第25話「そのマスト、薪につき…」
小屋の扉を開けた獣人の狩人たちがトースケに弓矢を向けた。
「何者だ!?」
トースケは黙ったまま見ているし、アメリアは寝ている。ウィンプスだけが怯えて、壁に張り付いた。
「まぁ、待て、狩人たちよ。この人たちは我らのために石炭を採りに来た人たちだ。武器を下ろせ」
シャーマンの獣人が手を上げて、狩人を制した。
「でも、そいつは人族じゃねぇか!?」
「敵ではない。敵だったら、わしらが殺しておる」
「だったらあの帆船はなんだ!? どけ! 俺が殺す!」
モヒカン頭の狩人が弓矢をトースケに放った。
トースケは飛んでくる矢を空中で掴み、モヒカン頭の狩人を見た。それだけで狩人たちは一歩引いてしまう。
「帆船って? 俺たちは壊れたボートでここまで来た。帆船が島に来てるのか?」
「東の海に停泊してるのは……」
トースケは話を最後まで聞かずに、外に飛び出した。
月明かりはあるが、道は見えない。
「ごめん。案内してくれないか?」
「あんたいったいなんなんだよ」
トースケは殴りかかってくる狩人を片手で抱える。
「おい、やめろ!」
「道はどっち?」
「やめろって!」
周りにいた狩人たちもトースケを止めようと斧やナイフを使ったが、まるで歯が立たない。むしろ、抱えられていた狩人の方がダメージを受けている。
「気が済んだ? よし、じゃあ帆船まで行こう」
「……わかった。わかったから下ろしてくれ。……頼む」
抱えられた狩人はうっすら涙を浮かべていた。
「ああ、ごめん」
トースケが狩人を下ろしてやると、「痛いよ!」と仲間の狩人たちに怒鳴り散らした。
「どっちだ?」
トースケは狩人に詰め寄った。
「あっちだ、あっち!」
怒鳴り散らしていた狩人は魔石灯を掲げて、トースケを東の海岸へと案内した。
「ほら、あそこだ」
狩人は海鳥の巣がある断崖絶壁から海の方を指さした。
月明かりの下、海上には一隻の船が停泊していた。帆を張っていないし、暗いのでどこの船かわからない。
「あれは、ネーショニアの船か?」
「ああ、おそらくファンセーラ様の捕鯨船だと思う……」
狩人は寒さで震えながら答えた。
船には明かりがついていて、時折、カエルのような顔の兵が動いているのが見えた。周囲を警戒しているらしい。
「じゃあ、スノウレオパルドの船ってことはないんだな?」
「いやぁ、はっきり見えないからわからないけど……」
狩人は言い淀んだ。
「どっちなんだよ。あれが助けなのか薪なのかはっきりさせたいんだけど?」
「は!?」
「薪だ」
狩人の後ろから突然、霊のガナッシュが現れた。
「あれガナッシュさん、スノウレオパルドでパールに会えましたか?」
「会ったどころではない! 姉に捕まったのじゃ! ワシはお前さんと我が姉たちとの連絡係を仰せつかってしまった」
ガナッシュは恨めしそうに、トースケの周りに浮かんだ。
「パールがコールドフットまでお前さんを迎えに来るはずじゃ」
「え? あの船にパールが乗っているという可能性もあるってことですか?」
「いや、パールたちはまだ出港もしていないからのう。十中八九、ネーショニアの捕鯨船じゃろう」
「じゃあ、薪ってことでいいんですね。よかった」
そう言ってトースケは崖から少しだけ距離を取った。
「なにがよかったんだ?」
「おい、ちょっと待つんじゃ……まさか、お前さん……」
トースケは助走をつけて崖の突端から、船に向けて跳んだ。
捕鯨船のマストで見張りをしていたトード族の兵は、目の前に浮かぶ島を、あくびしながら眺めていた。例年、トード族は冬眠している時期なのに、ファンセーラ様から緊急事態と言われ、眠い目をこすりわざわざここまでやってきた。
西の町に人族が現れたらしい。ファング様が雇った賊かもしれないから、徹底的に調べて完膚無きまでに消せとの命令だ。
「王族の骨肉の争いに巻き込まれて、飲まずにやってられますかって……」
トード族の兵は、懐から酒瓶を取り出して呷った。
「……おー……」
遠くからなにか叫び声が聞こえたと思って、双眼鏡を島に向けた。
「鳥か? いや、ん!? なんだ?」
暗くてよく見えないが、声がどんどん近づいてくる。声と共に真っ黒い影が月夜に浮かび上がった。
「え?」
トード族の兵から声が漏れた次の瞬間、人が飛んできた。
「おー……疲れ様です!」
冒険者風の装備を身に纏ったその男はメインマストにしがみついて、船を揺らした。
「お、お、おつかれ、さまです」
思わず答えてしまったトード族の兵は、男に首根っこを掴まれ甲板に落とされた。
「ぐげっ!」
トースケは甲板に下り、気絶しているトード族の兵が息をしているのを確認。メインマストに向けて手刀を放った。
ザンッ!
