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【1-4】星降る夕暮れと、星残る朝に

  ☆☆~


『ぴんぴろぴろりろぴろりろりーん♪ ……さて始まりました第二八回春雀祭! わたくし、高等部二年、放送委員の掛川がお送りします一日目午前の春雀祭』

 放送委員による『祭りラジオ』が始まり、否が応にも祭りムードは盛り上がる。

「よーしみんな、しまっていこう!」

「おー!」

「──と気張ってはみたが、まだ客来ねえだろ。ゆるゆるやるぜ」

「おー」

 客が座る教室にいるのはホスト姿の俺と、メイド服の火南魅と穂並。調理場にはンテリウとベロムと倉庫男で、計六人。どうせ始まって二、三十分は人は来ないだろうし、テーブルは大小合わせて八つ。大して客数は入れないから、とりあえずは少ない店員でも回るはずだ。混む時間帯はもちろん人を増やすが、

「あ、ミハイオとチッキー忘れてた」

「忘れるならさせるなー!」

「ねえカイザンボーさん、改めて俺の役いる……?」

「うーん、メニューに名前まで入れちゃった系だからね」

「入れてなきゃ『いらない』って言ったでしょ! 素直の馬鹿ー!」

「うるさいですよマダム。……あ、いらっしゃいませぇー! え……」

 意外にも早く、最初のお客が来た。思わずパン屋の高めのテンションで反応したが、俺は黙らざるを得ない。入り口に一番近い穂並が二人用テーブルに案内する。

「ご注文お決まりになりましたら、お呼びくださいですです、ご主人様~」

「あ、それじゃダメじゃないあなた。女の人にはお嬢様って言わなきゃ」

「お嬢様、ですか~?」

「ああ、あなたじゃ話にならないわ! 責任者を呼んで!」

 よく分からない、という様子で穂並がこっちに来る。

「すなおくん~」

「オーケー、あとは俺に任せろ。いきなり面倒な客を引いちまったようだ……」

 俺はその女性客のテーブルへ向かう。ホストのキャラも何もなし、態度スッピンで行く。

「お客さん。とりあえず帰ってもらっていい? 友達に貰ったD組の割引券あげるから」

「わあ、素直似合ってるじゃん! 何だっけ、ヒモのコスプレ?」

「ホストだよ。いいから帰れよ。何見に来てんだよ」

「えっと素直、お友達? 仲良さそうだけど……」

 会話の雰囲気で親しげで安心と判断したのか、火南魅が割り込んでくる。調子に乗ってミハイオも、

「まさか素直カノジョ!? 江敷さんに確認取った方がいい?」

「えっ、素直? 本当?」

「信じるなよ火南魅。家族」

「イエス! みんな、素直がお世話になってまーす。姉です☆」

「あ、お姉さんですか……こちらこそ素直くんにお世話になってます」

「素直、お姉さんいたのか……初耳だな」

「いたとしたらな。火南魅も信じんな! 親です! 母親!」

 イエイとピースサインを決め始める実母。その瞬間、クラスメイトは固まった。

「……………………母!?」

「テメエ告白する前から近親相姦とは、これいかに!」

「これいかにじゃねえ金海はよそのクラス回ってろ!」

「いや、素直……義母?」

「火南魅までなんてこと言うんだ!?」

「ふ、ふぬぅ……神斬の実母だとしたら、若すぎるだろう。二十代前半にしか見えないぞ」

「いやん君ぃ褒めすぎだってば! お母さん照れるぅ!」

 少し黙ってろお袋。

「でもホント若い系だよね。おいくつ?」

「もうみんなしてこんな三十路(みそじ)のおばさんからかって! おだてたって余計なお金は落としてあげないよ!?」

「「「「「「「三十路!?」」」」」」」

 七人分の悲鳴がユニゾンする。若すぎるのは承知、だが今深い事情を話すヒマはない。

「はいこの話題終ー了ー。うちはだいぶ複雑なんだよ。……おいお袋。いきなりケーキでいいよな? そろそろ焼き上がるからそれ食って早く帰って?」

「はーい。素直の手作りスイーツか、母さん楽しみ! 中学校以来かしらねー」

「素直のお母さん。素直のちっちゃい頃の話とか、聞かせてもらえますか?」

 火南魅が余計なことを言う。ほーらミハイオとかベロムが食いついちゃった。しかしお袋は、

「それより学校での素直を教えなさい! あなた達、何のためにメイド服来てんの!?」

「お前も何しに来てんだー! 早く注文しろー! 意味も分からんし!」

 ちぇー、とようやくメニューを開く。クラスメイトも一落ち着きした。

「素直のお母さん、若いね……」

「火南魅。もうその話はやめてくれ……非常に複雑すぎる設定があるんだ」

「いや、私まだ、素直のこと何も知らないなと思って……」

 何だか本気で残念そうに呟く火南魅。俺のことを知りたいって!? 言ってねえ。

「少しはそういう話も聞いていい? 今度から」

 ……はいフラグ立った! 立ちましたスタンダップ!

「ちっ」

「待てミハイオ! 何でお前舌打ちした!?」

「ん? ヘイヘイ素直、あんなの舌打ちしたうちに入らないゼ、ユーノゥアメーン?」

「急に米国人ぶりやがって……!」

 次第に春雀祭全体の入場者が増え始め、クラスにも一般客や他クラスの生徒が来始める。

「よし、気合い入れてくぞ」


 あまり大きい声で指示や檄は飛ばせなくなる。だから、すれ違いざまに指示を耳打ちする。シフトを組んだ通りにスタッフの数も増える。

「おかえりなさいませご主人様ー! こちらの席へどうぞー!」

「お待たせいたしました、マダム・ミハイオの紅茶のシフォンケーキでございます」

「かしこまりましたッスー! お飲み物はケーキと一緒にお持ちしますかー!?」

「いってらっしゃいませご主人様。またのお帰りをお待ちしております」

 席は少ないのに、忙しい。家族や友達がメイド服を見に来ただけだったり、まだメシを食う時間ではないから注文が軽かったりして、客があまり長居をしないのだ。だが中にはスタッフに無茶振るヤツもいて、

「萌え萌えジャンケン、」

「テメエエエ火南魅に萌え萌えジャンケンさせてんじゃねえええ俺も混ぜろ!」

「ナオつん」

「止めるなベロム! 俺は火南魅に『一緒に萌え萌えするワン』とか言われて大人しくしてられるほどチキンじゃない!」

「いや違う系で。テーブルイス系は春雀祭中でも追加で借りられるらしいけど、増やした方がいい系? お昼頃にまた来るって言ってくれてるお客さんもいるし、もうちょい席に余裕が欲しい系だよね」

「ああー。そうだな……」

 真面目な話だった。確かに今は回ってるが、少し増えたら待ち時間ができるかも。それで客を帰らせるようではもったいない。教室のスペースもまだ余裕あるし、席増やすのもアリか。

「よし、そうしよう。ベロム、付き合ってくれるか?」

「うん、手続きとかは簡単だけど……あ、はい! ただいま参ります!」

 客に呼ばれて飛んでいく。知り合いらしく、捕まっちまった。一旦戻ってきて、

「ごめん、家族と従兄弟系だ。しばらく離れられないかも。初等部一階の生活科室系にあるから、クラスとあたしの名前出せば借りられる系。頼んだ!」

 おう任せろ。

 しかしテーブルとか運ぶ以上一人じゃ無理だ。店は忙しいから、休憩中の誰かに来てもらうか。

「今休憩中なのは……スリシャスにフリューゲンス、ペランドル、嵐花か」

 嵐花は部活の出し物やるって言ってたから無理か。ペランドルは頼んでも来てくれるか疑わしいし、フリューゲンスには頼む気もない。消去法じゃなくても頼むのは、

「もしもしスリシャス? 悪いんだけどちょっと来てくれるか?」


  ☆☆~~


 呼び出されたスリシャスは嫌がることもなく、俺とともに初等部の生活科室に来てくれた。俺とスリシャスで折りたたみ式の丸テーブルと、体育館によくあるパイプイスを適当に見繕ってるところだ。

「でもっ、ちょっと面倒だね……係の人が渡してくれるのかと思ったなっ」

「なあ。っていうか受付がいなくなったら受付の意味ないだろ。俺らに留守番してろっていうのか?」

 受付でベロムの名前を言ったまでは別によかったんだが、直後に受付係の生徒が他の生徒に呼び出されて『そこのリストに持ってく個数書いて適当に持ってって』と言い置いていった。盗まれても構わないのか、どっちにしろ俺とスリシャスは責任負う気はないからいいけど。それより、

「何でここら辺のパイプイスとかボロいかな……これとか、スリシャスが座ったら折れそうなくらい錆びてるし」

「うわっ、真っ赤だね……って、アタシそんなに重くないよっ!」

「うわ! やめろスリシャス、たとえ錆びててもパイプイスは立派な凶器だ!」

 なんて冗談も誰にも気兼ねなくできる。いや普段から気兼ねしてないけど。

 誰もいない。俺とスリシャス以外に。

 いやいや落ち着け俺。今までもスリシャスと二人きりでメシ食ってたりしたろうや。いやしかしこんな扉閉めて鍵かければ密室になる状況では初めてですがいやいや何でそういう方向に持っていこうとするか! スリシャスは友達だろう? しかし押し倒そうと思えばできないことは……邪悪か俺は。

 それはそうと、今はたまたま誰かと二人きりになったりしたけど、俺は明日どうやって火南魅と二人きりになるつもりなんだろう? 火南魅は少しくらいクラスの仕事して、その後は吹奏楽部の練習とかあるだろうから手が放せないだろうし、終わった後も会場の片付けあるだろうし。クラスで打ち上げでもするか? いや、吹奏楽部もあるだろうし、そっちの方が優先なんじゃねえかな……クラスは変わるけど部活はメンツ変わらないから、繋がり深いんじゃねーの? 経験ないから分かんねえけど。

「そうすると、俺はどうすればいいんだ!?」

「素直くん、どうしたのっ?」

「な、何でもない」

 と、とりあえず今はテーブルとイスだな。俺はまともなイス探しに没頭する。というより、没頭しようとする。

「ねえっ。素直くん」

「ん? 何だ?」

 俺は顔を上げてスリシャスを見るが、スリシャスは答えない。

「?」

「あのね……素直くんに言いたいことがあるんだけど、いいかなっ?」

『スリシャスはお前のことが好きだぞ』

『あー。それ俺も思ってた』

 来た。いや、自意識過剰だ。俺やミハイオや金海が俺にとって都合良く見てるだけだ。というか、そう思わなきゃ、間違ってた時にスリシャスに失礼すぎる。

「おお、何だ? おい待て待て、チャック開いてるとかじゃないよな?」

 とりあえず可能性として確認しておく。当然そんな話じゃない。

「えっと……どう、言えばいいのかなっ。告白なんてしたことないから、どう切り出せばいいのか分からないんだよねっ……」

 いやもう答え出ただろ今のセリフ。ツッコんだ方がいいのか?

「あのっ、あのね……アタシ、素直くんのこと、好き、なんだっ」

 言われた。さりげなくを装ってるが、精一杯の勇気を振り絞った末の言葉だろう。

「アタシ、転校してくる前はあまり友達いなかったって言ったよね。実はそれも転校の理由だったんけど……朱雀(ここ)に来て、みんなに良くしてもらえて、特に素直くんとは、一緒にお昼食べたり、春雀祭のことで色々気にかけてもらったり、遊園地で一緒に回ったり……」

 一息つく。

「それに、アタシの秘密知っても、何も言わなかったからっ」

「えっ……?」

 スリシャスの秘密。それは〈創始の亜法士〉であること。それをここで言ってくるとは思ってなかった。今まで隠してきた、まさに秘密を、なぜ今言ったのか。

「今まで、そういうこと考えたことなかったんだけど……恋人に、なってもらえますかっ?」

「スリシャス…………」

 傷つけないために、今の関係が傷つかないようにどう上手く断るか。それを考えるべきなんだろうけど、俺はなぜか違和感を感じていた。それは言い得ぬ不安となって、俺の頭をぐるぐる回ってる。何だ?『大変な事になるぞ』。そう言われているかのように。

「…………どうかなっ」

 スリシャスは俺の回答を待っている。頭は回らないが、答えは決まっている。

「……嬉しいよ。でもごめんスリシャス。俺、好きな奴がいてさ……」

「……うんっ、だよねっ。悔しいけど、火南魅ちゃんならしょうがないと思ってたんだっ!」

「ああ。だから…………へ?」

「先にこれ運んでおくねっ。あ、台車が奥にあったよ?」

 スリシャスはどっかから台車を見つけていて、それにイスとテーブルを載せて要領良く運んでいってしまう。俺は固まったまま、スリシャスに声をかけたくとも、かけられずにいた。


  ☆☆~~


 ……スリシャスにまでバレてたとしたら、火南魅にも筒抜けなんじゃないか?

