第29話「その獣人、王につき…」
ネーショニア王都・城内。
トースケの目の前には近衛兵たちが武器を手に固まっていた。命を賭して王を守る兵たちは一歩だけでも踏み出そうと大汗をかいているなか、トースケはその横を通り過ぎた。
「おつかれー」
あくまでもトースケの声は軽い。
「ファング王子、どっち?」
「んあ? あ、赤い扉の向こうだ」
トースケは担いでいたファングを小脇に抱えるようにして前を向かせた。窓から差し込む月明かりを頼りに広い城を走る。魔石灯や燭台の明かりはない。
「闇夜に紛れて逃げるつもりかもしれない」
トースケがつぶやいた。
「そんな隙はあたえない。目の前の扉を蹴破ってくれ」
ファングの案内もあり、赤い扉の前まで辿り着いていた。
部屋の中は天井の魔石灯に照らされ仄かに明るい。赤い絨毯の先、王座にひげが生えた王が鎮座し、奥には黒衣の男。脇の柱の前には王家の長兄であるサンスベリアが立っていた。
「こんな姑息な魔法で我らを止めることなどできん! かーっ!」
黒衣の男が叫ぶと同時に、王が立ち上がり、サンスベリアが腰の剣を抜いた。剣には氷魔法が付与されている抜いた瞬間に、氷の刃が放たれた。
「王は任せる」
トースケはファングを下ろして、氷の刃を裏拳で弾く。
「はぁっ」
サンスベリアが息を吸うのと同時に、トースケが距離を詰める。
「……っ!」
サンスベリアが目の前のトースケに驚いたときには、すでに両肩の骨を外され、後ろに手を組まされていた。肩に激痛が走ったのは、両手首が革ひもでしっかり縛られ、床に転がった後だ。
「あがっ!」
トースケは王の奥に控えている黒衣の男を睨んだ。男は視線に耐え切れなくなったのか、膝を床について顔を天井に向け、そのまま気絶。穴という穴から白い煙が出て来たかと思うと、煙はスノウレオパルドの姿に形を変えた。
「あれ? なに? どういうこと?」
トースケは自分がなにをしたのかよくわからず、とりあえずパールへの言い訳を考えたほうがいいのかもしれない、などと混乱してしまった。
「あと少し、春になれば、海の向こうの国を攻め落としていたというのに……」
スノウレオパルドは赤い絨毯の上をゆっくり歩きながら、腹に響く声を発した。
「よそ見をしている場合か? 不運な王子よ」
スノウレオパルドの言葉で、王がファングに切りかかった。ファングは咄嗟に魔剣で防ぐ。
「狂おしの王よ。自分の子の顔も忘れたか!」
ファングが王の剣を弾き、距離を取る。
「ネーショニアに弱き獣人の子などいらぬわ。邪魔なだけよ」
スノウレオパルドが王の代わりに喋った。
王とファングの戦いが始まる。上背がある王が振り下ろす剣に、ファングは受ける一方で後手に回っているようだ。
「ああ! お前が王を操っていたんだな! なんだ、霊媒師じゃなくて悪霊かぁ!」
トースケは手をポンと叩いて納得。スノウレオパルドの悪霊は牙をむき出しにしてカカカと笑った。
「確かに我は悪霊も悪霊。人に憑りつき、国に憑りつく。随分、計画を狂わされたぞ。化け物の子よ」
スノウレオパルドの悪霊は、トースケに飛びついた。トースケは難なくそれを躱す。
「そりゃ、悪かったね」
十分、距離を取って躱したはずだったが、トースケの首にかかっている魔除けのネックレスが切れ、ビーズが赤い絨毯に散らばった。
「あ、やべぇ。パールに怒られる」
「あの霊媒師の仲間か?」
スノウレオパルドの悪霊が敵意を込めて聞いてきた。
「ああ、末の弟だ」
「碌な家族じゃないようだな」
「バカ言うな。最高だよ。まだ、姉一人しか知らないけど」
「羨ましいな。我はネーショニアが大陸にあった頃、王家にいた。最悪と言って過言ではない。愛した女が姉だった。ただそれだけの理由で追放され、こんな姿になってしまった。お前にこの苦しみがわかるか?」
悪霊の話は、どこかで聞いたことがあったが、トースケは思い出すのをやめた。
「わからねぇよ。だけど、まぁ、大変だなとは思う」
「同情か。こんな姿の我を同情するというのか。ならば、その身をくれ。霊媒師試験も通らぬようなネクロマンサーの身体では我の魔力は抑えこめなくてな。ちょうど足りないと思っていたところなのだ」
「嫌に決まってんだろ? バカなのか?」
悪霊は姿を煙のように形を変え、漂い始めた。
「名を聞いていなかったな。なんと言う名だ?」
「トースケだ。生まれる前から使ってる」
煙を躱そうと部屋の中を動き回ったトースケだが、部屋ごと壊すとファングを殺してしまう。
「ふざけた男だ。だが、力は本物のようだな。お返しに我が名を教えよう。我が名はケイリョウ。お主の身体の新しい主人だ」
