第42話「その町、僧侶不在につき…」
お香の匂いを漂わせながら、トースケはウエストエンドの町中を歩いていた。人に迷惑をかけないで死なない方法を探しているが、そんな方法があったら、この世界は仙人だらけになってしまう。
そもそもグールであるニトクリスはすでに娘たちに迷惑をかけてしまっている。満月の夜には無意識に子供を食べそうにもなるのだから、山や森に潜んでいるよりも誰かに監視されていた方がいい。
「はぁ……」
荒れ狂う海を見ながら、トースケは溜息を吐いた。
コマとウィンプスは町にいる獣人たちを探しに行ってしまった。
空はどんよりとしていて、気分は晴れない。
「随分、いい匂いをさせているけど、誰か殺したかい?」
ワインのボトルを買ったら、酒屋の女将さんが話しかけてきた。
「いや、もう死んだ人に頼まれたんです」
「なんだい、そりゃ? 幽霊にでもあったみたいなこと言って」
「幽霊だったら除霊してしまえばいいんで楽なんですけど、どうにも人に迷惑をかけちゃうタイプの死人みたいで……」
トースケは適当に煙に巻いてしまおうとボトルを受け取って、店を出ようとした。
「なんだ、ニトクリスの婆さんから依頼を受けたみたいだね」
酒屋の女将さんは、知っていたかのように言い放った。
「知ってるんですか?」
「知ってるも何も、この町には冒険者なんかめったに来ないからね。もうあんたのことも、泊まっている宿も知れ渡ってるよ」
小さい町の情報はすぐに広まるようだ。
「じゃあ、ニトクリスさんの状況も?」
「まぁ、塔を壊したのはあの婆さんだから、大人はほとんど知ってるはずだ。娘たちの気持ちを考えると、どうしてやるのがいいのか、私たちも考えあぐねているところさ」
「じゃあ、もう、どうしたって迷惑をかけてるってことですか?」
「迷惑なもんか、ニトクリスの婆さんのお陰で、病気になっても怪我をしても数日で治るし、突然湧く魔物も討伐できるんだ。娘たちも魔族の子孫として観光事業では、よくやってはくれてるけど、急なトラブルにはニトクリスの婆さんが必要だって皆、知ってるよ。たとえそれが死人でもね」
ニトクリスは町のためになっているようだ。
「だったら、話は早い。ニトクリスさんのことを知っている大人を集めてほしいんですけど、できますか?」
「それがニトクリスの婆さんのためになるって言うなら別に構わないけど……」
その夜、わざわざ休館中の冒険者ギルドを開けてもらい、大勢の町人が集まってくれた。
「お集まりいただきありがとうございます」
宿の一家には旅の仲間で飲んでくると言ってある。
目の前には、酒屋、鍛冶屋、漁業組合長、石工、魔道具屋、花屋に葬儀屋などが酒を少し飲みながら、座っていた。皆、過去にニトクリスの世話になった人たちだという。
「すまない。こんなに協力してくれる人たちがいるとは思わなかった。案外、ニトクリスも人望があるんだな」
コマが口火を切る。
「それで、俺たちはどうすりゃいい?」
「また塔を壊したときみたいに暴れられると困るけれど、いなくなられても困るんですよ」
「冒険者が来ないから、なかなか薬草も集められなくてね。ニトクリスの婆さんの薬に頼るしかないんだ」
各々、商売人たちが話し始めた。
「案は弟に任せてある。ほら」
コマはトースケの背中を押した。商売人たちの真ん中に立たされ、トースケはじんわりと背中に汗をかく。
「とりあえず今の状況を整理しておきます。満月になると、ニトクリスさんも意識を保てないほど興奮して暴れたくなるそうなんです。要は満月の晩だけ閉じ込めておける場所を作っておけばいい」
「この町には、そんな場所はないのよね」
「塔に閉じ込めても壊すくらいだから、ちょっとやそっとの建物じゃ無理だぜ」
花屋や石工が意見を言った。
「ええ、ですから棺に入れて海に沈めちゃえばいいんじゃないかと思うんですよ」
「……また、無茶なことを」
聞いていたジーナがぼそりとつぶやいた。
「無茶ですかね? 近海は波も激しいですし、暴れて棺から出てきても波が攫ってくれますよ」
「樫の木を使ってボルトで絞めれば、内側からは壊れないはずだ。むしろ岩礁にぶつかって壊れる可能性の方が高いぞ」
葬儀屋が棺について説明してくれた。
「待て、たとえ沈めることができたとしてどうやって引き上げる? 満潮になれば魔物だって出る日はあるんだぜ」
漁業組合長も危険性を語った。
「じゃあ、海底に固定できるようにして皆で引っ張り上げられるようにすればいいんですね?」
「そんな簡単に言っちゃっていいんですかい? 旦那」
ウィンプスは不安そうにトースケを見た。
「海底に台座を作って棺を嵌められるようにすればいいんじゃないか」
「台座って誰が海底まで掘りに行くんだい?」
「いや、せっかく石工さんがいるんだから、地上で掘って沈めればいい。結構重くても俺が持っていけばいいし、方向を変えるくらいなら泳いで海底まで行くよ。春ならまだ水温もそれほど冷たくないでしょう?」
「トースケ、引き上げるのはどうするんだい? そもそも波で動く棺を台座にはめ込むのだって難しいぞ」