捕鯨船のメインマストがぽっきり折れた。
「なんだ? なにがあった!?」
「攻撃か!?」
事態に気が付いたトード族の兵たちが甲板に集まってきた。
「こんばんは!」
トード族の兵たちにトースケは笑顔で挨拶した。
「こんばんは。いや、違う。なにをしてるんだ、この野郎!」
「メインマストを折りやがって! てめぇ! 生きて帰れると思うなよ!」
トード族の兵たちは両刃の長剣を抜いて、次々にトースケに斬りかかった。長剣はトースケに当たったが、衝撃は斬りかかった兵たちの手に返っていく。トースケは無傷で笑みを浮かべたままだ。
トースケは周囲に殺気を込めた魔力を広げる。
トード族の兵たちを冷気が襲い、剣を手放して失禁。船内でぐっすり寝ていた者も飛び起きて、わけもわからずガタガタと震え始めた。
「あんたら美味しそうな顔をしてるな。急いで食料を用意するか、獲って食っちまうか、どうするかなぁ」
月光に照らされたトースケは、目を見開き、さらに口角を上げた。殺すつもりはないが、全力で脅す。
「選ばせてやるよ……」
慌てたトード族の兵たちはポケットから非常食を出し、走って食料庫に向かった。甲板にいなかった兵たちはなにが起こっているのかわからなかったが、動こうとしても身体が震えて足を前に踏み出せない。結局、黙って食料を持ち出す仲間を見守るしかできなかった。
数分後、トースケの目の前には、干し肉と小麦粉の袋が積まれた。
トースケは袋を背負い、メインマストを両手で持ち上げる。唖然としているトード族の兵たちに向け「そんじゃ」と言い捨て、甲板を走り島へ向かって跳んだ。
ドスン!
浜にメインマストが突き刺さった。続いて大きな袋を背負ったトースケが着地。様子を窺っていた狩人たちは、なにが起こったのか判断できず声を失った。
「めちゃくちゃじゃな……」
ガナッシュの呆れた声だけが、崖の上に響いた。
緊急事態を報せる信号魔法が捕鯨船から上がったのを、西の町にいた船団長のファンセーラが見た。戦いののろしは上がった。
「ファングよ、やはり敵になったか。いや、遅かったくらいだ。皆の者、準備はいいな! 目標はコールドフットにいるファングの首だ! 臆するな! 正義は我にあり!」
ファンセーラはすぐさま偵察に出した捕鯨船を回収しコールドフットに乗り込むつもりだった。
「た、た、大変です! ファンセーラ様!」
空が白み始めた頃、捕鯨船を回収しに行った航海士が船室に駆け込んできた。回収した捕鯨船のマストはなくなり、兵たちはガタガタと震えるばかりで何もしゃべらないという。
「たった一人の人族にやられたそうです」
「なんだと!?」
ファンセーラの怒号が響く。
「申し上げにくいのですが、さらに悪い報告です。トード族は皆、恐怖に慄き動こうとしません」
トード族は生まれて5年で兵士になるように育てられている。弱者を蹴落とし、戦う方法を徹底的に学んでいたが、予想外の強敵への対処や圧倒的な力の差を経験していない。心が折れた仲間たちを見て、トード族は恐怖を共有してしまった。
船団員の多くがトード族で、それ以外となると魔法戦士や航海士など数名しか残っていない。たった一人で捕鯨船のメインマストを折る戦力を考えると、王都から精鋭の獣人部隊を呼びに行かなければならないだろう。
「くそっ!」
ファンセーラは机を叩いて怒りに震えた。
コールドフットにあるファングの家では、ガナッシュがシャーマン風の獣人を通して領主の現状について説明が終わったところだった。
「……つまり、三日後、お前さんたちの領主はスノウレオパルドにて獣人部隊をまとめてネーショニア王都へと向かう計画じゃ」
「ファング様がネーショニアのために討って出るなら我らも向かうぞ」
狩人の一人が声を上げた。
「しかし、船がないではないか?」
「その小僧を迎えに来るという船に一緒に乗ればいいではないか?」
「待て、トースケを迎えに来るのは、かのスノウレオパルド筆頭霊媒師のパルロイじゃぞ。お前さんたちを乗せてくれるわけがなかろう」
狩人たちとガナッシュが話し合いをしているなか、トースケは炉に捕鯨船から取ってきた薪をくべて、その上でパンを焼いていた。
「トースケ、焼きが甘いよ。生のパンなんて食べたら腹壊すよ」
アメリアが難癖をつけている。