煙がトースケの鼻と口に入った。トースケは自分の意識が遠のいていくのがわかった。「おい」
◇
真っ白な空間に、転生前の俺がいた。しかも裸だ。
「なんだここは?」
俺が聞いた。
「トースケ、なに乗っ取られておる!」
斜め上にガナッシュさんがいる。
「あら、ガナッシュさんじゃないですか? ここはどこで私は誰ですか?」
「お前はトースケじゃろ! ここはお前の心象風景で、身体をケイリョウに乗っ取られておる! 一つの身体に三つも魂が入っておるのじゃ。老けている場合か! ん? お前、転生者か?」
「そうです。驚きました? そんなことより、ケイリョウに身体を乗っ取られたってどういう感じになっちゃってるんですかね?」
「しっかり目から現実を覗いてみろ! ファングが王の亡霊にやられそうになっているじゃろ?」
突如、真っ白な空間に大画面の眼型テレビが登場し、ファング王子と王が戦っている風景が映し出された。ファング王子は劣勢で、壁際に追い詰められている。
「ヤバいじゃないですか? やられちゃってる。これって俺の身体を乗っ取ったケイリョウが操ってるんですよね?」
「そうじゃ。だから、ワシがわざわざお前の心の中まで助けに来たのじゃ」
「俺の心の中ってことは、俺のやりたい放題じゃないですか? なんでこんなに何もないんですか!? ふざけてるんですか?」
「ふざけているのはお前じゃ。こんな空っぽだとは……」
「そう言われちゃうと酷く傷ついちゃいますね。はぁ~あ、おっぱいがいっぱい……」
俺がそう言った途端、無数のおっぱいがそこら中の地面から湧き出た。
「こんなにあると怖い! 怖いからやめて!」
おっぱいが消えた。
「なんだ、わかりやすいじゃないですか?」
「なにをしておるんだ? とにかく、煙となって消えたケイリョウを探せ! お前の心の中に隠れているはずじゃ」
「隠れてるって言ったって、まぁ、スノウレオパルドだし、もっと言えばトラでしょ。だったら、坊主が屏風に上手に描いてるんじゃないんですか?」
そう言っている間に、坊主が屏風のなかにケイリョウの姿を描いた。
「とっ捕まえてやりますから、屏風からだしておくんなせぇ!」
ねじり鉢巻きにたすき掛けをして、さながら俺は一休みしそうな坊主だ。
ケイリョウは絵から飛び出して、俺に噛みついてきた。口を縄で縛ろうとするも、まるで力が出ない。この姿の俺は非力だ。視界が赤く染まり、頸動脈が切れて盛大に血が舞っている。
「いてぇ! 心の中なのに血が噴き出るなんて! まるで魂が壊されていくようだ」
ケイリョウは俺の血しぶきを浴びてカカカと笑っている。思いは口から出て、想像したことはすぐさま起こる。いいことも悪いことも何もかも。
「そうだ。我はお前の魂を喰ろうてやるわ」
「やめろ! うぐ……」
「肉を食ってもお主は死なん。一生喰って喰って、食い続けてくれるわ」
「ぎゃー…………!!」
叫び続けている俺がケイリョウに食われていく。
という映像を、俺の手の中にある小さな画面をガナッシュさんと一緒に見ている。
「……みたいなこともできるんでしょ?」
「トースケ、何をしたのじゃ?」
「なにって、ケイリョウを捕まえたけど? ここは俺の心の中なんだから、俺がどうとでもできるわけですよね。で、このケイリョウをどうするんですか?」
眼の向こうにいる王の動きは鈍くなっているようで、ファング王子は逆転しているようだ。
「これ、どうやって元に戻るんです?」
「今は一つの身体に二つの心、ワシが外に出れば……」
◇
「はぁっ!」
トースケが意識を取り戻すと、ケイリョウがのたうち回っていた。赤い絨毯の上に、白い下顎が腐り落ちている。悪霊から白く半透明の血が滴り落ちて、絨毯に黒い染みができ腐臭が漂う。
「お前が絵を描いてしまったからな。お前の心に引っ張られて形を変えられないでいる」
ガナッシュが説明した。
「あの下顎はスノウレオパルドの王にかかった呪いみたいなものですか」
「呪詛返しじゃ。巡り巡って、大本のこやつまで辿り着いたようじゃな」
「随分、タイミングがいい」
「ここはすでに霊媒師たちの領域じゃ」
見上げると、天井近くに無数の鳥の霊が飛び交っている。
「お前に入る直前、あいつは自ら名をかたったからな。位置がバレたのじゃろう。むしろ、お前に入っているうちは呪いを止めていたとも考えられる。お前ならケイリョウを捕まえて出てくると信用されておるのじゃ。あの筆頭霊媒師に信用されておるのう」
「そりゃ、姉ですからね」
ギィン!
