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「釣り銭です、お受け取りください」
私からお金を受け取ろうとした若い男は、その手を遮った。
「ああ、持っていっていいから」
「……ありがとうございます」
ここのところ金髪の彼の接客をする機会が多くなってきた気がする。近くの大学の学生のようで、以前から月に一回くらい彼を見かけることがあったけれど、来店の頻度はどんどん増えているようだ。週に一度くらいは彼の相手をするようになって、近頃は、南の人らしき彼の言葉の癖まで気になるようになってしまった。何より目がよく合う。
嫌な予感がする。
「あのさ、キミ確か木曜日は非番だよね」
ほらきた。
「ええ、確かに」
「お茶でもしない? いいところを知っているんだ」
「お断りします」
「固いこと言わずに」
「なるほど、どうりでたくさんいただいているわけで」
彼は短く「う」と唸ると、気まずそうに席を立った。
おとといきやがれ、勘違い野郎め。女性店員にチップを多く渡して口説こうなんて、男尊女卑も甚だしい。
手が空くと、すぐにチーフが冷やかしに歩み寄ってきた。
「結構イカしたルックスだったと思うけど?」
彼女はすぐ人のことを面白がる。でもそこが彼女の楽しいところだ。
「バカね、私はああいう奴が嫌いなの。好かれてもいないのに、好かれようとする奴。あまつさえ、きっと好かれるだろうと思っている奴」
「同感ね。ていうか、私はあんたの断り方を面白がっているのだけれど。何あれ、すごく笑える。お腹にじわじわくる」
「はっきり言ってやったほうがお互いのためでしょ」
そうじゃなくて、とチーフは手を振った。
「あんなの、誰かさんみたいじゃない。感染ったんじゃないの?」
「そう? むしろ逆だと思うけれど」
私はクソ真面目なんかじゃない。
まあ、少し前に比べて、己に忠実になったかもしれないけれど。
「ねえ、次にあれが来たら交替してよ。あれの相手はもうごめんだよ」
「ええ、本気?」
「大丈夫、今度はうまくやれるから。あのスケベ、チップが弾むわよ」
そのとき、彼が新聞を畳んだのが目に入った。お会計に向かわなければならない。
彼の座る座席はこの店一番の特等席だ。そこに座れば、優秀な店員が優れたサービスを提供してくれる。誰もが羨む最高の座席なのだけれど、残念なことに、それを知っている客はただひとり彼しかいない。
新聞を手提げ鞄に仕舞った彼は、私に三枚の札を手渡した。
「見ていたよ、さっきの彼との会話」
「あら、恥ずかしいところを。さすがにひどすぎましたか?」
「いいや、あれでいいんじゃないか?」
くくく、と堪えきれないように喉の奥で笑う。私もつられて、くすり。
「きょうは機嫌が良いのだな」
「ええ、今朝、パパの夢を見たので」
彼は少し目を見開いた。
「そうか。どんな夢だった?」
「旅行に出かけるときの夢でしたね。電車に乗っていました」
彼も若いころの父さんを思い出しているのか、懐かしそうに頷いた。
「楽しそうな夢だ。昔の思い出か」
「ええ。私、母さんには会えなくても、パパになら夢でいつだって会えるの」
釣り銭を用意して手渡そうとすると、持っていきなさいと止められた。礼を言って、ありがたく懐を温めさせてもらう。彼もようやく、この店のサービスに満足するようになったらしい。ひょっとすると、自分が厳しく育てたおかげだと、心の底でこっそり自慢に思っているかも。
美味かった、といつものように言って立ち上がる。
出口に向かう彼の背に、改めて来店の礼を言う。そのとき、私は彼がぽつりと呟くのを聞き逃さなかった。いまの短い会話の後で、きっとそう言いたくなるだろうと予想していたから。彼は私がまだその事実に気がついていないと思い込んでいて、しかも教えてやりたいと思っているくせに、気が引けて素直に伝えられないあまのじゃくだ。
「キミの言う父さんとパパは、別人だよ」