戦場の兵士
戦争は何故起こるのか。誰も戦争をしたくないはずなのになぜ、こうも戦争が引き起こされるのか。それを相棒のサムに聞いたら笑われた。
「そりゃ、おめぇ。戦争をすることで得する奴がいるからだろう。」
全くその通りだ。だったら誰が得をするのか。少なくとも俺は戦争で得をしていない。戦場に行って儲かるものではないし、負ければお手当も全て紙切れになってしまう。
「そうだね。ではまず、戦争を起こす者という事から考えてみよう。」
理論家でここに来る前は大学の助手をしていたらしい俺のもう一人の相棒、カリスが蝋燭の僅かな光で読んでいた本を閉じて俺の方に目を向けた。
「戦争を起こす奴ってったら、そりゃあ政治家だろう。我らが敬愛する大統領閣下って訳だ。」
サムはまるで得意げに鼻を鳴らすが、カリスはヤレヤレと肩をすくめた。
「私は大統領閣下が戦争をしたいとは思わないね。閣下は元々好戦的な方ではないはずだ。それに、閣下は取り立ててこの土地に由来のある方でもないし、ここの鉱山の利権を持っているのは副大統領の方だ。」
俺には難しいことはよく分からないのだが、ひとまずカリスの言う事に頷いた。おそらくカリスの言うことだから間違いではないのだろう。
「だけどよう。これから戦争するぜって国民に宣言するのは大統領閣下だろう。だけんども閣下は戦争をしたくないってんなら、始めたのは副大統領か?」
サムは納得がいっていない。直接聞いたわけではないが、サムは典型的な愛国主義者で今の大統領を殆ど愛していると言ってもいいほど敬愛している。
「君は単純な奴だな。いいかい、副大統領は確かにここの鉱山の利権を持っているが、20年前の大戦では前線の歩兵をしていたことは有名だ。そんな人物が戦争好きであるはずがないし、そもそも副大統領にそんな権限はない。」
サムは単純と言われて鼻を鳴らすと、残り少なく貴重な葉巻を取り出した。俺は何も言わずにサムに火をくれてやった。サムは一つ前の戦闘でマッチをなくしてしまっていた。ちなみに俺は酒を置き忘れてきた。珍しく上物が手に入って飲むのを楽しみにしてたのについていない。今頃俺のコニャックは仲良く敵兵の腹の中に収まっていることだろう。それを思うと敵に対する憎しみが少しだけ増えた。我ながら単純なものだ。
「副大統領じゃねえんなら。ひょっとして官僚共か?」
サムは官僚と言う言葉に一つのアレルギーをもっているらしかった。どうやら、昔付き合ってた女を官僚にとられたかららしいが。
俺は酒のせいで少しだけ逸れた意識を元に戻すとカリスの言葉を待った。
「その可能性はある。だが、我が国は共和制をとる民主主義国家だ。政治家や官僚達が何を考えても国民を納得させられないことには戦争を始めることは出来ない。」
「だったら、戦争をおっぱじめるきっかけは国民だってのか?」
「そうとも言える。しかし、ここで一つトリックがある。国民感情はいったい何に誘発されて起こる?」
それは、マスコミではないか。と俺が答えるとカリスは気をよくしてその通りと指を鳴らした。すこし気障な振る舞いだがそれがカリスに妙にあっている。
「さすがだ。まさにその通りだ。」
「オイオイちょっと待てよ。だったら、戦争はテレビ屋だか新聞屋が始めたとでもいうのか?そいつはちと強引すぎるぜ。」
「まあ慌てるな。何もマスコミが戦争を起こしたいから起こすとはいっていない。」
「では、最初の話に戻してみるか。そもそも、戦争をすることで利益を上げる物はいったい誰なのかと言うことだったね。」
戦争で直接的な利益を得る者、それは言う必要もない。俺たちの装備品を製造している軍需産業そのものだ。
「そうだね。私たちがもっているこの銃、かぶっている鉄兜、軍服、靴。それだけじゃない、缶詰に珈琲、煙草、マッチ、ナイフにフォーク、缶切りに至るまで。戦場ではあらゆる物が必要だ。そして、それを供給する産業は常にそれを供給し続けなければならない。そうでなければ戦争に負けてしまうからね。莫大な利益だ。こんなおいしい話はない。政治家、マスコミ、軍需産業、そして国民。どうだい?少し見えてきた気がしないか?」
やはりカリスの言うことは面白い。頭の悪い俺でもその四つが複雑な図形になってぐるぐる回っている様子が思い浮かべられる。それにしてもまあ、連中もやっかいなことを始めたもんだ。前線に出てこない連中はおそらく今頃本国でげらげら笑って金の海にダイブしていることだろう。
