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天魔虚空のガロピオルンド  作者: 美味な鶏
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空を飛ぶ少年



 ボールを持った生地たちが汗を流し忙しなく動き回っている。

掛け声とボールが床を打つ音が響く中、陸上部の生徒達は体育館の隅っこでストレッチに取り組んでいた。

陸上部は主に外で活動する部活動だ。だが、休憩などでいつもこの場所を貸してもらっていた。ちょうど今も、運動後のストレッチの真っ最中である。



『速報、速報ーーーッ!!』


そこへ慌ただしい、雑音混じりの大きな声が飛び込んで来た。

声の出所は、体育館に備えられた構内放送用の拡声器からである。


それを聞いた生徒の大半は、「またか」と怪訝な表情で視線をそらした。


新聞・放送部である。


新聞部と放送部が合併してできたその部活動は、報道と称した構内放送による情報拡散を度々行っている。

ただ、これがどうも他の生徒たちからの評価が悪かった。一度この行動が問題視され話し合いの場に上がったことがあり、その当時の彼ら曰く、

「情報をいち早く伝えるためには、紙媒体だけでなく、“声”媒体も有効である。我々は、この両媒体による校内全体への情報拡散を速やかに実施し、共有させる義務がある」

とのことであった。


他の部からすればそんなこと知ったことではなく、むしろ部活動中に集中を乱す邪魔者扱いである。

だが、活動として討論会でも認められてしまった以上、決められたことに口を出すのも潔くないので、無視するのが一番いいのだ。


『ーー発動機研究部が現在占領しているため、他の部がグラウンドの使用ができない状況である。これに反発した運動部数グループがバリケード前に押しかけ、発動機研究部へグラウンドからの撤退を求めている。現場は今にも闘争が起きかねない緊張状況が続いており、拡声器による抗議の声が絶え間なく上がっている。

状況が動き次第、我々の方から再度放送する』


だが、人によっては無視できないものも当然ある。

ちょうど水筒から水を飲んでいたリベカにとってはそうであった。


「は?! ちょっと持っーーゴホッ! ゴホッ!」


「発動機研究部」の名前が飛び出したと同時に咳き込んだリベカ。

口元を押さえながら音のする方向、壁に取り付けられた拡声器を見上げた。もうすでに放送は切られている。

新聞・放送部の拠点は文化部棟だったはずだ。そこから配線を回して構内のいたるところに拡声器を設置して放送している。文化部棟にリベカは入れないし、今の話を大まかに理解するからに、現場へ直行するしかないようだ。



部員たちには申し訳ないが、緊急事態である。

リベカは駆けつけなければいけない。


「ごめん、少し出るね。……私が戻らなくても練習再開してていいから!」


リベカはそう言うと、部員たちに背を向け慌てて体育館を飛び出した。






 身を刺すような冷たい風が吹き付ける。

リベカは寒さに身震いした。

身体の体温を上げようと、腕を大きく振りながら続く坂道を下っていく。


「あのバカ、今度は一体何を……」


リベカには幼馴染がいた。

幼馴染――彼はとにかく問題ばかり起こす生徒だった。

騒音や車両暴走による建物、幾度となく繰り返す器物損壊。かの有名な部活動棟間綱渡り事件や、つい1週間前には文化部棟の水道菅を破壊したばかりだ。


と言っても、それは全て彼一人の行動によるものではなく、活動ぐるみの犯行がほとんどである。


発動機研究部。生徒によっては名前を出すだけで嫌な顔をされるほど、その部活動の評判は悪い。


その一方で、彼らの能力の高さは有名であった。

学外でもその名前は知られており、町の大人たちからも一目置かれているそうだ。

自分たちの好きなことを追求し、結果を残していくことで大人たちから認めてもらえるなど並大抵のことではできない。


確かに、それは褒められるべき点かもしれない……


だが、自分たちがやりたいことを好きなようにやっていれば、他の人たちに迷惑をかけていいなんていうのは、まさしく自己中心的な考え方だ。

他の人たちの気持ちを全く考えず、成果を出せば周りが自然とついてくるなんてことを本気で思っている連中など、嫌われて当然なのである。



ふと、靴紐がほどけたことに気づいたリベカは足を止めると、しゃがんで靴紐を結び直すーー。



リベカが発研部のトラブルにわざわざ首を突っ込むのは、責任を感じているからである。

彼がこういう風になったのは、幼い頃から一緒にいたリベカの責任であると、ならば、リベカがこの事態に駆けつけるのは当たり前である。


もう片方の靴紐もキュッと結び、リベカは立ち上がる。


ふと、口を大きく開けて笑う彼の姿がまぶたに浮かんで来て、リベカは羽虫を払うように頭を振った。


――冗談じゃない。笑って済まされるなんて……!


リベカはお腹から息を吐くと、大腿にぐっと力を入れて駆け出した。






 坂道を下り切ると、小川が合流するように大きな本道に繋がる。

グラウンドへ行くには、この大通りを通らなければならない。

交通量の多いこの大通りは、今の時間帯が特に混み合い、どこを見ても生徒達の姿で溢れかえっていた。


 大通りの両脇には、大きくて古い木造の建物が悠々と建っている。

暗く湿っぽい色合いの建物で、重たい影を大通りにずっしり落としていた。

外壁には水道管が何本か這わされ、不自然に木材による増築を繰り返した後があちこちに見受けられる。


まるで要塞のように見えるこの建物が、生徒たちから部活棟と言われている建物である。


もともと別の用途に用いられていた建物ではあるが、大幅な改修の末、現在では学校施設として使われていた。


リベカから見て右手が運動部棟、左手が文化部棟とそれぞれ呼ばれており、名の通り、建物の中には棟に属する部室がぎゅうぎゅうに詰め込まれている。

ちなみに校舎も棟続きになっているが、そこは区別され校舎棟と言う呼ばれ方をしている。


 リベカは大通りを歩きながら、部活棟の間に吊るされている掲示物を見ていた。

両棟間に張られた何本ものロープには部活動勧誘の広告、学校行事の予定案内、運動部の地区予選突破の横断幕など……他にもいろいろな掲示物が見られた。なかにはタオルを干しているのも見えたが、あれは校則違反として撤去されるだろう。


