冬の朝ごはん
今日も早目に家を出る。と言っても別に真面目なわけじゃない。もう一秒でも長く家に居たくないからだ。朝食だって当然摂らない。
目覚める、着替える、家を出る。そんな感じ。
だから朝食代わりにたばこを吸ってく。お腹は満たされないけど心にしみるから……なんてね。
でも、国道の下を通るこの短いトンネルは、やっぱり何かを想わせるのに向いているようで、だから突然猛スピードで近付いてくる靴音は、アタシの寝起きの頭にガンッガン響いたわけで。
「おぉぉまえかぁぁぁ! 朝っぱらから風紀を乱す若者は! まったくもってけしからん! お前みたいなやつがいるから若者全般まとめてたるんでるみたいに……」
「うるっせえ!」
渾身の蹴りを入れたはずが、ひょいとかわされる。くそっ。
「あぶねえじゃねえかバカ! たばこは吸うわ暴力は振るうわ! そんなんだから昨今の若者……」
「なんなんだよてめえ! 誰だよ!」
人のお楽しみタイムを邪魔しやがって。
「俺は風紀委員! 左賀だ! お前の風紀を正しにきた!」
「は? 風紀委員……?」
見たとこどうやら同じ高校に通ってるみたいだが。
「うちの学校に風紀委員なんてもんねーだろ」
「いいや、ある! 俺が作った! まぁ、正確には……会」
「は? なんて?」
「風紀委員同好会! 悪いかちくしょう!」
そうだ。確かそんなんだった。
いまどき時代錯誤な風紀委員なんて流行らない。こいつは教師に頼み込んで無理矢理同好会なんてものを立ち上げたアホだ。当然部員一名。学校中で噂になってたから、一応アタシも知ってる。
「へー、そう。あんたが例の左賀なんだ。で、なんか用?」
「なんか用、じゃないっ! 貴様ぁ! とっととその有害物質を捨てろ!」
「っ!……てーなぁ」
はたき落とされ転がるたばこを踏みつけ、何故か持ってやがった大きなビニール袋につっこむ。ご丁寧にヒバサミまで用意しやがって。道ぶしんか。
「さあ! さっさと登校しろ! 何回か深呼吸して肺の中の空気を入れ替えとけよ!」
「かぁったりぃなあ……」
これ以上こいつと関わったらぜってー面倒だ。こういう手合いと上手く打ち解けられるわけがねぇ。
怒りを押し殺して、その場は大人しく学校に向かうことにした。
学校。それは、第二の寝室。
つーわけで寝る。
放課後。
どうせ何も無い。ただ、家に帰りたくはない。ゲーセン行って喫茶店行ってブラブラして。
気付けば九時を回っていた。
面倒くせえめんどくせえ。くっそだりい。なんたってアタシが割を食わなきゃなんねーんだ。
繁華街を歩いていたのはいいが、これまた面倒くせえことに見回り隊とかいうお節介野郎共が遠目に見える。補導、通報、生徒指導。めんどくせえめんどくせえ……。
気付けば路地裏の隅にまで追いやられていた。
「っとに……なんなんだよ」
やり場のないもやもやを煙に巻くようにたばこを燃やす。
どどどどどど……。
「まぁぁぁた貴様かぁぁぁ!」
「まぁぁぁたてめえかぁぁぁ!」
こんな時間にも関わらずピシッとしわ一つない学生服姿の左賀がどこからともなく現れる。
「なんなんだよお前こんな時間まで!」
「こっちのセリフだ! この不良! お前みたいな夜遊びさんがいるから風紀委員には寝る暇も無いんだぞ!」
「どうぞ勝手に寝てくれよ! アタシがどこで何してよーがお前にゃ関係ねーだろうが!」
「お・お・い・に、ある! うちの生徒全員の風紀を正してこそ、本当の風紀委員なんだ!」
知らねー! マジでめんどくせえぞこいつ。
「う、うるせーぞ同好会! アタシに関わんじゃねえ!」
「おい、こら! 逃げるな!」
もうこんなやつに構っていられない。迫り来る魔の手、もとい風紀委員の手を振り払い、ひたすら真っ直ぐ家へと走った。
なんであいつはアタシの居場所がわかるんだよ。
来る日も来る日も風紀委員、左賀との攻防は続いた。と言っても防戦一方だったのは認めざるを得ない。アタシがあいつに勝てることなんて、言いたくないけど一つもない。風紀委員「同好会」と強調して言ってやるぐらいの抵抗しかできない。それでもあいつ、結構気にしてるみたいだったからざまあみろ。
