第18話「その島、獣人の国につき…」
毛皮のコートが重く、海中のなかで脱いだのは覚えている。
気づけば、トドの魔物の群れが集まる砂浜に打ち上げられていた。
寒さに震えていないのはアメリアが側にいたからだ。火の魔法を使うアメリアはどんな寒い場所で眠っていても体の周囲を温めることができる。
「初めて役に立ったんじゃないか」
トースケがアメリアに声をかけたが、起きる気配はない。
ブォオオオ!
トドの魔物がこちらに向かって吠えた。
トースケがよしよしと撫でたが、思いっきり噛んできた。
「やめろよー」
そう言いながらもっと撫でていると、トドの魔物は「触れちゃいけないやつだった」と急いでトースケから離れる。その様子を見ていた群れも一緒に海へと逃げ出した。
「ネーショニアか?」
周囲の黒ずんだ岩には雪が積もっている。アメリアが温かいだけで、風が吹けば身も凍るような寒さが襲ってくる。崖を登れば、少し開けた場所にたどり着くかもしれない。
「クソッ、カイロ代わりに持っていくか」
トースケはアメリアを背負い、目の前の崖を登り始めた。
崖を登り始めてすぐに、海鳥のフンが落ちてきた。ボトボトと音がなる度にアメリアの身体にフンがへばりつく。問題はないのでそのまま登り続ける。そのうちに海鳥がトースケを襲い始めた。掴んだ岩にもフンが落ちてきたが、指を岩に突き刺せば滑ることはない。
「元気だな」
周りで鳴いている海鳥を見ながらトースケは崖を登りきった。
崖の上は足の踏み場がないほどの海鳥の巣。遠くに細い木の群生しているのが見える。小さな林だ。
「燃やせない木か」
トースケはシノアが持っていた植物図鑑を思い出していた。キョウチクトウという、触れるだけでも肌が荒れる木と、ドクリンゴの木という、食べたら1日中全身が痺れる木だ。どちらも燃やせば気管支炎になったりする。なるほど、こんな木ばかりじゃ薪は足りなくなるな。
トースケにとってはシノアの食育によって食べさせられていた思い出の植物だ。冬なのでドクリンゴの実は落ちて変色している。
「しかし、こんな北方の島でも生えているのか」
トースケがそうつぶやいた時、背中から「ゲホッ」と聞こえてきた。
振り返ってみると、アメリアが鳥にボコボコにされ、顔が腫れ上がっている。
「起きたか?」
「あれ? なんかすごく顔がヒリヒリするんだけどなんで?」
「気のせいだ。あんまり触ると傷が深くなるぞ」
「ああっ! なにこれ! 腫れてる!?」
アメリアは自分の顔を触って腫れ具合を確認して騒ぎ始めた。騒げる元気があるなら大丈夫そうだ。
「なんで? 海に落ちたまでは覚えてる! どうしてこうなったの? トースケ!」
「岩礁地帯だからさ。擦り傷や切り傷は仕方ないさ。薬草があれば、回復薬を作るよ。それより、村を見つけよう。もしかしたら俺たちはすでにネショーニアの領土に入っているかもしれない」
トースケは周囲を飛ぶ海鳥を殺さないように警戒しながら、ある物を思い出した。
「『竜の涙』ってあんまり効かないのかな?」
トースケが革の鎧の内側から竜の涙を取り出した瞬間、
グゥオンッ!