「あれだ。あの周り、避けて通れないかな……」


リベカが見ていたのは、『討論会』と固い文字で書かれ、金色に編まれた刺繍と赤を基調とした一際目立つ厳かな雰囲気の垂れ幕であった。


耳をすますと、声や笑い声などに混じって、拡声器を通した明瞭の無い、耳に痛い雑音の混じった声が聞こえる。拍手音や怒声も聞こえる。


リベカはこの時間帯に大通りを使うのが嫌だった。

グラウンドへの通路がこれしかないのだから仕方が無いのだが、ここまで毎日混むのなら迂回路でも作ればいいのにと思っていた。


ーーなぜこの前の討論会で否決されたのか、これが納得いかない……


リベカは小さくを溜息を吐くと、改め周りの状況を見回した。


討論会に近づくにつれ生徒の密集が強くなっている。

狭い路道。生徒と生徒の頭の隙間から討論会の様子が見えた。



『貴殿らの行為は決められた“部活棟拡張”の規約を超えている。規定範囲以上の森の開拓……これは運動部側が私利私欲のために活動地を違法拡張をしている事実に他ならない!』


『資材が足りないから現地調達していると、何度も言っているだろうが。それが一番の理由だ』


討論会はテーブルを積み上げた台の上で行われており、その上では熱い議論が繰り広げられていた。

観衆は熱中し、腕を振り上げたり非難の声を上げたり大騒ぎである。

部活棟の窓やベランダからも生徒の姿が見え、建物からは<運動部ノ横行ヲ赦スナ!>とか、<無意味ナ討論ハ止メロ!>と墨で書かれた紙が数本垂れ下がっている。


討論をしている生徒の後ろには、<部活棟新設問題 ーー規定範囲外ヘノ森林開拓ニツイテーー>という大きな文字が見える。あれが今回の議題だ。


『詭弁を! 結果的に運動部側の活動地となるのは誰の目にも明白である……っ!

そうやって後先を考えずに新しいものを次々獲得しても、やがて管理できなくなるだけだ! それが分からんのか!』


『分かってないのは貴様の方だ! 我々は先を考え効率的に物事を進めているだけだ。やがて必要になるのも考えればわかることではないか』


『必要だと? ここに集まった署名62名、全生徒の半数に近い反対意見が貴殿の目には入らんようだ。結局貴殿らは森の開拓を行っている事実を、そのような利己的な考えでしか語れないのだ。独断で行った理由はそれで十分だな?!』


『情報操作がお得意の政局が出した統計など当てにならんわ! 第一、貴様らは何がそんなに気に入らないのだ! 我々運動部の敷地が文化部に比べて広いのは、部活動内容から鑑みて仕方がないことだと、第122回討論会で締結されたではないか!』


『だからと言って必要以上を求めるのは強欲だ! 合理や理屈ばかりに偏執して、文化を軽視するのでは、道徳が薄れ争いばかりが起きる。それを防ぐためには、貴殿のその利己的な考え方から変えてもらわなければならんのだ!』


『言うことは立派だが、ならば貴様はこの問題にどう対処していくつもりだ? 

改善点すら提示せず否定ばかり……貴様は、”文化”を思考停止の言い訳にしているだけでないか!』


『論点をずらすな! ……貴殿のような勝手が、集団で生活する上で許されると思っているのか!』


『フンっ! 足を引っ張る、生産性を著しく鈍らせる無能な連中の言うことは違う。貧乏性は卑屈にしかならんな!』


『なんだとこのっ!!』

 

一方の生徒が今にも掴みかかろうとばかりに相手に詰め寄ったが、しかしすぐに周りの腕章をつけた生徒会の生徒たちに抑えられてしまった。


「やめろ! 離せっ!!!」


羽交い締めにされて舞台袖へ引きずられて行く生徒。賛成か反対かーー結論はまた流れそうだ。

興奮した観衆も一緒になって台の上まで登り始めており、事態の収拾はつきそうもない。



ーー今日はまた荒れてるなぁ。


リベカは他人事のようなことを思った。実際、他人事のようなものであるが……


建築予定の新部活棟の隣に、運動部が新しく運動場を作ろうと言うのだ。

決定したばかりの新部活棟案に、矢継ぎ早に運動場を作ると言われたら、それは文化部にとっては面白くない話である。


運動部と文化部は基本的に仲が悪い。

今回の討論会も、ある意味では運動部と文化部の戦争とでも言えるだろう。


そして、今からリベカが駆けつける場所。グラウンドで起きているのも一応は運動部と文化部の争いだ。

ただ、”あれ”はそういった次元の話でもないような気もするが……



リベカは路地に入り込むと、だいぶ人口密度が小さくなった歩道を走り出した。


リベカは建物と建物の間からのぞく、薄い雲が浮かぶ空を見上げた。

通路を吹き抜ける風がヒューヒューと唸っている。


ーーはたして、事が起こる前に間に合うだろうか。

大通りでずいぶん時間を取られてしまった。やはり迂回路は作るべきだ。


リベカの心配は積もるばかりだ。



・・・・・・・・・・・・・






ーーーードドドドドドドッッッ!!!!






 芝生で覆われている広いグラウンドには、たくさんの生徒が集まっていた。


服装は白シャツ、または詰襟とスラックスが多いが、中には紺系の作業服の生徒もいる。生徒らは各々、何やら興奮気味に話したり、忙しなく動き回っていた。


今から何か大きなことが起こる。


そんな予兆が、あたりを満たす熱にうかれた高揚感と、ひんやりとした空気に蔓延するピリピリとした緊張感から伝わってきた。




ーーーードドドドドドドドッドッ!、ドロドロロロ!!!!!




