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…Age: unknown…
カサカサと音を立てて紙風船が舞っている。数日前に投票所でもらってからというもの、娘は四六時中飽きずにそれで遊んでいた。
「美優ちゃんは本当にいい子だね」娘のその様子を見て、向かいでクッキーをつまむ彼女は感心している。「ゲームやスマホじゃなくて、紙風船でもこんなに楽しめるんだから。お菓子にも興味なし」
皮肉ではないとわかっていたが、わたしの表情が優れないと感じたのか、彼女はすぐに訂正した。
「あ、うちと全然違って羨ましいってことね。まず以てうちの夫がゲーム好きでしょ? だから子どももずっと画面ばっかり見てて。この前の学校の健診なんか、もうちょっと悪ければ眼鏡をかけるようだって言われちゃってさ」
彼女が娘を褒めたのが皮肉でないとわかっていたのは、彼女が夫と息子の趣味をしょっちゅう愚痴っているからだ。お茶に招いたときも、お互いの家族を連れて公園に出かけたときも、何かにつけて「もっと外で遊ばせたいのに」と不満を漏らす。
目の前の彼女以上に彼女の夫との付き合いの長かったわたしに言わせれば、確かに、彼は昔からゲームが好きすぎるきらいもあった。
「わたしも夫もゲームはしないし、テレビもそれほど観ないから。これから学校に上がったら、流行から遅れているって言われるかもね」
「いやいや、絶対いまのままのほうがいいって。同級生が持っているってだけでねだってくるようになって、イライラするだけだから。大人も子どもも、一度与えるとキリがない。ゲーム脳ってやつ! 頭の中がゲームでいっぱいになって、視野が狭まるの」
外で遊ばせたからといって、アナログのおもちゃで遊ばせたからといって、その子が感性豊かに育つと決まっているわけではないことは、母親になったわたしが充分証明しているはずなのだが。
でも、彼女のような考え方がわたしにないわけでもない。別の友人から伝え聞く子どもの様子から、自分の娘がお金のかからない遊びでも楽しめる純粋な心を持っているようだと、ほっとするようなこともある。婚期が遅れたせいで、その伝え聞く子どもよりも娘がずっと幼いために生じる違いなのだとわかってはいても、かすかに抱いてしまう誇らしい気持ちを否定できない。
「ねえ、美優ちゃん。紙風船見せて」
彼女に請われ、舌足らずな娘は「あい」とそれを手渡した。家族ぐるみの付き合いで何度も顔を合わせているから、わたしに似て人見知りな娘でも、母親の友人に対しては物怖じしない。
「へえ、紙風船の形は昔と全然違わないのね」
カラフルなそれを手に取って、彼女は感心している。
その「オバサン」臭いやり取りに、わたしも彼女も相応に年齢を重ねてしまったのだと実感する。夫婦揃ってわたしに会いに来て、彼女を初めて目にしたときには、わたしにはとても敵わない、キレイで素敵な人だと感動し、いろいろと納得したものである。いまとなっては、そうでもないのかもしれない。
宝物を差し出してしまって手持無沙汰な娘は、わたしのもとへと歩み寄り、ひっかくようにわたしの足を手でさする。
「ママ、たけんぼであそびたい」
娘はまだ「竹とんぼ」とうまく発音できない。
「あら、竹とんぼ!」わたしが娘に返事するより先に、ゲーム嫌いの主婦がまたも感心して声を上げる。「本当に美優ちゃんはレトロな遊びが好きなのね」
それも皮肉っぽく聞こえるよ、とは心の中でだけ指摘しておく。
お客さんがいるところで竹とんぼを飛ばしたら危ない、と丁寧に諭してみると、娘は少々ぶうたれて口を尖らせた。それでも紙風船を返してもらうと、それさえあれば満足なようで、再びひとりで戯れはじめる。
「いいなあ、うちの子なんて、竹とんぼで遊んだことないんじゃないかしら。というか、あの夫だってなかったりして」
自分で言って自分で笑う彼女をよそに、わたしは遠くへ思いを飛ばしていた。竹とんぼに、彼女の夫の彼のこと――たったそれだけのことが引き金を引いて、わたしが幼かったころの記憶を呼び起こす。
…Age: 17…
「あの家、キレイになるらしいな」