羨ましいものだ。俺もおこぼれに預かりたいね。
砲撃だ!という声が辺り一面に響き渡り、砲弾が空気を切り裂く甲高い音がそれに続いて耳に襲いかかった。どうやら敵の支援砲撃がこの壕を発見してしまったらしい。やっかいだな、先日機関銃兵が狙撃手にやられて機関銃ごとおさらばしたというのに。
明日には代わりの機関銃が届くらしいが、今襲撃されてはひとたまりもない。
「おい、行くぜ。」
サムは俺の方を無遠慮に殴りつけると、壁に立てかけてあった手動装填式小銃を担ぎ上げた。機関銃一座と小銃手100名足らず。何処まで持ちこたえられたものか。
「まったく、忙しいな。」
物入れから女の人の写真を拾い上げキスを交わしたカリスはそれを心臓に近い胸ポケットに入れると、手榴弾の数を確認した。カリスが持つ銃は俺が持つ物とは違い、黒光りする連射式の開放遊底型短機関銃だった。カリスは俺たちより階級が一つ上なので、新開発された短機関銃を優先的に配給されることになっている。
そのうち俺のような兵卒にも支給されるらしという噂だが、いつになることか。出来れば戦争が終わるまでに何とかしてほしい。
立ち上がり少し強張ってしまっていた膝や足首の関節を伸ばしながら、俺は二人に、この戦争はいつになったら終わるんだと聞いた。
「さあな、さっきいった戦争を起こす奴らが飽きたらだろう。」
面倒くさそうに鼻をほじった指で耳をほじり回しながらサムは前床で肩をトントンと叩いていた。
「もしくは敵が降参したらだな。」
カリスは薄汚れたメガネを服の裾でサッと拭き取ると、最後のチェックとして短機関銃から弾倉を抜きしっかりと弾丸が詰められているかを確認していた。
砲撃の轟音が少し遠ざかっていく、そろそろ俺たちの出番のようだ。
「今日も生き残ろうぜ!」
砲弾が飛ぶ音の後ろ側から何かが叫び声を上げてこちらに向かってくる。敵の歩兵集団がようやくお出ましのようだ。
俺はサムとカリスに銃剣先を掲げ、三人でそれを打ち鳴らした。
俺たちの戦場に乾杯!!そして、この戦争を起こしたクソふざけた奴らに呪いを!!
***
「まるで蟻の大群だなありゃあ。」
視線の先に群がる黒集団を眺めてサムがため息をついた。その襲撃はセオリー通り、太陽を背負ってやってくる連中は逆光で真っ黒に染まっている。蟻の大群というのも言い得て妙だと俺は思った。
「あと4000メートルほどか。数はおそらく1000をこえてるな。ご苦労なことだ。」
カリスの目利きが正確なら、こないだの2倍か。連中もそろそろ本腰を上げて潰しにかかっているようだ。
彼我の戦力差10倍。襲撃には3倍の戦力を用いることがセオリーだが、これは少しやりすぎだ。しかもこちらには機関銃が1台しかない。全滅は必至に思えた。
小銃を支える手が震え、照準と照星を上手く合わせることが出来ない。気がつくと膝までもが笑い始め足場の悪い地面に身体を固定することが困難になってしまった。
俺はそれを紛らわせるため隣に立って短機関銃をしっかりと抱え込むカリスに声をかけた。
もしもこの世界から戦争をなくそうと思ったらどうすればいいと思う?その言葉にカリスは驚いたような表情を浮かべると、少し考え肩を落とした。
「そりゃあ、戦争を起こす人類そのものを滅ぼさない限り無理だろうね。」
カリスは落ち着いていた。横目で少し見ると彼の銃口は一点固定されており全くぶれることがない。
嫌な話だ。俺は不快なため息を付くと射撃許可の号令を待った。手の震えはいつの間にか納まっており、俺の視界を邪魔するものは何もない。俺はゆっくりと遊底を後退させ、弾倉から初弾を薬室へ送り込んだ。
「せめて俺たちは生きてかえろうぜ。な?」
引き金に指がかかりそうになる俺の利き腕を横からサムが握りしめ、ニッと景気のいい笑みを俺にくれた。俺はサムのこの笑みが大好きだ。これを見ていると今日も明日も生き残れると思えてくる。
ああ、そうだな。と俺は答え、代わりに彼に戦争が終わったら内地でいっぱいやらないかと誘った。
「いいねぇ。三日三晩飲み明かそうぜ。」
「私も参加してもいいかな。」
俺の隣でそれを聞いていたカリスも笑みを浮かべていた。俺はもちろんと答え、銃を握り直す。敵はすぐ側まで迫っていた。