そんな中へ、不謹慎にも重苦しい音を響かせながら進む車両が1台、車輪で芝生を踏みつぶしてゆっくり進んできた。


生徒らは、向かってくる車両に驚いて、わらわらと横へと避けていく。


大きな流線型のバンパーが特徴的な黒い車両であった。

発研部の実験用(私用)車両である。


こんな人混みの中で車を走らせるのはいささか場違いであるが、車両はなんの迷いもなく人混みの中へとどんどん進んで行く。


しばらく進んだ車両は、やがて人混みの中のある地点でゆっくりと動きを止めた。

ペペペッ! と排気菅から黒い煙が噴き出し、発動機は音とともにその動きを停止した。


近くにいた生徒らはその失礼な車両に怪訝な顔を向ける。


こんな大事なときに、一体誰がこんなところへ車を持ってきたのか。

それも、こんな邪魔なところへ止められると、今後の進行に支障が出かねない。

生徒たちは険しい目線が、運転席へと向けられる。


ドアが開き、運転席から出てきたのは一人の少年だった。

彼は紺色の作業服を羽織りながら、片手を上げて周りの生徒たちに謝辞を述べる。



「失礼した。急いでいたのでな」


クリストファー=ペントレー。

彼は発動機研究部を束ねる部長であった。


メガネの奥の眼光は鋭く、愛嬌の「あ」の文字一つ感じさせない冷たさがあった。

未だ年端も行かぬ若造であるが、場の雰囲気にも一切動じない表情は、大人顔負けの雰囲気を持っていた。


発研部では強い能力主義が根付いている。一代で部長に成り上がった彼に対する部員たちからの信頼は揺るがない。

張り詰めていた場は、彼の登場で次第にほどけて行き、「頑張りましょう!」「向こうは任せました」と口々に称賛の言葉が行き交った。


クリストファーは同じく片手を上げてそれに応えると、迷いのない足取りで前へと歩を進める。


その時、クリストファーの元へ駆け寄ってきた一人の生徒がいた。

伝令係の生徒だ。クリストファーは挨拶する間も惜しいのか、顔を前に向けたまま要点だけを聞く。


「あとどれくらいかかるか?」


「あと10分ほどで準備は完了するとのことです」


「10分か。……おおよそ予定通りだ」


クリストファー腕時計に目をやると、わずかに眉を潜めた。


ーー計画の準備は着々と進んでいる、


先ほど気象部に赴いたクリストファーが計画続行を判断してから現在までに至る進捗は、とても順調のようだった。


部員たちもとてもよく働いてくれている。

後はやるべきこと、できるだけのことをやり、計画の成功を天に任せるだけ……

なのだが、一つだけ、彼らの頭を悩ませる懸念事項があった。



 クリストファーの目の前には、大勢の生徒の集団があった。


発研部に占拠されたグラウンドを取り返そうと、怒り狂う運動部の生徒が詰め掛けているのだ。


この計画は、グラウンドなしでは成立し得ない。

だから強行して占拠したわけであるが、これを奪い返されたとあっては計画は丸つぶれ。今までの努力は水の泡である。


グラウンドの貸与を運動部に直接お願いするなどもってのほか。

頭の固い運動部に話し合いを持ちかけたところで、議論にすらならず追い払われるのが関の山だ。


なので、今回のような強硬手段に出たわけだが、運動部から抗議が出るのは発研部としては想定内であった。



「今のところ運動部側に目立った動きはありません。3分後に開始される話し合いまでおとなしくしているようです」


生徒はそう言って拡声器をクリストファーに手渡す。

クリストファーはそれを受け取りながら、静かにため息を吐いた。


「見ろ、何人いるんだ。大げさな連中め。激情型め……」


「あははは……健闘を」

そう言って生徒はさっさと戻って行ってしまった。


部長の座にもつくと、こうやっていろいろなことを押し付けられる。

押し付けることよりも押し付けられることの方が多いということが、彼が部長になってみて一番意外な発見であった。


「なんて面倒くささだ」


クリストファーは皮肉げに口元を歪めると、淡々とした足取りで前へと進んでいった。





・・・・・・・・・




 運動部は、基本どの部活動においても先輩後輩の差が歴然とした年功序列・階級社会があり、かつ成果至上主義が深く根付いている。

グラウンドを使える部活動は人数が多く、学外における成果も芳しい規模の大きい部活動に限られ、例えばリベカたち陸上部のような弱小な運動部とは、同じ運動部とはいえ別物と言ってもよかった。


新部活棟の部室すら獲得できないのに、競争率・スケジュール管理が激しいグラウンドを使うなど、それこそグラウンドに足跡をつけることすら上の運動部員たちから「生意気な」と言われかねないほどだ。



と言っても、リベカからすればそんなことどうでもいいことである。


リベカは躊躇なくグラウンドへ足を踏み入れる。



「車があんなに。一体どこから……」


リベカは辺りをぐるりと囲む車両の列を見回した。

数にして10台ほど。大きな荷台が取り付けられたトレーラー車である。


そのトレーラー車は運動部の周りを円を描くように、狭い間隔で停められていた。

運動部が容易に発研部へ侵入できないように、壁として機能してい流のだ。


どうやってこれだけの車を用意したのか、気になる所であるが、これでは向こう側の発研部の様子が一切伺えない。


さてどうしたものかと考えるリベカの耳の側で、馬鹿がフルテンにしたような拡声器の恐ろしくうるさい声が鳴り響く。


『お前たちは、我々に許可なくグランドを無断使用し、さらにはグランドに対して甚大な損害を与えようとしている!! 我々はお前たち発研部のグランド使用に対し断固抗議する!!』


