第39話「その魔法、悪魔よりしたたかにつき…」
「ああ、そうなんだ~! じゃあ、あんたたちも祖国に帰ったらいいよ。こんなところに隠れてたってしょうがないじゃないか」
ウィンプスが冬の間にネーショニアで起こったことを話すと、コマはお茶を飲みながら、周りの獣人たちにそう言った。
「そう言われても……」
助手のラット族の娘が困ったようにウィンプスを見ている。ラット族の知り合いのようだ。
「どうして何も言わずに王都から逃げたんだい? 水臭いじゃないか」
獣人たちの話が終わり、ジーナがコマに食って掛かった。
「ジーナはすぐ顔に出るからさ。それに案外、押しに弱いところがあるからね。かわいい新兵に詰められたら、出世させてやりたいと思って、話しちゃうかもしれないだろ」
「そんなことするわけないだろ!」
「どうだか。冒険者をやめたっていうのに、そんな恰好して、いろんなものがはみ出てるよ。トースケ、時々でいいから耳元で愛を囁きながらお尻触ってやって。だんだん年だから下がってきているんだ」
「うるさいよ!」
トースケがジーナの耳元で、ゆっくりいい声で「愛」と囁いて尻を触ろうとしたら、
「「そういうことじゃねぇ!」」
と、ジーナとコマにグーパンで突っ込まれていた。
「いやぁ、でも、そうか。やっぱりトースケだね。スノーレオパルドに行けばネーショニア問題を解決しちゃうんだからさ」
「いや、ネーショニアの獣人たちとパールに振り回されていただけだよ」
おしゃべりなシノアの次女は敬語なんて時間のロスだと、会うなりトースケに言っていた。
「じゃあ、私にも付き合ってもらわないとね。それで会いに来てくれたんだろ?」
「面倒事はやらないよ。先に言っておくけど、俺、レベルを上げたら死ぬんだ。だから虫も殺せないし、魔物を狩ることもできないからね」
「え!? そうなのかい? でも強いんだろ? 不思議な身体だねぇ」
コマはトースケの身体をべたべた触った。
「パールに調べてもらったら、血が爆発しちゃってさ」
「そうかぁ、それは魔物を倒さない方がいいかもね。でも、ここまではどうやって旅をしてきたんだい? 魔物にだって襲われたりしなかったのかい?」
「別に難しいことじゃないよ。押し返したりしてれば、いいだけ。いざとなったら魔力を使うし……」
コマはよくわからなかったのか、ウィンプスに説明を求めた。
「魔物の攻撃なんか、トースケの旦那には通りませんから。猫でもじゃれつかせているようなものです」
「ああ、防御力もそうか。魔力っていうのは?」
「魔力に殺気を込めると、周囲にいる者が重さや冷たさみたいな圧力を感じます。それでたいていの者は動きを止めてしまいますね」
「事実だよ。ハーピーに襲われたときに使っていたけど、ウィンプスしか動けなかったから」
ジーナも見たことを話した。
「旦那の魔力の前では覚悟がいるんです。突然、自分の死を突きつけられるんで」
「そうか。随分、研究しがいのある弟だ。ジーナとはもう交配してみたかい?」
「してないよ!」
「なんでも実験してみなくちゃわからないんだから、やってみたらいいのに」
「人の恋路を実験にしないでくれ!」
ジーナも反論していた。
「二人とも、まともな人じゃないだろ」
「コマ!」
「なんだ、そうかい」
ジーナにもなにか秘密を抱えているらしい。
「それでコマの方は今でも研究を続けているのか?」
ジーナが出されたハーブティーを飲みながら聞いた。
「もちろん、続けてるさ。私から研究を取ったら、ただの犬っころじゃないか」
「じゃあ、王都に戻るの?」
「いや、あそこでできる研究はもういいよ。トースケ、見てごらん。ほら、胃がなくなっちゃったんだよ」
コマは自分のシャツをまくり上げて、凹んだ腹を見せていた。ブルーグリフォンの研究者に恥の概念はないらしい。
「やっぱり範囲魔法を使うと体の一部が持っていかれちゃうの?」
「あ、知ってたの? そうそう、胃に腫瘍ができちゃってさ。手術が嫌だから、山登りして気晴らししてたら、大雨で大変なことになってね。村人救出してついでに広範囲の回復魔法を使ってみたら、胃をきれいさっぱり持っていってくれたんだよ。手術するときは魔法を司る悪魔に頼んだらいいよ。普通の医者より腕は確かだ。いるかどうかは知らないけど」
「腫瘍のために範囲魔法を使ったの?」
「そりゃそうだよ。だいたい、ケガしてるんだったら、回復薬の方が確かじゃないか。わざわざ広範囲の回復魔法なんて使わないよ」
コマが魔法を司る悪魔や憲兵よりはしたたかであることはわかった。もし悪魔がいたら、の話だが。
「自分と村人も治せて一石二鳥だったなぁ」
