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…Age: 14…
日に日に通学路から人の気がなくなっていることは明らかだった。
わたしも通った小学校、そして現在通っている中学校までは、この道を真っ直ぐ歩いていくのが一番近い。道の入り組んだ住宅街では、友達と会えるからと言って遠回りをしようものなら、それだけで遅刻の原因となりかねない。それを救う一本道は、毎朝制服とランドセルとでカラフルだった。
しかし、いまはそうではない。小中学生が歩かなくなった代わりに、野良猫とカラスばかりが道を横断するようになった。
原因も明らかだった。
「うわ、臭い!」
「息止めろ! 走れ!」
小学生はだれに聞かせたいのか大声でそう叫び、にぎやかな笑い声とともに駆け抜けていく。言葉の割には危機感がなく、はしゃいでいるようではあるが、客観的に考えてそれどころではない事態が起きている。
わたしだって、駆け出したりはしないだけで、そこに立ち止まっていようとは思わない。一着しかないセーラー服に臭いがついてしまったら大変だ。そこからただよう空気に触れているだけで、汚れた何かにまとわりつかれるような感覚を覚える。
ゴミ、ゴミ、ゴミ、ゴミ、ゴミ――その家はもはや家と呼ぶに値しない。
玄関はもはや閉められない。家の中からあふれ出るゴミ袋が扉の開閉をさえぎるのだ。
窓から中の様子は見えない。そこにはびっちりとゴミ袋の白色が貼りついている。
そこには容易に近づけない。商売をしていたころの看板が落下するおそれがある。
家の住人にとっては住環境がないわけではないらしい。玄関となっている引き戸の脇から、わずかに人が入れるような空間がある。そこへ洞穴を進むようにしてはって行けば、どうやらまだ込み合っていない部屋があるらしく、近所のコンビニのレジ袋を持って入っていく様子がしばしば見られている。のぞきこめば、そこにはコンビニ弁当やおにぎりのゴミがたまっているのを見られるという。
ゴミがゴミ袋に入っているならマシなほうで、そうでないものはしばしば道路に転がってくる。なだれを引き起こしている山には、だれがどう見ても使い物にならないガラクタばかりが積み重なる。ぐしゃぐしゃの段ボールやぼろぼろと崩れる発泡スチロールの箱、ビニール紐でしばられた雑誌の束、板が折れて何も収納できなくなったカラーボックス、底に穴の開いたファストフード店の紙袋、破けて綿が飛び出たブランケット、持ち手を失ったキャリーケース、ひしゃげて曲がったハンガー、車もないのに置かれているタイヤのホイール、買ったばかりにも見える白熱電球の箱、端子が黒くさびついたステレオ、なぜそこにあるのか理解できないテレビのリモコン、使えそうなのになぜか気色悪い物干し竿、子どもに好かれるプラスチックの電車のおもちゃ、どう見ても中身が腐っている未開封の食品、気味の悪い液体が流れ出る缶詰、黒い何かがのぞく洋菓子店の箱、ぞうきんにしか見えないTシャツだったもの――これらは、立ち止まってじっくりと見つめることで認識したのではない。毎日そこを通り過ぎるたびに目に入るために、注意してみていなくてもそこに転がっていることを映像として記憶してしまったもののごく一部である。これらはもはや、ひとつひとつのモノとして認識されることはなく、全体として「ゴミ」を成すのみである。
この山の上をひっきりなしに舞うハエや、時折駆け出してくるゴキブリなどは、小中学生をふるえ上がらせる。それに加えて、悪臭をまき散らしながら足を生やして歩き回るゴミ――もとい、家主の老人が子どもたちを遠ざける。
中には面白がる子どももいるが、親がここに近づけさせたくないのだろう。通学路から外れることを承知で、子どもたちに別の道を歩くよう言いつける。わたしもそう言われたひとりなのだが、そうしないことのほうが多い。何か思い入れがあるから? いや、学校まで近いからだ。
「あれ、またそっちを歩いてきたのかよ」
中学校の手前の丁字路で、同級生の幼馴染とばったり出くわす。クマも浮かぶような、くたびれた白い顔を見るに、きのうも時間に構わず夜遅くまでゲームに興じていたのだろうと想像がつく。カットシャツや学ランにごまかせないシワが寄っているのは、乱暴にそれを脱ぎ捨てるような生活を物語っている。