ジーナがコップを棺に見立てて聞いた。
「台座に穴を空けるか滑車でもつけておけばいい。海面と海底の台座をロープの輪っかで結んで間に棺をつけておけば嵌るでしょ。井戸と同じような原理ですよ」
トースケは水中エレベーターを思い浮かべていたが、説明が面倒なのでやめた。
「ロープにウキをつけておけばいいのか。でも、切れないロープって結構値が張るんだぞ」
組合長はトースケの案が理解できたようだが、他の商売人たちはまだあまり想像ができていないようだった。
「大丈夫さ。金はニトクリスに出させる。自分のことなんだからね」
「だから月に一度、皆さんにはニトクリスさんを海に沈めて、引き上げてもらう仕事ができたんですけど……」
「満月の日は魚はあんまり獲れないから、それくらいなら船出すぜ」
「台座がどんなものかは知りませんが石さえ持ってきてくれたら、うちで台座は作りますよ」
漁師も石工も協力してくれるらしい。
「ロープに魔物除けの薬剤を浸み込ませておいた方がいいんじゃないかい?」
「棺の中を冷やしておいた方がいいのでは?」
「棺の中には酒でも入れておいてやろうか」
皆、なんとなく理解してくれたようだ。
「協力してくれる専門家が多いっていうのは、いい人生を歩んできた証拠だ。ニトクリスが羨ましい限りだね」
コマがつぶやいて、ワインを呷っていた。
「でも、あんたたち! 死なないからってニトクリスばかりに頼っていないで、教会も呼びなさい。私たち生命の研究者たちだって、何かの拍子に死ぬことだってあるんだからね」
コマの言葉に、町人たちは露骨に嫌な顔をしていた。
「トースケ、気が付いているかい? この国には教会が少ないんだ」
「あ、そういえばそんなに見てないね。なんで?」
「27年前、教会の過激な派閥がテロを起こしたことがあってね。ブルーキャピタルで6300人も被害にあったんだ。もちろん、過激派はすぐに解体させたんだけど、未だに残党が各地に残っていて活動をしているって噂さ」
「それ以外にも、何人もの牧師がいたいけな少年にいたずらを繰り返す事件もあった。愛を説く割に、犠牲を増やしてるんだよ」
「それにここは魔族の子孫がいる村だから、特に教会なんか呼びたくはないわけ」
コマとジーナが説明してくれた。
「なるほど。ただ、そうなると僧侶がいなくなるんじゃ……。あ! それでニトクリスさんみたいな人が重宝されるのか」
トースケは手を打って納得した。
「本当言うと、冒険者のプリーストが順番に回ってくれるといいんだけど、冒険者自体少ないから、やっぱり教会を頼るのがいいんだよ。どんなに知識層が薬学や回復術を修めても、本職じゃないんだから」
コマたちの話を聞いて、町人たちがお互いを見合わせている。
「大丈夫。今なら教会の僧侶たちも自分たちの立場がわかってるから、そんなに変なのは寄こさないさ。頼んでみるといい。よほどダメだったら、海で事故でも起こすんじゃないかなぁ……」
そう言って、コマは窓の外を見た。
過激派の残党や妙な性癖を持っていたら、海に沈めるということだろう。残酷だ。
「教会か。それも大事だ」
「とりあえず僧侶を冒険者ギルドに呼んで、ニトクリスの婆さんの棺作りでいいか?」
「はい。お願いします!」
石工に採石場の場所をトースケが聞いて、ニトクリス対策会議はお開きとなった。
宿に戻って、ニトクリスと女主人たちに計画を報告。3人とも驚いてしばらく声を出せなかった。
「……いいのかな?」
「これもニトクリスの長年かけて培った人望だよ。今さら断るのも悪い。ただ、少しロープや棺のお金は必要だよ」
コマはお香を焚いてあげながら、ニトクリスに話した。
「それくらいならいくらでも用意はあるけど」
ニトクリスは戸惑っていた。なるべく迷惑をかけないようにと、トースケに依頼したのに思い切り町人たちに迷惑をかけているのだから当たり前だ。
「町に住むなら、こうやって人に迷惑をかけられたり、かけたりするものさ。死人の研究者を受け入れてくれるなんて、こんな西の果ての村くらいなんだから、甘え上手なグールになりなよ。娘二人はどうだい?」
「町の人たちが、そんなに私たちのことを考えてくれているなんて思いもよらなかったから……」
「言葉にならないというか。ありがたいというか……。今まで満月の夜は、必死で母を止めていたから、見てくれていた人がいるんだと思って、なんだかこみ上げてきちゃった……」
いつしか生者二人の目から止めどなく涙がこぼれていた。魔族の化粧も薄れている。
「ごめんね。わがままな母親で……」
「いや、母さんだから町の人たちも受け入れてくれたのよ」
「そうよ。母さんじゃなかったら、私たちもバラバラにして魚の餌にしているわ」
まだ、棺すらできていないというのに、3人とも緊張の糸が切れたように表情は晴れやかだった。
「トースケはこんな優しく私たちの日常を壊してくれるのね」
ニトクリスがトースケにお礼を言った。
「いえ、俺はただ話を聞いただけです。まだ何もできてはいません。これからですよ」
月夜の晩に波の音が聞こえていた。




