第16話「その宝石、竜の涙につき…」
ノースエンドの町は高さ三メートルほどの石壁に囲まれており、大きな門の前には毛皮と鎧を着た衛兵たちが立って威圧するような目で通行人たちを見ていた。
パールとトースケは商人たちに紛れて町の中に入った。安全な町だからか通行量も多く、冬の寒い中、外に出て井戸端会議をしている女性たちの姿も見える。
「冬でもこの時間は陽の光が暖かいだろ? 雪が降ると外にも出れないから、ああやって日向ぼっこをしてるのさ」
パールはタバコの火を貰いに女性たちの中に入っていった。
「まさか、パール婆さん!?」
「何年ぶりだい? しかもこんな時期に?」
「野暮用でね」
パールは女性の一人に火魔法でタバコに火をつけてもらっていた。
「あら? パール婆さん、彼氏連れてきたの?」
火魔法を使った女性がそう言ってトースケを見て笑った。
「末の弟のトースケさ。結婚相手探しに来たんだけど、教会のシスターたちに揉まれて女に幻滅してるんだよ。あんたたちどうにかならないかい?」
「10年、遅かったねぇ」
「うちも旦那は一人で十分」
「どっか行ってくれないかな? って時あるもんね」
「あんまり期待しすぎないほうがいいよ」
女性たちはトースケに言った。トースケは笑いながら「はぁ」と言うしかなかった。どの女性もパールが産婆として取り上げた人たちだそうだ。本当は生まれてこられなかったような娘や母親が死にかけるような難産でも、パールにかかれば安産になるそうだ。本当かどうかはわからない。トースケは話半分で聞いていた。
「どうだい? ネーショニアは?」
パールが自然を装って女性たちに聞いていた。
「どうってことないよ」
「総督がにらみを利かしているうちはね」
女性たちはそう言って頷いていた。
「そうかい。でも、総督にばっかり頼ってたんじゃ、この町も危ない。そうだ! 新しいお守りを作ったんだけど、あんたたち買わないかい?」
「パール婆さん!」
「商売しに来たの?」
「全くお金にだけはがめついんだから」
「また騙されるところだった」
女性たちは手を振って散っていった。
「はぁ~あ、町が安全でも国の危機じゃあねぇ~」
パールはタバコの煙を吐いた。
「総督は町の人たちに信頼されてるんだね?」
トースケがパールに聞いた。
「そうさ。戦う前に相手が逃げ出すような女でね。強くて聡明、見目麗しいんだから部下たちも育つってもんさ。実力も実績も国王の折り紙付き。でも生涯でたった一度だけ負けたことがある」
「誰に?」
「うちの長男さ」
「コールって言ったっけ? あれ? 竜に勝つほどの兄とも言ってたよね? まさか……北部総督って竜なの?」
「相変わらず、勘がいい。他人に言うんじゃないよ。一応、秘密ってことになってるから。春に会わせるって言ったけど、ちょっと予定が早まったね」
「じゃあ、俺は竜からなにか盗むの? 無理だろ」
「大丈夫さ。一報は入れてあるしね。さあ、夜まで時間がある。宿でも取ろう」
先を歩き出したパールにトースケはついていくしかなかった。
「町の中心、川の辺りに砦がある。ここに白竜こと北部総督が常駐しているんだけどね。まぁ、ほとんど彼女の城みたいになってる。トースケは砦に侵入して白竜の寝室から、『竜の涙』という宝石を盗んできてほしい」
宿屋の部屋でパールが語り始めた。
「どんな宝石? 何色?」
「まぁ、見ればわかる。白竜の弟が死ぬ間際に流した物だ。大粒だと思っていいよ」
「なんでそんな宝石が必要なのさ」
「竜の匂いや声っていうのはそれだけで魔物が寄り付かない。それが今のネーショニアにある炭鉱には必要だからさ。わかるだろ?」
「炭鉱に魔物が巣食っているってこと?」
「そういうことだ。ネーショニアの獣人たちには対処できる量じゃないし、お前だってレベルが上っちゃうから迂闊に魔物を殺せないだろ?」
