第3話「そのエルフ、優秀につき…」
「これは…いったい何?」
エリサが地下室に入って言った言葉がそれだった。
巨大な酒樽と畑が広がり、魔石の明かりが地下室の中を照らしている。
シノアはエリサを奥へと案内した。
作業机とビンや小樽が幾つか置かれている。
「さて、ここにはありとあらゆる能力上げの実や種がある。もうほとんど、実験で使ってしまったがな」
「実験?」
「俺が実験体だよ」
「トースケが…?」
「エリサが、城に行ったとして、毒で殺されることはまずないと言っていい。ここで生活していたのだから、耐性がついているはずだ。そこで、ほかに殺される方法として、首を切られたり、心臓を貫かれたりすると、死ぬわけだけど、これとこれだな」
シノアは胡桃のような実と、木苺大の種を机に出した。
「防御力と体力を上げる実と種だ。これを毎食食べて、能力を底上げしよう。ちょっとやそっとのことじゃ、死ななくなる」
「でも…これって…」
「外法も外法よ。ドーピングによる能力上げ。見つかれば、素っ首が文字通り飛ぶだろうな。ただ、それも私たちの首を飛ばせる刃があればの話だ」
「俺は、これのお陰でレベル1にして、計測不能になっちゃったんだ。俺が良くドアノブを壊すのはそのせいなんだよ」
「え!?」
「ほれ、とりあえず、その魔道具に手をかざしな」
シノアがエリサに水晶のような魔道具を渡した。
エリサが手をかざすと、水晶にエリサの能力値が浮かび上がる。
トースケとは雲泥の差だ。
「エリサ。あんた、魔物を殺したことがあるね?」
「ええ、旅をしていた頃はよく魔物に遭ってたから、倒すこともあったよ。それに、この森でも何頭か倒してると思う。畑に入ってきた魔物の害獣駆除よ」
「レベル10とは冒険者のルーキーよりもレベルが高いね。まぁ、これが普通だわな」
シノアは薬草も取り出して、説明を始める。
「薬草とかは、何度も見てわかってると思うけど、回復薬の作り方も覚えてもらうよ。ダメージを負っても、これさえあれば、死ぬ確率はグッと下がるからね」
「はい!わかりました!」
「トースケは、当分ジュース作りだね」
「へいへい」
実と種の皮を剥いて潰して、ジュースを作るのだ。
「初めは苦いかもしれないけど、我慢するんだよ」
「はい!」
「ずっと、苦いよ…」
その日から、毎食のように胡桃のような実と木苺大の種が出た。
シノアはエリサに回復薬の作り方を教え始めた。
二人共、やることが出来たせいか、妙にやる気だ。
トースケは鍵師の仕事で帰ってきて、晩飯を食べてから、地下室でジュース作り。
そんな毎日を送っていた5日目の事だった。
「クソババア!そろそろ実と種がなくなるよ」
酒樽の側でジュース作りをしていたトースケがシノアに声をかけた。
「ん?ああ、ちょっと待ってな…」
と、奥の作業机に手をついて立ち上がろうとした時だった。
シノアがその場に倒れた。
「おい、大丈夫かよ」
トースケが駆けつけると、シノアは真っ青な顔をして汗ばんでいた。
すぐにシノアの部屋に運び、ベッドに寝かせた。
「風邪か?」
慌ただしい雰囲気にエリサも「どうしたのか」とやってきた。
「風邪?おかゆでも作る?」
「いい。いらんいらん。ちょっと疲れが出ただけだ」
「疲れって言ったって、回復薬飲めばいいだろ」
「まったく、お前は本当に悪魔の子だよ。老人をそんなに働かせるな」
シノアは笑いながら言った。
「なんだよ。なんか隠れて変なものでも食べたのか?しょうがねぇクソババアだな。ちょっと待ってろ、すぐに毒消し作るから」
「いんや、これは毒でも病気でもない。老いだ。見ろ、この痘痕を」
シノアは自分の腕をまくりあげて、見せた。
シノアの白い腕には茶色い痘痕がポツポツと広がっていた。
「長寿のエルフ族が死ぬ間際にできる痘痕だ。誰にも止められん。アタシはエルフの中でも長く生きたほうさ。だから、実験もうまくいったんだ」
「いやいやいや、待てよ。まだ実験はうまくいったかどうかわかんないだろ。これからパラダイムの転換が起こるんだろ。レベル上げなんて馬鹿げたことしなくても、強くなる方法が見つかったんだ。ムリに戦争しなくても、無闇に魔物を殺さなくても、いい時代が来るって言ってたじゃんかよ!」
「アホタレ!アタシを誰だと思ってる?うまくいったに決まってるだろ!」
「なにがどううまくいったんだよ!?死んでる場合じゃないだろ!」
「アタシはエルフ族の中でも優秀なんだ。この先のことなんか見なくたってわかるさ」
「ウソつけ! クソババア!」
「ウソじゃないさ。アタシはもう最高傑作を生み出してる」
「まだまだ、ジュース作りは出来上がってない! これからだって、もっと作んないといけないってのに、水が足りないんだ! 苗だって枯れ始めてるし、ビンだって少ない…」
トースケは指を折りながら、出来ていないことを上げていった。
「アタシの最高傑作はお前だ。トースケ。お前が私の最後の子どもにして最高傑作だ。悪かったな。こんなクソババアの実験に付き合わせちまって…」
シノアはそう言って、歯を見せて笑おうとしたが、目から涙がこぼれた。
「悪かねぇよ。なんも悪かねぇ。俺が好きで付き合ってたんだ。悪く思うことなんかないんだ」
トースケは声を震わせて、俯いた。
「エリサよ。変なところに連れてきちまって、ごめんね」
エリサは大粒の涙を流しながら、シノアの手を握った。
「いえ、ここに連れてきてもらわなかったら、私はあのまま死んでました」
「ちゃんと城に行くんだよ。どんなに王を恨んでも、子どもの味方をしておやり」
「はい!」
その後、シノアはあまり喋らなくなったと思ったら、寝息が聞こえてきた。
トースケとエリサは交代で飯を食べ、シノアに付き添った。
「トースケ、トースケ」
「なんだ?」
真夜中である。
夜空の星は瞬き、夜鳥の鳴き声が森に響いている。
トースケはシノアの手を握った。
「お前は、一度死んでこちらの世界に来たと言ってたな」
「うん」
「前の世界はどんなところだった?」
「そうだな…戦争もないし、魔物もいない。食うにも困らないし住む所にも困らなかった。夜は昼のように明るかった。人々はつながり合ってて、でも、どこか寂しそうだった」
「そうか…アタシが死んだら、その世界に行くのかな…」
「どうだろうな…俺はいつの間にか、この世界にいたからな…シノアもいつの間にか違う世界にいるのかもしれないな…」
「トースケ」
「ん?」
「お前はアタシの最高傑作だよ」
「聞いたよ」
「パラダイムの転換はお前が起こすんだ。お前が世界を変えちまえ…」
「わかった」
「トースケ…トースケ…」
「聞いてるよ」
「トースケ…」
トースケが握っていた手から力が抜けた。
「母ちゃん…」
シノアの手に大粒の涙が落ちた。
その夜、世界で最も優秀なエルフの薬師が逝った。




