よくある病を抱えた客~ジャーナリスト マリアム・ニールズ~
マイクが来た翌日ルーデル共和国とルニ民主主義国の国境にある小さな湖にある土産物屋に珍しく二日続けて、客が尋ねてきた。
客はかなり乱暴にドアを開けると、そのまま商品をひったくるように選び、息も絶え絶えにジョージのいるカウンターの上にXのキーホルダー2つにパスポートケースを置いた。
赤毛のショートボブ、頬にはソバカスがあり、150センチほどと小柄ながら、白いレースのカーディガンの下のグレーのタンクトップに隠された胸はその存在を大きく主張していた。
ジョージはしばらく女の身元がわからず、顔を見ていたが、やがて昨日マイクが渡した資料の中にいた女だと気がついた。名前はマリアム・ニールズ。職業はジャーナリスト。まだ、入国して3日も経っておらず、正式に活動を始めてから24時間も経っていないはずだった。それとなく外を見てみるが、他に客らしき影は無かった。それで、ジョージには全て納得がいった。
「いらっしゃい。キーホルダーに間違いはないかな間違いはないかな?」
「な、ないわ。い、いい、いい湖ね。」
女は青白い顔でたどたどしく言葉を口に出した。急かすような雰囲気が身体中からにじみ出ていた。
「ウォルト。他にお客さんはいるか?」
「いえ。店長。いないようです。」
「お願い。は、早くしてよ。」
「ウォルト。マリアム様を特別室へ。店番を頼む。」
わかりましたとウォルトが入口からも窓からも死角となっているキャビネットをずらし、隠し部屋を出現させた。
2人分の椅子と机、それから紅茶のポットが置いてあるだけの小部屋だが、キャビネットを閉じてしまえば、完全防音の機密室へと変わる。
「私の事、逃がしてくれないの?皆が私を疑っている気がするの。マンションの外も見張られてるような気もするし。」
「しかし、この店には君をつけてきた者はいない。従って、君はまだ当局からマークされてはいない。」
「でも、見張られてるわ。見張られてるの。マンションも仕事場も、もしかしたらマンションの部屋の中だって。」
女の目には堪えきれなくなった涙が浮かんできていた。ジョージは静かに首を振った。
「いいや。見張られていない。落ち着きなさい。マリアム。本国は君の訓練と入国に大きなコストをかけている。君だって訓練を突破したエリートだ。盗聴器の調べ方や尾行の撒き方くらい知っているだろ。」
「あ、あなたは。あなたは安全な所にいるからそう思うのよ。」
女はジョージの胸倉を掴んでそういった。ジョージは躱すことなく胸倉を掴まれたまま、女の目を見た。
これはダメだと思ったが、逃がすわけにはいかなかった。長期ビザで入っている人間を短期で出せば、怪しまれて、次に入る製品の審査がますます厳しくなる。
「とにかくジャーナリストの仕事は辞めて、しばらく観光客としてルニを旅行するのはどうかな?その間にじっくり当局の動きを観察すればいい。」
女の顔に少しだけ光が戻り、手を離した。
「でも、本国にはどう説明すればいいの?」
「それはこちらでやっておく。君はのんびり一月くらい観光でもすればいい。」
「ありがとう。いい店ね。」
女は生まれ変わったかのように生き生きとした顔で、店を出ていったが、見送るジョージの表情はどこか冴えなかった。無論、女はジョージの表情を読むことは出来なかった。
「新人は些細なことで精神的に不安定になりやすいといいますが、店長。彼女もそういうのですか?」
ジョージは頷いた。
一旦、任務に付けば誰も信用出来ず、常に死の恐怖と戦わなければならない。それで精神を保てというのは、どんなベテランでもなかなか出来ることではないのをジョージは身をもって知っていた。
「マリアム・ニールズは一月ばかり休暇を取らせると本国に伝えといてくれ。それから、ボート屋に彼女の護衛と行動監視を頼め。」
「わかりました。店長。しかし、つけられていないようでしたが、護衛は必要ですか?」
「こんな辺境に来た翌日から旅に行くんだぞ。当局もそこまでバカじゃないだろ。」
「流石ですね。こういうフォローしてこそのこの店ですね。」
と感心するウォルトにジョージは、守ってやれるのは外からの刺客だけだがなという言葉を飲み込んだ。
半月後、ルニの観光地のホテルでマリアムという新聞記者が死に、当局は自殺と断定した。
無論、辺境の土産物屋がこの件について何も知るはずは無い。
しかし、ジョージは珍しく店に花を飾った。