「ありがとうございましたー! ……いらっしゃいませー!」

 混んできたからもうメイドの口調なんかどうでもいいやただのコスプレ喫茶で、的なノリと化しつつある二年C組である。俺が教室に戻ってきた時には、廊下に台車があるだけで、スリシャスの姿はなかった。他の連中も見てないという。少し心配になったが、メイドのシフトがあるからって呼び戻そうというほど俺も無神経じゃない。

「おいそこの三助。注文くらい聞きにきな。カモン!」

「誰が三下だー! ……言ってない? 言ってないの? じゃあご注文お聞きしまーす……なんだ和弘くんか。オリヴィアのクラスじゃないぜここは」

「なっ、何なんだその態度は。まるで俺を見下したような」

 気付け。見下していることに。ヘタレめ。

「ああ、注文だったな。じゃあ〈鉱物の亜法士〉一つ。喰わせてもらおうか」

「……残念。品切れだ」

「そうか。〈創始の亜法士〉は〈鉱物〉か」

「ぬかせよ、〈紅〉の。ハッタリだってことは分かってんだぜ。正解でも不正解でも、俺の回答からはどちらとも取れるだろ? 素直に答えてやるかってんだ」

 ……危なかった。ちょうどスリシャスのことを考えてた時に、このハッタリだ。少し焦ったけど、冷や汗とかまでには至ってないし……

「いや、ハッタリは大成功だったぜ。三助お前、答えるのをちょっとためらっただろ? 少しは心当たりがあるって証拠だ。スットンキョウなこと言われて困ってる、って顔じゃあなかったしな」

 ……落ち着け。口でならどうとでも言える。ハッタリにすぎない。

「……じゃあはっきり言ってやるよ。〈鉱物〉じゃねえ。俺がそうだと思ってる知り合いは」

「ハッ、ナンセンス! じゃあ教えてやるよ。ハッタリにしても、勘だけで〈鉱物〉にまで絞られるはずねえだろ? ここ最近、お前の周辺にあった人間関係の変化を調べたんだ。まあ部活にも委員会にも入ってなかったからイージーだったぜ。その中で唯一の変化は、このクラスの転校生だな? スリシャスっていうのか……」

「だから〈鉱物〉じゃねえっての。これは水掛け論だって」

「黙れ三下。〈創始の亜法士〉を差し出すなら、俺も大人しくしてようってんだよ」

 火煙寺がテーブルを拳でブチ抜く。ああ気のせいだ。拳だと思ったのは炎のかたまりと化した火煙寺の手で、ブチ抜いたと思ったのはテーブルが焼け落ちただけだった。体そのものが炎と化す亜法。いかにも〈神の亜法〉らしい、ボスキャラ級の技だ。どうりでオリヴィアの〝バーニング・メフィスト〟も効かないはずだ。

「……分かったよ。頼むから店内で荒事はなしだ。居場所を教える」

「そうこなくっちゃあなあ」

「だがしかし、俺も今どこにいるかまでは知らない。体調崩して今日は家に帰ったんだ。これがスリシャスの家の住所だ……」

 メモ紙にペンを走らせて、火煙寺に渡す。火煙寺は何も食わんと席を立ち、駆け足で廊下へ飛び出していった。言っとくが、俺はスリシャスん家の住所なんて知らん。

「これで親父特製という噂のトラップで、少しは足止めできるだろうか……」

 火煙寺は確信を持ってた。これでもう一〇〇パーセントだろう。無神経でも構わない、スリシャスを呼び戻さなければ。


「くそっ! 何で出ないんだ!」

 一〇分もせずに俺は焦り始めていた。ケータイに電話をかけてもスリシャスは出ない。高等部ばかりか中等部、初等部の校舎まで駆けまわっても、スリシャスはいない。鉱物の授業の教室にいたスリシャスの友達らしい他クラスの女子を見かけた時に聞いたが、見ていないという。

「…………もうやってられん! 俺は帰らせてもらうぞ!」

 メイド服を着たキモい奴が叫んでるがどうでもいい。最悪の手段であるフリューゲンスにまで尋ねたというのに、スリシャスはどこに……

「まあドラグネイトにしてはもった方じゃないかねん?」

「まああのガタイがメイド服着てるのがそもそも服に対する冒涜であるがな」

「大人しく着てるのがまず滑稽だったって話よね……」

 次の策も考えつかないでいると、教室のスピーカーにノイズが走る。

『ぴんぽんぱんぽ~ん♪ 五時一五分になりました。今日の春雀祭はあと一五分です。明日も開催しますので、皆さまのご来場をおまちしておりまーす♪ 以上、高等部放送委員、今崎がお送りしましたー☆』

「お、終わりだ! やったこれでマダム・ミハイオから解放される!」

「お疲れミハイオまた明日もよろしくねー」

「やなこと言うね火南……おっわ!?」


   ズゴン!


 という轟音と共に一瞬の縦揺れが生じる。地震のような揺さぶる揺れじゃなく、机に荷物の入った段ボール箱を落としたような、衝撃による揺れだ。

「なに? 何が起きたの?」「地震かしら……」「しかし、一瞬だったぞ」「何かあったの?」

 一斉に騒がしくなる教室。生徒も一般客も、恐怖や不安よりも、興味が先に立っているが、俺はスリシャスと火煙寺の怪獣大戦争が始まったのかと気が気でない。

 だが、みんなの興味が恐怖に変わるのに、大した時間は要らなかった。

   ズガン!   ズゴン! ドゴン!

 立て続けに起きる破壊音と衝撃に、誰もが窓から外を見る。

 誰もが見つめる先。校庭があり、そこには四つの、まさにクレーターと呼ぶ以外にない巨大な穴ボコが存在していた。窓を開けて身を乗り出し、視線を左に向けると、怪獣が踏みつぶしたのかと思うほどにぐちゃぐちゃになった体育館の残骸が見える。

「なにあれ……」「…………ミサイルでも落ちた?」

 あまりの光景に皆、声も出ない。それでも、小さなきっかけで爆発してしまう感情がそこに含まれていることは、状況の読めてきた俺にも伝わる。

 trrrrr……と場違いにも俺のケータイが鳴る。教室にいるほとんどの人がその音にビクッ! と背を震わせたが、画面に出たスリシャスの名前に俺の方が焦る。

「スリシャス! いやス裏シャス! どういうつもりだ!」

『もしもし?「いや」の使い方がよく分からないけど、これのこと?』

 ス裏シャスの言葉と同時に、もう一度、ズガァン! が来た。それはきっかけには十分すぎる衝撃だった。

「ひっ!?」「うわあっ……」「にゃー!?」

「う、うわあああああああーーーーーーーーーーーーー!」

 阿鼻叫喚(あびきょうかん)とはこのことを言うんだろう。誰もが我先にと出口を目指し走る。最後のは校舎に直接当てたようだった。校門へと向かう帰り客達の足も速く動き、まだ片付けの残ってるはずの生徒達も関係なく逃げていく。

「ス裏シャス。今どこにいる?」

『あら。逢いに来てくれるの? 嬉しい……』

「ふざけてるレベルじゃないだろこれ。やめてくれ。それと、火煙寺がお前を狙ってる。今度は確実にお前をだ。だから目立つような行動は、」

『じゃあ止めに来て。止めてくれるっていうなら、ね。もっとも、鈍感男さんには無理な問題でしょうけどね』

「……そりゃ俺はスリシャスの気持ちに気付かなかったけど、今はそれとこれとは」

『この子以外にもよ。それじゃね』ブツッ

 切られた。何だよ。何なの?

「おい神斬。何なんだこれは?」

 教室にはまだ金海がいた。気絶したミハイオと、火南魅、サヤも残っている。この状況でいやに冷静に電話なんてしてる俺に、何かを感じたのかもしれない。

「……ちょっとヤバい状況だよ。俺にもどうしたらいいのか分からん」

「解決方法なんか簡単だろうが。パルメの奴を見つけ出して止めればそれで終わりだ。そうなんだろ? 今の口ぶりだと」

 ……察しがいいな。今の電話聞いてたらさすがに気付くか。スリシャスが何か関係してるってことくらいは。

「……まあ、そうなんだ。ス裏シャスを止めたい。多分見つけられれば、ス裏シャスも分かってくれるとは思うんだが……」

「いいだろう。しかし、さっきまでの様子だと居場所は分かってなさそうだな」

「ち、ちょっと待ってッス」

 俺でもイマイチ納得いかないが状況に理解を示してくれている金海と話を進めてると、もちろん何言ってるのか分からない。サヤが手を挙げる。火南魅も怪訝の表情だ。

「えーと、状況が全然掴めてないんッスけど……まず、何が起こってるッスか? これとスリシャスが関係してるッスか? ……ウチらはどうすればいいッスか?」

 ……どうしようか。全部説明してしまうのが簡単だが、スリシャスの亜法まで話していいものだろうか。彼女は自分の亜法のことをやはり隠していたのだから、話してほしくはないはずだ。

 しかし状況は予断を許さない。今また一つ、隕石が校庭に落ちたみたいだ。ス裏シャスは、俺が止めに行かない限り、本当に止める気がないらしい。

「簡潔に話す。今は、ス裏シャスが亜法で隕石を落としまくってる。もちろん、隕石としてはごく小規模な部類に入るんだろうけど……それがス裏シャスの亜法だ。つっても、それはスリシャスの能力じゃなくて、二重人格というか……あー、めんどくせえ! スリシャスは〈創始の亜法士〉なんだ。鉱物の」

「……………………は? 何言ってるッスかナオ? また頭ぶつけたッスか?」

「待って鞘子。素直。それ、ホント? あの火煙寺さんみたいに、スリシャスが〈創始の亜法士〉なの?」

 火煙寺という実在を知っているからこそ、火南魅のが呑み込みというか、鵜呑みにする気があったようだ。俺は頷く。

「正確には火煙寺とはちょっと事情が違うんだけどな」

 俺はめんどくさいながらも、〈神の意思〉だとかス裏シャスのことだとかを話した。金海は訳知り顔で頷きながら、火南魅は信じ難いながらも信じざるを得ないという表情で、サヤはまず理解が及びついていないという困惑顔で聞いている。

「……えーと、〈神の意思〉とスリシャスが争って、支配権がこうなって、優先権を放棄したら罠カードが飛んでくるから……」

「鞘子、三秒黙って。火煙寺さん達はその〈神の意思〉との争いに勝って、スリシャスは何故か〈神の意思〉と共存してるけど、今は入れ替わって〈神の意思〉が暴れてる、ってこと?」

「そんなところ」

 スリシャスはそういえば、どうしたんだろう。俺に告白して、フラれて、精神的な隙を突かれてス裏シャスに入れ替わられたのか。

「だから、ス裏シャスの暴走を止めなきゃならないんだけど……居場所さえ分かれば」

 そこで俺の気持ちは沈む。その居場所が分からないんだって。リダイヤルしても出てはくれない。推理しろってのか? 無茶言うな。

「おいミハイオ。いつまで寝てる、犯すぞ──神斬が」

「お前はいつでも金海だな」

「──っで、痛てっ! 誰だ、良い夢見てたのに! 隕石が大量落下する終わりゆく世界で乱咲さんと抱き合ってたのに!」

「お前蘭花推しだっけか? っていうか四分の一くらい現実だぞ」

「ああ、隕石が大量落下してる!? つ、つまり俺は素直を盾にペンタゴンまで行って匿ってもらわねばだ!」

 元気そうで何よりだ。こいつのことは無視しよう。

 火南魅は優しいかな、哀れなミハイオにも今の説明をしてやっている。俺はその間にどうにかス裏シャスを見つけることはできないものかと方策を頭の中で巡らすが、

「思いつかん……」

「えーとつまり、スリシャスを見つければいいの?」

 説明を聞き終えたミハイオが馬鹿顔で聞き返す。だからそうだっつーの。それができたら苦労しないんだけどな。

「あ、つまりはそういうことッスね! なら簡単じゃないッスか!」

 今更理解できたみたいだなサヤは。おい、何が簡単だって?

「倉庫男三号に聞けばいいじゃないッスか。彼の亜法って、確か千里眼系の能力ッスよ」

「あ? 何言ってんだ? 倉庫男三号は読心術だろ」

「え? 人の記憶改竄するんじゃなかったっけ?」

 あ? と俺達は顔を見合わせる。どうも話が噛み合わん。倉庫男三号の亜法が役に立つ、って話だと思うんだが……

「とりあえず倉庫男三号に聞いてみればいいんじゃないか?」

「……そうね。確かに、倉庫男三号がそんなことできたか知らないけど、今はスリシャスよ。少しでも可能性があるなら当たってみましょ。逃げる時に会ったかもしれないし」

 火南魅も珍しく金海に同意し、ケータイをサッと取り出す。電話をかける先はもちろん、

『ククク、竜越くんかい。神斬くんと金海と江敷くん、ホプキンスくんも一緒かな? 少しかけるのが遅いね』

「もしもし倉庫男三号? あのね。説明省くけど、」

『パルメくんなら中等部の体育館に立て籠っているよ。ククク、これで中等部はしばらく体育の授業が面倒だね。それより、神斬くんに替わってくれるかい?』

 千里眼どころか読心術で予知能力者らしい。替わってと言われたから、本当は野郎で時間を潰したくないんだが、出てやろう。

「もしもし。神斬だ」

『フフッ、大変なことになったねえ。しかし君なら心配ない。たとえ相手が〈創始の亜法士〉だとしても、要は頭の使いようなんだ。君の本来のスペックならね』

 やけに饒舌だ。あのバカ人間、いよいよ名前通り馬鹿になったか?