しかし最近、肌や髪の調子がやけにいいのは、まともにたばこを吸えていないからだろう。朝夕時間問わず、どこにでも(本当にどこにでも。例えば女子トイレの個室でも。律儀に三回ノックしやがった)現れるから、今ではむしろ吸おうと思わなくなってきた。あいつのおかげだなんてぜってー思わねえが。
「なあ同好会。お前はなんで同好会なんだ?」
「その呼び方はやめろ。風紀委員は俺にとっての使命なんだよ。何物にも代えがたい俺の……」
「語ってんじゃねえ同好会」
「甘いな! 不良の拳なんか止まって見えるわ!」
「く、くそ……」
「鍛え方が違うのだよ鍛え方が!」
いつからか学校でも話すようになった。友達がいないだけの一匹狼きどりの不良と、教師からも煙たがられる独りよがりのうざってえ風紀委員。なんて珍妙な組み合わせだと誰もが思っただろう。つーかアタシが思ってる。でも、左賀相手だと何故か会話が弾む。
「お前はどうしてそうふらふら出歩いてばかりいるんだ?」
「悪いかよ」
「いや、何か家に居たくない事情でもあるのかと思ってな」
「……あぁ、あるよ、悪いかよ」
「ん、そうか。すまん」
「なんで謝んだよ」
「誰しも悩みの一つ二つあるさ! 大いに悩め若者よ!」
「るっせえ!」
「うおっ! 今のは危なかった! だがまだまだヒヨッコよのう」
「なんで避けれるんだよ……」
アタシの人生の登場人物が一人増えたことによる騒がしさも落ち着いて、冬が来た。なんだかんだで高校三年、進路なんてめんどくせえことを考えなくちゃならねえ。左賀はどうするつもりだろうか。
……いやいや。
なに考えてんだ、アタシ。左賀がどうしようがアタシにゃなんの関係もねえっての。
「でもあいつ、意外と頭いいからな……」
大学、なのかな。
いや。
いやいや。
「別にアタシには関係ねー!」
昼休み。
いつもなら廊下で出くわすはずの左賀が一向に現れない。三十分も経とうというのに現れない。どうしたんだろう。
「……ねぇ」
「は! はいぃ! にゃんでしょ!」
「……左賀って」
「風紀委員は本日お休みでしゅ! 風邪をひいてお休みでしゅ! しゅみましぇんでしたあ!」
「え……ちょ、逃げなくても」
アタシってそんな怖い顔してるかなぁ……。ちょっと傷付くわ。左賀とクラスが同じならこんな気持ちになることもなかったのに。左賀のせいだ。全部左賀が悪いんだ。
それにしてもあいつが風邪をひくとは。熱血バカは風邪ひいちゃ駄目だろ。はぁ。
「久々にアタシ一人か……」
どんよりと重い午後の授業を終え、だるい体を引きずってやっとこさ帰路につく。体ってこんなに重かったっけ。なんだか今日は疲れた。早く帰って横になろう。
大通りを歩く気になれず、狭い脇道に入る。ああ、人気のないこんな道、昔は好んで歩いてたな。
……あいつがいないと調子が出ねえ。さっさと帰ろう。
「え、なん……」
「早く乗れ!」
声が出ない。体が宙に浮き、次の瞬間には車の中だった。猛スピードで走り出す見知らぬ車。遅れて閉まる後部座席のスライドドア。視界が白く染まる。見知った感覚。レジ袋だ、これ。腕と足がガムテープで巻かれていく。ああ。これ、あれだ。
誘拐だ。
「でさーどうするよこれ。身代金? やっちゃう?」
「ばーか。身代金の成功例なんて聞いたことあるか? すぐ捕まるっつーの」
「てきとーにアレしてバラしてポイじゃね?」
「だな! だよな!」
下衆共の汚ねえ会話が耳を汚していく。薄ら暗い部屋に投げ出されてからどれくらい経つだろうか。未だレジ袋は外してもらえないらしい。これからどうなるんだろう。……想像はつく。想像したことを後悔するほどに。どうしてこうなったんだろう。どうしたらいいんだろう。あ、そうだ。声を出せばいいんだ。声って、どうやって出すんだっけーー
「うっ」
「よー。寝てんのかと思ったぜ」
