第12話「その教会、修業の場につき…」
トースケとパールは教会前にいた。
三角屋根の立派な教会で、扉には魔除けと思われるリースがかかっている。
「霊媒師ギルドがあるのに教会もあるんだね」
「ま、業務が違うだけで、同じ業種だね。うちの近くにもあっただろ? 教会で宣伝して、霊媒師が実務ってとこだ。近くにあったほうが何かと都合がいいんだよ」
パールは「ほら行くよ」と教会の中に入っていった。
どうして教会に来たのかトースケは聞かされていない。しかも夜明け前の朝鳥も鳴かない、こんな時間に。
「『最高』になる前に、死なないようにしなくちゃね」
そう言うパールの息は白い。石造りの床から、凍えるほど冷たい空気が立ち上ってくる。
「死なないようにって言ったって、俺は油断して思わず虫の魔物を殺しただけでも死んじゃうかもしれないんだよ?」
「だからだ! 今まではシノアの家に住んでいて、服も薬臭かったから虫も寄ってこなかったけど、これからは違うんだから、ちゃんと虫だろうが女だろうがなんでも避けられるようにならなくちゃね」
教会内に並んだ長椅子を通り過ぎ、パールはどんどん奥へと進んでいく。祭壇には蝋燭が並び、ほのかな明かりが曇り窓から差し込んできている。
「蝋燭が消えている。寝坊したね? はぁ、ちょっとおもちゃを作ってやったらこれだ。おい! 男を知らないアバズレども、いつまで寝てるんだい!」
パールが吹き抜けの教会内に響き渡るように大声を張り上げた。
「若い男を連れてきたから、早く起きな!」
パールの声が終わらぬうちに、ドタバタと慌てた音が聞こえ、白い服のシスターたちが奥のドアから現れた。
「おや、パルロイ様ではないですか? こんな朝早くどういたしました?」
長い黒髪のシスターが鈴の音のような声で聞いた。
「どうしたもこうしたも、蝋燭が消えてるよ。墓地から霊が出てくると、うちが迷惑するんだから気をつけな」
溜息とともに吐き出したパールの言葉に、シスターたちが慌てて教会の中心部にある祭壇のろうそくに火をつけて回った。特殊なろうそくのようで火が着いた途端、周囲に暖かい風が吹いた。「霊を安眠させるための蝋燭さ」とパールがトースケに説明した。
「それで、そちらの殿方はどなたですか?」
指から出る魔法の火をこするように消しながら、シスターの一人が聞いた。
「私の弟でトースケという。魔力の扱いに慣れてないんだ。教えてやって」
確かにトースケは魔力の扱いはまるでしらない。そもそもレベル1で魔法を扱えないのだから当たり前だ。
「トースケ、シスターたちだ。名前は覚えなくていい。アメリアのお嬢ちゃんのように自分の周囲に魔力を纏う術を覚えな。それだけでもかなり死ぬ可能性は低くなる」
パールは、アメリアが教えるよりもちゃんとした教会で基礎を学んだほうがトースケのためになるだろうと考えた。トースケの方も異論はない。
「トースケです。よろしくお願いします」
「よろしくお願いいたしますわ。それでは身を清めてから瞑想しましょう」
そう言って黒髪のシスターがトースケの手を取ろうとした。
「若い男だと思って、一々触るんじゃない! トースケ、いいかい? 肌がきれいな女には気をつけな。年齢を誤魔化している可能性がある。それから瞑想するのに身を清める必要はないし、触られる必要もない。まぁ臭いでわかるかもしれないけど、ここにいる女どもは魔物だと思って差し支えないから、距離感を保ちな。良い訓練になる」
「了解」
シスターたちは「考えられない」「おかしい」とパールに目とジェスチャーで抗議していた。
「トースケは、ほとんど何も知らないから、座学も教えもやってくれ。この国のことも教えてやってほしい。その時は近づいて構わないから」
「わかりました。責任を持って私がやりましょう」
「いいえ、私のほうが町のことは熟知してますわ」
「最も年が近い私が!」
「騒がしいあなたたちでは、トースケさんが不憫ですわ」
シスターたちの争う声を聞きながら、パールは「まぁ、ここでがんばんな」とトースケの肩をたたいて教会を出ていった。
