第41話「その魔物、母親につき…」
朝から、目玉焼きとソーセージという理想のブレイクファストを食べ、トースケたちは旅の充実を感じていた。
「そう喜んでもらえるとこっちも嬉しいけど……。それよりあんたたち、随分と無茶な山越えをしてきたみたいだね」
女主人がトースケの隣に座ってお茶を淹れてくれた。
「ええ、まあ。憲兵には追われています。うちの姉が」
「先生は困った人だから、うまく立ち回らないと、憲兵に捕まっちゃうしねぇ」
「伝手を辿ってみるしかないだろうけど……」
話を聞いていたもう一人の女主人がトースケの前に座ってお茶を飲み始めた。2人とも、朝からちゃんと額と頬に化粧をしている。
「その化粧は魔族のものなんですか?」
「そうだよ。本当は魔力が溜まると体の一部が光り出すらしいんだけど、見たことはないからね。コマ先生に相談したら、『額か胸じゃないか』って言われて、胸は見せるわけにもいかないだろ?」
「昔はきわどい服を着て胸も見せてたんだけどね。観光客相手にはこれで十分さ。何年かに一度、遺跡発掘ブームって言うのがくるからね。そこで一気に稼いでいたんだよ」
観光客目的なら、こんなに朝早くから化粧をしなくてもよさそうだ。
「いただきます」
トースケはお茶に口をつけて、2人の女主人の化粧をよく見てみる。複雑な魔法陣にも見えるので、きっと意味があるまじないなのだろう。ただ、一々説明しないのはそれほど知られたくないということだ。突っ込んで聞いて、コマとの関係性を壊しても悪い。
トースケはズズっとお茶を飲んで窓の外を見た。
「え!?」
窓の外、中庭ではジーナが剣を振っている。誰かと戦うつもりだろうか。山にいる間は、早朝の訓練など見ていない。
「魔物でも近くに出るんですか?」
「どうしてそう思うんだい?」
「なんとなく……」
気まずい雰囲気が数秒流れた。
「あのラット族の子にトースケは魔物を殺さずに倒してしまうって聞いたけど本当かい?」
女主人のひとりがトースケに聞いた。
「そうですね。倒すというか追い返す感じですけど。殺したことはないと思いますよ」
魔物を殺してレベルでも上がったら、身体が爆散してしまうかもしれない。
「ふ~ん。そうかい、じゃあさ……」
そう女主人が言いかけた時、誰かが階段を下りてくる音が聞こえてきた。
「ふぁ~あ、よく寝た。ベッドってのはいいもんだね」
コマが肩を回しながら食堂にやってきた。寝袋生活が続くと、ベッドのありがたみがわかる。
「ん? あれ? なんだ? 私にも朝食を用意しておくれよ」
「ええ、今、すぐ作るから待ってて……」
「お茶も渋くなってきちゃったかしらね……」
女主人が同時に立ち上がり、動き出した。
「待ちな!」
コマの一言で、女主人たちが動きを止めた。外にいるジーナまで停まっている。
「トースケ、誰かになにか頼まれごとしなかったろうね?」
「してないよ。朝から、お2人が化粧をしてるから、なにかのまじないを隠してることと、ジーナさんが誰かと戦うつもりでいるってことは見ればわかったけど」
「よし。皆、動いていいよ。なんだ、トースケにはだいたいバレてるじゃないか。説明する手間が省けるね」
「いや、説明してもらわないとわからないよ」
トースケはコップにお茶を淹れて、隣に座ったコマに出した。
「この宿には魔物が住んでいるんだ」
そう言われて、トースケは周囲を見回したが、魔物の気配はない。
「食屍鬼とかグールとか呼ばれる砂漠の魔物なんだけど、なかなか死なないのさ。だから、海に捨てたり、山に埋めたりしたんだけど、どうしてもこの宿に帰ってきてしまう」
「なにかこの宿にあるの?」
「娘たちがいる」
コマは女主人たちを指さした。気まずそうにしながら、コマの朝食の用意をしている。
「え? じゃあ、2人とも魔物なの?」
「いや、この娘たちの母親は、生んだ後にグールになった。私と同じ研究者の仲間で、禁断の果実に手を出してしまったんだよ。人の寿命は短いからね」
コマはそう言ってお茶を飲んだ。仲間が魔物になったというのに、落ち着いている。
「コマは禁断の果実には手を出さなかったの?」
「出さないよ。同じ研究しても仕方ないさ。だから私は記憶と時魔法の研究をしたんだよ」
「そっか。で、今はその母グールはどうなってんの?」
「見に行くかい?」
「大丈夫? 俺、飯食ったばっかりだけど……」
「私はまだ食べてない。ちょっと地下室に会いに行ってくるよ」
「「はーい」」
女主人たちは返事をした。
コマは立ち上がり、トースケを地下室へと案内した。中庭で様子を窺っていたジーナはどうするか迷った結果、素振りを再開していた。
地下室へのドアを開けると、煙が立ち上ってきた。お香の煙のようだ。
「腐臭を隠してるんだけど、これじゃ息している私たちが酸欠になっちゃうから、しばらく開けっ放しにしておこう」