二人との会話を奥歯でかみしめ、俺は少しだけ希望を持つことが出来た。
機関銃が金切り声を上げ、着弾する音がまるでここまで聞こえてきそうな程の土煙を生み出していく。壕の側面に設置されたそれは、まるで敵の脇腹に槍を突き刺すように深く、深く進入していく。
絶え間なく排莢される空薬莢のチリチリとした音は否応なしに俺から冷静さを奪っていくように思えた。
俺は銃床を肩に強く当て直すと、汗で滑り引き金を握りしめてしまいそうになる手を何とか押さえ込みその時を待った。
敵はもうすぐ側だ。まだか、まだかと待ち続ける俺の背後から上官の「打ち方始め!!」の号令が妙に遠くに感じられ。俺はまるで条件反射のように引き金を引き絞った。
今俺の目の前で倒れ込んだ黒塗りの敵兵は俺の放った弾丸に当たったのか、それとも隣にいるサムか、それともカリスか。
そんなことを思う暇もなく、俺は素早く遊底を引き次弾を装填すると薄煙にまみれる向こうへとそれを送り出した。
***
自分が生きているのか死んでいるのか、一瞬それが分からなかった。敵が俺たちの射程に入り俺は仲間とともに射撃を始めた。
機関銃は一台しかなかったが、敵の数とその密度のおかげで着実に数を減らすことが出来ていたようだ。しかし、その次に来たもの。それは爆音と共に俺の視界と意識を切り取った。
何があったのか。側で倒れているカリスに、生きてるかと聞くと、彼は身体をもぞもぞとさせ何とか起き上がった。
「ああ、不思議なことに無事だ。メガネも割れていない。」
頭を打ったのか、鉄兜の上から両手で抱え込む姿は少し心配するが、特に目立った負傷もなさそうだ。
サムは何処に行ったのだろうか。俺は周りを見回した。そこにあるのは身体が吹き飛び二つに分割された胴体から臓物をまき散らしている上官、頭に風穴を開け意識の宿らない視線で空をにらみつける同僚。その他大勢の死骸が散乱し、とても生きている人間がいるようには思えなかった。
サムは死んだか。先ほど戦争が終わった時のことを話していたせいか。なら、サムには悪いことをしてしまった。
「おめぇの下だ。とっとと退きやがれ。」
肩を落としため息をついた俺の下から無遠慮な声がわき上がってきた。なるほど、馬鹿に柔らかい地面だと思ったら人肉だったか。
俺は謝りながらそこから腰を動かすと、サムは身体を起こし首を左右に振って身体の調子を確かめた。
「ふう、人心地付いたな。まったく酷ぇ目に遭ったぜ。」
どうやら身体に目立った負傷は内容だ。若干こめかみを切っている様子だが、大した出血はしていない。自分の顔を確かめることは出来ないが、俺も二人と大同小異だろう。
「生きているのが不思議なくらいだな。・・サム、煙草をもっているか?私の物はさっきのでどこかに行ってしまったようだ。」
カリスが煙草をほしがるのは珍しい。少なくとも俺がいる目の前では吸うところは見せたことがない。
「ねえよ。人に吸わせるぐれぇなら自分で吸ってるぜ。」
ああ、クソ!といいながらサムはまだ形の残っている壕の壁に背中を預けた。
それにしても、他の連中はどうしたのだろうか。生き残ったのは俺たちだけか?カリスは俺の様子を悟ると、
「司令部はここを放棄したようだな。いきなり後方から味方の支援砲撃を受けて敵は撤退。そのせいでここは壊滅。酷い話だ。これでは味方にやられたようなものではないか!」
まるで憤慨したかのような悪態をつくと、手袋で被われた拳で地面を殴った。
「あのときのでっかいのは味方の奴だったのかよ。畜生、俺たちをなんだと思ってやがる。」
俺たちは捨て駒にされたということだ。今思えば最前線に近い場所で100人程度しか配備されず、壊れた機関銃をすぐに補給しなかった辺り前の戦闘から既にこれは決定されていたことなのかもしれない。
やりきれないが、今は怒っていられるほど身体も精神も余裕はない。
「ひとまず夜になるまで待って、それから動くかどうか決めよう。暫く休むといい。」
カリスはそういって側に投げ出されてあった自分の短機関銃を引き寄せると作動チェックを始めた。調べると俺の小銃はさっきの衝撃で真っ二つになってしまっていた。後で使えるものを拾っておいたほうが良さそうだ。
「ちょっと失礼するぜ旦那。」
サムはそういうと、少し前まで上官だった男の亡骸から煙草とマッチを失敬するとぷかぷかと吹かし始めた。