ハウリングのキーン! とした高音が耳に刺さる。


ここは音、熱気共に先ほど討論会とは段違いだ。


大通りはあくまで、様々な目的を持った生徒たちの通り道だ。

討論会の集まりといえ、関係のない生徒たちも大勢通行する関係上、彼らが緩衝材の役割になって場の盛り上がりを抑える効果がある。


だが、この場にそんなものはない。

拡声器で増幅された声が響き渡り、生徒たちが腕を振り上げ抗議の声を上げる。

共鳴、一体感は、彼らの思考を一つに集約していた。


そんな中リベカは、話しかけられそうな生徒に声をかけていく。

周りがうるさいので、会話のトーンもだいぶ大きめだ。


「知らん! グラウンド中にゴミを積み上げている連中の考えることなど、どうせろくなものではないのだ!」

「まずは話合いだ。ヤツラがそれにまともに応じてくれるかどうか、それが問題だ」

「やろうと思えばあんな連中など……っ! 容易く叩きだせるのだっ! だが我々はそれをしない! なぜならーー」

「誰だ貴様は、見慣れない顔だ! さては貴様、使用権を持っていないのにグラウンドの土を踏んでいるのか?! あの壁の向こうの根暗どもと同じことをしていると、理解しているのか?!」




「ーー教えてくれてありがとう。……それじゃ」


怒っている人の相手をするほど面倒臭いこともない。

要件を聞き終えると、リベカは逃げるようにその場から立ち去った。


聞き出した内容をまとめると、今回の事件の全体的な流れはこうである。


 放課後、突如グラウンドを占拠した発研部。運動部が到着した頃には、すでに車両による壁が建設され、グラウンドへの立ち入りができない状況になっていた。

占領した意図は不明。未だ発研部からの説明もないため、彼らの不安は溜まりに溜まっているとのことだった。


相手があの発研部で、説明もなしに突然自分たちの活動場所を占領されてしまったのなら、抗議するのも分からなくもない……


だからと言って、これは幾ら何でもやりすぎである。


目の前に詰めかける運動部の群れ。

これでは、発研部の元へすらたどり着くことができない。



ーー何かいい手はないだろうか


リベカはふと、自分たちをぐるりと囲んでいるトレーラー車に目をつけた。

近づいてみると、車と車の間には通り抜けができないようにロープがぐるぐると巻かれている。

通り抜けはできないが、よじ登って向こうに渡れそうだ。


深く考えている時間はない。こういうのは思い切りが大事だ。

リベカはロープに手をかけると、上へ向かって駆け登っていった。



吹き付ける風がリベカの2本のおさげを流水のように揺らす。


両手を不恰好にルーフにつけたまま、ひたいに滲む冷や汗を袖で拭った。

下では運動部たちが押して押されてひしめき合っている。

高い場所は得意でないリベカであったが、あそこにい続けるよりはずっとマシだ。


ここからだと両陣の様子を難なく俯瞰することができた。


照りつける西日に目を細め、リベカは向こう側に広がる発研部の様子を観察した。


車のタイヤ、イス、机のバリケードがあちこちに積み上げられている。

塹壕の真似事だろうか。この地域で塹壕とは、例の東部戦線を想起させるので不謹慎極まりないはずだが、それを軽々しくやってのけるとは、町の人たちが見たら大バッシングを受けること間違いなしだ。


バリケードの間を忙しなく奔放する生徒たちの姿が途切れ途切れに見える。おそらく幼馴染もその中にいるはずだ。


流石にこの距離では、誰が誰だか判別することはできない。

車と車の間を飛び越えつつ、リベカは前へと進んで行く。





「対決だぁっ! 連中を追い払うぞ――――――っ!!!」




 突如、空気をびりびり震わせる、力強く覇気のある声がグラウンドに響き渡った。


リベカは思わずぎょっとして足を止めた。

拡声器なしであそこまででかい声を出せる人間が他にいるだろうか。


運動部集団の先頭に立つ、体格も他の者より一際大きい生徒。

日に焼けた浅黒い肌、服の上からでも分かる胸筋の盛り上がりと、巨木のような太く逞しい腕。短い黒髪はかき上げられ、鋭い目つきと強面の表情は見る者を萎縮させる。


アサノシカ=ユウキは運動部側に向かって拳を突き上げる。歓声と拍手を浴びながら、彼は背を向けると勇ましい歩みで発研部との境界線へと進み出ていった。


「グラウンド管理責任者としての立場で、貴様らに話し合いを持ちたい!! 

発動機研究部の代表者は前に出よ!!」


空気を通すというより、叩きつけているのに近い大声が空気を震わせる。

彼を前にしては、発研部の生徒など風が吹けばしなってしまうそこらへんの雑草も同然だ。


一体誰が前へと出れるだろうか。


息を飲む音すらも聞こえるような静けさ、緊張感が発研部に張り詰めるその時、一人の生徒がゆっくりとした足取りでアサノシカの前へと進み出てきた。


『前にでよとは失礼な。本日は、この発動機研究部へわざわざ何用か、アサノシカ=ユウキ』


眼鏡をかけた細身の発研部員。作業服のポケットに片手を突っ込み、あっさりとした口調で拡張器越しにそう言った。


「クリストファー……貴様!」


『我々は忙しいのだ。用件なら後日伺いたいところだが……同期のよしみで、特別愚痴くらいは聞いてやろうか?』


あからさまな挑発である。運動部からは強い非難の声が上がる。

アサノシカの額の血管が痙攣し始めた。


「愚痴だとォ?! 我々を侮辱するのもいい加減にしろ! 貴様、一体今自分が何をやっているのか分かっているのか!!」


アサノシカの声量、形相はすごい迫力だ。

気圧された発研部の生徒たちは後ずさりしたくなる衝動に駆られる。


しかし、クリストファーの表情からはそういった感情は読み取れない。

表情は常に一定。

熱量の一切を受け付けない冷徹な態度は、崩れることを知らなかった。



「ただの野外活動である。発動機研究部へようこそ」



「ーー否ッッ!!! ここは我々の活動場所、我々のグラウンドである。それは周知の事実! それを貴様らは、無断で占領した。この車両は一体何だ!!」


アサノシカは運動部を取り巻くように広がる車の壁を仰ぎ見た。周りの運動部の生徒たちも同じように倣って車を見回す。


ちょうど車の上を這いつくばっていたリベカは慌てて身をかがめた。

こんなところで見つかっては大恥である。


クリストファーは目線を上げると、「あぁ……」と忘れていたという風に声を漏らした。


『我々の身を守るための壁か、あるいは猛獣を閉じ込める檻か……考え方の違いではあるが、後者の方が我々には心象が良い。解釈のしようは自由だ。貴様も好きなように捉えろ』

