは相手が一体だった時だけだ。
背後、少し離れたところから叫び声がする。今後ろに逃げたら挟み撃ちにされることは必至だ。
「今日はE7じゃなかったのかよ」
俺は足の加圧デバイスも起動し、腰をかがめた。
腰に提げた警棒を取り出す。柄を強く握り込むと先端に紫電が走った。
胴体部分に急所と思しき場所がある。そこを生体エネルギー兵器でえぐることで、敵は消える。
重力を感じさせない速度で近づいてくるUSCの、振り回した黒い腕を屈んで避ける。サイドステップでやや前に抜け、腕が一番離れたところで全力で突っ込んだ。
USCと戦闘する際は、遠距離武器がない場合は前に出るほうが安全だ。アイツラは自分の攻撃を自身に向けない程度の知性はあるようで、突っ込むと距離を取ろうとする。あの腕はあまり手前側には自由に動かないらしい。後は速度勝負だ。全速で胴に突っ込んで警棒で突き立てれば、戦闘は終了する。
と、友人には何度も言っているのだが、みんな何故か全力で拒絶する。
全力で警棒を突き立てて黒い影が目の前から霧散するのと、警備員が到着するのはほとんど同時だった。
他に発生したらしい二体のUSCの処理が終わるのを待って、一限が終わる頃にようやく学校に行くことができた。
職員室に警備員のサインの入った特別遅延届を提出して教室に向かうと、隣の席のミナミが声をかけてきた。
「ようリュート、一限は影休校か?」
影休校というのはUSCのせいで登校困難になって授業を休むことだ。公欠扱いになる。
「そう。目の前に湧いてさー。流石にちょっと焦ったわ」
「目の前って……よく逃げられたな」
「逃げてない。はっ倒してきた」
ミナミがわかるくらい大仰にため息を吐いた。
「お前が強いのは知ってるけどさ、無理すんなよ。ミュラさんが泣くぞ」
「姉ちゃんには黙っててくれよ」
「言えるかよ」
ちらりと教室を見る。幾つか欠席があるが、その中に何も置いていない席が一つ増えていた。
「ウィルは」
「昨日の便で転校した」
ミナミが即座に答えてくる。
ウィルは、初等学校の途中で転校してきた子だった。確か父親の仕事の都合で外星から越してきたはずだ。
USC発生後は、仕事の都合が再度付いたら出ていくことになると言っていた。
「生きてるんなら良かった。出ていけるなら出ていったほうがいい」
これで今年に入ってからの転校生は三人。二十五人いたクラスは二十人になった。
今のこの星の正確な人口を、俺は知らない。
残っているのは船費を捻出できない人間と、外に行っても行く宛も仕事もない人間だ。ああ、あとは既得権益を手放したくない安全地帯にいる富裕層。
移民後に開発特需で爆発的に増え、その後三年前までじりじりと延びて二億五〇〇〇万に乗った人口は、今はおそらく急降下の一途を辿っているだろう。
授業が終わり帰路につく。
三年前までは部活動があったのだが、USCの発生が朝方と夕方のため今は放課後の残留は禁止されている。
あいつらのことを考えると、妖怪みたいだなと思う。
黄昏時と彼は誰時に現れるという、確か地球のどこかの地区の伝承だったはずだ。
あちらとこちらの区切りが曖昧になって、あちらからこちらへ、こちらからあちらへ行き来ができるようになるとかなんとか。
「でも妖怪っていうのは、なんかこう、もっと色々居るはずなんだよなあ」
少なくとも一種類だけが、しかもこんな頻繁に出ることはないだろう。
分かんねえなあと呟いて家のドアを開けると
「リュート! 大丈夫だった!?」
今朝にまして泣きそうな顔をした姉が目の前に待ち構えていた。
「あ、ああ、うん、大丈夫。警報が鳴って(俺が一体倒してから)すぐに警備員さん来てくれて、(もう二体倒してくれてる間)保護してくれたから、俺は(あの程度の敵なら)なんともないよ」
「よかった、よかったぁ」
緊張の糸が切れたように姉は泣き崩れた。
「ってかメール返したでしょ。大丈夫だよ」
「それでも。心配で、E5通ってれば大丈夫だったのに、私が、言ったから」
泣きじゃくる姉の背中をぽんぽんと叩く。
「大丈夫だっよ姉ちゃん。俺はなんともないよ」
まるっと一時間かけて姉をなだめ、なんとか仕事に復帰させることに成功した俺は、疲れ果てて休眠ポッドに横になった。
正直今朝の戦闘よりも疲れた。
睡眠をとるわけでもないので仮眠モードのスイッチを入れ、目を閉じる。
今日の戦闘のことを考える。あいつらは一体何なんだろうか。
振り回された腕に当たれば怪我をするのに、建物にあたっても壊れない。銃も鈍器も刃物も効かず、電撃砲もレーザー銃も効かない。なのに出力の微弱な生体エネルギーが当たると霧散して消える。
霧散して消えるだけだ。倒せているのかどうかも分からない。
そんなことをうだうだ考えながら体を横たえていると、俺はいつの間にか寝入っていた。
寝入ってしまったのだろう、と思う。
だからこれはきっと、ただの夢だ。
何もない空間で、目の前にUSCが立っている。
USCの体が歪み、歪んだ声が響いた。
「イ タ イ イ た イ い タ イ ド ウ し テ ワ た シ ヲ こ ロ ス ノ ?」
「お前が人間を殺すからだ」
「チ が ウ チ ガ う オ マ え タ ち ガ コ ロ し タ か ラ コ ろ シ タ」
「違う! お前たちが先に殺したんだ! 俺の、俺と姉ちゃんの両親を!!」
「オ ま エ タ チ ガ ヤ ッ た オ マ エ た チ ガ サ き ニ や ッ タ お マ え た チ ガ ワ タ し ヲ シ バ っ テ ヲ か シ テ コ ロ し テ ふ ミ ツ け タ」
「もういい」
おれはいつの間にか持っていた警棒をそいつの胸に突き刺した。
「何度現れたって、俺がお前を殺してやる」