「何言ってんのか訳ワカメだけどよ。ス裏シャスは体育館にいるんだな?」

『フフッ。火煙寺くんも戻り始めてるから、止めるなら早い方がいいんじゃないかな?』

 聞く耳持たず、っつーか無駄な問答はしないってか。

 こう見えて俺達も急ぐ身だ。

「ありがとよ倉庫男。とにかく行ってみるわ」

 ケータイを火南魅に投げ返して、俺は廊下へ飛び出した。

「待ちなさい素直!」

「ぐへっ!?」

「アンタはホントにいつも考えなしに飛び出して! フォローする私達のことも考えなさいよ!」

「だからってタックルからの竜越式(ドラゴン)腕ひしぎはおかしくありません火南魅さイテテテテ曲がる曲がる!」

 火南魅は関節技を外すと、やりきれない、と言うようにため息を一つ。

「……私さ、確かに素直のそういうところ好きなのよ。誰かの為に前だけ向けるところ。…………でも、ちゃんと自分自身も見てほしいの。無茶しすぎだよ。あんな強い亜法持ってるフリューゲンスとかドラグネイト相手にすぐケンカの売り買いするし、化け物にも平気で立ち向かうし、今だって……もしスリシャスが〈神の意志〉に乗っ取られて、私達のことなんかどうとも思ってない状態だったりしたら、どうするの!? 向こうが本気で来たら、隕石打ち込まれて即死よ!?」

 心配してくれてるのか。嬉しい。この上なく嬉しい。火南魅がこんなにも俺を考えてくれてる瞬間が──だけど、

「それなんだけどな。俺にも考えっていうか、疑問があるんだよ。そこンところを上手いトコ突ければ、ス裏シャスを動かせると思う」

 どうやりゃいいのか、方法と過程は分からないが、そこが上手くいけばス裏シャスを止められる自信がある。その俺らしからぬ自信の表れに驚いてるのか、それとも『この中二病病原菌は何言ってんだ?』と呆れているのか、ミハイオとサヤはあまり顔を動かさない。金海は珍しいほど分かりやすく驚き顔。火南魅は、

「……スリシャスが話を聞く前に攻撃してこないって言い切れる?」

「その点は安心」

 火南魅にこれを言うのは俺としても嫌なんだが、

「スリシャスは俺のことが好きらしい。だから、話の導入くらいは聞いてくれるだろ」

「非モテがコクられた途端乗り出した……」

「調子にな」

「お前ら急に冷静やめろよ!」

「冷静なんスかそれ」

 お前も予想以上に冷静だぞ。俺がコクられたなんて聞いたら、もっとこう、『ナオがコクられたッスか!? ついにエンド・オブ・ザ・ワールドッスか!?』とか騒ぎ立てると思ってたけどな。

「…………本気なのね、素直」

「ああ。俺だってスリシャスのことは好きだしな。このまま悪者にはさせたくないし、俺が出ていくことで止まってくれるんなら、自分の危険なんか考えずに隕石の矢面にも立てるぜ」

「……分かった。じゃあ、急ぎましょ」

 火南魅は頷くと、廊下を歩き出した。

「火南魅? どうした?」

「何寝ぼけてんの素直? スリシャスを助けに行くんでしょ! 行くわよ!」


  ☆☆~


 俺達五人は倉庫男三号の言葉に従って、中等部の体育館へと走っていた。

 外はス裏シャスの止まない隕石の雨だ。俺は高等部教室棟から渡り廊下を通って中等部棟、同様に体育館へ向かうルートを選んだ。隕石のせいで校庭はメチャクチャ、歩いてる奴もいねえ。

「でも素直。疑問って何なの? それでスリシャスを止められるって……」

 走りながら聞いてくる火南魅は意外と体力あるな。俺も答えるだけの体力の余裕はあるけど、なにせ考えがまとまってない。

「なんて言えばいいかなー……スリシャスと〈神の意志〉の争いなんだけどな」

「うんうん」

「勝った方の意思が相手を支配するらしいんだよ。だけど、スリシャスの中には二つの意思が混在……違うな。同居してて、替わりばんこで表に出るだけだ。じゃあ、意思の勝負にはどっちが勝ったんだ?」

 火煙寺や他の〈創始の亜法士〉は勝負に勝った。彼らがスリシャスのように二重人格だとは聞かない。負けた前例は聞かないが、引き分けってあるのか?

「素直! ストップ!」

「あべし!」

 激突した。ミハイオ、止めるなら早く。

「もう体育館だよ」

「ああ? じゃあこの壁は何だよ」

「知らないよ」

 渡り廊下は閉ざされていた。たかが三、四メートル先の入り口は見えない。

「壁っつーか瓦礫だな……さっきパルメが打ち込んだ時に、崩れたんじゃないか」

 そういえば体育館にも隕石は落ちた。これもスリシャスが……もしわざとだとしたら、ス裏シャスは外部との接触、俺達を拒否してる?

「クソ……何考えてんだス裏シャス!」

「すぐには崩せそうにないわね……他の道は?」

「校舎からは無理ッスよ。外は……」

「この短い渡り廊下をピンポイントで潰せるんだよ? 狙い打ちだと思う」

 みんなが方策を巡らせるが、良い案は出ない。壁をブチ抜いていけば早いけど、そんな強い亜法の持ち主はいないし、そんなことをしたらスリシャスにも攻撃が当たってしまうかも。

「ねえ素直。私の〝分裂する精神ディバイディド・ソウル〟なら、この瓦礫すり抜けていけると思うんだけど……」

「いや。それはやめとけ」

 火南魅の発言を金海が潰す。何でだ。

「神斬、ホプキンス、ちょっと来い。作戦会議だ」

 俺達男子三人はスクラムを組んでコソコソする。

「俺も火南魅が行くより俺が行かなきゃ意味ないと思ってるけど、金海が否定するのはそんな理由じゃないだろ?」

「ああ。スリシャスは神斬が好きだ。神斬は竜越が好きで神斬にフラれて不安定なところに竜越が現れて説得に来たら、どうする?」

「……アンタさえいなければーカッコ凶器を持ってカッコトジ」

「お前ら、他人事だと思って怖いことを……!」

 なきにしもあらずなのが怖い。つーかス裏シャスがふざけてやりそうだな。

「よし火南魅。それはやめておこう」

「だから何でってば」

「危ないから。それに俺がやった方が確率高いからな」

 どっちも本気だ。こう言った方が火南魅も引き下がりやすいし。

「でも、火南魅の亜法か……確かに入れるよな」

「でしょ? 私だってスリシャスを助けたいの。お願い素直!」

 行かせて、と訴える瞳を見る。だが俺が考えてるのはそうじゃない。倉庫男三号が意味深に言っていた言葉の意味だ。

 〝火受け皿〟だ。

 確かに火南魅の亜法で精神体になれば瓦礫を抜けてスリシャスの元へ辿り着ける。説得は俺がやるのが一番効果的。

 そして俺の亜法はその最良の状況を生み出せる。まあ、その為には火南魅にキスしてもらわなくちゃいけないわけで、それができたら苦労してない。

 クソ、正直に話せばしてくれるか? いや、オリヴィアと初めて試した時は一分以上かかったんだ、そんな一分も衆人環視の中ほっぺチューされてられん。俺の方がもたん。

「素直、考え込んで大丈夫?」

 火南魅が心配してのぞき込んでくる。ああおい、もうこの距離で十分ドキドキしてるのに、キスなんてされたら俺どうなっちゃうかな!? どうなっちゃうかなあ俺!?

「しかしこれ……俺達が体育館に入れないとしてさ? スリシャスは隕石連発させて、最終的にどうしたいの? まさか世界滅亡まで隕石降らしてるわけじゃあるまいし」

 そうだ。妙な妄想で悶えてる場合じゃない。ス裏シャスがバンバン隕石を落としてる理由。

 多分、理由なんかあまりないんだろう。いや、単に俺を焦らせてるだけ。あいつは電話で俺に『止める気があるなら、止めに来て』と言っていた。

 ス裏シャスの目的。少なくとも今の行動の理由は『俺に会う為』で、俺をおびき寄せることが目的だ。

「会いたいっていうなら、会ってやるぜス裏シャス……!」

「見つけたわ。揃いも揃って、こんな危ない所にいたのね?」

 俺達以外の声に振り向くと、オリヴィアとお袋が息を切らしていた。見つけたって、もしかして俺達を探してたのか?

「まったく……この非常事態に、何してるの! お母様にまで心配かけて! さあ、早く避難するのよみんな!」

「ま、待ってよ叔母さん!」

「誰がオバサンじゃー!」

 ミハイオの顔面を〝バーニング・メフィスト〟の炎が点いたボールペンがかすめていく。非常事態だってのに、オリヴィア容赦ねえ。

「! それだ! オリヴィア、〝バーニング・メフィスト〟であの瓦礫を燃やしてくれ!」

「? あの瓦礫に?…………いいけど、やったらちゃんと避難してくれる?」

「するするすぐする」

 もちろん嘘だけど。持つべきものは素直な強能力者だな。

「分かったわ。離れてて……」

 オリヴィアはわずかに顔をしかめて、発動した。

「〝バーニング・メフィスト〟!」

 着火した。炎は煌々と燃え上がり、周りの全てを焼き消………さなかった。

「消えたッス……」

「な、何ですって!? く、もう一発!」

 無駄だった。今度は瓦礫に燃え移りもしない。

「これ、瓦礫じゃなくてス裏シャスが降らせた隕石か? 並の亜法じゃ効きもしないってのか? さすが〈神の亜法〉の力ってトコか……」

「素直くん、どういうこと?」

 さすがオリヴィア、敏感に聞き取る。火煙寺相手に〈創始の亜法士〉の質問したりしてたから、記憶に残ってんのかな。

「……オリヴィアだから言うけど、あ、お袋も。これ絶対口外すんなよ」

「まっかせなさーい! それより素直、お母さんのケータイの罠モニターに獲物がかかった通知が届いたんだけど、何かやった?」

 引っ掛かったのか和弘くん。しかし、それこそ『それより』だ。

「体育館にはス裏シャスがいる。ス裏シャスが〈創始の亜法士〉なんだ。俺が助けに行かなくちゃいけない」

 それだけの説明だった。でも、二人とも深くは追求しない。俺の必死さが伝わったのかもしれない。

「スリシャスさんって、あなたたちのクラスの転校生ね。それでこんな所にいたのね……」

「はい。私の亜法で行けると思ったんですけど、素直が行かないと意味がないって」

 火南魅がわざわざ説明する。何かピンと来た顔でお袋が口を開き、おいこれまずいヤツじゃないのか。

「あら。じゃあ素直の亜法でパツイチじゃない」

「お母様、あれはやり方が如何せんやりにくいですから……クラスメイト同士ですし」

「! もしかして、上手くいくんですか?」

 ああもう喰いついちゃった! あーもう俺知ーらない。成り行き見守るわ。

「オリヴィア先生! 教えてください!」

「素直の亜法って言ったよねオリヴィア? なんか特別な能力でもあるの?」

「あのね、あなた達。素直くんが言ってないなら、私から言えるようなことは……」

「素直は他人の亜法を自分の物として使うことができるの。ふふん、どう? すごいでしょ我が息子は! さすがは私の卵子からできた子!」

「真の敵はいつも一人! っていうか下ネタなのかそれは!?」

 素直! と火南魅が俺を睨む。すごい勢いで。

「何でそんな大事なこと、今言わないのよ! でも、それはいいわ。どうやれば私の亜法を使えるようになるの?」

「チュッ、とね」

 とお袋が唇に指を当てる。単純化しすぎだし、そこでウィンクするな。

「えーと、素直のお母さん? それってつまり、白雪姫的なやり方?」

「子供にも分かるように言うと、そうね」

 お袋のジェスチャーでミハイオは理解できたようだ。それでも、なるほど、うーん……と頭を抱えて考え込む辺り、理解はできるが納得はできていない様子。俺も初めて聞いたらそんなリアクションしかできないわ。

 パン、と顔を叩く音が響いた。火南魅が自分の頬を打ったんだ。火南魅は覚悟を決めた顔ですっくと立ち上がり、俺を見る。

「素直」

「は、はい」

「しつこいようだけど、スリシャスのことは好き? 助けたいと思ってる?」

「あ、ああ。もちろん」

「そっか」

 私もだよ、と火南魅は言った。スッと火南魅の顔が俺に近付き、

「!!?!??!!?」

「絶対に助けてよね! 頼んだわよ!」

「……………去っていったッスね、火南魅」

「というか、キスしたわね……唇に。ほっぺで良かったのに」

「…………………あ! 素直魂抜けてる!」

「魂って口から抜けるッスね!?」

「まー、この子には刺激が強すぎたかもね。多分初めてだったろうし……」

「そうじゃないだろ。竜越の亜法が使えてるってことだろ」

 キスされた。唐突だった。

 目の前に火南魅の顔があったのに、何も見えなかった。どういう顔でキスしたのかも分からず、その後の顔も見えなかった。すぐに走り去ってしまったから、それだけじゃない。

{そ、それより今はス裏シャスだな!? う、うんよし! 探しに行こう、じゃなくて助けに行こうか!? そうしようか!?}

「落ち着け幽体離脱。これだけ拒絶されてるんだ。パルメ相手とはいえ一筋縄でいくか? お前の亜法が使えると分かったんだから、それで戦力増強しておくに越したことはないだろ」

 金海の主張ももっともだ。しかし今日はやけに協力的だな。緊急事態だからか? うーん、俺の告白にも一応協力姿勢でいたわけだし、それが上手くいくまではとかそんな感じか? こいつの考えてることも意外と分からんぞ。

「戦力増強って、どういうことッスか親指群青?」

「俺らの亜法も貸してやろうって話だ」

「はい議長」

{はいミハイオくん}

「渡すという発想自体はいいんだけどさ。俺達も素直とキスしなきゃいけないの? それはさすがに御免蒙る」

{い、いや、チラッとオリヴィアも言ったけど、ほっぺでもだいじょー……ほっぺでも嫌だわミハイオと金海なんか! 何考えてんねん!}

「うるさいよ素直! だいたい、別にキスしなくてもできるの!」

 え? そうなの? お袋それ本当?