わたしの数少ない友人は、追いかけっこに揺れるランドセルを目に止めると、ふと、コンビニで買ったチキンで光る唇を動かした。脂ぎったチキンのために学ランの襟が汚れてしまいかねず、そのおそれに意識を向けていたわたしは、不意に発せられた言葉をはじめ聞き逃して、もう一度同じことを言うように頼んでしまった。
再度聞いてみても、理解は追いつかなかった。言葉の意味はわかっても、それが具体的にどのような出来事となって表れることなのか、さっぱり想像できなかったのだ。
「だから、掃除されるんだってよ、あそこ。ようやくキレイになるんだ」
ようやく、という言葉のおかげで、彼が小学生たちを見てこのことを思い出したのだとわかった。思えば、彼と歩くこの道は元来、最寄りの小学校の通学路にはなっていない。そこに賑やかな笑い声が響くようになったのは、ここ数年の話だ。
そう、それはほんのごく最近の話である。そして、もう数年も経ってしまった話なのである。
「それってまさか、あの人に何かあったってこと?」
「いや、そういうことではないらしいぞ。なんでも……そう、ナントカ執行とかいうやつで、もう放っておけないってことになったらしいんだ」
そのとき、自転車の前輪がぴちゃりと音を立てて水たまりに突っ込んだ。はっとして軌道修正し、ローファーまでをも濡らしてしまわないよう軌道修正する。彼との並べていた肩にも隙間が空く。
昔から勉強が苦手だった彼が言おうとしていたのは、つまり、「行政代執行」に違いない。難しい言葉には違いないが、身近に起ころうとしているそれを上手く言い表せないというのはどうだろうか。それを言うならわたしも、行政代執行が行われようとしていることを知らなかったし、それがどのような手続きで行われるものなのかも漠然としか理解していないのだが。
「あの家」がどこかも心得ている。ちょうど、わたしたちが歩いている隣の筋にある家だから、そろそろ、地図上では真横に来るあたりだ。しかし、違う道を歩いていても、その家の存在感を無視することはできない。隣家の向こう側に、夕日を受けて黒く浮かぶ異様な輪郭と、鼻の奥に感じる刺激とがその家の存在を、うるさいくらいに教えてくれる。無視したいと思っていても無視できない。
それでも知らんふりをする。
知らんふりをできるのは、それを知っているからだ。
「じゃあ、死んじゃったとか、入院したとかじゃないんだね」
ほっとした一言に、彼の眉は八の字に歪む。
「お前はどうしてかあのじいさんが好きだよな。心配することないだろ、あそこに住んでいて体調を崩したって、自業自得としか言いようがない」
正論である。
あの家の主人に同情する人は、少なくとも、自らの鼻でその刺激を受けたことがある人の中には、誰ひとりいないだろう。わたしだって、同情しているかと言えばそうとも言えない。心配と同情との間には、大きな溝がある。おじいさんがもし病に伏せったとしても、仕方のないことだと、報せを聞いて五秒もすれば忘れてしまうと思う。
「わたし、あのおじいさんのことは好きじゃないよ。むしろ、思い出したくない側の人だもの。ただ……人として心配しているだけ。あの家がキレイになるなら、おじいさんにとっても、みんなにとってもいいことだしね」
ふうん、と彼は退屈そうな返事をした。
わたしの答えがつまらなかったのと、半分息を止めながら歩いているせいだ。いま左に視線をやったなら、おじいさんのお城が目に入る。
わたしも、しばらく閉口した。
いつも、この時間を惜しいと思っている。時々しか会わなくなってしまった旧知の友と並んで歩く楽しい時間の最後を、このような形で黙って過ごすことになるのだから。その瞬間に会話を断ってしまうと、別れの挨拶をする分かれ道で「じゃ」と発するだけになる。
この日も同じだったが、きょうは特別に、彼は一言付け足した。
「お前は休みだろ? あの家が掃除されるの、見て来いよ」
あしたは開校記念日。平日なのにズル休みだと、あの家の話題になる前、彼はずっとわたしに文句を言っていた。
「行ってみても……いいかもね」
わたしの声は、彼の背中に届いていたか定かでない。