トースケは勝手に教会の奥に行き、瞑想できそうな部屋を探した。
アメリアは冒険者ギルドで掲示板を見ていた。
朝起きたら、トースケもパールもいないし、飯が用意されているというわけではない。だからといって金があるわけでもない。冒険者ギルドで依頼をこなして、金を稼ぐしかなかったのだ。
「魔法使いにぴったりな依頼はないかなぁ」
アメリアは街灯の魔石に魔力を補充する仕事を見つけたが、プライドが邪魔をして他を探すことに。
初心者冒険たちからパーティのお誘いもあったが、アメリアはそっけなく断り、商船の護衛の依頼を受けることにした。依頼は6日間ということで、レッド爺さんの店に「6日間いません、アメリア」と拙いメモを残した。
トースケは廊下に飾ってあったスノウレオパルドの地図を見ながら、「おかしいな」という言葉を繰り返していた。
「トースケさん、こちらにいらしたんですね! 瞑想もせずに何をしておられるんですか!」
シスターの一人が見咎めた。
「これ、正しい地図ですか?」
トースケは咎められたことすら気づいていないように、シスターに返した。
「もちろん、正しいスノウレオパルドの地図ですよ」
「これから冬の間、3ヶ月か、4ヶ月、国境線を閉じたまま過ごすんですよね?」
「そうですよ。雪に埋まってしまいますからね」
「おかしいな。この都市は20万人も人口がいるんですよね。冬の間は自然と消費カロリーが多くなるし、燃料も必要だと思うんですよ。雪に埋もれたままでも畑で野菜が取れたりするんですか? もしくは隠し鉱山とか」
「雪に埋もれた畑は使えませんよ。隠し鉱山はわかりませんけど」
「だったら倉庫業が進んでいるんですね。いや、密貿易ですか?」
トースケは窓の外を見ながら、シスターに聞いた。
「し、知らなくていいことです! ほら、瞑想の練習をしましょう」
「はいはい。でも、田舎は食糧不足だってのに、この都市には輸出品があるのかなぁ……」
トースケは考え事をしながら、階段を上っていった。
トースケは教会で物置と使われている屋根裏部屋を自室に決めた。蜘蛛の巣やホコリが溜まっていたが、瞑想するには静かでいい場所だった。固く閉じた窓を開け、丁寧に掃除しながら、小さな蜘蛛の魔物や蛾の魔物を殺さないよう、外に放した。
瞑想は床に布を敷いて、始めた。トースケの魔力をコントロールするのは難しく、多すぎる魔力を押さえ込むことに時間を要する。シスターたちは何度もトースケの様子を見に来たが、「邪魔です」と言われ、追い返された。
シスターたちがトースケに会えるのは食事と座学のときくらいだ。
座学のときは、基本的に歴史や地理を学び、算学は学ばない。トースケのほうが教師である神父よりも難しい問いに答えてしまっていたから、神父の立つ瀬がなくなってしまった。
「いや、だから魔石の鉱山が量を誤魔化しているか、なにか他のものを輸出しないと、この都市は冬を乗り越えられないんじゃないですか?」
地理の時間にスノウレオパルドの地図を広げながら、トースケは神父に聞いた。
「私は一介の神父です。わからないことだってあります!」
「俺だって一介の冒険者です。でも、わからないことに疑問を持つことはいけませんか? ああ、そうか! 宗教家は非課税だからあまり社会に興味がないんですね」
「そんなことはない! 税金もちゃんと払っています!」
「じゃあ、なぜ税金がどう使われているのか気にならないのです?」
「はぁ……困った子だ。わかりました。訂正しましょう。わからないのではなく、答えられないのです」
「わかっているけど、答えてしまっては宗教家としての自分が成り立たない、と?」
「そうです! それでも聞きますか?」
神父はトースケの視線を真っ向から見据えた。
「いえ、結構です。だいたい予測がつきました」
神父が答えられない貿易品といえば、麻薬か奴隷くらいだ。麻薬はスノウレオパルドのように寒くなくても育つから、おそらく獣人奴隷をどこかの国に輸出しているのだろう。
「ネーショニアとは生かさず殺さず、絶妙なバランスを保たないといけないわけですね」