「正確な方法はこうよ。『亜法を渡す相手を強く信頼し、「この亜法を渡したい」と心の底から願って触れることで、亜法の受け渡しが成立する』。ただし、信頼が弱い場合には、その信頼を形で示せば上手くいくわけ。だから成功率を上げるのと時間短縮の為にオリヴィア先生はキスっていう信頼の示し方を選んだわけなの」

「お、お母様!? ちょちょ、そのバラしはちょっと!」

「まあ男女間で性的行為ほど信頼を示せるものもないしねー。あ、強姦とかは別ね?」

 お袋……もうそれくらいで許してくれよ。っていうかオリヴィア一回も他のやり方で試してなく……いや、本当にやめよう。なんか変なところに行き着きそうだ。

「えーっと……ちょっと素直の人間関係に関する情報量が増えすぎて混乱してるんだけど」

{なんだよ人間関係の情報量って。それより、キスなしでいけるって分かったんだから、試してみろよ。一回身体に戻るからよ}

 戻る。よし、どうやら火南魅の亜法はある程度自由に使えそうだ。

「よし。戻ったぞ。しっかし、幽体だと痛み感じないんだなやっぱ。戻ったら、亜法使いすぎてて節々痛いのなんの……」

「よし素直! まずは俺の〝サンダー・イン・ザ・ボディ〟をあげよう」

「痛てっ、おい急にやめろよ!」

「絶対、スリシャス助けろよ。これは多分、クラス全員の総意だからな」

 ミハイオが肩に触れる。時間はかかるが、仮にも親友、信じてくれているということか。受け渡しは成立した。いつもふざけてる顔が比較的真面目に見える。俺に賭けてくれているんだろう。金海も似たような表情だ。っつっても、こいつは普段から真面目な顔か。真面目な顔でふざけてるからな。

「おい似非モテ野郎。世界の命運はお前の×ンコのデカさに懸かっている」

「んなモンに懸かるかアホ。普通に救ってみせるわ」

「いやはや、モテ野郎は否定しないッスか」

 サヤはため息まじりの笑顔で見ている。器用な表情しやがって。まあここまでの流れを一番馬鹿にしそうなのはサヤだよな。

「ウチの亜法が役に立つかは謎ッスけど、じゃ、遠慮なく」

「っておい! 何でお前は普通にキスしようとしてんの!?」

「え? だって火南魅もしちゃったし、オッケーじゃないッスか? それとも何ッスか? 火南魅は特別ッスか?」

 え? や、そりゃ特別だろ? だって火南魅は……

「……な、何でそうなるんだよ。いきなりだったから止められなかっただけで、余裕がありゃ火南魅がするのだって止めたっつーの」

「嘘。ナオは嘘つく時、右の耳を掻くの」

 嘘だ! まだ告ってないのにサヤなんかにバレたらからかわれまくって告白する前にバラされる!

「サヤちゃん、素直の癖なんてよく見てるわねえ。お母さん感心」

「へへ、幼馴染みですから。───でも、ナオがちゃんと火南魅のこと好きだって分かって良かった。どうもあの子、勘違いしてるみたいッスからねー。ナオがスリシャスを好きって、友達としてッスよね? まったく、早とちりして……」

「……くそっ、まったくサヤには勝てないな。分かったよ降参だ。火南魅のことが好きだよ俺は。めっちゃ好きだよ。明日告白しようと思ってたくらい」

 ホントにくそ、スリシャスを助けようってのに俺は何を語ってんだ。それもこれもサヤのせいか。火南魅のせいでもありお袋とオリヴィアのせいでもあるな。

「一つだけサヤの発言には間違いがある。俺はスリシャスのことは友達としてどころか、女子としても好きだぜ。ただ、それ以上に火南魅は恋愛対象として好きだって話。分かったら、俺そろそろス裏シャス止めに行くからな?」

「ふふっ、分かった分かった。分かったから、よろしく頼むッスよ?」

 ぺしぺしと頬を叩く手からサヤの亜法が流れてくる。

 頭はまとまった。これから俺はス裏シャスを止める。スリシャスには申し訳ないが、今後ともとても仲の良い女友達としてよろしく。そして火南魅には明日告白する。どうだこの完璧な計画。邪魔するものはたとえ金海の下ネタだろうと無視してやるぜ。

 まずは火南魅の亜法を使って幽体離脱する。多分この幽体でいる時間も亜法を使ってると認識されて、痛みも身体の方に蓄積されるんだろう。

{それじゃあ、行ってくる}

 任せた、とそれぞれが異口同音に言う。任せろ。

 俺は瓦礫をすり抜けて、体育館に侵入した。


  ★★~


「ようやく行ったね……」

 素直が体育館へ歩を進めたあとの渡り廊下前。俺達としてはここにはもう用はないのだが、素直がスリシャスを助けに行ったというのに、自分達だけ安全な場所に避難することなどできはしない。

「落ち着いたところで、避難するか」

「ってちょい金海! 人がせっかく良い人ぶってんだから全否定やめてよ!」

「何言ってんだホプキンス。神斬が上手くやれば、その時点でスリシャスは止まって危険はない。失敗したらとっくに神斬も死んでるだろう。ここに突っ立ってて流れ弾に当たって死ぬ方がよっぽど迷惑だろう」

「そう言われると確かに……避難しよう!」

 あっさり決めた。その時、俺の目に体育館に二つの影が近付いてるのが映った。

「何だあれ……」

 一つは、今まさに体育館に到着しようという、空から来るトカゲのような巨体。もう一つはまだ校庭の向こう、見えにくいが人型をした真っ赤な影……


  ☆☆~


 渡り廊下は体育館の二階、ギャラリースペースに繋がっている。下の運動スペースを見ても、崩れかけてる天井の建材とかがカーテンみたいに吊り下がってて、何も見えやしない。階段に回って一階から侵入するか……っと忘れてた。火南魅の亜法ですり抜けられるのか。でも、二階から飛び降りてもこの幽体に支障はないのか……? 歩いてる感覚とかは普段とあまり変わらないんだが。

「む。神斬か」

 明らかにスリシャスでもス裏シャスでもない声に俺は警戒を強くする。誰だ。

 答えはすぐ出た。屋根から突っ込んできたドラゴンの頭の上から下りてくるのは、

「ペランドル……」

「どうやらこの隕石は〈創始の亜法士〉の仕業らしいな。〈創始の亜法士〉とやら、一度倒してみたいと思っていたところなんだ」

 最強を自負し、求道者ぶってる貴族の外人で竜の亜法士のクラスメイト。しかし、ここで出てくるとなるとさすがに厄介だ。何せ実力は学年大会三年連続ベスト8以上の折り紙つき、対して俺は他人の亜法を借りでもしないと何もできない雑魚キャラ。

 待てよ。そういやさっきミハイオ達からも亜法借りたな。まさかこういう風に役に立つとは思わなんだ……

「へっ。残念ながら〈創始の亜法士〉はマダム・ミハイオの店でも極秘のメニューでな。ちゃんと前菜を食った客じゃねえと出せねえんだよ」

「上手いことを言ったつもりかカミキリムシ。貴様程度が前菜というなら、犬も食わない残飯メニューだぞ」

 確かペランドルの亜法はドラゴンの前足を召喚して使役するんだった。足の一本くらいならミハイオ達三人の力を合わせれば、なんとかなるんじゃないか?

「いや。こいつの口には合わないかもしれんが、どうやら腹を空かせてるようだ。ちょうどいいエサになるかもな」

 俺は忘れてた。こいつはドラゴンの頭から降りてきたんだった。

「まだ俺の〝竜を呼ぶもの(ダルガルンウルムス)〟を『ドラゴンの腕を使役する』だけの亜法だと思っているなら、勘違いも甚だしいぞ。亜法の指向性だ。俺様の亜法の指向性はおそらく『竜を操る』ことだろう。もう既にドラゴン一体を魔界から召喚するまでに至っているがな」

 ドラゴンが首振って自分の周りの瓦礫を崩して首をもたげ始めてる。おいおい、首だけで2メートルくらいありますけど?

「それでも前菜を食わなければならないというなら、皿まで残さず食ってやろう。手加減はしない、それがドラグネイト家の流儀だ」

「いらん流儀作るな!」

 火南魅の亜法で逃げるか? いや、そしたらス裏シャス止めながらこいつと立ち回らなきゃならなくなるかもしれん。面倒だし、ス裏シャスもそんな状態で話を聞いてくれんだろう。

「くそっ、って何回言ったか……やるしかねえのか!?」

「その必要はない」

「ああ、今度は誰だ!?」

 ヤケクソで声の方向に振り向くと、いけ好かない顔が一つ。いつものうすら笑いはないが、

「今度はフリューゲンス。今はお前の相手をしてる場合じゃねーんだよ。分かったらとっとと失せろこのフ○ック野郎」

「ああ、分かっているとも。もちろん僕も君の相手をしに来たわけじゃない」

 ダンッ、と銃弾がめり込む音がした。もうホントに沸点低いんだからこの子、と思ったが銃痕は俺からは遠く、ペランドルの足元に撃ち込まれていた。どういうことかとフリューゲンスの顔を見ると、階段の方をアゴで指している。行けってことか?

「フリューゲンス、お前……」

「勘違いするな。僕は『自分は能力のある亜法士だ』と自意識過剰になっている間抜けを叩きのめして、身の程というものを教えてやろうと思っただけさ。学年程度で一番にもなれないくせに最強を名乗ろうなんて、ね」

 本気かどうかは読めんが、表向きにはペランドルを叩くという名目らしい。これまた傲慢な態度だが、今はペランドルの方が邪魔だ。非常にありがたい申し出だ。

「ほう……フリューゲンス。貴様、この俺様に丸焼きにしてほしいのか? 受けて立つぞ」

「だからさっきからそう言ってるだろう? 自分から仕掛ける度胸もないのかい? こんな男が最強を名乗り、それを認めていたこの学校の程度も知れているというものだな」

 それは余計なお世話だ。やっぱあとで殴る。

「ほざけ! フレグルトス、焼き殺せ!」

 ペランドルがドラゴンに指示を出す。ドラゴンは鼻を一つ鳴らしたあと、こちらに顔を向ける。おいおい、体育館全壊のち全焼かよ。

「ゴアアアアッッッ!!!」

「危ねえッ! ってボーッと突っ立ってんじゃねーよ!」

 反応が遅れてるフリューゲンスを押し倒して、間一髪ドラゴンの咆哮(ブレス)から逃れる。ドラゴンは一しきり高熱の息を吐き切ったあと、舌を出して犬のようにハッハッと荒い呼吸を繰り返してる。タメが必要ってわけか。

「おい、大丈夫かよお前! よくそんな鈍さでペランドルのこと馬鹿にできるな!」

「に、鈍いのはどっちだ! それより、いつまで僕の上に乗ってる!? 早くどけ!」

「言われなくてもどいてやらあ! とっととあの竜っ子倒しちまうぞ!」

「だから、その程度、僕一人でできる!」

「今の見て信用できるかっつーの!」

「神斬。今だけは僕を信じろ」

 フリューゲンスから表情が消える。表情筋、そんなものを動かす力は、指先の弾丸にだけ込めている、というように。

 こいつとは付き合いも短いし、普通にムカつくが、学年大会の様子を見ていても亜法の能力が高いのは事実だ。俺がここにいても正直、戦力の足しにはさしてならない気がする。なら、俺にとっての勝率が高い方法に賭けるか。

「……分かった。信じてやるよ。その代わり負けたら、明日のコスプレ喫茶でメイド服着せて接客させるからな」

「ちょっと待てなんだその条件は!」


  ♤♤~


 神斬が階段を下りていった。そのあとには残った二人、僕とペランドルが対峙している。

「……ようやく行ったか。手間のかかる話だ」

「おいフリューゲンス。なぜ神斬の味方をする? 貴様にしては珍しい」

 大したことはない。人に頼まれたのだ。こうすることが僕の為にもなる、と言われて。しかし、本当にそれだけだっただろうか?

「……少しは、自分の意志も入っていたかもな」

「なに?」

「手早く済ませよう。これで終わりだ」

 本題は戦闘。鋼の弾丸をドラゴンの口めがけて連射する。が、弾かれる。性質上、銀の亜法は竜の亜法に強いとされるが、皮膚が硬すぎるのだろう。

「まさか、本気でドラゴンに勝つつもりじゃないだろうな? 無駄だぞ。こいつの皮膚は鉄だの鋼だので貫ける代物ではないからな。だいたいダイヤモンド程度の硬度はあるか」

 自信満々なペランドルの表情。それを見て思わず、フリューゲンスは笑ってしまった。神斬に嫌いと常々言われているうすら笑いだ。だが、どうしてもこういう笑い方になってしまうのだから仕方がない。改めたいとは思っているのだ。だがペランドルも同じように嫌悪の顔で、

「……何がおかしい。まさか、この俺様を侮辱しているんじゃあるまいな?」

「笑っている理由かい? 二つあるね。一つ目は、君の亜法だ。君はいつも『俺様が最強』と言っている割には、その亜法はドラゴンを呼び寄せて戦わせるもの。君は『力』と『現場』をつなぐ『仲介役』としてしか亜法を使えない。他人任せの力だということさ。

 二つ目。ダイヤモンド程度の硬度? それって自慢になるのかい?」

 ペランドルは神斬に対して『自分の亜法は、他人の認識以上に成長している』と話していたが、それは何も彼に限った話ではない。

「水圧カッターというのは知ってるかな? 液体の水を高圧で噴射し、物体を切る装置のことだ。水圧というものは馬鹿にならないもので、水圧カッターはダイヤモンドのカッティングにも使われている。まあ、亜法のありふれた時代には前世紀の遺物に過ぎないと僕は思うけどね」