という音が周囲に鳴り響いた。海鳥たちは一斉に飛び立ち、トースケたちから逃げ出していった。
「初めから使えばよかった」
当分、動物も魔物も寄ってこなさそうだ。
「トースケ! なにやったの!? どうでもいいけどでかしたわね! 卵採り放題じゃない!」
ローブの裾をまくりあげて卵を抱えられるだけ抱えていた。顔が腫れていてもアメリアはたくましい。
「雪があんまり積もってないね?」
周囲を見渡し、アメリアがトースケに聞いた。
「近くに山がないから降らないのかもな」
「え? どういうこと?」
「雲が山にぶつかって雨や雪を降らせるだろ? でも標高の高い山がないこの島では雨雲が通り過ぎていくんじゃない。だから多少は降るだろうけど、そんなに積もらないのかも」
「へ~、物知りね」
「いや、違う理由があるかもしれないよ。暖かい風しか吹いてこないとかさ」
「そういう風魔法の使い手がいるってこと?」
「あ~、いや違う。説明が面倒」
トースケは身体をこすりながら、先へと進んだ。この世界では魔法で説明できてしまうことが多いので、偏西風とか暖流とか言っても伝わらなさそうなので諦めた。
「トースケ! 今、なにか諦めたわね! 私がバカみたいじゃない?」
「いや、俺が説明できないことと、アメリアがバカなことは別だよ」
「そう、ならいいけど……。今、バカって言った? ちょっと待ちなさいよ! やっぱり卵を少し持って!」
トースケの目の前には地平線まで丘が続いている。時々、小さな林のようなものがあるが、ほぼ毒に使う木が植えられている。魔物の被害が多かった地域なのか。
「大きい島ね。ネーショニアかしら」
「たぶんね」
しばらく北へ進むと、廃村があった。石造りのしっかりした家が建っていたようだが、すでにもぬけの殻で、壁の跡が残っているだけ。底の抜けた鉄鍋などはあるが木片は一切ない。燃やし尽くしてしまったのか。
「これじゃあ、焚き火すらできないじゃない! あの藪の木を拾いに行きましょう」
「いいけど、燃やすと普通の人は喉やられるから気をつけてね」
とりあえず、トースケは革の鎧の下に着ている服を乾かさないといけない。藪で枯れた蔓を拾い、大量の枯れ草を集めて、どうにか焚き火をする。枯れ草はすぐに燃えてしまうので、少しずつ燃やし、服を干した。
夜になるとぐっと冷え込んでくる。
廃村の井戸は使えたのでどうにか水は確保。壊れた鍋を腕力で曲げ平たくすれば、簡易的なフライパンの出来上がり。海鳥の卵を焼いてエネルギー補給をして、あとは寝るだけ。
「お腹空いた」
寝れば温かくなるというのに、アメリアはなかなか眠らなかった。仕方がないので、動いて身体を温めることに。走り回り、落ちて腐っているドクリンゴなどをたべる。植物ならなんでも食べられるので、食いっぱぐれることはない。
「いい身体にしてもらった」
戻るとアメリアは眠っていたので、身を寄せてすぐに寝てしまう。眠っていなかったら気絶させてでも眠ってもらうつもりだったので、無駄が省けた。
翌日、乾いた服を着て、道の跡を進む。
アメリアはトースケが昨晩襲ってこないかと期待していたらしく、あまり機嫌がよくない。
「なに言ってんの?」
「トースケだって裸になってたでしょ? 自分の性欲を抑えるために走りに行ったんじゃないの?」
「そんなわけねーだろ!? 無駄な体力を使ってどうする!? ドクリンゴの実を食べに行ったんだよ」
「食べ物があるなら言ってよ!
