第23話「その黒い家、王子の住いにつき…」
スノウレオパルド北部の牢屋にはネーショニアの王子・ファングが囚われていた。
「大将! これはいったい、なんの騒ぎですかい!?」
牢屋の衛兵・ルイスが上司である白竜を見て驚いている。白竜とその側近たち、それから筆頭霊媒師のパールが揃っていた。
「王子に話があります」
そう言って手を差し出す白竜。ルイスは「まさか、拷問か」とも思ったが、牢屋のカギを渡すしかなかった。
暗いが暖かい牢屋の中を白竜一行が進んでいく。進む速度に合わせて、魔石灯の明度が上がっていった。
一行は一番奥の部屋の前で止まった。
ファングは部屋の真ん中で胡坐をかいて座っている。
「物々しいな。俺の処刑が決まったか?」
ファングは顔を上げて白竜に聞いた。
「いえ、処刑するならとっくにルイスがやっています」
「じゃあ、逃がしてくれんのか?」
「それについてはこちらが伺いたい。こんなに逃がしやすい状況を作っているというのに、お前の仲間たちは何をしているのですか? 王都では王家の墓を荒らしていたそうじゃないですか?」
「王家の墓については何も知らん。聞かされていないと言った方が正しいか。ただ、何事もタイミングというものがあるからな」
ファングの言葉に、白竜は大きく息を吐いた。
「無駄な問答は止そう。どこまで計画の内だったんだい?」
パールがタバコに火をつけながら聞いた。
「計画ってなんのことだ?」
「しらばっくれるんじゃないよ。コールドフットから単独で、魔女の森に乗り込んで、私を誘拐でもしようとしてたんじゃないのかい? まさか、本当に獣人奴隷たちと蜂起しようとでも?」
「ふはは……」
ファングはうつむいて笑った。
「そりゃ、霊媒師たちを舐めすぎだよ」
「兄者たちにすっかり騙されている霊媒師たちを舐めるなって方が難しいだろ」
「じゃあ、本当に獣人奴隷たちの一斉蜂起が目的かい?」
「まぁ、そうだ。秋の終わり、久しぶりに兄者から手紙が届いた。春になったらスノウレオパルドで獣人奴隷たちを一斉に蜂起させろってね。俺が知ってる作戦はそれだけさ」
「では、なぜ冬の初めにスノウレオパルドに来たのだ?」
白竜が聞いた。
「俺の領地、コールドフットはこの冬を越せない」
「食料や燃料なら兄たちに頼めばいいではないか?」
「それができれば、俺は今ここにいねぇよ」
「後継者争いかい?」
パールが煙草の煙を吐き出しながら聞いた。
「おそらくな。8年前からスノウレオパルドの奴隷船以外は俺の領地に来なくなった。家族からの連絡もほとんど途絶えた。たとえ助けを求めに行っても門前払いさ」
「町を襲ったりはしなかったのか?」
「自国の町を王子が襲うか?」
「生きるためだろ?」
「まぁ、初めのうちは何度か兄者の領地にいったな。その度に毒矢の雨が降ってきた。それでもどうにか食料を奪えた。ただ果物の中には毒リンゴ、麦の中には毒麦、触れれば全身に回る麻痺毒なんかが樽に塗ってあるんだ」
「なんでそんなに嫌われたのだ? 兄弟ではないのですか?」
白竜が聞いた。
「俺だけ統率スキルが高かったからかもな。上の2人はスキルの発生に時間がかかっていたようだから」
「王は何も言わなかったのですか?」
「父上は、病に伏せてから兄者たちの言いなりさ。母上がいた頃はまだ良かったがな」
「それで、にっちもさっちもいかなくなったお前さんは冬の初めに魔女の森に乗り込んできたのか? 食料を奪うために?」
パールが煙草を吹かしながら聞いた。
「ああ、もう奴隷船も来なくなったし、家族にも見放された。行くところは敵地しかない。早めに一斉蜂起して食料を奪えれば万々歳さ」
「なぜそれを言わなかったのです?」
「言ったら協力してくれたか? 黙って食料と燃料を渡して送り返したか? まぁ、今となってはどうでもいい。兄者たちの計画も俺の一斉蜂起も意味がない。どう転んでももうネーショニアは終わりだ」