「それがどうした? その装置があるとでも? 馬鹿か。ただの金属使いの貴様に何ができるというんだ。もう前菜は終わりだ」

「高圧力の液体はダイヤも切る。理論上ではどの液体でも可能なのではないかな」

 僕は指先をドラゴンの額に向ける。照準は揃った。あとは貫くかどうかの、賭けだ。

「知らないのか? 教えてやろう、中学生程度の知識だ。金属にも、常温で液体のものがあるのさ」

「まさか、──まずい、フレグルトス!」

「遅い! 〝水銀の断頭台メルクリウス・ブレイカー〟!」

 ドラゴンの額が縦に割れる。


  ☆☆~


 階段を下りた。屋根の破片やら瓦礫やらが散らかっているけど、その姿はすぐに見えた。

「ス裏シャス!」

「あら? やっと来たのね。もう来ないかと思って、そろそろここに直径五キロくらいの隕石落とそうかと思ってたトコなの」

 ス裏シャスは平然と、『今ちょうどお昼のスパゲッティ作ろうとしてたトコなの』ってくらい普通にそんなことを言った。

「何でこんなことしたんだ? どうすりゃ止めてくれる?」

「さあ、何でかしら?」

 やっぱり。『自分で考えろ』ってことだろ。つまり、ス裏シャスは……あるいはスリシャスが俺に気付いてほしいことがあるってんだな。

「聞きたいことがあるんだ、〈神の意志〉」

 この質問に関しては『ス裏シャス』ではなく〈神の意志〉と呼ばせてもらおう。その区別が大事だ。

「何かしら? 素直くんの質問なら何でも答えてあげちゃう」

「他の〈創始の亜法士〉は〈神の意志〉を打ち倒して勝ち残ったわけだ。だが、スリシャスは違う。スリシャス自身の意思と〈神の意志〉が一つの身体に同居してる。これはどういうことなんだ?」

 そうねえ、とス裏シャスは考える振りをする。外ではまた隕石の落ちる音がする。

「俺が思うに、スリシャスと〈神の意志〉はまだ戦ってない。違うか?」

 一瞬の間。直後に、ス裏シャスが笑い始めた。

「うっくくく……うふっ、ふふ、アハハハ! すごい、すごいのね素直くん! 本当に〈選ばれた器〉だけはあるわね」

「スリシャスの性格のせいか」

 気が済むまで笑ってから、ス裏シャスが口を開く。

「そうね。この子、英国にいた頃からかなり内気な性格でね。自分の亜法に自信ないわ、そのせいで友達いないわで、自分に価値を認めてなかったのよ」

「そこに〈神の意志〉が登場か」

「ええ。私がたまたまこの子の中に入って、『意思の奪い合いして、負けたら乗っ取るわよー』って言っても無気力な感じだし。つまり、勝負する前から投げてるのよね。

 でも、〈神の意志〉のルールに不戦勝はない。『相手を屈服させる』ことに意味があるんだから。言うなれば〈神の意志〉に乗っ取られた亜法士は〈神の意志〉の言いなりになるただのロボット、負けた〈神の意志〉はロボットを手に入れられず、〈創始の亜法士〉を上手いことそそのかして目的に協力させなきゃならない。だから、何に対しても無気力な子を操れるようになっても、動かないんじゃ意味がないの」

 読めてきたぞ……スリシャスは当時、抜け殻みたいな心持ちだった。だがそれだと〈神の意志〉に言わせれば『使えない』状態で、〈神の意志〉の目的を満たす為に動けるくらいに、人生に対してやる気を持たせたい。それまでスリシャスは泳がされいた、だから心の同居ができていた……

「でも、そろそろ限界みたいね。この子も」

「なに?」

「今までは無気力だけで生きてた。やる気のベクトルで言ったらゼロの状態だったのよ。でも残念なことに、それがいよいよマイナス、負の方向にやる気が出てきちゃったみたい。私に完全に乗っ取られちゃえ、っていう方向にね」

「俺にフラれたから、か……?」

 フ、と小さく笑う。やはりこいつは違うな、と思う。スリシャスには絶対にできない笑い方だ。冷めた笑いだ。

「そうね……今まで何の希望も持っていなかった少女の前に現れた、優しくてかっこいい男の子……一筋の明かりだったのかもね。ううん、もしかしたら、眩しすぎる太陽だったかもしれない。だから最近はけっこう元気だったんだけど」

 それなのにね、と悲しそうに目を伏せる。小さなため息をつくと、俺を指差す。

「一世一代の勇気を振り絞って告白した少女は、しかし無残にも破れ去った。今まで陽の光を知らなかった少女は、なまじ太陽の光を一度浴びたばかりに、それを失った傷は深くなってしまった。少女は、自分の人生というものを悟り、神にその身を捧げる意志を固めました……無気力な戦闘放棄じゃなくて、勇気ある投降よ。彼女にとっては。私としても、これなら服従させられるわ。これで私も久々に身体を持てるってわけ」

 俺のせい、というのを強調した語り口だ。確かに俺のせいかもしれない。だが、そんなことが分かるはずがなかった。告白を断ったからといって、誰が隕石の襲来を予想できるだろうか……

「お前の……〈神の意志〉の目的って、何なんだ」

 俺は俺の責任から逃れる為に、話題を変えた。別のことを考えてるうちは、スリシャスに対する罪悪感から逃れられる気がする。

「フフ、その為には〈神の意志〉の存在から説明する必要があるわね。

 私達〈神の意志〉は、元々一つの存在だったの。もう何千年も昔、まさしく〈神〉と呼ばれた一つの存在の中に()った、十七の能力と意思……それこそ多重人格みたいなものだった。それが分かたれたのが、現代にまで生きる〈神の意志〉の本来の姿。

 あることがきっかけで肉体を失った私達は、それぞれ自分の性質に合う身体を求めた。そうしたら、その身体を乗っ取ることもできることに気付いた。身体に寿命が来たら、次の身体へと転々とした……その身体に『超能力』と呼ばれる力を与えてね。

 でも、私達はふと思うことがあったわ。昔のように、一つの身体に十七の意思が集まり、完全無欠と呼べる能力を持てたら、って……

 そして三十数年前、この世界に〈亜法〉と(のち)に呼ばれる能力が誕生した。私達の中には、亜法士の身体に乗り移ることで、その能力を更に発展させることができると知ったものもいた。私達も出会う亜法士達を見ていて、その能力の可能性の高さに気付いてしまった。『この能力ならば、〈意志〉を一つに集約し、私達本来の姿に戻せる能力があるかもしれない』と……」

 確かに、亜法の可能性は無限大だ、とどこかで聞いたことがある。たとえどんなに似通っていても、一つとして同じ亜法を持つ亜法士はいない。今後の亜法士人口の増加に伴って、能力の多様性は無限に広がっていくだろう、という話だ。

「それ以来、私達の生涯を懸けての目的は、〈神の意志〉を一つにすることになった。もちろん他の〈神の意志〉に確認したわけじゃないけど、同じに決まってるわ。

 そして私は、ついに見つけたの。〈選ばれた器〉を」

 ス裏シャスはいつもの調子で、しなを作って俺の頬を撫でる。

「それが、あなたよ。素直くん」

「何だって?」

「あなたの亜法。他人の亜法を奪い取る能力。そうでしょ?」

 奪い取るとは人聞きの悪い。ちょっと借りてるだけだ。

「初めてあなたに会った時、この唇で触れた瞬間に感じた吸い取られるような感覚……間違いない、と思ったわ。この力だったら、私達〈神の意志〉そのものも取り込まれてしまうって。私達は意思、それはあまりに頼りない存在なの。もしかしてあなたの亜法にとっては、私達の意思そのものも、他の亜法と同じような存在なのかもね。

 だから、私の今の目的は、この子の身体を手に入れて、素直くんに他の〈神の意志〉をその身体に揃えてもらうこと。十六の〈神の意志〉を揃えてもらったら……その時はどうすればいいのかしら? 私がそれを全て手に入れるには……」

 話は分かった。なるほど、昔の自分を取り戻したい。そうか。

「……ふざけるなよ〈神の意志〉! それだけの為にこんなことして、スリシャスを俺達から奪おうってのか? もう一度言う、ふざけるなよ!〈神〉? またそんな寝ぼけたこと言いやがって、ギャグセンのなさもイイトコだぜ。俺もスリシャスも現代に生きるゆとり教育と受験戦争にさらされたシビアな現代っ子なんだよ。お前の妄想に付き合ってやってるヒマはねえんだ!」

 妄想じゃないことは分かってる。この神のごとき能力は認めざるを得ず、そもそも妄想だったら俺達亜法士の存在自体が三十年前から見たらファンタジーそのものだ。

「ふざけてる? ふざけてなんかいないわ。こっちだって必死なのよ」

「必死? こっちはそれこそスリシャスの命がかかってるんだよ。お前はそんな状態でも何千年も生きてんだからいーだろうが」

「私達は十七の意思で一つなのよ。分かる? 何千年も自分の身体の十七分の十六を失ったまま生きてきた苦しさが!? 私は、自分の九五パーセントも失い続けている苦しみにはもう一秒も耐えられない!」

 突然取り乱したス裏シャスに、俺も動揺してしまった。十七分の十六。自分の身体と考えれば、シャレにならない数字だ。多分脳味噌と臓器が一、二個くらいしか残らない。涙をこぼしてうなだれるス裏シャスの姿が、その悲しみを如実に表してる。実は、こいつもたいがい不幸な奴なんじゃないか───

「……それでも、スリシャスを捨てるわけにはいかない」

「いいわ。分かってもらえないようだから、私も実力行使でいくわ。安心して? 素直くんを死なせたら元も子もないから、ちょっと気絶させる程度」

 やれやれ……戦うのは苦手だって、既にさっき証明したのによ。

 だが、ここは本気でいく。みんなから預かった亜法でな。おお、少年マンガみたいだ。

 俺は割とどうでもいい重要なことを思い出した。それはいつの昼休みだったか、ミハイオのアホが言ったことだ。

『○ギア爆誕だよ! 知らないの!?』

 そこじゃない。水を電気分解して水素と酸素を作り出し、着火すれば爆発する。少量の水素なら音を立てて消える程度だが、大量の水素は危険な爆発事故にも繋がる。どこから水を出すか? サヤから預かった白の亜法、氷の能力を使い、俺の炎で融かせばいい。俺の火だけだと貧弱なモンだが、この瓦礫の山だ。火種として燃えるくれるものはいくらでもある。電気はミハイオだ。

 爆発でス裏シャスを倒したいわけじゃない。こっちも無力化させる術は分かった。その為にちょっと気絶してもらうだけだ。それなりの爆音が出て、奇襲的なタイミングでそれができればいい。

 問題は、全部の作業に時間がかかるということ……それまでの時間稼ぎは、金海の肉体強化で頑張ろう。

「さあ……勝負だ、〈神の意志〉」


  ☆☆~


 俺は巨大な氷の塊を生み出す。直径二メートルはあろうかという巨大なものだ。サヤの亜法ってこんなデカいの作ったっけか? まあいいや。まずはこれを……

「投げつける!」

 とにかく動かし、ひるませろ。それが最初の作戦だ。その隙に瓦礫に火をつけ、燃え移らせる。部屋全体が暖まれば、氷も融けやすくなる……そういう算段だ。

「着火!」

 ス裏シャスは避けると同時に、小型の隕石(と言っていいのだろうか。空から降ってこなければ隕石ではないのでは?とどうでもいいことを考えてしまう)をぶつけて氷を破砕する。俺はそれを見つつ、瓦礫に火をつける。どうせ俺の小さな火だ。最大限でつけなけりゃ時間がかかるだろう、

 と思ったのが間違いだった。

「うわっちっ!」

 火の海になった。それも体育館全体がだ。俺の炎は普段の三億倍くらいの威力を持って瓦礫を燃やし続け、連鎖していく。その光景は予想外すぎて、俺の動きは止まる。ス裏シャスもあまりの事態に動けずにいる。

 お互いの隙に、俺の方が先に気付いた。ここが仕掛けどころだ。これだけの火力、すぐにでも氷は水になる。急がなければ蒸発しちまうんじゃないかって勢いだ。

 俺は火の海を突っ切ってス裏シャスへと走る。これもス裏シャスの予想外。俺は火南魅の亜法も持っている。スリシャスは火南魅の亜法をまだ見ていないから、俺が霊体になっていると気付いていなかった。まさか生身で火に飛び込むとは思わなかったはずだ。

 そして最後の予想外。俺が今の段階でこれだけの数の亜法を持っていることだ。ス裏シャス自身の経験から、俺の亜法のスイッチはキスだと気付いていたんじゃないか。まあ実はそうじゃなかったんだが、俺も当時はそう思ってたわけで、頭の良いス裏シャスのことだからそれに勘付いていたはずだ。俺の身近で白の亜法や霊の亜法といったらサヤと火南魅で、緊急事態ならキスの一つくらいすると予想するかもしれない。しかし、稲妻のミハイオは男。普通の感覚ならキスによる能力の受け渡しは想定しないはず。

「〈神の意志〉よ、スリシャスと話させてもらうぜ!」

「くっ、……そんな、都合よく!」

 俺もそう思うが、だったらお前が神に見放されたんだろうよ。

 融解、電気分解、爆発と一瞬でやり遂げて、ス裏シャスを昏倒させる。爆風で二人とも吹っ飛ぶが、この程度なら大丈夫(なはず)だ。俺はスリシャスの身体に駆け寄る。気絶してるが大丈夫そうだ。

 無力化させる術は知ってる、と言ったが、正直最後は賭けだ。

 ス裏シャスは以前、『気を抜いてる時は強引に代われる』と言っていた。もしそれが〈神の意志〉からスリシャスに代わることもできるか。気絶という状態でも可能なのか。そしてスリシャスが強引に代わる気があるか。