クリストファーの弁舌は安定感があり、この状況においても不思議とこちらが優勢であると錯覚させる。

だが、彼のその皮肉癖のおかげで、今までの討論がいい形で終結したことはほとんどなく、相手が誰であろうと要所要所で徹底的にこき下ろすため、暴動に発展することなど珍しいことでは無かった。発研部が嫌われる要因も、彼のその舌にあるところが大きいと言っても過言ではなかった。


「貴様は我々をおちょくってるのか!? いつも人を小馬鹿にしたような態度ばかりを取ってからに!! これ以上要領を得ない対話を継続する場合は、我々は強硬手段に出るぞ!」


場に緊張の糸が張り詰める。

一見追い詰められているのは運動部の方に見えるが、実際は発研部側も厳しいところであった。

窮鼠は猫を噛むのだ。


次の一手を間違えれば、発研部の計画は破綻する。

後ろの発研部員たちの表情は硬い。ここがある意味一番の正念場だと、部員たちはクリストファーを信じるしかないのだ。


運動部員たちの怒声、発研部たちの無言の圧力が張り詰める息苦しさの中、クリストファーは淡々とした手つきで作業服のポケットから一枚の折りたたまれた文書を取り出した。


『……まあいい。なぜ我々がここを活動場所として“使わせてもらっているか”だが、別に大したことでない。ここにある通りだ』


クリストファーは文書を開くと、アサノシカの目の前に突き出した。


『”施設使用許可願”。この度我々は、活動においてこの場が必要だと判断し、学校施設の一部であるグラウンドを借りることにした。これはその許可証明書だ』


アサノシカはそれを奪い取るように受け取ると、食い入るようにその内容に目を通した。


「校則だと……?」


『学校施設、周辺地域はあくまで学校側のものであり、我々部はそれを申請して活動権を得ている立場でしかない。本来であれば毎日提出するべきものであるが、学校長等教職員はご多忙につき、特別に免除されているのが現状だ。

だが、この度我々は学校長閣下から直々のお許しをもらってこの場を使わせてもらっている。

つまり、貴様らが今やっていることは活動妨害にあたる。よって我々は、校則に則り貴様ら運動部に対しグラウンドからの速やかな退去を願う』


運動部側の非難の声がより一層濃くなる。

本来退去するべき相手であるはずの発研部に、逆にここから出て行けと言われているのだ。彼ら運動部の心境は、とても穏やかなものでない。


「……なんて滑稽な屁理屈だ!」


『ああ、それに関しては同意である。だが、これは法規に基づいた事実。ご理解頂きたい。そんなことよりも、我々が今回、このグラウンドを借用した理由についてだがーー』


「そんなことだと!! ……笑止ッ! 貴様の空っぽな理論こそ無意味である! 

いいか、管理というのは場所を使うだけではない。草を刈り、石を除き、使いやすい状態を保ってやることだ。長きにわたりそれを続けた我々の文化を、土足で踏み荒らした貴様らのやってることは根本的に間違っている! それがなぜ理解できないのか!?」



『……我々は速やかな問題解決に向け、論理的で建設的な話し合いを持ちたいと考えている。感情任せの暴論、感情論ばかりでなく、問題の速やかな解決に向け、貴様らにも是非協力してほしいものだがーー』


「協力だと……っ! 信頼できない相手と協力が得られるか! クリストファー、その考え方はいつか身を滅ぼすぞ……!!」


運動部は抗議の声で溢れかえり、今にも決壊しそうな堤防であった。

もう会話の必要性はない。力づくで奴らを追い出せ! と、運動部の意思が徐々に固まろうとしている。


その様子を見た、発研部の生徒たちは互いに顔を見合わせ頷く。

この流れを今更止めることは不可能である。考えてみればしかるべき結果、予定調和ですらあった。

発研部はこの事態を想定して最善の防備を固めている。

後は彼らの部長の言う、やるべきこと、最善を尽くすのみである。


『もちろん、グラウンドの安全は我々が保証する。仮に破壊した場合は、その損害の埋め合わせはこちらでしよう』


「我々は礼儀の話をしているっ!!」




ーーーーーーーーーーーー

ーーーーーー

ーー






「おっかないなあ……」


リベカは肩をすくめた。

時々吹き付ける風に肝を冷やしながら、リベカは熱狂する広場を傍目に移動していた。


今や発研部との距離までわずか。

発研部員たちのの慌ただしい様子が、ここからだと良く見える。

車のタイヤやロープなどで作られたバリケードの隙間から顔を出した生徒たちが、運動部の様子を伺っている。それに、裏でこそこそ何かやっているようだ。


これだから今時の子供は大人から嫌われるのだ。


リベカは陽光が目に入らないよう、手で庇を作った。

地面の色があるところを境にして変わっている。刈られた草の山が所々に積もっており、今も草刈機を持った生徒が草を刈っている途中であった。


まさかこの期に及んで「グラウンド整備をしたのでこの範囲を発研部の活動場所として認めてくれ」とでも言うつもりなのだろうかーーそれはさすがにないだろうが……。




「あれは……」


刈られた草の上で、生徒たちが旗を振っている。


グラウンドの隣にある常緑広葉樹林に向かって、例えば車を誘導するように赤い旗をぐるぐる回している。


ーーあの林には何もないはずだ……


現地調査が主体の生物系の部活動くらいならあるいは使っているかもしれないが、人の立ち入らない特に何もない林である、


そこへ彼らは一斉に目を向け何かを待っているように見えた。



「まさか」

と、リベカが思った時だ。


林の中から転がり出てきた生徒が一人……続いてまた一人と、今まで全く気配のなかった林の中からぞろぞろと生徒たちが現れだしたのだ。


出てきたかと思うと、慌ただしく腕を振り回し声をあげ、手に持っていた旗をグラウンドの生徒たちの方へ向かって大きく振る。


その様子の一部始終を見ていたリベカは、直感的に悟った。


ーー幼馴染は間違いなくあそこにいる……!




