ベテランの客~国立科学研究所事務員 ニルソン・キース~
ルーデル共和国とルニ民主主義国の国境の小さな湖にある流行っていないその土産物屋に珍しく客が入ったのは夏に入ってすぐの夕暮れ時のことだった。観光には似つかわないスーツ姿の男だった。
夏といってもルニはそれほど四季がはっきりしておらず、少し高台にある湖周辺では余計に気候は安定しているため、ジョージは今日もいつものカウンターの中の定位置でうたた寝をしていた。
ドアの開くベルの音ですぐに記憶を辿ったジョージは、男がルニ国立科学研究所の事務員のニルソン・キースである事に気がついた。
ボサボサの頭に丸縁メガネをかけ、神経質そうにこけた頬、身体はひょろひょろと細い、見るからにひ弱そうな男だが、ナントカ道という東洋の武術を修めており、ウォルトくらいなら簡単に投げ飛ばせるのだと資料には書いてあった。
男は極々自然にXのキーホルダー二つとパスポートケース、それから湖に立つ小屋の絵の絵葉書をレジに置いた。絵葉書を見てジョージは少し面倒な客だと思ったが、顔に出さないように決められた言葉を使った。
「いらっしゃい。キーホルダーは間違いないかい?」
「ええ。いい湖ですね。」
「ああ。湖は何でも癒してくれる。傷心旅行かい?」
「まぁ、そんなところです。急ぎ目で軽くラッピングをして頂けますか?」
男がちらっとドアを見ると、スーツ姿の男が3人入ってきた。店には珍しいお客さんだが、ジョージは小さく舌打ちした。ウォルトが自分とは対照的に柔らかい笑顔で接客についたのを見て、ジョージはケースをカウンターの下に置いた。
「手早くやりますよ。」
ジョージはケースにアンドレ・ヨークという名前の中身を入れ、リボンをかけたが、この客には買い忘れたものがあると思った。
「ライターなんかもオススメだけど。どうだい?」
ジョージの言葉に男がニヤリと笑った。こういうことに慣れすぎた者の目だった。
「なるほど、そうですね。人に火を借りるのも迷惑でしょうから。」
「それがいい。うちのは火力が強めだから気をつけて。」
「ありがとう。いい店ですね。お釣りはとっといてください。」
「この先を右に行った道は街に戻る近道だけど、これからの時間は細くて滑落しやすいから気をつけな。」
男は笑いながら手を振って出ていった。置いていった紙幣のうちの1枚には文字とマイクロチップがあった。
他の3人も男を追って出ていくのを確認するとウォルトがため息をつきながらカウンターに手をついた。
「ずいぶん、手馴れたお客さんでしたね。この店に3人引き連れてきて、特に動揺してないなんて。」
「ああ。あれはすぐに別の任地に行くんだろうな。慣れすぎた頃が危ないともいうが。ボート屋に絵葉書を届けるように言ってくれ。」
「そんなもんですかね。」
絵葉書を受け取りながら、ウォルトは納得しかねるようにそういった。
「そんなもんよ。まぁ、無事に国境を越えられれば、俺らの知ったことじゃないがな。」
ジョージは帽子を目線まで落として、いつもの体勢でゆらゆらと揺れ始めた。
ウォルトは静かに店を出ていった。
その日、仕事の為に入国した貿易業アンドレ・ヨークは無事、母国へと出国した。その一方、国立科学研究所の事務員が運転していた車が細い旧道で滑落激しく爆発、炎上する事故が発生。また国立科学研究所の寮で火災も発生した。
無論、辺境の土産物屋がこの件について何も知るはずはない。