『身体を持てる』ってことはまだ持ってない。なら、スリシャスの意思はまだ生きてる。そして、これは俺が思ってることなんだが、スリシャスとの別れがあんなものでは悲しすぎる。おそらくスリシャスも同じ気持ち、俺が話したいと言ったら、最後に出てきてくれるんじゃないか、という希望的観測の積み重ねの賭けだ。

「ん……」

「スリシャス! スリシャスか!?」

 目が開く。

「あ、素直、くん……」

 スリシャスだ。間違いなくスリシャス。その彼女が俺の顔を見るなり泣き出した。おい、俺の目つきはそんなに怖いか。

「ごめっ、ごめん、なさい……! アタシ、こっ、こんなこと、して、素直くんにフラれちゃって、そしたら、あの、あの子が、もう諦めたらってっ、……あ、諦めるしかないよねっ、って、おもっちゃっ、思っちゃって、」

「スリシャス! 少し黙れ!」

 俺は一喝する。喋ることでまた罪の意識がよみがえる。悪循環だ。なら、少し脅しっぽいが黙ってもらうのが一番だ。

 俺はスリシャスを立たせる。その顔をのぞき込んで、

「スリシャス。俺はお前の過去は知らない。心の中も読めない。だから、俺を好きだって言ってくれた時は嬉しかった。本人の口から聞けたからな。俺もスリシャスのことは好きだよ」

「…………嘘だよ。だって、素直くんには火南魅ちゃんがいるもんっ……」

「ああ。一番は火南魅さ。だから、スリシャスを俺と火南魅の養女に迎え入れる準備は既にできてる」

「そっ、そんなに子供じゃないよっ」

 そうして、スリシャスは少しだけ笑う。

「……やっぱりダメだねっ。ダメだって分かってるのに、素直くんに優しく言われるだけで、嬉しくなっちゃうんだ……」

「俺は、別にいいんじゃないかと思うんだ。好きな人がいる奴を好きになったって」

 俺だってそういうことあるしな。これは俺の持論だが、

「相手の気が変わるまで待つのもありだし、結局叶わなくたって、その時はその時だろ。まあ悲しい話、俺が火南魅にフラれる可能性もあるっていうか少なくないっていうかいっそ高いってこともあるし……」

『素直とは友達でいたいから……』うわフラれるビジョンが容易に浮かぶ。っていうか明日告白どころじゃなくないかこの惨状。

「…………ホントに素直くんって、鈍いんだからっ……」

「あ?」

「何でもないよっ。でも……アタシじゃ、あの子には……〈神の意志〉には勝てないよ」

 今のスリシャスならそう思うかもしれない。今まで勝ってきたことのないスリシャス。それに対して〈神の意志〉は絶対の存在だ。だが、俺は勝つための裏道を知ってる。正確には、スリシャスが戦わずして勝つための道だけど。

「スリシャス。一つ騙されたと思って、いや、俺を信じて、『俺に全てを預ける』って思ってくれないか? うん、あと、目を閉じててもらえるとありがたい」

「全てを、預ける……? えっと、何するのっ?」

「いいから」

 納得がいかないながらも、素直に目を閉じてくれた。ありがたい。

「スリシャス。俺からこういうことするのはこれ、初めてだから」

「うん。分からないけど、素直くんだから信じてる」

 信じてるって言ってくれてるのにこういうことするのは、なんか背徳的だな。言ってる場合か。今もスリシャスの中では戦ってるかもしれないんだ。

 俺は『奪う』と念じながら、スリシャスにキスした。俺が念じても意味ないんだけど。

 ……べ、別にキスしたいからしたわけじゃないぞ。スリシャスは信じると言ってくれたけど俺の亜法が発動するほどに信頼してくれるかは別問題だし、神の亜法を奪うのは初めてだし俺の意思で奪うって場合は別ケースだし、だからオリヴィア方式で手堅く行こうと思って。

 そんな言い訳を考えてるうちに、スリシャスは俺を信じて、言った通りに思ってくれたようで、すぐに痛みが来た。亜法を使う痛み……これは、俺自身の亜法の痛みだ……これだけは霊体でも伝わってくるみたいだ。そういえば霊体でも他の亜法って普通に使えたな。瓦礫すら掴めたし……亜法はまだ謎が多いな。なんてぼんやり考えてるうちに、

【フフ……まさか、こうして素直くんの中に入れてもらえるなんて】

 頭の中。いや、俺の意識の中とでも言おうか。ぼんやりと響く声がする。ス裏シャス、いや、〈鉱物の神の意志〉だ。どうやら作戦は上手くいったらしい。

【余計なこと言っちゃったみたいね。あなたが勝つためのヒントを……私の完敗ね。こうなっちゃったらどうしようもないわ】

 決着としては呆気なかったな。

(ああ。あと十六人集まるまで、大人しくそこで待ってろ)

【?】

(お前は十七の意思が一つ所に集まれば満足なんだろ? なら他の誰かの頭ん中で暴れられるより、目の届くところにいてもらった方が安全だ。だから、俺の身体に間借りさせる程度になら、喜んで〝受け皿〟になってやるよ)

 目の前のスリシャスは突然起きたことに困惑しているようだ。俺にキスされて〈神の意志〉まで自分の中から消えたんだから、当然だ。その顔にス裏シャスの影は見えない。そして表情なく、声だけになった元ス裏シャス、今やただの〈神の意志〉になった女性の声は、しかし表情を思い描けそうな調子でいった。

【本ッ当に、素直くんって素敵ね……惚れちゃいそう】


  ☆☆~


「素直くん……あのっ、えっとっ」

「あー、喋るな。俺もどうしたらいいのか分かってない。とりあえず恥ずかしい」

 話すのはあとだ。とにかく、この火の海から逃げなけりゃならない。

「の、前にスリシャス。今、亜法って使えるか?」

「えっ? 多分使えるけど……ほらっ」

 瓦礫の破片を見事にカッティングしてみせる。確かに〈神の意志〉は亜法ごと俺に移ったらしい。

 もしかしたら、この惨事を引き起こした強力な力を、俺が使えるのか……

「……あー、やめやめ! 今はここから出ることが先決だ!」

 だがまあ、この亜法も時には役立ちそうだ。平和じゃないが。

「おーい、フリューゲンスー! ついでにペランドルー! 今からこの体育館にデカめの隕石落とすから、早く逃げてくんねー? まだいたらの話だけど」

「へっ? 素直くんっ、何する気……?」

 デカくなりすぎた炎を消す。フライパンが火を噴いた時に上から布団をかぶせるのと同じ要領だ。巨大な隕石で酸素の供給を断つ。その為には体育館を丸々潰せる隕石が必要なんだが、そんなことしたら震動とか地盤の問題とかヤバそうだ。あ、でもス裏シャスもあれだけバンバン落としといて地面が少しへこむ程度だったから、多分大丈夫なんだろう。一人で安心。

 フリューゲンスもペランドルも、ここから上手いこと逃げられるんだろう。強い奴はそういうところもそつなくいやがる(←ひがみ)。あとは俺達がここを出れば……

「ようやく見つけたぞ、山下ァ……」

 入り口に現れる影。人影、というか人の形をした影に見えるが、くそ、こいつを忘れてた。

「山下じゃねえっつの、和弘くん」

「まんまと騙しやがったな? 教えられた場所に行ったら誰もいねえわ罠に何度もハメられるわ……俺をコケにしてくれやがって。ちょうど〈創始の亜法士〉もいるじゃねえか、まとめて殺してやる! これで俺も〈声〉から解放される!」

 声ってのは〈神の意志〉の声か。俺は頭の中で確認しておく。

(他の〈神の意志〉は、どうすれば〈神の意志〉を一つにできるって分かってないのか?)

【私だって素直くんに会わなければ知らなかったわよ。中には『他の〈創始の亜法士〉を殺すことで自分の中に取り入れられる』と思ってる奴もいるんだもの。……まあ〈紅の神の意思(そいつ)〉なんだけど】

「まったく……懲りねえなあ、和弘くんも。ちょっとだけ、力貸してもらうぞ」

【ウフッ、素直くんにならいつでも貸してあげるわよ。亜法(チカラ)も、身体も……】

 身体貸してんのは俺だろ。火煙寺は俺が紅の亜法士だってことは知ってる。まさか隕石が飛んでくるとは思わないだろう。さっきス裏シャスがやってた超小型の隕石を飛ばす準備をする。

神よりの鉱物の祝福ストーン・ブレス・フロム・ファザー……これが私の〈神の意思〉の加護よ】

 飛ばした。命は奪わない。スリシャスの命を狙ったんだ、本当なら殺してやりたいが、オリヴィアの元カレ(フラれ)という立場を立ててやろう。

「足を貫いただけだ。動けないかもしれねーけど、もし焼け死んじまったら自業自得ってことで……」

「おいおい、舐めるなよ〈創始の亜法士〉を」

 火煙寺は余裕で蹴りをかましてくる。その蹴りは素人丸出しで、素手のケンカで鳴らした俺には止まって見える。がしかし、そうか、こいつの亜法は……

「俺の亜法は〝燃えろよ燃えろよ(アイアム)俺よ燃えろ(バーニング)〟。己の身体を炎と化す亜法だ。打撃が効くと思うなよ?」

「へー……そういやこの体育館、さっきから怪獣大戦争と超能力大戦やってたから、ボロくなってるぞ。ちょっとの衝撃で天井落ちるから、気を付けろよ」

 忠告はしたぞ。その瞬間に天井が頭に落ちて炎状態の火煙寺は消火された(消された)が。

「……って、そう簡単に消滅するわけねーよな。動きは鈍そうだから、全身を炎にして逃げたってところか……どこ行きやがった!?」

 見当たらない。体育館中から響く声に、俺もスリシャスも辺りを見回す。

「ハッハッハ! 俺は炎と同化できる。この火の海、格好の隠れ場所だぜ! さあ、どっちから殺してやろうか、ここからヒットアンドアウェイでネチネチといたぶってやるぜ!」

「性格悪いねっ。──ばーいスリシャス」

「だからっ! 言ってないよっ!」

「和弘くん、も一回警告な。もうまもなく隕石落ちるから、気を付けて」

 それを早く言え待てどこにどこに落ちるって?おいこらどこに避難しろってんだ、という声を聞きながら俺とスリシャスは外に出る。

 その二秒後、体育館を巨大な岩が押し潰した。

「終わった、な……」

 多分死んじゃいないんだろう。あいつもそつなく生き残るタイプだと思う。

「……アタシのせいで、中等部の体育館なくなっちゃったね……」

「ま、そこは誰かがもみ消してくれんじゃねーの?」

「そこは曖昧なんだねっ……」

 俺は笑った。スリシャスも笑った。なら解決だ。好き嫌いは別として、スリシャスといる時間が楽しいのは紛れもない事実だ。スリシャスはどう思うか分からないけど、できれば俺と近い気持ちであってほしい。とにかくおそらく、一件落着。

 ただ一つだけ、この件についての疑問が残っている……

 なぜ、俺の炎は強化されたんだ?


  ♧♧~


「上手くいったみたいだな……」

 俺の台詞に、ミハイオの馬鹿が飛び起きてはしゃぎ始める。落ち着きのない阿呆だ。

「え!? 嘘ウソ、ホントに!? 何でどーして!?」

「あ、ホントだ! 出てきてる!」

 体育館を丸々圧し潰す、本物の隕石なら衝撃で町の一つも消滅しそうなでかさの隕石が落ちてくるのを見ながら、俺達は高等部校舎へと避難していた。江敷は竜越を上手く見つけられたようで、半ば情緒不安定になっていた竜越をなんとか宥めてきたようだ。

「よかったなあ、説得できて……」

 ミハイオが胸を撫で下ろす。だが、説得? いや、絶対に荒事があったに決まっている。何故なら、〈神の意思〉がそう簡単に今の肉体を諦めるわけがないからだ。

「本当に、説得できたのかしら? 最後の隕石、あれだって彼女の能力なんでしょ? だったら、最後まで戦ってたと考えるのが筋なんじゃないの?」

 オリヴィア・ホプキンス、中々鋭いな。もっとも、最後に戦っていたのは別の相手だがな。それでも、俺達が貸してやった亜法は役に立ったはずだ。むしろ、俺が貸してやった亜法がなければ、勝機に繋げることは難しかっただろう。

「いいんじゃないか。どっちだってな」

 俺は窓の外を見る。神斬とパルメは、結局のところ元気そうだ。まだ不安や疑問が拭い切れていない表情だが。

「教えてやろうか、神斬。お前の疑問の答えを」

「え? 金海、何か言った?」

 いや、と俺は小さく答える。ミハイオに答えるためではなく、窓の内側にも、外へ遠く、神斬にも聞こえない小さな声で俺は呟いた。

「〈神の意思〉を得た亜法士の亜法は、〈神の意思〉という拡張機器(パワーアップアイテム)で強化されるんだぜ?」


  ♤♤~


 体育館を押し潰しほどの巨大隕石を落とされたのには参ったが、どうにか僕は脱出することができた。まったく神斬め、僕やドラグネイトがまだいるというのに、無茶をする。まあ、僕達ならどうにかできると信用したからだろうが……

「フフッ、終わったようだね。フリューゲンス君」

 物陰から現れた人物に、僕は改めて警戒する。見知った人物の、見知らぬ顔。少なくとも自分以外の知り合いは知らないであろう面を見せられている。仮面を外したようなその姿を見せられてもう何日も経つが、未だに違和感と得体の知れなさは消えない。