それにしても腹が減った。もうどれぐらい食べていないのか。いい加減空腹で気が遠くなりそうだ。遠くなる気に任せて俺は寝てしまうこととした。存外眠りはすぐにやってきて俺の意識はまた途絶えた。
***
「サム、君には内地で待つ者はいないのか?」
「ああん?居ねぇことはねぇが。何でそんなこと聞くんだ?」
「いや、私はいまいったい誰のために生きているのか疑問に思ってね。」
「何でぇ。入隊の時に国家のためにこの命を使うって誓ったじゃねぇか。」
「あんなものは言わされているだけに過ぎないよ。真っ正直に国家のため民族のために生きることなど私には無理だ。」
「俺は国のために死ぬ覚悟はあるぜ。ま、犬死にだけは勘弁だがな。」
俺が目を覚ました時には二人はそんなことを話していた。どうやら二人は少し難しい話をしていたようで、俺が起きたことに気づくと会話を一旦止め、俺にパンくずと焦げたベーコンを投げ渡してきた。硝煙の匂いが酷くこびりついているが、そんなものが気にならない程度には慣れた。
「埃まみれだが、何も無いよりはましだろう。君は若いから食べておくといい。」
カリスの言葉に甘え、俺は10秒も立たないうちにそれを腹の中に収めてしまった。
「さて、移動しよう。君の装備品もそろえておいた。ひとまず平原を抜けて後方へ。司令室に出頭し保護を仰ぐのが一番だ。」
それはもっともな意見だが、使い捨てにした司令部がはたして生き残った死骸相手にまともな対応をしてくれるのかどうか。少し心配だったが他に頼る者はなさそうだ。敵の捕虜になるのはまっぴらだし、ここでのたれ死にするのはもっと嫌だ。
半日ほど眠っていただろうか。光のない平原と塹壕から見る星空は冬の澄み切った大気を貫く星光で埋め尽くされ、これが戦場でなければ一晩ほど眺めていたいほどだった。
「立ちな。この先に瓦礫になった街があるらしいから、休憩はそこでだ。」
オヤジ臭いかけ声を上げながら立ち上がったサムは、腰を何度かまわしながら俺の尻を蹴飛ばした。俺は急いで荷物を担ぎ、どこからか調達してきてもらった小銃を負い紐越しに肩にかけ、クリップでまとめられた予備の弾丸をポーチへとしまい込んだ。
休憩所の廃墟まで後20km程か。砲弾が飛び交う中を抜けるわけではないため少しは気が楽だが、道のりは遠そうだ。
俺は、小型で折り畳み式のスコップを杖代わりにして壕の壁をよじ登ると、遙か彼方で行われている戦闘の火を僅かに眺めると二人の後について足を進めた。
***
カリスが死んだ。あっけなく死んだ。
朝を待って崩れかかった廃墟の街に足を踏み入れた俺たちは、おそらく疲弊して注意力が散漫になっていたのだろう。
だだっ広い平原を歩くより、このような遮蔽物の多い市街地の方がよっぽど危険が潜んでいる。ここに来る前に上官に酸っぱく言われていたことを今更思い出すとは馬鹿な話だ。
足を痛めた俺が遅れるのを見かねてカリスは立ち止まり、大丈夫かといって振り向いた。一発の乾いた銃声と共にカリスの眉間に穴が空き、全ての力が抜けるようにその場に崩れ落ちた。
その時のあいつの顔を後になっても夢に見ることとなる。あまりにも突然で、あまりにも衝撃を受け俺は首根っこをサムにひっつかまれるまでその場で立ちすくんでいた。
サムには感謝しなければならない。今の今まで俺が立っていた所を一発の銃弾がはねて飛んでいったのだから。
物陰に潜み、サムは俺をようやく解放すると俺の両肩を強く叩きつけ、睨みつけた。
「カリスをやった狙撃兵は俺たちを見逃してくれはしねぇ。おそらく今も虎視眈々と狙ってるだろうよ。ここを生きて出たけりゃあいつをやるしかねえんだ。」
俺の肩を握りしめるサムの腕も震えていた。俺は小銃を握りしめ、しっかりとうなずいた。サムは、よしよしと言いながらそこらに落ちていた棒きれを取り上げると砂地の地面に簡単な地図を描き始めた。
「俺たちが居るのはここだ。分かるな。そして、カリスがやられたのはここ。それからこうビルが建ち並ぶ。」
サムは慣れた手つきでどんどん長方形のビルを描き出していった。
「あそこにいたカリスをやるにはどこから狙えばいい?ビルの上か?溝の中か?車の影か?」