リベカは足元のルーフに手を置きしゃがみこむと、窓ガラスの淵などを足がかりにして不器用ながらに降り始める。

降りながらも気になってしまうので、度々後ろを振り返ってはその様子を確認してしまう。


ーーーーバリバリバリバリッィ!!!!



発動機をかけたまま停車させた車両群、運動部集団の怒声、草刈機の音と、空気を引っ切り無しに叩くような音がやかましくあたりに満ちていた。


なんてうるささだろうか。慣れてしまった耳ではいちいち気にならないが、意識すると耳と頭が痛くなりそうだ。


リベカが地に足をつけたのと、林から”それ”が姿を現したのはほぼ同時であった。




 わざとらしく黒い排気ガスをぶちまけながら林の中から現れた”それ”は機械であった。生徒たちの旗による誘導に従って、ゆっくりとした速度で芝生の上を前進している。


「何あれ……」


車輪で移動しているようだが、そのフォルムからは車両には見えない。

円筒形をくり抜いたような胴体に、中心には大きな発動機を乗せている。発動機で回しているのはプロペラであった。

そして、胴体の両脇には2対4枚の翼があった。



「ん?」

「なんだ?」


リベカは走り始めた。


気づいた発研部の生徒が何人か声を上げリベカの後を追ってくるが、彼らの足はかなり遅い。それに、陸上部であるリベカに追いつけるはずもない。


リベカは機械へ向かって一直線に走っていく。





「この奇怪な音はなんだクリストファー! 貴様ら、一体何をしている!」


運動部部長のアサノシカは、どすの効かせた声でクリストファーに迫る。


この騒音の中でどんな聴力をしているのだろうか。

アサノシカはどうも、”あの”発動機の音を聞き取ったようだ。

予想はしていたが、悪いケースである。クリストファーの眉根が一瞬ピクリと動いたが、それ以上の反応は見せない。



そして、クリストファーがその問いかけに答えることはない。

クリストファーは背後の発研部員たちへ振り返ると、拡声器を向けて淡々と言った。


「さて・・・『只今より、<ダイダロス作戦・飛行実験>を開始する。各自、指定の持ち場につけ!』」


「なっ!」


『ここが正念場である。この計画の成功は貴様らの働きにかかっている。ベストを尽くせ。以上だ』


運動部側の意思を全く無視した上での言動ーーこれにはいよいよ、アサノシカの堪忍袋の緒が切れた。


もしや、発研部は話し合いを時間稼ぎくらいにしか思っていなかったのではないだろうか。クリストファーの一貫した、やる気の感じられない態度……

運動部を露払いでどうにかできると思って、随分と小馬鹿にしていたようだ。


ーーなんて奴らだ!


こうなれば強硬手段である。アサノシカは、後方に詰めかける運動部に発破をかけた。


「ええい!! 何としても奴らの目論見を阻止するっ!! 突撃だァ〜〜っ!!!

ーーんんんっ???!」


その時、1台の車両が「プップップ〜!」とクラクションとパッシングを繰り返しながら発研部側から進んできた。


身構える運動部たちの目の前で、車両はそのまま発研部と運動部が唯一行き来できた道を塞いでしまった。

そして、いつの間にか、クリストファーは向こう側に逃げていた。



なんてナメたことをする連中だろうか。


運動部からすれば、車を登っても侵入できたし、他にも方法はいくらでも考えられる。わずかな時間稼ぎにしかなりはしないというのに……こんなことをして、発研部は一体何を考えているのだろうか。



少なくとも、彼らが今やるべきは徹底的な抗戦だけである。



「「うおおおおおおおーーーッ!!!」」



アサノシカら運動部は、車両と車両とのわずかな隙間に詰めかけたり、車両を登って行ったり発研部への侵入をはかった。


発研部は待ち構えていたようにタイヤを積み上げたバリケードの隙間から放水砲の標準を彼らへ合わせ、「放水開始!」との合図で向かってくる運動部に向かって放水を開始する。