「どこかの誰かが教えてくれたお陰でな。神斬の邪魔をする馬鹿は排除できたよ」

「『神斬』、ねえ……せっかく良い印象も与えたことだし、ここは一つどうだろう? 次のステップに進んで、親しげに『素直』って呼んでみるのは?」

「何でそんなことをしなければならないんだ。僕は君の計画とやらに協力して、見返りを得たい。それだけの話だ」

 また、フフッ、と聞き慣れない笑みをこぼす。心を見透かすような瞳で、続けられる。

「私と君の関係はそれだけだけどね。君と神斬の関係はどうしたいのかな? 好き、というのは違うかもしれない。ただ、彼に構ってほしいと思ってるんじゃないかな?」

「あまりふざけてると撃ち抜くぞ」

「ああ、ごめん。彼に、というかみんなにだね。ただ神斬君なら他の人よりも君のことも気遣ってくれるから、余計親しくなりたいんだと思ってたけど」

 〝銀弾の魔術師〟で撃ち抜く。鉛の弾は標的の髪をかすり落とし、校舎の壁に穴を穿つ。

「今のはほんの脅しだ。次は腕を貫く。君の亜法〝思考的俯瞰視点〟は、他人の思考を読み取るもの。だが、いくら思考を読んでも、君の身体能力で銀の弾丸は避けられないぞ」

 フフッ、とまた微笑む。僕の指という銃口を突きつけられているにも関わらず、標的はまだ笑う。しかも今度は呆れたように。

「分かってないな。いいかい? それは僕が君に教えた情報だよ? 自分の亜法を馬鹿正直に教えるなんて、自己顕示以外の何物でもないと思わないかい? もちろん、君が言ったようなことも今のところできるけどね」

 つまり、他人に教えた亜法は、ほんの一部ということか。その秘匿的な姿勢も、自己顕示を否定しつつ自分の能力が低くないことを語り威圧できる絶対的な自信も、こいつがあなどれない人間だということを表している。

「〈神の意思〉を束ねよう、なんて計画を企ててるだけはあるか……」

「褒めないでくれよ、フリューゲンス君。これも私利私欲の為さ」

「誇らしげに言うな。とにかく、僕は僕のやりたいことをやるだけだ。君に日常生活まで指図される覚えはないからな」

「僕も、指図しようなんて思ってもないさ。君のことは、秘密を共有する仲間だと思ってるんだよ? 偽名同士仲良くやろうよ、()()()()()()

「次にその名前で呼んだら、本当に撃ち殺すぞ、倉庫男三号」

 フフッ、とその偽名の人物は、いけ好かない裏の笑顔を振りまいた。


  ♡♡~♡


 その日、私は憂鬱だった。

 なぜ憂鬱かというと、昨日、素直にあんなことをしてしまったから。

 あれは必要なことだった、素直のお母さんもそういう方法だと言ったし、とずっと言い聞かせている。けど、よく考えたらそういう意味だったのかあの説明だけでは分からないし、よく話を聞いてからでも遅くなかったし、いくら素直がスリシャスを好きだとはっきり聞いて動転して、もう諦めるしかないと思って、だったら最後になんというか、夢見たかったっていうか、どうせ叶わないなら最後にキスくらいしてもいいんじゃないかって変な考えが出てきてあんなことしちゃったけどひょっとしたらあれで私の気持ちバレちゃったかもしれないし、あんなことしたら素直だって困るだろうし、しなければ今後も良い友達でいられたかもしれないのに自分でギクシャクする要因作っちゃったし、ああもう考えてることわけ分かんないし!

「もう! 何で素直にキスなんかしちゃったんだろう!? 火南魅の馬鹿!」

「ほうほう、素直っちにキスしたって風の噂に聞いたけどん、火南?」

「あ~ん、素直取られちゃうのは悔しいけど、かなみんになら仕方ないかも……」

「ぶっ!?」

 思わずファウンテン・ビューを噴き出してしまった。蘭花と蛍総、こんなところに……

「そういえば、ファウンテン・ビューって素直好きだったよね。あ、間接キスの話?」

「あっ、そ、そう! 間接キスしてるみたいにも思えるなーと思って!」

「ほうほう、自分で買って開けた缶なのに素直っちと間接キスしてるように思えるほど素直っちのことを想っているという、これよくある自爆告白ですねー、女利先生?」

「えー、うっかり度は高いですが、これは男子が萌えるポイントでもありますね。こういう自覚ない想いというものに男の子はドキッとしますからね。まあ男の娘はそうさせるのが仕事なんですけども」

「はい余計なこと言わないでいいからねーん」

「まっ、また教室でね!」

 これ以上一緒にいたら、どこをどう抉られるか分かったモンじゃない。私は足早に学校へ向かった。

 昨日あのあと、探しに来てくれた鞘子に言われた。勝手な邪推で決めつけないで、一度告白してみろと。それで確認してからでも遅くはない、もし断られても素直なら今まで通り友達でいてくれるだろうと。

『最後に踏み出すのは、火南魅。アンタ自身なんだよ。それを忘れちゃダメ』

 いつもみんなに見せる、作った口調でなく、心から想ったことを言う時だけの喋り方。そこまで言うからには、鞘子なりの根拠があるのだろう。私だって分かってる。

 でも、怖い。今まで通りでいられるなら、それで構わない。進展する必要なんてない。鞘子にこの気持ちを相談したのだって、叶えたいという願いではなく、誰かに知っておいてほしいという、とりあえず預金しておこうという保険のようなもの。一人で抱え込みたくなかったんだ。もっとも、初めて話した時に鞘子には、『あ、やっぱりそうなんだ』と納得されただけだったけど。

「いずれにせよ、何で素直にあんなことしちゃったんだろー! もーう、本当に馬鹿!」

「あ、あんなことって、ついに火南魅ちゃん素直くんにそんなことを!?」

「チッキーくん、もう二人は戻れないところまで来てしまったんだにゃー……若いって罪だにゃー。絶倫だにゃー」

「だ、だからどこから出てくるのよチックに皆三毛!」

 まずい。これは無限ループだ。私は足早に学校に急ぐ。急いだところで、

「教室で素直に会うと思うと……どういう顔で会えばいいのよ」

 私は素直が好き。隠してきたけど、それは紛れもない事実なのだ。

「それにしても、どうして好きになったッスかねー。目つきは悪いし頭は悪いし」

「でもでも、すなおくんは良い人だと思いますです~」

「そう、良い奴なのよ素直は……普段はバカやったりしてるのに、人のためにケンカしたり、困ってる友達がいると、渋々って言いながら、すぐに助けに行ったりしてあげて、そういう熱い奴なのよね。だから見てて危なっかしい時もあるんだけど、それがまたほっとけないっていうか、それでも頼っちゃうこともあるし、……って、鞘子!? 穂並まで!」

 私は駆け足で学校へ向かった。だけど根っからの文化系の足では、運動部を掛け持ちする鞘子を置き去りにはできない。

「なるほど、そういう風に想ってたッスか。いや、聞いてみないと分からないッスねー」

「ばっ、何でそうなるのよ! 今のは、別に……」

「でも、今のかなみちゃん、楽しそうだったですよ~?」

 穂並の何気ない言葉に、私は赤くなる。鏡なんて見なくても分かるくらいに。だって、素直のことを考えるのは事実、楽しい。素直と話すのも楽しい。だから、同じクラスになってまだ二ヶ月だというのに、こんなに好きになってしまった。

「と、とにかく、私急ぐから!」

 私はダッシュした。もう学校へ向かってるのかも分からなかった。

「スリシャスを助けたんだったら、私のことも助けてよ! 素直の馬鹿!」


  ☆☆~☆


 その日、俺は憂鬱だった。え、二番煎じ? ちょっと待て聞いてねえぞ誰とネタ被ったんだよ。え? そんなことより話進めろ? じゃあ進めるよ。

 なぜかってーと、せっかくの春雀祭二日目は、片付け日となる決定が下されたからだ。それは当然だ。なぜなら、一日目終了間際に校庭に無数の隕石が飛来し、中等部体育館があった場所に一つの巨大な隕石が遺されるという災害が起きたのだから。奇跡的に死傷者はゼロ、隕石自体もほんの小規模なもので、普通なら地球規模の変動でもありそうなのだが、実際の被害は朱雀亜法術学園一帯の建造物破損程度で済んでいる。亜法といえど、自然のマジモンの隕石には敵わないのか。それで助かったが。

 しかし二日目を楽しみにしていた俺達生徒には悲しいお知らせには違いなく、特に俺は好きな女の子に告白までしようとしていたんだから、そのがっかりといったらない。

 告白されてフってしまった手前、スリシャスには教えておこうと思って、俺が火南魅に告白する予定であることは話した。そしたら彼女は、

『素直くんなら、絶対OKもらえるよっ! だって火南魅ちゃんも素直くんのこと好きだもんっ! 絶対っ!』

『根拠なさすぎだろ』

『根拠ならあるよっ。だって、休み時間とかよく素直くんに話しかけてるし、春雀祭でも積極的に過度に協力してたし、素直くんと話してると楽しそうだし、遊園地でだって衣装が完成した時だって、』

 分かった分かった挙げればキリがない、という勢いで列挙してきた。自分が好きだったからか、同じような態度が分かるのかもしれん。しれんが、実際そうかは分からん。

 あのあと、金海やミハイオ、お袋達とは一度合流できた。〈神の意思〉が俺の中にいるということだけは隠して、それ以外の事の顛末は伝わった。学校側にはオリヴィアがなんとか言い繕ってくれるそうだ。申し訳ないな。今度ミハイオん家行って、何か美味いもの作ってやればご機嫌取れるかな……

 そんな周りの協力もあったりして、俺はのんきに今日の片付けのことを考えられる。俺のせいだから片付け、ってわけじゃなくて、どうせ全生徒学校に来る気だったんだから生徒で片付けしろよ、的なノリだ。俺も2─Cの一員として片付けにご奉仕するつもりだ。まあ、学校側は誰の仕業なんて分かってないんだから、当然の処置じゃないか。べ、別に罪悪感なんか、ないんだからね!(いやあれよ)

 というわけで今日はクラスごとで学校の片付けをするわけだ。休校にしろよ。

 クラスごとで、ということは、クラス全員で集まるわけだ。

 昨日の一件で、スリシャスだけじゃない、俺はクラスメイトの、身近な亜法士の亜法に、変化が起きつつあることに気付いた。ペランドルがパワーアップしていたのは言わずもがな、あの竜を倒したんだ、フリューゲンスも俺の知らない『本気』を隠し持っていたってことだろう。

 だが、俺が一番不気味に思っているのは、俺自身の亜法だった。

 昨日、〈神の意志〉との戦闘で、いつもの俺のマッチほどの申し訳程度ではない、火炎放射器並みの火力は、なんだったのか。

【それはほら、〈神の意志()〉が宿ったからじゃない? 他の〈創始の亜法士〉は〈神の意志〉を従えることで、自分の亜法を強化するんでしょう?】

 脳内で、というか俺の身体全体、って感覚だが、〈鉱物の神の意志〉が説明する。どうも俺が頭の中で思ったことが、気を抜いてるとこいつにも筒抜けになってしまうらしく、たまに勝手に話しかけてきたりする。まあ、一度ならず会話した仲だし、俺のせいで消滅しちまうとかにならなくて少しホッとしてる。しかし、だ。

(だから、それはお前が宿ってからだろ? その前に強化されてたんだって)

 試しに指先から炎を出してみる。煌々と燃える、野球ボール大の球。調整してこれで、もっとテキトーに出せばサッカーボールくらいにはなるな。そもそも炎を球とか棒状とか形を決めて作ろうなんて芸当自体が、前の俺にはできなかったことだ。〈神の意志〉を支配すると、亜法の基本能力値(ステータス)だけでなく、操る技術まで上がるらしい。

 俺の亜法が急に上達した可能性は低い。考えられる要因は少ないな。あるとすれば、ス裏シャスと対峙する前に受け取った亜法、受け取った相手に原因があるか。

 思い返す。受け取ったのは、遡るにサヤ、金海、ミハイオ、そして……

「火南……」

 そこで俺の思考はぶっ飛ぶ。火南魅から亜法を受け取ったのだ。しかも、考え得る限り最高に嬉しい方法で。

「ああ! ああ!? 俺、どうしたらいいの!?」

 これからクラスに行く。火南魅もいる。どういう顔で会ったらいいんだ!? いや、変に意識した感じだとキモがられるッ!『別にあんなの亜法の受け渡しでしょ? なに意識しちゃってんのキモい』と思われたらどうしよう! そうだよな……俺は初めてだったけど、火南魅はモテるからな……あれくらい慣れてて、別に好きでもない男子とキスしたって米国人並みに気にしないよな……

【落ち着いて、素直くん。多分、あの火南魅っていう子も勘違いしてるのよ】

「あん?」

 思わず声に出てしまう。何を勘違いしてるって? まさか、勘違いでアタシの初めて奪われちゃったの!?

【少し黙って。あのね? あの子、素直くんがスリシャスを助けに行く時、やたらと本気かどうか確かめてたんでしょ? っていうかむしろ、好きかどうかって確かめてたんでしょ? もはやそれは、わざとらしいくらいに素直くんのこと好きでしょ。っていうか、好きでもなかったらキスしないでしょ。米国人だってしないでしょ。普段だって、素直くんへのアピールのしようったらなかったじゃない】

「お、俺はアレ、親しい男友達へのからかいだと思ってたんだけど……ほら! マンガとかでよくあるじゃん!」

【その場合って、大抵実は相手のこと好きでしょ】

「何がマンガとかでよくある、と申したか?」

「またナオつんの妄想が始まった系だね……」

「うほいホルジャ! ベロムも! まさか貴様ら、聞き耳頭巾だな!? いつからそこにっていうかお前ら一緒に登校してたの!?」

「我輩は元々、喫茶店のシフト時間に合わせて登校するつもりであったからな。いつもより遅くなっただけである」

「こっちはいつも通り系だからね。それより、何系がマンガみたいって?」

 危ない危ない。また漏れてたか。しかし、〈神の意志〉の言い方だと……

【火南魅ちゃんは、素直くんがスリシャスを好きだと思ってるのよ。で、彼女自身も素直くんが好きなんだけど、スリシャスに遠慮して身を引いた、と。でも、諦める代わりに最後に夢見させてもらおう、って感じで身体が動いちゃったんでしょうね。スリシャスを助ける為に亜法を渡す、っていう大義名分もあったし。キスしたと】

「何それ俺の方が恥ずかしいっていうか火南魅早く言ってよー!」

「む、神斬! あ奴、キモく暴走しおって!」

「何言ってるかは分からない系だけど、とりあえず混乱してる系ねー……」

 俺は走った。無意味に。

(しかし、だからどうしろってんだ? 俺が弁明して誤解だって分かっても、勘違いでキスしました、じゃ火南魅も引き下がれないだろ……)

 俺は火南魅と今まで通り仲良くしたい。どうすりゃそうできる?