俺はその中のただ一点を指し示した。破壊され、動かなくなった装甲車の下。カリスの額を打ち抜いた弾丸はそのまま突き抜けどこかへ飛んでいった。もしも上から狙いをつけたなら、銃弾は地面にめり込むか派手な音を立てて跳弾するかのどちらかだ。その音は聞こえなかった。そして、俺は突き抜けた銃弾が耳の側をかすめる音を確かに聞いている。
装甲車の下にいれば動きは悪くなるが、上からの攻撃から身を守ることが出来るし、正面からの攻撃も当たりにくい。それだけ狭い視野であれだけ正確な射撃をするのだ。おそらくかなり名のある狙撃兵に違いない。
サムはいい答えだと俺の頭をなでつけると、自分の小銃と共に残り少ない残弾を全て俺に預けた。
あんたは何を使うんだ?そう聞く俺にサムは、カリスから預かった短機関銃を叩いて、
「これからの相棒はこいつだ。カリスの分まで入ってる。俺の分はその小銃で払え。」
といってニッと笑った。
俺の小銃は、サムには秘密にしていたが、動作不良を起こしていた。どうやらサムはそれを知っていたようだ。
サムの小銃は、壊れた俺の小銃と違ってよく手入れがされている。元々頑丈で整備性のよい小銃だが、メンテナンスを欠かすとすぐに悪くなってしまう。よく手入れされた小銃を持つと何故か自分まで強くなった気がして不思議だった。
「とりあえず、太陽を背に出来るところまで移動するぞ。付いてこられるな。」
いったいどれだけ一緒にいると思っている。あんたがいけるところなら俺だっていけるさ。まあ、俺がいけてあんたがいけないところはあるかもしれねぇけどな。
「言うようになりやがったなガキンチョめ。」
サムは愉快そうに目を細めると、姿勢を低くし瓦礫となったビルの谷間をひっそりと移動し始めた。
俺の手元には手榴弾があと一つだけ残っている。これが何らかの切り札になればいいのだが。しかし、相手とやり合うとなればその距離は100メートルを遙かに超えるだろう。そんな距離で、しかも不利な体勢から装甲車の下の僅かな空間に向かってピンポイントに投げられるのであれば小銃など必要ない。いっそのこと、これを銃弾にして火薬の力で発射できるものがあれば、ひょっとすると戦場というものが大きく変わるかもしれない。俺はそんなことを考えながらサムの背中を追った。
俺たちはなるべく太陽を背にして装甲車に近づいていく。夜に廃墟を動き回るの危険だ。特に空気が冷えると音が遠くに届きやすくなる。俺たちは僅か数百メートルの距離を一日もかけて移動する羽目となった。
そろそろ冬がやってくるのだろうか。吐く息が白くなる夜の冷え込みはとても酷い。俺は、何とか息が白くならないように注意して装甲車を監視することとした。
それにしても見えない。相手が何処にいるのか分からない。俺は地面に這い蹲って必至に目を細めるが、そこにいるはずの場所には全く生き物の気配がしない。念のためそこら辺に落ちていた埃だらけの毛布を身体に掛け、顔には泥でペインティングしているがはたしてそれが有効なカムフラージュになっているかどうかは怪しいものだ。
「いたか?」
なるべく影から身体を出さないようにサムが俺の側にパンのカケラを置いたが、俺は身じろぎせずそれに手を伸ばすことも出来なかった。
「焦るな。お前がいるっていったんだ、だったらそこにいるだろうよ。いつか尻尾を出す。それまでの辛抱だ。」
サムは、それから少し離れたところに移動し短機関銃を分解し油にまみれたウエスで丁寧に機関部を磨き始めた。そこらに転がっていた味方の死骸から弾を多く回収できたのがご満悦なのか、サムは少し機嫌を良くしているように見えた。
だが俺は、その死骸のどれにも手榴弾がなかったことに少し引っかかった。使い切ったのだろうか。いや、この辺りに手榴弾を使った形跡は確認できない。ならば、行軍中の敵兵か残った味方が回収していったのか。それなら弾も一緒に回収していくはずだ。
何かおかしい。
なあ、サム。シモン・ザイケフって奴を知ってるか?静かで嫌に鳴り響く声を潜めて俺はサムにそう聞いた。
「ああん?そりゃおめぇ。それをしらねえ兵士なんざ単なるもぐりだろが。」
太陽が沈み、目標の装甲車の輪郭が闇の中に沈み始めた頃合いに俺は一度監視を中止し、サムの所へ匍っていった。念のため毛布を丸めて今まで俺が寝そべっていた所においておいた。
サムは賞味期限の切れた缶詰を俺の方に投げ寄越すと、泥が混じった水を口に含み眉をひそめた。