「だったら冒険者たちに頼んでみれば?」
「冒険者を雇う金があれば、こんな事になってないんだよ。ほら冬は日が暮れるのが早いんだ。夜には起こすからしっかり休みな」
トースケは仮眠後、深夜に起こされ、宿から放り出された。
「もう夜か。う~寒い」
黒いコートを羽織ったトースケはとぼとぼと砦がある川の辺りまで歩いていった。
澄んだ空気にトースケの白い息が漂う。月明かりを反射する白い雪を踏めば黒い足跡がくっきりと浮かび上がる。夜の町は、光と影のコントラストが強い。影の中を移動すれば、近くでもわからないかもしれない。
トースケはなるべく建物の影から影へと進み、砦の下まで辿り着いた。
門兵は寒さを凌ぐためか、何度も配置を交代しながら動いている。
「もしかしてパールが報せたからじゃないか?」
兵の数が多い。砦の中に入るのにも一苦労だ。
一応、パールから鉤爪とロープを持たされたので、兵が通り過ぎた瞬間に塀に向けて投げる。
ガキッ。
しっかり、塀にロープがぶら下がったのを見届けてから裏手に回った。
影にじっと潜んでいると、「侵入者だ!」という声とともに笛の音が辺り一帯に響き渡った。笛の音を聞きつけた兵たちはロープがかけられた塀へと殺到していく。
トースケは裏手にある高さ5メートルほどの塀を軽く飛び越え中に侵入した。
砦の中は警戒していた兵たちと寝起きの兵たちが動き回り、侵入者を探している。
トースケは単独で動いているものを探し、台所の裏手を探している兵に襲いかかった。たっぷりと睡眠薬を染み込ませた手袋で鼻と口を塞ぐとあっさり兵は眠った。あとは兵の服を頂いて、兵を貯蔵庫の奥に寝かせておくだけ。
兵に変装したトースケは眠そうな演技をしながら、階段を上った。
「おい、なに寝ぼけてるんだ? こっちはお前の持ち場じゃ……」
途中で出会ってしまった兵も睡眠薬を染み込ませた手袋で眠らせていく。
いくつか部屋を開けながら総督の部屋を探す。鍵がかかった部屋が多かったが、元々鍵を開けるのを本業にしていた盗賊なので、トースケにはあまり意味がなかった。
3階の奥には一番大きな扉があり、竜が飛び立つような装飾も描かれていた。鍵もかかっていなかったので、迷わず侵入。総督の執務室のようで大きな机や棚が並んでいた。はめ殺しの窓から月明かりが差し込んでいる。遠くから兵たちの声がする中、トースケは棚を物色していった。
あっさり豪華な宝石箱が見つかった。蓋には鍵がついていたが、トースケにはないも同じ。ゆっくり蓋を開けて中を確認すると、なにも入ってなかった。
「あの碌でもない一族の末弟か?」
いつの間にか扉が空いていて長身の美女が立っていた。白髪で肌も透き通るように白い。動きやすそうな拳法家が着るような服。首にかけているネックレスには大きな宝石が嵌っていた。おそらくあの宝石が竜の涙だろう。
「そうみたいですね」
部屋にある魔石灯の明かりが点いた。扉から兵たちが続々と部屋に入ってくる。
「警告は受けていたから、対応させてもらった。悪く思うな」
白竜はよく通る声で言った。
剣や槍を突きつけられてトースケは手を上げる。なにかの拍子に兵たちを殺したら自分が爆散して死んでしまうかもしれない。
「そのネックレスをちょっとの間貸していただけませんか?」
「これは弟の形見でね。そう易々と誰かの手に渡せるような代物じゃないんだ」
白竜はトースケの力量を計りかねていた。コートの下は普通の革の鎧だけ。武器らしい武器はなく、腰にナイフを装備しているくらい。特別な魔法や魔力は一切感じなければ、筋肉がバカでかいというわけでもない。これが本当にコールやパールの弟か。
兵たちはトースケを囲み、手錠をかけた。
「このままではネーショニアの攻撃は止まりませんよ」
「ネーショニアは我々が止める」
「北方にいる兵も獣人も犠牲になるんじゃありませんか?」
「それも致し方ない。さあ! この坊やを牢に放り込んでおきな!」