コマはドアを開けたまま、階段を下りていった。
「ニトクリス、いるかい? こんなにお香を焚いたら、入れないじゃないか」
「あら、コマ。顔を見せるのが遅いじゃないの? 待ちくたびれて、お香、たくさん焚いちゃったのよ」
煙の中から、娘たちと同じ化粧をした青白い顔の女性が現れた。見た目は娘たちよりも若く、30代に見えるが、白髪で目が大きく生気はないし、手が震えている。
煙が消えていくと地下室が魔石灯に照らされてはっきりしていく。ベッドと机、それから本棚に薬品が入ったビーカーなどの戸棚がある。香炉が部屋の真ん中にあり、煙を吐き出していた。
「研究者仲間のニトクリスだ。弟のトースケを連れてきたよ」
コマがそれぞれを紹介した。
「えぇ!? じゃあ、シノアの最終兵器って本当にいたんだ!!」
大きな目をさらに大きくして、ニトクリスは驚いていた。
「え~そうなんだぁ。なんか思ってたより、普通だね」
「でしょう。普通の冒険者やってたみたい」
「なんで~?」
ニトクリスはトースケを見て聞いた。
「いや、だってお金がないと暮らしていけないじゃないですか」
「「……なんで?」」
今度は研究者2人がトースケを見た。
「なんでって、そりゃあ、研究だけして暮らしていけないんですよ」
「シノアは研究成果を売らなかったの?」
「ええ、研究成果でできた薬は俺にしか使いませんでしたね。争いのもとになると思ったんじゃないですか? 副作用もわかってなかったですし」
「副作用って?」
「レベルを上げると、たぶん爆発して死にます。それはシノアじゃなくて、パールって霊媒師の長女に教えてもらったんですけどね」
「えぇ!? それはそれで不自由ね。じゃあ、もしかして私を殺せないの?」
「殺せませんよ。爆発しなくても殺したくないです」
「え~困るんだけど」
眉を寄せて言われても、トースケにはどうすることもできない。
「どう? ニトクリスはグールって感じしないでしょ?」
コマが言った。確かに魔物になった研究者とは思えないくらい明るい。
「そうだね」
「でも、腐ってるんだよ」
ニトクリスは服をたくし上げて、自分の身体を見せた。腹部が腐って、肋骨まで見えてしまっている。筋肉の代わりに白い弾力性のあるテープで固定しているようだ。
「この白いテープはなに?」
「アラクネの糸だよ。わざわざグリーンディアから取り寄せたんだ。経年劣化もしないからいいんだけど、余計に死ねなくなっちゃって」
「ああ。もしかして、コマが言ってた『死んで生きる』ってこういうこと?」
「これも一つの答え。でも、難しいんだよね?」
コマはニトクリスを見た。
「うん。元々、私は心臓が弱くて加齢とともに、限界が来てたのね。それでグールの心臓を移植して魔物化していったんだ」
ニトクリスは、どうやってグールの心臓を入手したのかは言わなかった。
「魔物になって力加減も変わるし、物も食べなくなるでしょ。徐々に、人の心が零れ落ちていってるみたいで、精神的にやられちゃうのね。今は薬のお陰で保ってるけど、初めのうちは娘たちと一緒に生活できないのが辛かったわ」
トースケは故郷にいたダンジョンマスターのサルバンを思い出していた。彼も元は人間だったが、ゾンビになって寂しそうだった。
「情緒も不安定になるから、塔を壊して暴れたこともある」
この町の塔を壊したのはニトクリスだったようだ。
「これ以上他人に迷惑をかけてもいられないから、娘たちに私を殺すように言って、何度か殺してもらったんだけど、どうしても無意識のうちにこの宿に帰ってきちゃうのね。娘たちにとっては殺したはずの母親が帰ってくるから、恐怖でしかないわけ。顔の化粧は厄除けのまじないよ」
「生きてもいないし、死ぬこともできないってことですか。別に意識があるならそのままでもいいと思いますけど。もしかして人を食べたくなったりしますか?」
「満月の時以外は、そんなことは思わないわ」
満月の時は思うらしい。
「でも、いつか私の中の魔物が無意識の時に、子供を攫ってきて食べるんじゃないかと思ったら、もういっそ殺してほしくて……」
実際に、漁の途中に怪我をして足を切断した人の足を分けてもらって食べたことがあるらしい。当たり前だが、消化器官が腐っているので、何も変わらなかったという。
「でも、ニトクリス、よかったじゃない? トースケが来たからには、もう大丈夫よ。これまでのことはなんでもぶち壊してくれるから」
コマが突然、そう言い放った。
「え? なんで俺が?」
「そうね。じゃあ、死なない方法か、人に迷惑をかけない方法をひとつ頼むわ!」
「いや、なんで、えぇ~!?」
「ニトクリス、言っておくけど無料ってわけにはいかないんだからね」
「わかってるわよ。コマの研究には協力するってば……」
研究者2人の交渉が始まる中、トースケは次女から逃げるかどうかしばらく考えていた。