シモン・ザイケフ。戦場にいる人間なら一度は耳にしたことがあるだろう。敵国の伝説的狙撃手で現在も現役の軍人だ。昔読んだことのある本にはそう書かれていた。
火をおこすわけにはいかず、徐々に冷えてきた空気に身体を震わせながら俺は冷たいコンビーフをゆっくりと咀嚼する。不味い。腹をこわすことはないが、とにかくこの味はいただけない。ともかく何か暖かい物が食べられれば俺は今すぐあの狙撃手に打たれてもいいねと冗談じみて話すと、サムは声を潜めながら豪快に笑い、
「ちげぇねぇ。」
と俺の背中をばんばん叩き始めた。
物陰で今は風もないから煙草を吸うぐらいは大丈夫だろうとサムはどこからか手に入れてきた葉巻に火をつけると美味そうにそれを吸い込み始めた。少し良くない物の香りがするが、俺は放っておくことにした。
「おめぇはあそこにいるのがそのシモン・ザイケフだって思ってんだな?」
サムがやけに真剣な口調でそう聞いてきたため俺は言葉を発せずにただうなずくことで答えを返した。
信じたくはない。だが、その考えが頭の隅々にこびりつきはがれることがない。あいつは廃墟を生業として先の紛争では400人の敵兵を殺した。それも、僅か数日出だ。あいつを仕留めるためだけに派遣された狙撃兵小隊も全員死んだ。
特にエイシャ・ザカリエフとの一騎打ちはその後何度も映画にされるほど凄惨なものだったと言われている。俺も友人に連れられてその映画を見に行ったことがあるが、あれが本当に現実に引き起こされているとすれば、俺たちの命は風前の灯火のようにも感じられる。
寒さで感情すらも麻痺しているのだろうか。不思議なことだが、この時の俺は特に恐怖というものを感じていなかった。ただ、眼前の事態に途方に暮れるばかりで、陰鬱な感情も高ぶる感情も浮かんでこない。冷え切っていた。
それはサムも同じだったらしく、俺の答えを見てやつも、そうか・・、と一言漏らすだけで特に変わり映えのないように見えた。
おそらく、決着は明日。日の出から日の入りの間に行われる。俺は何となくそんな気がして眠りに就いた。この晩はとくに夢らしい夢を見なかった。
朝になって日が昇ると、辺りに薄い霧が立ちこめていることに気がついた。身体に付いた水滴のせいで嫌に冷える。くしゃみを出しそうになるが、俺は何とかそれをこらえると渇いた咽を潤すため思いっきり空気を吸い込んだ。あまり役には立たなかったが少し緊張していた俺の心臓には良い刺激になったらしい。
俺はサムを起こすと、昨日と同じように装甲車の監視に入った。
今日は昨日とは位置を変えることとし、使っていた毛布はそのままにして別のカムフラージュで監視できるポイントを探した。
出来れば霧が晴れる前に場所を移動したかったが、あまり早く動くわけにはいかず、ようやく納得できる場所にたどり着いた頃には霧は完全に風に流されてしまっていた。
太陽の光が強い、俺が聞いたことろによるとシモン・ザイケフは望遠鏡をつけたがらないというらしい。何でも太陽の光をレンズが反射するのを嫌うためだということらしいが、俺の小銃にも望遠鏡はつけられていない。
これなら五分五分かと思いたいが、そんな楽観論は霧と一緒に消し去った方が良いだろう。
サムが目を覚まし、俺の側までやってきていた。
「どうだ?」
と聞くサムに、俺はダメだと答えると、サムはまあそんなもんだなといって側に腰を下ろした。
影から出るなと言う俺の忠告を守り、サムも極力身体の動きを押さえ込んでいた。しかし、寒さで震える身体を押さえ込むのは困難だ。
冬の晴れた朝は本当に底冷えする。特にこの地方は雪こそ降らないもの気温の低さは国一番と噂されるほど寒い。
まだ冬口に入った程度だというのにこの寒さでは真冬では人が住めなくなってしまうのではないか、そんなふうにも感じられた。
ん…?俺は目を細め、小銃の照星からフォーカスを遠くへと映した。
何か、視界の端で動いたような。ただの風で揺らめいた布きれか?いや、今は風は吹いていない。ならば、重さに耐えきれず崩れ落ちた瓦礫か何かか?いや、それならもっと派手な音がするはずだ。
何か言いたげなサムを視線で制した俺は身じろぎせず、じっとそれをにらみつけた。
・・・・いた。奴だ。
奴は俺たちの方を見てはいなかった。その視線の方角からすると、どうやら昨日俺が置いておいた毛布の方に目をとられているらしい。