剣が宙を舞い、絨毯に突き刺さった。
「くっ、もう動かぬか……」
死んでもなお動き続けた王の体は、ボロボロと肉や爪が剥がれ落ちている。目だけが青白く輝いているが、王の意思に反して身体は動かなくなっているようだ。
ファングも王に魔剣を向けているが、満身創痍。
「よく見ておけ。これが再び大陸に帰ろうとしたネーショニア王の成れの果てだ。妻は死に、子らは争う。わが身は血が渇き、肉が落ち、獣人の誇りも失った」
王は低い声でファングに語り掛けた。
「聞こえる声だけに耳を傾け、見たいものだけを見ていては、悪霊に操られるのも道理。声なき声を聞き、側に寄り添い、同胞とともに歩むのが獣人の王の役目」
「よくぞ言った! それでこそ、獣人の国の王!」
「その首、もらい受ける!」
ファングは魔剣を振りかぶった。
「手間をとらせたな、息子よ」
「いえ、親の屍を越えていくのが子の役目」
「見事……」
ザンッ。
王の首は枯れ木でも切ったような乾いた音がして胴から離れた。
「ケイリョウ! 我が身を捧げる! 国の敵を打ち砕け!」
手を縛られ、床に転がっているサンスベリアが叫んだ。
下顎のないケイリョウがゆっくり立ち上がり、サンスベリアに向かうも、途中でガナッシュに押さえられた。
「させるわけがなかろう……」
竜の手で押さえつけられたケイリョウは身を捩り、サンスベリアのもとに向かおうとする。
「早く、こい!」
グゥオンッ!
ガナッシュが一声発すると、ケイリョウは動かなくなった。
「トラが竜に勝てるものか」
「で、どうするんです?」
トースケがガナッシュにそのまま押さえつづけておくつもりか聞いた。ケイリョウを封じるとしても霊媒師たちは朝まで来ないだろう。
「しかたない。間借りさせてやろう」
ガナッシュはケイリョウの首根っこを掴み、そのままトースケの首にかかっている竜の涙に吸い込まれていった。
「え!? そういう意味で言ったんじゃないんですけど……」
トースケが慌てている間に、ファングは自分の兄であるサンスベリアを仰向けに転がしていた。
「兄者よ。夜明けまでは死ぬことを禁ずる」
「な、何を言うか。この出来損ないが!」
ファングは魔剣を右肩と胴の間にゆっくり突き刺していった。
「あが……、やめろ……、なにをする……」
魔剣は床に突き刺さり、サンスベリアは床に張り付けられた。
「この剣は魔剣だ。魔力を込めれば焼け、無理やり外そうとすれば肉が裂ける。しばし大人しくしていろ。王の命令だ」
「なにが王だ……んぐ……」
さらにファングはサンスベリアが着ている服の袖を引きちぎり、口を縛った。
「トースケ! ウィンプスのもとに向かってくれ! 後から追いつく!」
「了解!」
ファングからの命令にトースケは素直に従った。トースケは人に命令されても悪い気はしなかった。
「これが統率スキルか。悪くない」
トースケは城を出て、墓地へと向かった。
「んー!! んー!」
口を塞がれたサンスベリアがなにかを訴えている。
「兄者、あれが本物の化物よ。大丈夫だ。姉者は死なん。圧倒的な力で組み伏せられるだけ。俺たちのようにな」
そう言ってファングは部屋を出た。