「諦めが早いな」
「あんな化け物を見ちまったからな」
「化け物?」
「初めに見たときは魔力を使わなかったからよくわからなかったが、二度目に見たときに気付いたよ。俺たちは詰んでるってね」
「トースケのことかい?」
パールは煙草の煙を吐き出しながら聞いた。
「ああ、名前はそう言ってたな。あんたらが出て行ったあと、何回も想像してみたが、あの化け物を前に生き残れるイメージが思い浮かばなかった。獣人は束になっても勝てない。たとえ、ケイリョウでも殺せないだろう」
「ネーショニア王家の呪いか」
そう言って白竜が部屋のカギを開けた。
「さあ、一思いにやってくれ!」
ファングは覚悟を決めて叫んだ。
「やるのはあなたです」
「なに?」
「ネーショニアの王位継承戦争にスノウレオパルド北軍は協力すると言ったのです」
「協力って……」
「食料庫と武器庫を開放しました。すぐに獣人奴隷たちと北部一帯にいる獣人の山賊たちに呼びかけて統率し、軍を編成しなさい。ネーショニアの王都に乗り込みますよ」
「は……?」
戸惑っているファングの腕から手錠が外された。
「ちなみにあんたが化け物といったうちの弟は今コールドフットにいる。おそらく石炭と食料を確保しようとしているところだろう」
「なんだって!?」
トースケは炭鉱に埋まっていた。
「いや~まいったな」
炭鉱の奥でウィンプスと一緒に石炭を掘っていたところ、天井が崩落したのだ。崩落直前にウィンプスはなにか叫んでいたから、危機を察知していたのかもしれない。
「大丈夫か? ちゃんと逃げたかな」
魔力を展開して、周囲を探ってみたが特に生き物がいる気配はしない。
壁を殴りながら、どうにか出口まで向かう。なんどか天井が崩落したが、展開した魔力が弾いてくれるので問題はない。それよりも魔力を広く展開すると、それだけ外気に触れるので中は冷えていく。
「気温だけはシノアの教育でも耐性つけられなかったからなぁ」
ぶるぶると震えながら炭鉱の出口まで辿り着くと、アメリアが待っていた。
「ウィンプスが怯えながら戻ってきたから何事かと思ったら、やっぱり崩落したのね?」
「ああ、ウィンプスは生きていたか。とにかく体が冷え切ったよ。温めてくれ!」
アメリアが魔法でトースケの身体を温め始めた。
「食料の方は?」
コールドフットではアメリアが空き家から保存食をかき集め、冬眠している魔物を探していたはずだ。
「これだけ寒いと野菜も腐らないから、今、溶かしているところよ」
「そうか。肉は?」
トースケの質問にアメリアは首を振って「ないわ」と答えた。
「罠でも仕掛けるか」
「それよりも魔力を貸してくれない? コールドフットの人たちが言うには雪を溶かして動物を巣から出した方が楽だってさ」
「あ、なるほどね」
雪が溶けて春と間違えた動物が穴から出てくれば、勝手に凍死するだろう。その方が効率的かもしれない。
「結局、吹雪になったら雪に埋もれそうだけどなぁ。やってみるか。とりあえず、掘り出した石炭を届けに行こう」
袋一杯に詰めた石炭を担いで黒い大きな家に向かった。
黒い大きな家は本来、王子であるファングの家なのだとか。燃料が少ないため、冬になる前に身を寄せ合っているという。
昨年はどうにかそれで冬を乗り越えることができたが、今年は石炭が十分にないため、冬になる前に隣の島に木材を採りに行ったらしい。ただ、森では魔物が襲ってくるし、毒の木で手がかぶれるし、結局、ほとんど薪がない状況に陥ったと、シャーマンのような獣人が話していた。
冬の初めにファングが「なんとかする」と言って出て行った。俺たちが来なければ、死を待つだけだったかもしれない、と獣人たちはすすり泣いていた。
ファングの家の扉を開くと、中にいた獣人たちが怯えるようにトースケを見た。
ガタッ!