【知らないわ。頑張ってね、どうせスリシャスはフっちゃったんだから】

 そうだ。スリシャスはフってしまったんだ。もし火南魅が俺を好きだというなら、こっちとしてもウェルカムトゥミーなんだが……

「って、これはまた勘違いパターンだ。思い出せスリシャスの時を」

「ふおおおおおおっ! 何がスリシャスの時かあっ!! スリシャスと初めてヤった時か!?そうなのか素直!!」

「ふぬぐああああっ落ち着けンテリウんはーっ! やめてやめて出ちゃう出ちゃう何かが!」

「きゃっ、ど、どうしたんですかンテリウさん! それは雑巾ではなくて素直さんですよっ!どうかご正気になって!」

 よし、すたこらさっさと逃げ出せ! よく考えたらスリシャスの時って、金海とかが好き好きって言ってて結局スリシャス俺のこと好きだったし! 参考にならん!

「逆だろ。今回も本当に竜越はお前を好きなんだよ」

「うわああああ! もう普通に驚くよお前ら! なんだよ金海! ミハイオは別にいいや」

「ちょいちょい。いいんだけどさ、今日火南魅と会った時の対処法教えてあげようか?」

 くそ、こいつら絶対楽しんでるだろ。だいたい何だ、次から次へと現れて。

「まだ竜越に亜法を返してないだろ。今日、キスして返せ」

「何でそーなるの!?」

「実はな神斬、俺はお前が竜越に告白すれば成功することを知っていた」

 だ、だからなんでやねん! 予知能力者か!

「何故なら、俺は江敷と同様に、竜越からお前についての相談を受けていたからだ」

「ななNAな、なんで!? 何で相談受けるとか親しげなの!?」

「ミハイオだとうっかり本人に喋りそうで、もう一人の素直をよく知る男子だから、だとよ。だからまあ、一応両想いの男女だ? くっつけてやろうかなと、そう思っていたわけだ」

 く、くそ……完全に金海の掌の上だったというわけか俺は。火南魅も。

「少なくとも、神斬からキスを返してやることで、火南魅からしちまった行為が一方通行で身勝手な好意ではなかったことは証明される。スリシャスに関しての誤解を解くのはそれからだ」

【彼の言う通りね。諦めたのにあんなことをして、火南魅ちゃんも後悔してると思うわ。あなたに迷惑だったって。それさえ解いてあげれば、少しはあなたと向き合う余裕もできるんじゃないかしら?】

 く、他人と脳内が話をまとめやがって……教えてやるとか言ってたミハイオも置いてきぼりだぞ。傀儡かこいつは。

「そうしてもらった方が、俺としてもありがたいしな」

「は? どういう意味だ?」

「ミハイオのオカズが撮れるって意味だよ。分かったら早く行け」

「どういう意味だよ! ちょっ、素直!? 今のは気にしなくていいからね!?」

 するかよ。俺は二人に背中を押されて、立ち上がる。

「頑張れよ、俺らのおもちゃ!」

 金髪はふざけてる時の笑顔で、色黒は真面目くさった顔で手を振る。

 くそ、ぜってぇーあいつら楽しんでるな!


  ☆☆~☆


「ちくしょー、あいつらあとで泣かす……」

 とまあ、意気込んで来たものの、どうせ火南魅に会うのは教室なのだ。最近はよく一緒になるけど本来火南魅とは登下校路違うし、ってそれって待ち伏せか火南魅!?

「まさかお前、本当に俺のこと好きなのか!?」

「なななっ、何言ってんのよ! 別にそこまで好きじゃないわよ!」

 殴られた。って、え。

「って、え」

「あ、か、火南魅……」

 なんてこった。思わぬ所で会ってしまった。って別に会えること自体は嬉しいッスよホントッスよ? ただ今この状況で会っても、何から言えばいいのか分からないッスよって焦ってサヤ口調になってしまった。まずは落ち着け俺そーだろ俺クールに行け俺。

「ほ、本日はお日柄も良くお足下の悪い中、」

 意味不明だった。狂ってますね。

「お、落ち着くのよ火南魅。ここは一つ、深呼吸ー……」

「わ、分かった。すー、はー……」

 無駄に噛み合った。落ち着く。大きく息を吐き吸いする火南魅の豊かな胸が上下するのが見える。いかん雑念。下心は良くない兆候だ。

「お、おはよう火南魅」

 よかった。普通に話せる。緊張を引き起こすスタンド攻撃ではないようだ。当たり前だ。あるとしたら亜法攻撃だろう。

「あ……おはよう、素直」

 火南魅も、いつもより元気はないけど、応えてくれた。まずは会話、それが基本姿勢(スタンス)だ。

「なんか……こんなんなっちまったな。春雀祭。大変だよなー、片付けなんて」

 よし、会話の切り出し成功。このままのテンポでレッツゴー。

「…………素直。他の人は知らないかもしれないけど、私にまで気を遣わないで」

 あ……そうだった。っていうか状況知って亜法まで貸してくれたんだから、知らないはずがない。

「亜法まで貸し……」

 ボンッ

 俺の脳味噌が突沸した。思い出すなバカーん!

「スリシャスは無事だったのよね? その後、…………どうなったの?」

 我知らず、なのだろう。火南魅がうつむく。俺とスリシャスが上手く言ったのを聞きたくないから? 違うんだよ、火南魅。スリシャスは可愛いけど、そういうんじゃないんだよ。

 頭の中で言い訳したって、聞こえるのは〈神の意志〉くらいだ。聞かせたいのはお前じゃない、火南魅になんだよ。

「スリシャスは無事だったよ。今後、今回みたいに暴走することはない。それは俺が保証する」

「そう……じゃあ、スリシャスとは上手くいったのね?」

 答えを急がせる問い。休み時間に遊びたいから早く漢字テストを済ませたいって小学生みたいな急かしだ。

 なんだよ。そんなに嫌なことなら信じるなよ。

「ああ。スリシャスとは上手く折り合いが着いた。これからも仲良くやっていこう、ってなった」

「…………それだけ? もっと、こう、なんか、なかったの?」

「何を期待してんだよ。そんな金海の好きそうな、18金やら24金なことはしてないッスよもう! 何言わせるッスか火南魅ってばあ!」

 ちょっとふざけるには便利だなサヤ口調。あいつが普段からふざけてることの証明だが。

「いや、その、……え? ど、どういうこと?」

 なんか話してるうちにノッてきたな。ここで言っとくか? 言っとくか自分!?

 俺はちょっと、調子に乗った。

「あー、あと、俺が明日、えーと、まあ昨日から見て明日ってことで、つまり今日ってことなんだけど、その、告白するつもりだって話はした」

 結局緊張した。やっぱやめとけばよかった。反省している。謝罪したいと思っている。

「え、えっと…………だ、誰に? スリシャスに?」

「いや、……」

 お前にだよ、スウィートハニー、と言えたらどれだけ良かっただろう。いや、ダサいのは分かってる。反省はしていない。だけど、やっぱ告白ってのは恥ずかしいものだ。けっこう間接的に言ったつもりなんだけど、上手く口が動かない。カレシカノジョがいる奴ってのは、本当にこんな面倒な作業をしたのか?

「…………それはそれとして、昨日はありがとうな。火南魅」

「え? 急にどうしたの?」

 やっぱり路線変更、というか既定路線に戻す。しかも他人が用意した台本通りだ。しょうがないだろ、チキンハートに育ったんだから。強気なのは目つきだけなんだよ。

「あれだよ、火南魅が亜法貸してくれたお陰でスリシャスを助けられたんだから」

「あ、そういえ…………………ばっ!!」

 火南魅の顔面が突沸した。思い出さなくていいから。フフフ恥ずかしいだろう。俺も恥ずかしいから。でも、これからもっと恥ずかしいことするから。

「いや、ホントありがとう。で、昨日会えなかったから返そうと思うんだけど」

「あっ、ううん、こちらこそスリシャスを助けてくれてありがとう! あ、亜法のことならいいわよ! もうしばらく貸しておいてあげる! 当分使わないから!」

「そういうわけにはいかねえだろ。亜法ってのは自分の身体の一部、昨日からなんか変な感じしてないか?」

「そ、それはあんなことしたからで……」

 ぼそぼそ言ってるがよく聞こえない。実際、ずっと亜法を借りてると俺の身体の方が疲れてくるのだ。借りてる状態、も亜法を使ってる状態カウントだから痛むのさ。

「火南魅。俺はこう見えて約束は守る男なんだ」

「な、なに? 確かに、そうだけど……」

「約一ヶ月前になるだろうか。登校時、火南魅は冗談だったかもしれないが、俺は今それを本気で果たそう」

「登校………………、あっ」

 思い出したか。

『頼まれなきゃせんわ!』『じゃあ、して?』

 冗談の中の冗談なやり取りだけど、ここは利用させてもらう。何事にも大義名分が必要なのだ、臆病者には。

「…………分かった」

 お、観念したか。火南魅が神妙な顔つきで頷き、瞳を閉じる。

「そういう律義なところが素直の良いところだもん。そんな人を好きな私がそれを否定するわけにはいかないわよ」

 えっ、今なんて? え、ちょっと今のもう一回聞きたい! もしかしてもしかして本当に本当に火南魅って火南魅って俺のことヤバいすごく嬉しいんだがこの感動を全米に伝

「私はずっと目を閉じてればいいの?」

「あっ、ごめんちょっとトリップしてた。いやま、目は開けててもいいんだけど」

「…………ハッ!? そ、そうよね! 別に亜法を返すだけだもんね! な、何で私目ぇ閉じてんだろう馬鹿だなあ!」

 いや、火南魅的には亜法の受け渡しの方法ってキスだけだろ? 俺はもちろんオリヴィア相手だっていつも肩ポンと触るだけで返せるんだけどさ。今はそれで済ませる局面じゃない。もう今更あとには引けない。

「いや、やっぱ目ぇ閉じててもらった方がいいわ」

「あぅ……やっぱり、そうだよね」

 い、嫌がってる……! やっぱり嫌かな!? 嫌かなあ俺とキスするの! そ、そりゃそうだよね! こんな目つきが鋭いだけの変態野郎とはキスしたくないよね!

「………ねえ、私、妙に人通りが少ないとはいえ、こんな路上でずっと目ぇ閉じてなきゃいけないの?」

「ほ、ホントだここ路上だ! 緊張しすぎてそこまで気が回ってなかった……! なんという羞恥プレイ! にしても、確かに人通りねえな……通勤通学時間なのに」

 一瞬だけ色黒な右手が、通りの曲がり角の向こうから親指立たせて現れた。にゃろう……!

「まあ……人通りのないうちに、終わらせようか」

「うん……なんだかんだ言って、亜法ないと困るし」

「そうだよな……うん、そうだ」

 俺は目をつぶる火南魅の肩に手を乗せる。ええい、ままよ。

「素直……痛くしないでね」

「そんな、セックスじゃあるまいし」

「急に直球下ネタに走らないでよ。金海じゃないんだから」

 そいつは向こうで交通規制してるけどな。

「大丈夫だ。すぐ終わるから」

「うん。でも、すぐじゃなくても、まあ……んっ」

 俺は少しだけ、意地悪なことを思った。火南魅の亜法を返したくないなあ、と。亜法の受け渡しは、渡す側の意思がその気じゃなきゃ成立しないから。僕は悪くないです。こんな考えを抱かせるのも、この亜法が悪いんです。この亜法が!

 通りの曲がり角に、親指を立てて下に向けた色黒の左腕が現れたので、そろそろ返しますすいませんでした、と思うことにした。

「……素直、笑ってるけど、顔真っ赤だから保健室行く?」

「……いや、大丈夫。早く教室行って片付けしようぜ」

「そうね。さー、とっとと済ませますかー」

 いつも通りに戻る、そんな感じのセリフだ。

 それが正解かもな。とりあえず今日は瓦礫の片付けをして、春雀祭の残念会をしよう。そしたら、明日からは普通の日常だ。

 だが、本当に日常に戻れるのか?

【まったくもう、見せつけてくれちゃって……】

 こいつもそうだが。俺は何か、もっと別の脅威が迫っている気がしている。

 残る一六の〈神の意志〉。それを集めてやると言ったが、それはあと一六回も昨日のような苦労をしなけりゃいけないということ。もしかしたら毎回、ペランドルや火煙寺のようなおまけまで相手にしなければならないのかもしれない。明らかに危険の海に片足突っ込んじまってる状況だ。

「どうしたの、素直? 早く行こ?」

 ………………………

 まあ、それでも火南魅がいるし、バカだが気の許せる友達もいる。

 だったら、なんとかなるんじゃないか?

 俺は、そう楽観することにした。


第1話はこれで終わります。第2話は近日更新予定です。

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