知らない客~軍人 サリーナ・レンブラント~
国境の小さな湖にある寂れた土産物屋にも夜は訪れる。
いつもの定位置で長めの昼寝から起きたジョージはいつの間にか暗くなった窓を見てウォルトに声をかけた。
「さて。そろそろ営業時間も終わりだな。」
「はい。店長。閉店前に軽く外の掃除をしてきます。」
とウォルトが入口のドアの前にかかる札をクルリと『クローズド』に変え、外に出ていった。
ウォルトはほんの3時間前にも外の掃除に行っていたが、閉店前に見回らないと気分が落ち着かないのだと聞いてからジョージが止めることは無い。
ジョージはタバコに火をつけた。これでジョージの店は営業時間外となるが、厳密に言えば、扱う商品が扱う商品であるこの土産物屋に営業時間は存在しないので、ウォルトが店の掃除をやめ、ジョージがカウンターの中の椅子ではなく二階のベッドで寝るかの違いでしかない。それでも、どこかで今日も客が来ず平和だったと思ってしまうのは、人間の性かもしれないななどと少し感傷的な気分にさせる紫煙がゆるりゆるりと立ち上っていく。
しばらくしてウォルトは一人、連れて帰ってきた。
迷い人とジョージはため息をついたが、面倒な思いは無かった。人里離れた所を歩きたいとこのあたりに来て迷う人は結構多い。こういう稼業をしているからこそ、困ってる民間人にも優しくするようにというのはジョージの信条であったし、それがウォルトに確実に伝わっていることも嬉しかった。
「店長。最後のお客様です。道に迷われたようで。」
ウォルトに連れられて現れた男は服装は薄い水色のポロシャツにベージュのパンツという街歩きのような格好には似合わない登山用の大きなリュックだった。一言もしゃべらないまま、男はジョージをじっくり見た。黒みがかった赤毛の短髪に黒い瞳。右目には涙ホクロが一つ。鼻筋がすっと通り、全体的に女性的な顔立ちに見えた。 身体も男性にしては華奢な体つきに見えたが、普段から鍛えているのか、無駄のない筋肉をしている。限りなく普通の人間には見えなかったが、ジョージに該当者の記憶はなかった。だから、何気ない動作でカウンターの下に隠した消音器付きの拳銃をズボンの背中側に入れたジョージは、ただの土産物屋の店主になり、笑顔を浮かべた。
情報総局の工作員でも退役間もない軍人でも、ことを荒立てず素直にお帰りいただくのが一番である。
「大変だったね。今、紅茶でもいれるから、遠慮せずに休憩していくといい。」
男はまだ何も言わないままだったが、それでも軽く頭を下げた。
男は店内をぐるりと見回した。
「Xのキーホルダーを二つ買いたい。」
ようやく喋った男の声は女のそれだった。
ジョージは驚いて、もう1度目の前の人間をみたが、女性らしい膨らみはどこにも無かった。
ウォルトに至っては、わざわざ女の前にひょいと顔を出したが、やがて頭をぶんと振ると、仕事を思い出したかのように、すっと女の真後ろに回り込んだ。
ジョージは土産物屋の店主の顔を保ったまま聞いた。
「これはイニシャル用のキーホルダーなんだが。X2つでいいのかな?」
女はウォルトが後ろに回り込んだことに気がついたようだが、特に意に介してはいないように見えた。
「ああ、ここは、逃がし屋じゃないのか。」
ジョージは大げさに笑って見せた。
「どなたにそんな事を?」
「では、銃を隠す土産物屋もいるのか。このあたりは国境警備隊がいるから治安は悪くないし、こんなショボい土産物屋を襲う物好きがいるとは思えないが。」
ジョージは微笑みを絶やさぬまま、後ろ手で安全装置を外した。
「お客さん、どなたです?」
「戦略特務大隊第3小隊のサリーナ・レンブラント曹長。」
戦略特務大隊とは破壊工作系の任務を行う本国の陸軍所属の部隊である。無論、表向きは存在しない。サリーナと名乗った女もそれに気がついたようでバツが悪そうに頭を掻いた。
「といっても認識票なんてないし。今、証拠を見せるけど、早まるんじゃないよ。左手だ。」
女は両手をゆっくりと上げると、左手を強調するように振ってから、腰のあたりに手を回すと銃を取り出し、カウンターの上に置いた。
AZ9。最近更新したばかりのら特殊任務者用の支給拳銃だった。市場には出回らない拳銃に、ジョージは背中の銃をカウンターの下に戻した。
「サリーナ曹長。話を聞こう。ウォルト、部屋を出せ。」
「店長。彼、いえ彼女を助けるんですか?危険すぎます。銃は拾ったってことも。第一、我々の管轄は情報部のみです。彼女の処遇は陸軍に任せるべきかと。付けられている可能性もあります。」
「特殊部隊絡みの事案で付けられているなら人家に逃げ込まれる前に始末するだろ。それに敵国に取り残される気持ちはあまりいいものではないしな。」
ジョージは女を例の隠し部屋に導くと椅子に座るように勧めた。
「ありがとうよ。でも、まだ完全には信用しない気持ちもわかる。任務について話すよ。どうせ、本国では死んでることになってるだろうし、あんたらもベラベラ話して死にたくはないだろうしな。」
「でも、特務大隊の奴らがどうしてヘマなんかしたんだ。」
女は苦虫をかみ潰したような顔した。
「任務はこの近くの軍用通信網を破壊すること。見張りを排除し通信施設に忍び込んで、機器をショートさせる。訓練を兼ねたような楽な任務のはずだったし、実際、機械をショートさせるまでは順調だった。でも、施設から出ると待ち伏せされていたんだ。裏切り者がいたんだろう。仲間は散り離りなって戦ったが、集合場所に逃げられたのは私だけだった。」
「なぜ、この店を知った?」
女は少し天井を仰いた。
「女の勘だな。ブリーフィングの時、司令官が、この辺りだけ詳しく触れなかったし、イニシャルの入ったカバンを注意されたんだ。そんなもの頼まれたって任務には持っていかないのに。で、何かあるなと思った。ここに入ったらイニシャル用のキーホルダーがあって、絶対使わない組み合わせを言ってみたら、銃を隠した店長と店員に挟み撃ちにされた。こんなところだ。」
思わずジョージから感心したようなため息が漏れた。女はクスクスと笑い、一瞬可愛げのある女の顔になった。
「普通の土産物屋なら道に迷った振りをして食事を貰えればラッキーだったが、まさか情報部の施設を引き当てるとは私もツイてるな。」
「しかし、本国に戻ればタダでは済むまい?」
「そうだろうな。作戦は失敗してるし、もう戸籍もないから、殺すのも楽だろう。そこでアンタらにお願いだが、私を第三国に逃がしてくれないか?」
「断ったら?」
にやっと笑った女はスイッチを取り出した。
「この店の前の道に爆弾を仕掛けた。使わずに済んだ残り物だが、こんな所で爆発騒ぎがあったら、すぐに軍が飛んできて怪しげな土産物屋を調べるだろうな。」
女の目は真剣だった。
しばらくスイッチを見ていたジョージがうなずいた。
「いい度胸だ。わかった。でも、情報部に来ないか?」
「情報部に?そんな簡単にスパイになれるのかい?」
今度はジョージがニヤリと笑ってスイッチを取り上げた。
「実地試験で合格することもある。それにこのスイッチは電池がないと動かないだろ。」
翌日、情報部に新たな製品が入った。それから、エリート街道を歩いていた少将が一人、辺境基地に飛ばされた。
無論、辺境の土産物屋がこの件について何も知るはずは無い。