あれが役に立ったな。俺の口元は自然と持ち上がり、さっきまで平静を保っていた心臓は突然オーケストラのドラムのごとく早鐘を打ち始めた。
少しは落ち着け。ここで失敗をすれば全てが終わる。
俺はサムに指で奴のいる方向を知らせると、サムは何とか俺に聞こえる程度の声で、
「俺が向こうから奴を牽制する。その間にしとめろ。一発でだ・・・いいな。」
ああ、分かっているさ。ここで出来なければ何のためにカリスは死んだ。あいつの分はサムが、サムの分は俺が持つ。そして、俺の分は奴にくれてやる。カリスの敵だ。
サムはゆっくりと俺の側から離れ、十分離れた頃には派手な音を立てて走り出した。銃床を折りたたんだ短機関銃を腰に、前床近くに長く伸びた長い弾倉を前床銃把の代わりに握りしめ、走りながら射撃を始める。
サムの引き金コントロールはそれを初めて扱う人間とは思えないほど整えられていた。セオリーに従って三発ずつの点射は静けさに支配される廃墟の街に派手な雑音として響き渡る。
頼むぞサム、打ち落とされるな。
俺は、小銃をしっかりと握りしめ頬で銃床を磨き上げるほどにすり寄せ小銃を何とか固定させた。
本当なら柔らかい依託物に前床を置き、左手で銃床を固定したかったが用意できなかった。
硬いコンクリートの地面に肘が痛むが、それがかえって俺を冷静にさせているような気がする。
装甲板にサムが放った拳銃弾がぶち当たり、派手な金属音を立てて四方八方に跳弾する。奴には当たっていない。当然だ、奴のねらいをつけさせないため、サムは無茶苦茶に動き回り所彼処に弾をばらまいていることだろう。そんなことで当てられる奴がいたら、そいつこそ伝説の軍人といわれるに違いない。
しかし、それでも奴の注意を引きつけるのには十分で。奴の注意は完全に俺から外れた。チャンスだ。
風はない、大気状態も安定しているし太陽は今俺の背後にある。
全てのコンディションが完全に俺に味方をした。
俺ははやる気持ちを抑えつけ、引き金に指を載せた。通常の軍用銃と同じようにその引き金は暴発を防ぐためにかなり重く設定されている。俺は引き絞り、後1ミリで撃鉄が作動し撃針を叩く所まで持って行く。誰に教えられたわけでもないが、俺の指はそれを知っていた。もしもこれがシングルなりダブルのセットトリガーだったのならここまで緊張して引き金を引くこともなかっただろうが、今はどうでもいいことだ。
奴もまた引き金に指をかけた。その時、奴の身体の動きは最小となり小銃は身体を介して地面に接合される。
あばよ。俺はそれを言葉にしていたのかははっきりと覚えていない。
撃針が薬莢のリムをたたきつける音、リムの内部に蓄えられた雷管が炸裂し発射薬に火をつける。雷管に仕込まれた硝酸銀系感圧信管が硝煙の香りを俺の鼻孔に提供した刹那、更にバカでかい音が響き渡り少しだけ遅れて反動が俺の方に襲いかかった。
俺の意思を離れ持ち上がっていく前床を何とか体中で押さえつけ、飛翔する鉛と銅の円錐がどうか敵の脳天にキスをするよう祈った。
俺の祈りは聞き届けられたのだろうか。無煙火薬のニトロセルロースであったとしても銃口から立ち上る煙に一瞬視界が遮られる。サムの銃撃はやんでいた。あれだけ乱射しまくったのだ、どれだけ弾を拾っておいたと言っても20秒も打ち続ければ弾切れぐらいは起こす。
嫌に静かだった。
ようやく晴れた視線の先には大地を深紅に染め上げた骸が、装甲車という墓石の下に埋葬されていた。
ふう・・・・。俺は深い、深いため息をついた。無意識のうちに息を止めていたため、少し呼吸が荒くなるが達成感の前にはそれも些末な物に感じられた。・・・勝ったのだ。あいつが、伝説の狙撃手だったかどうかは分からない。今考えると、伝説の狙撃手があんな単純な作戦にやられるだろうかと疑問に思うが、俺たちが生き残ったことには変わりない。
サムは帰ってこない。気が抜けて腰でも抜かしたかと思い、俺は痛む身体を起こし彼の姿を探した。
もう身を隠す必要はない。火をおこすことが出来る。暖かい飯にありつけるかもしれない。それはおそらく天国に違いないだろう。どこかに酒でも落ちてないものか、それがあればサムと乾杯が出来るものを。ああ、そうだ。その前にカリスの亡骸を回収しなければ。あのまま道の真ん中で寝かせておくのは忍びないな。どこか場所を選んで埋葬してやろう。