いきなりレジ袋が外され、むさ苦しい体臭と熱気と紫煙が鼻をつく。ヤバい系の男が一人。へらへら笑う男が一人。偉そうな男が一人。
見たくなかった。
「まだ? いいっしょそろそろ」
「まあ待てよ。どうせなら録画しとこうぜ。こういうのに金を出す物好きがいるんだよ」
「じゃあカメラだな! 探してくるわ!」
「お前一人で見つけられんのかよ。しゃーねぇ、俺も探すかー」
男二人が別室へ行き、偉そうな男とアタシだけが残された。舐めるような視線。不快、不快、不愉快。
「可哀想にな。つってもさらって来たの俺らだけど。ま、運命を呪ってくれよ。どうだ一本、景気付けによ」
そう言うと男はアタシにたばこを咥えさせ、火をつける。
「ベッド燃やすんじゃねーぞ」
言って男は雑誌を読み始めた。両手縛られてんのにどうやってたばこ吸うんですかね。くそ。
でもま、最後だ。最期の一服としては悪くないんじゃない。そんな風に思わなきゃやってられない。もうまともじゃいられないんだ。アタシはもう終わり。ばいばーい。あーあ。つまんない人生だったなー。なーんにもなかった。なーんにも楽しくなかったし、なーんにも面白くなかったし。つまんないアタシのつまんない最期にはお似合いかもね。はぁ。これが人生なんだなー。こんなのが運命なんだなー。夢も希望もありゃしない。救いのヒーローなんて漫画だけの存在なんだ。そんなもの現実にはいないんだ。誰もアタシを助けちゃくれない。助けるような価値も無いかも。そうか、そうだよ。アタシには価値が無いからこんな目にあうんだ。なんの役にも立たないし、人に迷惑ばっかかけるし。だから親だってアタシを嫌うし。よし、決めた、死のう。もういいや、死のう。思い残すことなんて何も無い。後悔なんて何一つ無い。アタシには何もーー
「……あぁ。こんな時こそ……助けに来いよ、クソヒーロー」
「ごめんくださーい。未成年の喫煙者がいるとの通報を受けて参りました。どなたかいらっしゃいませんかー?」
「……助けてください!」
気付いた頃にはもう遅い。そんなことはよくある話で、雪は止み、季節は初春を迎えていた。
あれからしばらく入院生活を送っていたアタシだけど、卒業式の前にようやく復帰できることになった。
「……よう」
「おー、同好会。元気だったか?」
「ったく……相変わらずだなお前は」
「そんなことねーよ。だいぶ痩せたんだぜ? 病院食ってマズいのな」
「ま、冗談を言えるくらいには回復したんだな。よかったよかった」
「なーんか投げやりじゃね?」
「そ、そんなことはないぞ! 元気になったからってまた風紀を乱されては困るからな! ビシビシいくぞ! こら!」
「なーに慌ててんだか……」
左賀は変わらず接してくれた。アタシにはそれが心地よくて、やっと自分の居場所みたいなものが見つかったような気がしたんだ。
そう言えばあの事件、聞いてみれば左賀のおかげで解決したらしい。なんでもアタシがたばこを吸わされたことで居場所を突き止めたようで、風邪で動けない自分の代わりに警察を呼んだという話だった。あいつには風紀委員レーダーかなんかが備わってんだろうか。
それで進路のことなんだけど、やっぱり左賀は大学に行くらしい。しかも県外の有名大学。アタシのこと追い回してたくせにちゃっかり勉強してやがったみたいだ。
「お前のレーダーってさ、有効期限とかあんの?」
「そんなことは知らねーよ。気付いたら備わってた能力だしな」
「軽くオカルトだよな……。でもさ、これからアタシ、たばこ吸うじゃん」
「吸うな。未成年」
「吸うんだよ。いいか? その度にお前は県外まで走って風紀を正しに来るつもりか?」
「うっ……それは辛いが……致し方あるまい……」
「致し方じゃねーよ。どんだけ強いられてんだ」
「風紀のためならなんでもするさ!」
「うるせえ。……だからさ、その」
「うん?」
「あ、アタシも連れてけよ、風紀委員」
まだ少し肌寒さの残る春風が、アタシ達の心を吹き抜けていった。