「うわあ……」


リベカは背後を振り返りながら呆れていた。

こういうのは見ているだけで血の気が引く。


流石の発研部でも、現れたのが不意だったのもあると思うが、女子であるリベカに向けて放水してくる者はいなかった。

タイヤのバリケードを迂回したり飛び越えたりと、陸上部のリベカとしては部活動でもやっている気分である。


見た目の派手さに反し、これらの障害物は本当に少しの遅滞効果しかないようだった(塹壕とはなんだったのか……)。

例の放水銃が障害の一番の主役のようで、発研部生徒たちが容赦なく顔面へと放水してくるため、運動部はなかなか前に進めずにいた。




 「それにしても、なんなんだろうあれ……」


リベカの目線はその機械に釘付けであった。


筒状の胴体の真ん中に配置された発動機、その動力でプロペラが回転している。あれが推力を生み出し、足元の3つほど小さな車輪で移動しているようだ。


それだけ見れば別にヘンテコな車両で話は終わるのだが、両脇の2対の翼のようなものは一体なんのためについているのだろうか。


まさか、空でも飛んで見せるとでもいうのか。リュウのように……



「バカバカしい……」


リベカは機械の頭頂部にある操縦席らしき場所に目を細めた。



 そこには一人の少年の姿があった。


帽子とゴーグルに隠れているため表情こそ伺えないが、リベカにはそれが誰かはすぐに分かった。


鈍重な発動機を乗っけて空を飛べるなど狂気の沙汰ではない。


飛行機械はウィンクルムではいまだに実現できない産物だ。

それをたかだか彼ら学生にできるとは到底思えない。



何より、危険な空を飛ぶこと自体が、もはや恐怖でしかないというのに。



「何してるのジャン!? そこから今すぐ降りなさい!!」


リベカは躊躇なく機械の進行方向に飛び込み、向かってくる機械の前で両腕を広げた。

我ながらとんでもないことをするものだ。だが、動揺と焦りからか、今はそれ以外に考えが思いつかなかった。


心拍が上がり、集中力が研ぎさまされる。時間がゆっくりと、引き伸ばされたように感じる。


その集中状態の中で、リベカは操縦する少年の顔を見たーー口角が上がっている。

発動機の出力が遷移して上がる音と、少年の瞳を覆う黒いゴーグルが怪しく陽光を反射するーー


「きゃっ!」


リベカは思わず脇に飛び込んだ。短く狩られた草が身体中をチクチクと刺す。


その背後を、片方の車輪を浮かして、無理やりカーブさせた機械が通過した。

浮いた車輪が地面に帰ってくると、ドリフトして軌道を修正する。根ごと掘り起こされた草、土ぼこりが立ち上る。



「来たぞ〜〜っ!!」


向こうで生徒の誰かが声を上げたと同時、発研部の生徒たちは大きく歓声をあげた。

作業服や学生帽が空を舞う。


発研部員たちは嬉々として、機械を追いかけて走り始めた。



排気管からボッボッと周期的なリズムで火の混じった黒煙を吐きながら、機械はその速度をどんどん上げ、やがて生徒たちを引き離していく。


その頃にはバリケードを突破する運動部も出てき始めていたが、あのやかましい音を立てて走る機械はすでに遠い。


風が翼の縁に沿って流れ、全体重量に見合う上方向の力が生まれた時、機体は地を離れ、やがてふわりと空中へと持ち上げられた。


飛翔である。



ーーミシミシミシィッ!!



「「ああ!!」」


それはとても短い飛行だった。

地上からわずか1メートル離れた飛行機械は、それ以上高度をあげることはなかった。


次の瞬間、機体は機首をガクンと地面に向かって落とすと、左方向へと大きくロールしながら旋回。やがて翼が地面に接触する。


骨格ごと弾け飛んだ翼は地面の上を転がり、向かってくる翼に恐怖した生徒たちがワラワラと横に避けていく。


片方の翼を失った機体は地面と逆さまに転がりながら墜落した。

黒い砂埃を巻き上げ、停止する機械。



全てが、あっという間の出来事であった。



 皆が呆然と立ちすくむ中、足を止めず真っ先に墜落した機械の元へかけて行くのは、リベカだけであった。




「ジャン! 大丈夫、ジャン!?」


心配や不安で胸が支えながらも、リベカは大声で彼の名前を読んだ。


あれだけ派手に墜落したのだ。無事でいられる訳がない。あたりには翼の骨格の残骸が散らばり、地面が抉れて露出している。


リベカはほとんど涙目になりながら、破片や残骸を踏みつけ機体の元へと走って行く。

もう一度彼の名前を呼ぼうとした時、ふと機械の操縦席に人の動く気配を感じた。


「いてててて……ベルトつけてなかったら危なかったなあ、こりゃあ」


少年は「ハハハッ・・・!」と一人で小さく笑い、それからゴーグルと飛行帽を取り外した。額の汗を腕で拭うしぐさを見せる。


リベカはふつふつと怒りが湧いてくるのを感じた。


人をこれだけ心配させておいて、冗談めかして笑っているのは一体どういう身分だろう!