「だから毒のリンゴだよ。普通の人は食べられない。アメリアは腐ったものや虫ごと食べられるか?」
「お腹壊しちゃうじゃない!?」
「だから、俺は食べられるんだよ! そういう食育を受けてきたの? わかる?」
「わかんない! なんでこんなセクシーなお姉さんがいるのに普通でいられるわけ? いい年齢の男女が流れ着いた島で不安でしょ? こんなシチュエーションないじゃない?」
「なにをそんなに興奮してんのかわからないけど、落ち着けよ。俺、顔の表面積が広い人はそんなにタイプじゃないぜ」
「この顔は海鳥に襲われたのに、トースケが追い払わなかったからでしょ!? どうしてくれんのよ」
「どうもしねーよ。あんまり喋ると腹減るぞ。あ、道が広がってきた。そろそろ村が……」
道は丘を越え、丘の合間の谷を下っていくと、楢の森に隣接した大きな町が見えた。
「ほら、ね?」
「あんな大きい町があるなら、食べ物には困らなそうね」
町の外側には堀や杭が刺さっており、森からの襲撃に備えているようだ。魔物と戦っているのかもしれない。
「とにかくお腹が空いた。トースケ、お金持ってきた?」
「持ってない。それより防寒着がほしいよ」
「まったくこれだから。世の中は金を持っている者が偉いの? おわかり?」
アメリアは財布袋を取り出して、チャリンと鳴らした。
「その金は俺たちが頂こう! 人族よ」
丘の上から、獣人の盗賊団が現れた。総勢、20人ほど。トースケたちに向けて弓矢を構えている。
トースケもアメリアも両手を上げた。
「なにしに来た? いや、どうやって、ここまで来たんだ?」
丘を降りてきながら盗賊団のリーダー格の男が聞いてきた。
「手漕ぎボートで……」
「バカを言うな! ふざけやがって」
そう言いながら、リーダー格の男はトースケを殴って気絶させようとした。が、トースケにはまったく効かない。
「随分、強気だなぁ! この女がどうなってもいいのか!?」
「トースケ! 私を気にしないで! やっちゃいなさい!」
アメリアはあっさり盗賊たちに捕まり、後ろ手に縛られている。
「うん。気にしてないよ」
「なにをっ! この状況でやる気か!」
トースケたちを囲んでいる盗賊たちが斧やナイフを取り出した。
「いや、やりませんよ。寒いので早いところ、隠れ家なりアジトに連れて行ってもらえますか?」
「ああ、お前の腕を一本もらってからな!」
そう言って盗賊の一人がトースケの腕に斧を振り下ろしてきた。
ガキンッ!
金属同士がぶつかるような音が鳴って、斧の柄が折れた。
「もったいない。俺、結構硬いのであんまり刃物は通らないんですよ」
そう言ったが、盗賊団の全員がトースケに向けて攻撃を仕掛けてきた。
ドスッ、ガスッ、バキッ、ボコッ。
斧もナイフもこん棒もトースケには一切、効かなかった。
「満足しました? じゃあ、とりあえずアジトに行きますか?」
「「「「う、うわぁあああああっ! 人間じゃねぇ~!! 化物だぁ~!!」」」」
盗賊たちが蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
トースケはとっさにリーダー格の男を捕まえた。
「本当に寒いので、コートだけでも置いていってもらえますか?」
リーダー格の男は黒いコートを脱ぎ捨てて転がるように逃げていった。
あとには盗賊たちが落とした武器と縛られたアメリアだけ。
「武器を売ったら、少しは金になるよね?」
「そうね。それよりも縄を解いてくれる?」
「そのままでもいいんじゃない。似合ってるよ」
「バカ言わないでよ! 本当に縄を解かない気ね。火傷したら、回復薬ちょうだいよ!」
アメリアは火魔法で縄を焼き切っていた。
トースケは武器を拾い集めて、そのまま町へと向かった。
「ちょっと、置いてかないでよ!」
「そもそもついてこいなんて頼んでないよ」
「私たち仲間でしょ?」
「いいや、それだけはない! 俺はアメリアとは絶対に組まないから」
もし、パーティと認識されて経験値でも入ってこようものなら、爆死しかねないので、トースケは強く否定した。この世界の経験値のシステムがわかっていない以上、なるべく仲間を作る気はない。
「……な!? ここまで一緒にいて仲間じゃないなんてことある!?」
「あるある!」
「だったらトースケは私のことどう思ってるの!?」
「喋るマッチと湯たんぽ」
「酷い! 絶対、お金貸してあげないんだから!」
そう言ってアメリアは町に走っていった。
トースケが着いた時には、町の警鐘が鳴り響いていた。
「南から人族の化物が来たぞぉお!」
「北の森からはオークの軍団だぁあ!」
「挟み撃ちかぁあ!」
町の人たちが走り回り、女性や子どもたちを家の中に隠しているところだった。
「あのー、誰か武器を買ってくれませんかぁ!?」
トースケの売り文句は警鐘の音にかき消された。