雪のゆく街角
夕暮通りに面して店を構えている石屋、壺茉莉堂は、開業したのがぼくの生まれるずっとずっと前。いつ建てられたのか知らないような、年代を感じる赤煉瓦に囲まれた外観がとても好きだったので、ぼくはここで働きたいと思ったんだ。
壺茉莉堂は石屋なので、店内にはいろいろな種類の石が置いてある。鉱石だとか、宝石だとか、岩石だとか、うずまきが挟まっているやつとか、透明なやつとか、曰くつきのものとか。その中には呪符――みたいな包帯――でぐるぐる巻きにされた丸い石なんかもある。これには値札はついてないようだけど、売らないって意思は伝えていないみたい。いったいどっちなんだろうと思って、ご主人さまに訊いてみると、
「買いたいと思う人が現れたら、これは売るよ」
「もしも現れなかったら?」
「そうだなあ。あそこの棚にでも飾っておくかな、魔除けとして」
呪符みたいなものに包まれている、どこから見ても妖しい石なんて、どうして魔除けになるんだろう、とぼくは首をひねるしかなかった。
ここで働くようになってわかったんだけど、この店にはときどきお客さまがめずらしい石を売りに来る。昨日は「月の水」がやって来た。
ぼくは月の水なんて石は聞いたこともなかった。というよりそもそもそれが石の種類なのかどうなのかわからなかったので、そのお客さまが帰ったあとに、ご主人さまに尋ねた。
「月の水、という水の石だよ」
「水の、石?」
聞けば、それはとても貴重なものらしく、ぼくなんかではとても手が出そうもない高値で取引されているんだとか。
「どんなものなんですか?」
「さあ。僕も初めて見たからねえ。なんでも、願いをひとつだけかなえると、そいつが持ち主に厄病をばらまくんだって。だから持ち主は願いをかなえたら早々にそいつを手放さないといけないらしい」
月の水、というきれいな名前からは想像できない副作用を持った石を、ぼくたちはものめずらしそうに見下ろしていた。こんな石が、壺茉莉堂にはたくさんあるんだ。
壺茉莉堂に勤めはじめて、もうすぐ1年になる。けれど、ぼくには今でもわからない、とても不思議に思っていることがある。
去年の秋の終わりごろのことだ。小さなバスケットを持った女の子が、壺茉莉堂にやってきた。
「こんにちは」
にっこりと花が咲いたような笑顔で挨拶されて、ぼくは一瞬戸惑い、それから「こ、こんにちは」と小さく返事をした。
「やあ、いらっしゃい」
ご主人さまはこの女の子と知り合いのようで、女の子に「元気だったかい?」と声をかけていた。
「はい、マユさまもお変わりなく」
「マユじゃないよ、摩尤だ。いいかげん覚えなさい。それとも、わざとまちがっているのなら怒るからね」
ぼくは彼女のことをはじめて知った。けれどご主人さまは前から知っている風だった。なんだかとても、淋しい気持ちになった。
それと同時に、ぼくは頭の奥でぱちんと音がするのを聞いたような気がした。
「彼はここで働いているんだ。明槻、彼女はトウ」
少女――トウは「よろしくお願いします」と丁寧に頭を下げた。そしてくるりとご主人さまの方を向いて、にっこりと笑った。
「かわいらしいお方ですね」
「君の好みだろうね」
「ふふ」
何やら怪しい会話になっている。ぼくは聞かなかったことにした。
「あの、トウ、さんとは?」
「うん? ああ、彼女とはもう……そうだなあ、十年の付き合いになるかな」
「もう十年になるんですね。はじめてお逢いした頃のマユさまは、それはそれは美丈夫でいらっしゃって」
「じゃあ今はなんなんだい」
うふふ、とトウは意味ありげな笑みを浮かべる。
とにかく、長い付き合いだっていうことはわかった。でもやっぱり、淋しい気持ちは変わらない。
そんなぼくをトウはやさしい瞳で見つめていた。ぼくはそれに気づいていない。
「ではマユさま、こちらを」
トウはそう言ってバスケットから何やら取りだすと、サラサラと何かを書きつけてご主人さまに渡した。
ご主人さまはそれを見ると、
「毎年ご苦労さまだね」
と言って奥へ引っ込んでいった。
ぼくは気になって、ちら、とトウが書いたものを横目で見てみた。するとそれは紙ではなく、掌くらいの大きさの薄っぺらい雲母だった。トウは知らずじろじろと雲母を見てしまっていたぼくに「ご覧になります?」と、それを差し出した。やっぱりなんの変哲もない、ただの雲母だった。
「これは何?」
「これは、わたしがこの町へ来ました、ということを示すものです。滞在証明証のようなものですね」
会話はそのまま途切れてしまった。ぼくはトウの言う言葉がよくわからなくて、どう返事をしようか考えていたからだ。
「え……でも、べつにそんなことしなくても、好きに滞在してもいいんじゃないの?」
ぼくの当然の疑問は、トウはにこりという意味ありげな笑みで止められてしまった。
しばらくして奥から出てきたご主人さまは、小さな水晶みたいなものをトウに渡した。
「ありがとう」
トウは蕩けるような笑顔をつくってご主人さまにお礼をすると、ぼくにもお礼をして迷いもなく店をあとにした。
ぼくは呆然と彼女の去った扉を見つめていた。結局トウがなぜここに来たのわからなかったからだ。
それから、ぱちんと弾けた音はだんだんと大きくなって、ぼくの胸のうちを包み込むように成長していた。ぼくは彼女の声をどこかで耳にしたような気がしてならなかった。
ご主人さまはそんなぼくを知っているのか、ちらりと横眼で見ると、くすり、と笑って、
「謎解きをしようか」
と言った。
元来ご主人さまは、肝心なことをいつまでも引っ張る性質がある。それからひねくれている。
だからぼくはそう言われても、しばらくお預け状態にさせられるんだろうな、と思った。それに素直に「お願いします」なんて答えるほどおとなではない。ぼくは仕方なく、そしてちょっとムキになっていろいろ考えた。
けれど、結局わからずじまいだった。
そして、夕暮れどきになって、店仕舞いの準備をしようと外へ出ると、いきなりぱっちりと頭がひらめいたんだ。
「ご主人さま、わかりました!」
とたんに嬉しくなって、ぼくは跳ねるように店の中に入っていった。
「やあ、めっきり寒くなったねえ」
ご主人さまは真っ赤なストーヴに手をかざして座っていた。
そして今年も、トウがやってくる。
彼女がやってきた夜の、窓の向こうは一面、銀世界だ。
おわり