「……何よこの様は!」


リベカは両手に握りこぶしを作り、どすの利かせた声を開口一番彼に浴びせた。


彼は逆さにひっくり返っている状態なので、リベカを見上げる形となる。

彼は驚いて目をキョトンとさせた後、にっと歯を見せて笑った。


「おう、リベカ。足早いな。あと顔怖いぜ」


「意味が分からない。……何で笑ってるの? 危うく死ぬところだったのよ?! それが分からないの?!」


「あ――悪かったよ……ブレーキが全く効かないんだ。車輪を小さくしすぎたのが問題だったなあ」


「そ・こ・じゃ・なくてっ!! 私が言ってるのは、なんでこんな馬鹿げたことやったのってこと! 本当に、あなたって人は……!」


リベカが言葉を続けようとしたとき、彼女らの背後から「お~い!」といいながら駆け寄ってくる人影たちがあった。


「オイオイ、大丈夫かよ!! 結構派手に墜落したぞ?!」


アサノシカは眉間にしわを寄せて言った。続いて、他の生徒たちが次々と走ってくる。



「おう、俺は大丈夫さ。ーーそれより、発動機だ」


ジャンノットは機械の後方部分を指して言った。発研部の生徒達は何やら話しながら、胴体の空洞の中に顔を突っ込み、発動機部分の状態を確認し始める。


「こんなことをする奴はお前しかいねえよ、ジャンノット」


アサノシカは神妙な表情でそう言ったが、ジャンノットは「ハハハ、褒めてんのかよ~?」と陽気に笑った。


「あ、今降りる」


ジャンノットは突然そう言うと、周りの生徒らの静止をまたずにベルトをはずし、地面に降りてしまった。


特に怪我もないようだ。

大きく伸びをすると、肩の筋肉をほぐすように腕をぐるぐる回しながら、他の発研部と一緒になって発動機の状態を確認し始める。


「オイル漏れなし、見た感じ目立った破損も無し。……まあ、後でちゃんと分解するけど、大丈夫そうだな、発動機は」


続いてジャンノットは、現場の写真を撮っている生徒やノートに書き込みをしている生徒に対して適宜指示を出していく。


あまりにもジャンノットのやることなすことが突飛なものだから、リベカは言葉に詰まりタイミングを逃してしまっていた。

ようやく事態の収拾が呑み込み始めたリベカは、作業中の生徒達を押しのけ、ジャンノットに勢いよく近づきその腕をむんずとつかんだ。


「ジャン! 今はそんなことは後回しでいいでしょ! それよりあなたは―――」


そう言って担架を指差そうとしたところで、運が悪いことにリベカの発言はまたもや遮られてしまった。



『状態はどうだ、ジャンノット。報告を求む』


背後から拡声器を通した大きな声。振り返ると、一台の車が走ってくるのが見えた。

クリストファーである。窓から顔を出し、拡声器を片手に運転しながらやがて近くで止まった。


アサノシカら運動部は、明らかに怪訝な表情を向ける。

こう見ると、発研部と言うよりはクリストファー自身が嫌われているだけのように見えるが、それはただ接点の多い幹部クラスの生徒から嫌われているだけの話である。


一般部員たちにとっては、部長であるクリストファー個人が何をしようが、「発研部」と言う名前を通してしか見えないし、そもそも問題が彼一人にあるかといえば決してそうではないからだ。



「やっぱり配置位置が良かったな。損傷がほとんどない」


ジャンノットは、車を止めて歩いてきたクリストファーにそう言った。

クリストファーは片手で機体に触れ、発動機を覗き込む。未だ残る熱気と排気ガスの甘ったるい匂いがムンと鼻につく。


「だが、結果は失敗だ。課題点は多い。何故こいつは飛ばなかったのか、今回の結果をフィードバックし、次の成功につなげよう」


ジャンノットは「そうだな、ハハハ!!」と笑った。

それから彼らは互いに握手を交わした。


発研部員たちから和やかな拍手が送られる。彼らも仲のいいもの同士で背を叩いたり肩を組見合ったりしていた。


いやはや、素晴らしいチームだ。


晴天のような若い向上心、今回車両や放水銃の貸し出しをした町工場の大人たち、休館日にも関わらず町の図書館を解放をさせられた職員たちもさぞ鼻も高かろう。


ジャンノットは気を取り直すようにパンパンと手を叩いた。


「さあ、こうしちゃいられない。日が暮れる前にダイダロスを工場まで運ぼう!」


そう言った時、ジャンノットの体が突然ガクッと傾いた。

その場にいるだれもが一瞬、彼が倒れたのではと思った。


隣にいたリベカが思いっきりジャンノットの腕を引っ張ったのだ。



「何がフィードバックよ! いいからあなたはこっち来なさい! ほら、担架に乗って! 保健室で何もないか調べてもらうまで離しませんから!」


「おいおいリベカ、心配しすぎだろ! 見ろよこの跳躍――――って痛い痛い! 耳は引っ張るなっ!!!」


そうして、リベカを先頭にジャンノットは担架を担いだ生徒達に運ばれ、グランドを去って行った。




 なんだかしんみりとした、寂しい空気が流れていた。


彼らは口にこそ出さなかったが、今回の失敗にだいぶ気を落としていたのだ。


運動部の生徒達はその雰囲気に当てられたのか、同情したのか去っていくものがいたり、やはり気が収まらないのか文句を言っている者もいたが、発研部員たちの表情は心ここに在らずであった。


だが、彼らにはやるべき仕事がある。

日が暮れる前までに機械の残骸を回収しなければならないのだ。



「これでも落ちるか……さて」

クリストファーは一人呟く。その思考は、すでに次のことに向いていた。

地平線に落ちていく太陽。すでに反対の東の空は暗い藍色が染まり始めていた。



「残念だったな。同情するよ」


声に反応して顔を上げると、アサノシカが仁王立ちで隣に立っていた。

クリストファーは面倒臭い感情を隠しもせず項垂れると、ため息を吐くように言った。


「なんだアサノシカ=ユウキ。見ての通り、我々は忙しいのだ。用ならあとで伺おう」


「まずは話合おうじゃないかクリストファー。今回のことをどう落とし前を付けてくれるか、もろもろも説明も含めてな」


「分かった。では後日伺おう」


「いいや、学生会は今回のことに説明を求めている……至急であると。召喚命令だ。一緒に来てもらおうか」


「学生会……?」


クリストファーは小さく舌打ちすると、諦めた様子で首をふった。

こればかりは逃げられないからである。


「物事には順番というものがある。まずは事態の状況確認を先にやらなければ、説明も何もできやしない。後日、報告書を作成し―――」


そう言うかいい終わらないうちに、アサノシカは近くの運動部の生徒二人にクリストファーを指差した。

クリストファーは彼らに腕をがっちりと組まれると、そのままグランドの外へと引きずられていく。


「ッおい! 何をする運動部! 無礼だぞ、貴様その手を離せ! 暴力反対だ!!」


「場所は学校棟の第1会議室だ。―――まったく、今日部活でやろうと思っていたことが何もできなかった……1日休めば戻るのに3日。3日も無駄にしてしまったではないか」



自分たちの部長が連れて行かれる光景を傍に、しかし他の部員たちは特に動揺することなく作業をせっせと進めていた。


彼らにはやることはたくさんあるのである。

そもそも、部長は現場ではあまり役に立たないのでいなくなったところで影響は無いのだ。

そうして、彼らのダイダロスの状態観察と運搬・回収の作業は日が暮れるまで続いていった。



後日、この事件はのちに、『発研部の飛行型動力機実験、失敗に終わる』という大見出しを付けた新聞が校内を飛び回り、数日間にわたってトップニュースとなった。




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