ウィンプスは、部屋の隅で頭を抱えて震えている。
「ひっ! 恨まないでくだせぇ~、何でもしますから!」
「ウィンプス、大丈夫だ」
「オレがちゃんと埋めなかったから、現世に戻ってきちまったんですかい? そりゃあ悪かったです。あいつらとおんなじように責任もって埋めますから、どうかどうか、黄泉の国にお戻りくだせぇ~」
「なに言ってんだよ。俺を勝手に埋めるな」
「じゃあ、なにを恨んでここへ?」
「いや、恨んでないんだよ」
「はっ! まだ、自分が死んでいると気づいてねぇんですかい?」
「ウィンプス、俺は生きてるよ」
「だって、炭鉱が崩落したんですぜ? 旦那が生きてるわけがない」
「いや、ちゃんと足もついてるし、壁にも当たる」
トースケはそう言いながら、手で壁を触った。
「バカな!」
「ウィンプス、ほらお前にも触れるぞ」
トースケはウィンプスの肩を触った。
「そんな……!?」
「よく現実を見ろ。お前、いったい奴隷商で何をやらされていたんだ?」
トースケにそう聞かれて、ウィンプスは言葉を失った。
「ほらね。私が言ったとおりでしょ? そう簡単にトースケは死なないのよ」
アメリアが勝ち誇ったようにウィンプスに言っていた。
「それよりも崩落したところからどっさり石炭が採れた。これで、どうにか冬は越せるかな?」
「……」
獣人たちも呆然とトースケを見ていた。
「話、聞いてる?」
そう聞かれて、獣人たちは首を横に振った。
「ショックを受けているみたいだけど、炭鉱の崩落くらいじゃ俺の身体は潰されないんだ。丈夫にできてるから使ってくれ。冬眠中の動物や魔物がいるところも知らないから、教えてほしいんだけど」
「どうして私たちによくしてくれるの?」
獣人の娘が聞いてきた。
「姉の命令でネーショニアとスノウレオパルドの戦争を止めるために、ここまで来たんだ」
「戦争が起きるの?」
「いや、今はたぶん起きない。ここにいる人たちは戦争よりも明日の飯の方が心配だろ?」
トースケがそう聞くと、獣人たちは全員頷いた。
「その心配はいずれ不満に変わり、恨むようになる。恨みは争いの火種になるからさ。今、俺がここにいる人たちによくすることで心配が解消されるなら、できることをしようと思って。それだけだよ」
「でも、私たちを見捨てたら争いにもならずに死ぬよ。その方があなたにとっては楽じゃない?」
「そう言われると、そうかもね。でも、死んでも恨みは残ったりするからさ。夜な夜な枕元に立たれたら眠れないだろ」
「丈夫な身体を持ってるのに、心配性なのね」
「ああ、俺は俺の心配のために、あんたらを助けるよ。さあ、冬眠中の動物がいる場所を知っていたら教えてくれ」
トースケにとって行動する理由は割とどうでもいい。できることをやらずに失敗すると自分に納得できず、後悔することがある。死んだ経験のあるトースケにとっては、そういう自分が許せないだけだ。
「冬眠している動物がいるかもしれないところは知っている。もちろん、猟師たちが先に回ってるがな」
シャーマンのような獣人が答えてくれた。
「そうか。とりあえず、教えてくれるか?」
「いや、そこへ行くには夜が明ける前に発たなくてはならん。今日はもう日が暮れる。明朝、ゆっくり行こう。今日は石炭と野菜が手に入った。十分だ」
それから獣人たちは野菜を細かく刻み、スープを作り始めた。トースケたちの分もある。
「いや、俺たちは遠慮するよ。用意してこなかったのは俺たちが悪い。自業自得だ」
「いや、明日は動いてもらうから」
「そうか」
結局、トースケたちにもスープが振舞われた。味付けは塩だけ。それでも獣人たちは生き返ったように、ゆっくり味わって食べていた。
石炭を採ってきた者の特権として、トースケの寝床は炉の近くに決まった。
「旦那、ちょっといいですかい?」
誰もが寝静まった深夜にウィンプスがトースケを起こした。
「なんだ? 眠れないのか?」
「オレの話を信じてくれますかい?」
「こんな時間にしかできない話か……?」
炉の光に照らされたウィンプスは真剣な眼差しでトースケを見ていた。
「わかったよ。聞くよ」
「旦那は生霊を見たことがありますか?」
冬の怪談が始まった。