「そういうことです。他に疑問は?」
「今のところありません」
トースケの興味は密貿易をしている相手がどこの国なのかに興味が移っていた。
金とモノの流れを理解することで、その時代が見えてくることがある。どこで争い事があり、どこに利権があるのか。戦争の火種、差別、アンタッチャブルな未開の地。トースケはシノアの家を出てから、世界を、この今いる時代を知りたくて仕方がなかった。
教会にある文献はすぐに読み尽くしてしまい、何か本はないか聞いてみたが、シスターたちが隠し持っている本はラブロマンスの小説ばかりでトースケが欲しい情報はなかった。
また、瞑想ができてもなかなか魔力の制御ができない日々が続いたため、不満も溜まる。
なにより、夜中に聞こえてくるシスターたちの艶めかしい声でさっぱり寝られない。どうやら、パールがシスターたちに悪い欲を身体から追い出すためだと言って、大人のおもちゃを与えたようなのだが、一緒に暮らす神父はよくこの生活に耐えられているものだ。
「夜は眠ることです。私はワインを一口飲めば朝まで起きませんから」
神父の体調管理を見習いたい。
「それで、魔力の制御はうまくいっているのですか?」
「いえ、瞑想は出来るのですが、魔力を押さえ込もうとすると意思が生まれ、集中できなくなります」
「意思が生まれて集中できないのなら、初めから『イシ』を持てばいいのです」
そう言って、神父は小石をトースケに渡した。
屋根裏部屋に戻って「何を言ってるんだ? あのおっさんは」と思いながらも、トースケは神父の言うとおり、石を持って両手を組んで、瞑想してみた。
何も考えないようにただじっと自分の魔力の流れを感じながら、ただ集中するだけ。ここまでは出来るのだが、魔力の流れを自分の周囲に留めておくことが出来ない。
留められない魔力を石に向かって集中させていく。魔力の流れを石に向けると、石が壁に飛んでいってしまった。集中も途切れ、魔力が霧散してしまう。
「石を飛ばしたいわけじゃなくて、自分を魔物から守りたいんだよな……石を守ってみるか」
床に転がった石を拾って、再び瞑想を始めた。
今度は石の周囲に魔力の流れを作り、石をコマのように回転させてみた。横回転だけでなく、縦回転や斜めの回転などを試していくと、石が面白いように回った。ただ、この石を自分の体でやると、身が持たない。
少しだけ石の外側を回転させるようにしてみると、石は回転していないものの魔力は回転しているのがわかった。
「これを自分の体でやってみるか」
ブブブゥワンッ!
床板が削れてしまった。これでは魔物を殺してしまう。
「魔力の流れの勢いが速すぎるんだな。大河のような意識で……」
心を落ち着かせ、完全に瞑想状態に入ってから、魔力を自分の周りにゆっくりと回転させてみた。床板を削りながらも方向性は見えたので、なんども反復練習をする。
精神を落ち着かせ心静かにしているのだが、夜になれば嫌でもシスターたちの喘ぎ声が聞こえてくるので、集中できない。
それが毎晩、続くのだ。さすがにトースケの堪忍袋にも限界がある。
「うるせぇんだよ!! 毎晩毎晩盛りやがって! こっちは修行しに来てんだ! そんなにヤりたきゃ、ヤギとヤッてろ!」
教会中に怒声が響いた。
教会の外にも聞こえたようで、酔っぱらいたちの笑い声がした。
その日から数日、シスターたちの夜のお勤めはなくなり、外からヤギのモノマネをした酔っ払いたちの声が聞こえてきたが、突然、墓地から幽霊が出てきて酔っぱらいの何かを噛み切るという噂が立ち、大概的な事態は収束していった。
教会内部では明らかにトースケへの扱いも変わり、食事面ではマッシュポテトは微量になり、その代わり精力がつきそうなヘビの魔物の肉などが出された。シスターたちの目も誘っているなどという生易しいものではなく、飢えた狼のような目でわざとトイレや風呂についてくるシスターたちまで現れた。
トースケは集中して自分の周囲に魔力を回転させ、シスターたちを遠ざけた。
「これほど実践が鬼気迫るものだったとは」
トースケは死ぬ気で修行を続けた。