サムは思ったとおり、ビルの影にへばり付いて息を荒くしていた。あいつが持つ短機関銃を見てみると、どうやら弾切れを起こしたのではなく機関部が最後の最後で排莢不良を起こしていたようだ。良く生き残れたものだ。あいつの運の強さには頭が下がる。
俺は大声でサムを呼びつけた。
サムは慌てて立ち上がると、
「ちょっと休憩してただけだ。」
と強がり、ゆっくりとこっちへ歩み寄ってくる。
ヤレヤレ、これで助かったか。カリスを失ったが、敵はとった。あいつも天国だか地獄で笑みを浮かべているだろう。
俺は肩にかけていた小銃を杖にしてビルの壁により掛かると、サムが寝ている間に懐から失敬した煙草を吹かした。
あいつは嫌にゆっくり歩いてくる。足を負傷したのか。
俺はサムの足下を確認するため、視線を下に下ろした。
−心臓が凍り付いた−
あいつの足下、少し手前。ピアノ線のような細いワイヤーが張られ、その先にある物は・・・。
サム!動くな!!!と叫びかけた俺の口は遅すぎた。
ピンッという乾いた音が響き渡り、その音の先に泳いだサム動きはあまりに遅く感じられた。
世界が粘度を増した。空気がへばり付く。時間が嫌に遅く感じられる。
−ああ・・遅かったか−
「サムーーーーー!!!」
俺の叫び声は轟音の彼方に消え去っていった。
何故、死骸から手榴弾だけ抜かれていたのか。その答えがそこにあった。
そして俺の意識は吹き荒れる爆風の中に消えていった。
***
俺はあの戦争で友人を二人失った。一人は学者のカリス、もう一人は炭坑夫のサム。二人とも個性的だったがいい奴らだった。
あの後爆風で気を失った俺が目を覚ましたのはどこかの病院だった。医者や看護婦が話す言葉が聞き取れない。敵国の捕虜になったことを知ったのは退院後捕虜収容施設に移された先にいた味方の兵士からだった。収容所の待遇は悪いものではなかった。外界から遮断され、行動も制限されていたが、最低限人間としての自由と権利は保障されていた。しかし、これならさっさと捕虜になってりゃよかったぜと笑う隣部屋の奴を殴り倒してその自由も奪われた。世話ねぇぜ、と笑う奴も殴ってやりたかったがこれ以上自由を奪われるのは嫌だったためやめておいた。
そして、終戦。俺たちは負けた。あっけない終わりだった。その日の談話室に珍しくラジオが持ち込まれ、何を聞かされるのか期待していた俺たちの耳に入ってきたのは、俺たちの国の大統領が敗戦を宣言する番組だった。何人かはこれで終わりかと肩の力を抜き安堵のため息をついていたが、中には涙を流して崩れ去る者や窓から飛び降り自殺を図る者まで現れて部屋は一時的に騒然とした。俺は、そのどれにも属さず、ただ冷めた眼差しで声を送り届けるスピーカーを眺めているだけだった。
今でも夢に見る、カリスの最後の表情。サムが吹き飛ぶ瞬間。それが毎晩毎晩同じ場面だけを繰り返す。
ようやく終戦処理が終わり、俺は本国へと帰された。戦争に負けたにもかかわらず、首都は戦争が始まる前の姿を保っており、帰還兵は暖かく迎えられた。
俺が伝説の狙撃手を打ち落とした英雄として新聞に載っていたことには本当に驚かされた。だが、そこにはカリスとサムの名は載せられていない。俺は、新聞社に抗議をしたが聞き入れられなかった。
父は俺を誇りだといい、母は俺が死ななかったことに涙を流して喜んだ。
あの戦争はいったい何だったのか。俺は、暫く抜け殻のような生活を歩んだが、ついには答えを見つけることは出来なかった。少なくともあの戦争は俺が好きになった人間をことごとく奪い去っていったものだった。だが、誰を憎むことが出来るのか。敵兵か?敵国か?俺の命を救い、好待遇で保護したのは敵国だった。母国は俺を切り捨て、銃弾のように命を使うことしかしなかった。ならば、母国を恨めばいいのか?それも何か違う。
少なくともあの二人が命を掛けて守ろうとした母国を恨むのはお門違いだと俺には思う。
ならば、何を恨めばいいのか。
それから数年後、俺は英雄という立場を生かして官僚になることを決意した。
かつてカリスとサムと話し合った、戦争を起こす奴、そして戦争を起こさせないための方法を、俺は俺なりのやり方でそれをかなえようと思った。
故郷の村に春が訪れた。