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迷った客~チェリスト ニルソン・マーク~

湖畔にある小さな土産物屋には今日も怠惰な雰囲気が流れていた。

ラジオからは薄く管弦楽が流れている。

店内の掃除に飽きたウォルトは倉庫の片付けに移行し、湖の微かな水音と穏やかな音楽という心地よい環境がいつものようにジョージをうとうとさせていた。

背中に大きな楽器ケースを持った六十代くらいの男が音もなく入ってきて、ジョージは目覚めた。

男は工作員という雰囲気ではなかった。

暗殺者だと直感した。

ジョージの経験上、暗殺を主任務にする人種は何らかの楽器の演奏家であることが多い。

演奏で各国に出入りできる上に凶器も楽器ケースに隠せば、ほぼノーチェックで持ち込むことが出来るからである。

暗殺者特有の微かな殺気を感じながら、ジョージは銃を引き寄せ、寝た振りをしながら客がカウンターに来るのを待った。


「起きてるんだろ。俺はニルソン・マーク。」


男はやや乱雑にエックスのキーホルダー二つとパスポートケースをカウンターに置いた。

ジョージは規定通り対応することにしたが、ウォルトを呼ぶことはしなかった。

この老齢の暗殺者が自らの後をつけさせるとは思えなかったし、万が一に備えて外にいた方がいいと考えたからだった。


「いらっしゃい。キーホルダーは間違いないかい?」


「いい湖だ。」


やはり、男はこの言葉を口にした。


「ああ。湖は何でも癒してくれる。傷心旅行かい?」


「まぁ、そんなところだ。軽くラッピングをしてくれ。」


ジョージはキーホルダーをカウンターの下に隠した。


「身元がバレたのですか。怪我はありますか。」


暗殺に失敗すると怪我をしている事が多いが、男は無傷だった。男は言い淀み、代わりにジョージに銃を向けた。


「いや、まだだ。だが、脱出に必要なものを用意してくれ。」


「しかし、それは規定違反です。ご用意は出来ません。」


ジョージは毅然と言った。潜入にコストをかけた暗殺者を簡単に帰還させていては割に合わない。

ジョージの引かない目を見て男は簡単に銃を下ろした。


「俺の対象を知ってるか。」


「いえ。知りません。」


「イリーナ・ルデルツカヤ。20歳。若いが同じような稼業だ。5歳で孤児になり、そこから工作員として育てられた。」


若いなとジョージは思った。ルニ民主主義国らしく、生まれてから全ての年齢を特殊訓練に費やされた女なのだろう。

「若い同僚にしてやられたと。」


ジョージの言葉にふんと男は軽く笑った。


「いや、対象についていろいろ調べてスコープを覗いたら撃てなくなった。もし、俺に子供がいれば娘くらいの年だ。いまからやり直しても将来がある人間だ。」


対象に情を移しての製品としてあるまじき任務放棄。

端的にいえばそれまでだが、ジョージは、ふと温かい血が通うように普段、麻痺している殺人への抵抗がふっと蘇る事があることを判っていたから責められなかった。2人はしばらく無言でいた。


「引退ですか。」


やがてジョージはつぶやくようにそう聞いた。聞くまでもない。引き金を引けない暗殺者は要らないのだから。

男は頷いた。


「ああ。もう、この稼業は続けられん。国でのんびりするさ。」


そうですかとジョージは新しいパスポートを出した。


「ありがとうよ。」


男は、それを受け取って言って踵を返した。

戦場の機微を吸い込んだその背中は小さく悲しげに見えた。

ジョージはあなたの代わりに誰かが送られるかも知れませんという野暮な言葉をぐっと飲み込んで男を送り出した。


「店長。何かありましたか。」


ちょうど男と入れ替わりでウォルトが倉庫の片付けを終えて店に戻ってきた。 


「いや、何も無いさ。片付けは終わったか。」


ジョージは何事もないように安楽椅子を揺らした。


「はい。チリ一つなく綺麗になりましたよ。」

「一つくらいは見逃してやれよ。」


ウォルトはキョトンとしたが、ジョージは気にせずタバコをふかした。

1週間後、20歳の新進気鋭の女性バイオリニストが殺された。

無論、辺境の土産物屋は、この件について何も知らない。

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