「うるさいなぁ。今弱火で中に熱を入れてるんだからアメリアは黙ってて」
「旦那、どうやら王家の皆さんと戦争をする気ですかい?」
ウィンプスが震えながらトースケに聞いている。
「ん? 別に俺は戦争をする気はないよ。だいたい俺が行ったところで、なにか解決するってわけでもないだろう。パールだって戦争を止める方法を考えてるんだから」
「トースケ、お前さん、ネーショニアの第三王子を捕縛し、第二王子が仕向けた捕鯨船のマストを折っておいて、まだそんなことを言っておるのか? すでに戦争は始まっておるぞ」
ガナッシュが直接喋り始め、シャーマン風の獣人と話を獣人たちが怯え始めた。
「え? 戦争って互いの国の威信をかけて戦力を集めて戦うことですよね? ネーショニアとスノウレオパルドが戦う理由がないじゃないですか?」
「お前さん、話を聞いてなかったのか? 第三王子のファングを我が姉たちが担ぎ上げたんじゃ。戦争が起こる理由は十分じゃ」
「同じ国の人たち同士が争うってことですよね。それって内戦ではありませんか?」
「ま、まぁ、そうじゃな」
ガナッシュが「何を言いだすんだ、この小僧は?」という目でトースケを見た。
「内戦に加担しても一銭の得にもならないのでは?」
「得かどうかの話ではない。こ奴らのように食えない者も出てきておるのじゃ。助けたいとは思わんか?」
ガナッシュがトースケに説教をする。
「いえ、飢えている人たちを食べさせたい気持ちはありますよ。今だってそのためにパンを焼いているんですから。でもね、俺がスノウレオパルドなら内戦が終わって国民が疲弊したところを叩いて国ごと分捕るな、と思ってるだけです」
「トースケ、いい加減にしろ! 我が姉がそんなことをするわけないではないか!」
「どうですかね。実際のところ、助けられている側の獣人さんたちはそう思ってはないかもしれませんよ。ねぇ?」
トースケは周りで怯えている獣人たちに聞いた。
「俺たちに協力してくれるのはありがたいが、属国になる気はないぞ」
「そうだ。どういう協定を結んでいるのかわかったものではない」
「そもそも内戦の終結をどういう形にするのか、誰が決めるのだ?」
獣人たちが、恐る恐るガナッシュの方を見た。
「ええい! お前さんたちが苦しんでいるから救ってやろうと言ってるではないか!」
ガナッシュに怒鳴られて、獣人たちは委縮してしまった。
「短気は損気ですよ。ガナッシュさん。ネーショニアの人たちからすれば当然の不安です。ただ、内戦が起こったとして困るのは奴隷貿易をしていたブルーグリフォンとグリーンディアの両国ですよね? スノウレオパルドがネーショニアを奪ったとして怒るのもこの二つの国だ。どうなるかなぁ……?」
トースケは天井を見ながら考えを巡らした。
「ちょっと! トースケ、焦げるわよ!」
アメリアがパンを見ながら叫んだ。
「ああ、ヤバい」
トースケは慌ててパンを炉の火から離した。
「アチチ。あ、いい焼き加減だ。食べます?」
獣人たちにパンを見せながら聞いた。
「呑気にパンなど食べてられる状況ではない!」
「そうだ。ネーショニア存亡の危機なんだぞ」
獣人たちはトースケに迫った。
「でも食べないと戦いのときに力が出ませんよ。そんな人たちを戦場には連れていけないと言うだろうな。姉のパールなら」
トースケにそう言われて、獣人たちはぐっと押し黙ってしまった。
「まぁ、でも、たぶん俺が考えているようなことはパールも白竜も考えているはずですから、うまいことやるでしょう」
「そんなんで大丈夫なのか?」
獣人の一人が聞いた。
「ええ、ファングがどうするつもりなのかわかりませんが、王都に行くのに三日というのが肝です。すでに季節は本格的に冬。人が他国に行って帰ってくるのは無理だけど、霊ならどうです?」
トースケがパンを齧りながら、ガナッシュに聞いた。
「霊には海も冬の寒さも関係はないが……?」
「きっと、そう言うことなんでしょう」
「どういうことじゃ?」
「あんまり美味しくないなこのパン。誰か代わりに焼いてください」
それ以降、獣人たちがいくら聞いてもトースケは「俺は外交官じゃないのでわかりません」と言うばかり。結局、アメリアの焼いたパンをその場にいた全員が食べた。
「焼き加減なら私に言って」
アメリアは無駄にデカい胸を張っていた。