「王都から離れたこの場所で、なにかの研究を始めるつもりですか?」
ウィンプスが聞いた。
「いや、ここでは研究をしていたわけじゃない。王都じゃ獣人の奴隷をたくさん死なせちゃうから、逃げた方がいいんじゃないかと思って、ここに隠れ里を作っただけだよ。遠からずネーショニアの政権は崩壊すると思えたしね」
事実、政変はあった。自分の研究だけじゃなく、時世も読めるらしい。
「ここは棚畑もうまくいっているようだし、船を作ればいつでもネーショニアに密航できるわけだ。同じ獣人として私にできることはもうないね」
「行ってしまわれるんですか?」
助手をしていたラット族の娘が聞いた。
「そうだね。研究に戻るよ」
「どこに行くの?」
「ブルーグリフォン南西の群島に遺跡がいくつかあるんだ。魔族の塔がね。そこで実験したいことがたくさんある。トースケも協力してくれるだろ?」
「いいよ」
「よし。じゃあトースケ、私が旅の準備をしている間、村にある蓄魔香炉に魔力を溜めてあげてくれないか? 使い方はわかる?」
「わかるよ。前にも使ったことがある」
魔力を溜めておける香炉だ。村では水をくみ上げ、夜間の照明、魔物除けの罠に魔力を使っているそうだ。
日が落ち、棚畑の各畑に魔石灯の明かりが灯る。赤やオレンジ、白など魔石灯の色も違い、それがハーブや薬草の葉に当たって幻想的な風景になった。
「随分、急いで旅の支度をするんだね」
ジーナが、羊皮紙や紙類をリュックに詰め込んでいるコマに聞いた。
「あんまり長くいると出ていきづらくなるだろ。湿っぽいのは好きじゃない。トースケはどれくらい荷物を持てるんだい?」
「リュックの底が抜けない程度なら大丈夫だよ」
「そうか。でも魔道具なんか持っていったら狂っちゃいそうだしねぇ。材料費が嵩んでもまた作ればいいか」
「ちなみに俺たち、あんまりお金は持ってないよ」
「大丈夫。旅費くらい姉ちゃんに任せな」
コマは淡々と旅の支度をしていた。トースケと200歳ほど年が離れた姉は頼もしかった。
翌朝、泣く獣人たちに見送られ、トースケたち一行は山へと入っていった。途中までは隠れ里に連れてきてくれた獣人のおじさんが案内してくれる。
「荷運び以外できなかった者たちが今ではちゃんと畑を作っています。指示だけを聞いていたラット族も自分で考えて仕事をするようになりました。すべてコマ先生のお陰です」
「違うよ。皆が変わろうとしたからさ。じゃなかったら私も協力なんてしない」
コマは足取りも軽く、おじさんに言っていた。
別れ際、おじさんは大量のハーブを持たせてくれた。リラックスできるお茶ができるという。
「コマ先生の考えに及ばなくても、それが普通なので気にしない方がいいですよ」
トースケはアドバイスをもらっていた。
「こっちの考えだって及ばないかもしれないよ」
コマは笑っていた。
おじさんによると、まだ隠れ里の噂を聞いて逃げてくる獣人奴隷もいるらしく、しばらく隠れ里を維持してから、ネーショニアに帰るそうだ。
「ファング王によろしく」
ウィンプスはそう言って、おじさんと別れた。
山道を、4人の男女が歩いている。特に憲兵の気配もない。
意外にも年を取っているはずのコマは健脚ですいすいと険しい道でも登ってしまう。
「齢200歳以上とは思えませんね」
「そりゃ、元冒険者だからさ。ウィンプス、あんたも7歳には見えないよ」
「こっちはトースケの旦那についていくので必死ですよ」
ウィンプスは大きな岩をトースケに引き上げてもらいながら進んだ。
「死ぬつもりでついていけば面白いものが見れるかもね。死んで生きるってこともあるから」
「そんなことある?」
「あれ? 私の研究をまだ言ってなかったかい?」
「そういえば、聞いてないかも。何をしに群島に行くの」
姉弟は無駄話ばかりで重要なことを話していなかったようだ。
「私、もうすぐ死ぬんだよ。肉体の時を遡って200歳以上も生きてるんだから死ぬのは当たり前なんだけどね。死んでも生きてやろうかと思ってさ」
「さっそく考えが及ばないんだけど。ジーナさん、うちの姉は何を言ってるんです?」
「ん~、説明が難しいね。行ってみればわかるよ」
「そうだ。末弟なんだから、黙って私についてくればいい」
コマはそう言って、ひょいと背丈ほどの高さの崖を登った。内臓が一つないからか身軽だ。
トースケはどうやっても家族に巻き込まれる運命なんだなと思いながら、崖を壊して進んだ。
「なんなんだろうな。この姉弟は……」
「ついていく人を間違えたかな……」
ジーナとウィンプスは大きく深呼吸をしてから二人についていった。