トースケは手錠の上、縄で身体を縛られ、前と後ろに兵がいる状態で地下にある牢へと連れて行かれた。
地下牢にはトースケ一人だけ。手錠も縄も解かれていない。唯一の武器であるナイフは取り上げられてしまった。
守衛の兵は牢の鍵を閉めてから一人だけ。椅子に座ってトースケが不穏な動きをしないようじっと見ている。砦にいる兵の中でも一番白竜の信頼が厚い男だ。
「お前さん、あの霊媒師の弟だって?」
男がナイフでりんごを切りながら、トースケに話しかけてきた。
「まぁ、そうだね」
トースケは冷たい石の床に座って答えた。
「全然似てねぇな。弱そうだ」
「そりゃ、どうも。これからネーショニアから船団がやってくる。あんたらどうするつもりだ?」
「どうするもこうするも、あのおっかねぇうちの大将が魔法を放って沈めるさ。じゃなかったら新人教育のために海戦でもするかだな。どちらにせよ、こちらが負けることは絶対にない」
「王都も同時に攻撃されるとしたら?」
「ネーショニアと海戦やった後、奪還すりゃいい話だ。なにか問題があるか?」
「一般市民の犠牲者が多すぎる」
「大丈夫だ。戦争が終わればネーショニアから奴隷がわんさか入ってくるからな。働き手は増えるくらいだ」
ノースエンドの兵たちは王都がどうなってもいいらしい。
「王都にいる王族が死んだら?」
「うちの大将が王になればいい。そしたら俺は大臣にでも任命してもらうさ。ハハハ」
男は切ったりんごを口にした。
「悪くねぇ切れ味だ」
男の視線が一瞬ナイフに向いた。それをトースケは見逃さなかった。
カカンッ!
なにか金属が弾けるような音が二度鳴った。
音に反応して視線を戻した時には男の顔にトースケの手があった。睡眠薬がたっぷり染み込んだ手袋だ。一呼吸で男は自分の意識が遠のいていくのを感じ、思わず太ももにナイフを立てた。必死に顔にある手を退けようともがいたがまるで動かない。トースケの戦力を見誤った己のミス。男の意識は飛んだ。
「あぶねぇ、勝手に死なないでくれよな」
ようやく眠った男の太ももを止血し、トースケは自分のナイフを取り戻した。話しながらずっと機会を伺っていたのだ。二度鳴った金属音は手錠を引きちぎる時と牢の扉を蹴破る時の音。縄は結び目が甘かったので引きちぎるまでもなく外せた。
「さて、俺の鉤爪はどこ行ったかな?」
鉤爪はテーブルの上に無造作においてあった。
一応、男が死んでないか確認してから地下から脱出。廊下にいた兵も眠らせて、一旦外に出た。
外から砦の上階を見れば、明かりが点いている部屋がある。
「あそこだな。竜だから、そう簡単に死なないよね」
トースケは屈伸運動をするように膝を曲げて砦の屋上へと跳んだ。屋上に鉤爪をかけて明かりが点いている部屋へとロープでぶら下がった。窓からしっかり白竜の姿を確認。
あとは壁をぶん殴るだけ。
ボゴッ! ボゴッ! ボゴッ!
3回殴って、壁を壊す。
驚いて壁際に飾ってあった槍を手にした白竜がトースケに突きを放ってきた。トースケは避けもせずに槍の先を握って押し返した。白竜は尻餅をついて倒れた。
「やっぱりあなたたちのやり方は犠牲者が多すぎる。竜の涙を貸してもらいますよ」
トースケは白竜の首からペンダントを引きちぎって革の鎧の裏に隠した。
「貴様ぁ!! グォオオオオ!!!」
白竜は咆哮。
姿が竜へと変形しそうになったところをトースケの掌底がみぞおちにクリーンヒット。内臓が裏返るような衝撃を受け、白竜は息もできずにブラックアウト。
トースケは白竜の背中を押して呼吸ができるようにしてやった。廊下から兵たちの足音がバタバタと聞こえ始めた。
「ちょっと大げさになっちゃったなぁ。ま、しょうがないか」
トースケはそう言って壁に空いた穴から飛び出した。
砦からサイレンのような音が鳴り響く中、トースケはパールのいる宿へと戻った。