彼はわたしが一本道を歩いてきたことに疑問を述べる。
「隣の道を歩いていたってひどい臭いなのに、よく目の前を歩けるな。俺の母さんが、どこの家もそこを歩かないよう言っているって聞いたから、お前の家でもそうだろ?」
「……まあ、なんとなく。近くて早いし」
「いやいや、まだ遅刻する時間でもないじゃん」
本当になんとなくだから、彼に説明することが何もないのだ。
「マジで近づかないほうがいいって。どう考えてもヤバいじゃん、あそこのジジイ。昔から子どもに声かけたり、学校行事に顔出して口出ししたり、おかしな奴だったらしいしさ」
「うん、知ってる。お母さんたちがいつもママ会でその話をしているから」
「なんだ、知ってるんじゃん」
「奥さんが亡くなってから、余計におかしくなったんだって」
あんな奴に奥さんいたのかよ、と彼はゴミ屋敷とは関係のないところでおじいさんをののしった。
「子どもはいなくて、兄弟も死んじゃった人が多くて、ほとんどテンガイ孤独になっちゃったらしいよ。片づけの世話をしてくれる人もいないの」
「片づけの世話って何だよ。自分で散らかしているんじゃないか。そこら中からガラクタを拾ってきて、ゴミ捨て場のゴミも盗んでくるらしいぜ?」
わたしがおじいさんをかばっているように聞こえたのか、彼はのどの奥から声を吐き出した。もちろんわたしにそのつもりはなかったのだが。
「というかさ、お前――」
校門をくぐろうというとき、彼が少しばかりわたしに顔を寄せた。
「臭わないか?」
「え」
時間が止まったような感覚。
どうしようもない冷たい感情が胸の奥でうごめきだす。
「……なんて、ウソだよ。ジョーク。でも、あんなところを毎朝歩いていたら、いつか本当に臭いが移るかもしれないぞ」
そう言い残すと、彼は昇降口に男友達を見つけて駆けていった。
ひとりクツを履き替えるわたしは、下駄箱にローファーを入れがてら、こっそりとそでのあたりを嗅いでみる。臭くはない、と思う。しかし、臭いに慣れてしまって自分では気がつかないだけなのではないかと思うと、恐ろしくなる。
あしたからは、彼と同じ道を歩いて登下校しようと心に決める。
そして、あの家のそばを通るときは、息を止めて歩くのだ。
…Age: 12…
昔はよくおじいさんと話していた。いまは、あいさつにおじぎすることさえほとんどない。
気のいいおじいさんだと思っていた。学校の行事や授業公開の日にはしばしば顔を見せて笑顔で接してくれていたし、道ばたで会えば声をかけたり手をふったりしてくれた。わたしの通学路ではないけれど、横断歩道のところで旗をふって低学年の子の見守りをしていたというから、まさか悪い人なはずがない。
でも、前々から服が汚いとか、体から変な臭いがするとか、そういう悪口を聞くことがあった。ただし、同級生や学校の先生から聞かれるのではなく、親や近所のおばさんの口からもれ聞こえていた。
かつてはぶかぶかだったランドセルがすっかりきゅうくつになり、革がぼろぼろとはげてまだら模様になってしまったいまなら、それが単なる「悪口」ではないとわかる。おじいさんとは仲良く話せていた時期もあったから、そのころに耳に入ったなら「悪口」であると不満に思ったのかもしれないけれど、そうではない。
大人たちのあいだでは、それを「評判」というのだ。
わたしも春から中学生だ。制服も部屋にかけてある。だから大人の評判というものがどういうものかわかってきたし、それを知っていようと知るまいと、賛成していようと反対していようと、評判と違うことをする意味もなんとなく理解できる。これは決して、理不尽なことではない。このごろ彼が公園で走り回るよりゲームをするほうが好きになって、一緒に遊ぶことが減ってきたのと同じことだ。
彼は以前からおじいさんのことが好きではないようだった。やたらとかまってくる人が好かないのだろう。わたしも最近うっとうしく思うようになってきた。一言で言うならば「うざい」
彼も同じ町に住んでいるのだから、有名になっている不潔な年寄りの評判をよく知っているはずだ。
おじいさんとは、話さないようにしなければ。
ちょっとくやしいけれど、仕方がない。
怪しい年寄りと仲良しな中学生なんて、普通じゃない。