【1】prologue1
【1】prologue1
夜。
辺りを漆黒の闇が覆い、不気味な鳥の鳴き声が響き渡る。
空には真紅の三日月が幽玄に浮かび、その赤い月光を受けて闇夜の中に大きな古城を映し出した。
沢山の蝙蝠が飛び交い、至る所に毒蜘蛛の巣が張り巡らされた古城。
そんな古城の中に60歳程の老人が何やら怪しげな装置で怪しげな研究をしていた。
ゴポゴポ、ゴポゴポ。
ゴポゴポ、ゴポゴポ。
タールのようななぞの黒い液体からは絶えず気泡が吹き出している。
それを鋭い眼光で見つめる老人の姿からは何か言い知れぬ執念めいたものを感じ取ることが出来た。
そして、一際大きな音が響き、タールから大きな泡が這い出した。
ぬぽん。
空中に飛び出したそれは老人の目の前まで飛び上がると、唐突に弾け、内包していた黒い煙を撒き散らした。
だが。
空中に四散するかと思えた煙は不思議な事に一箇所に集まり出すと、よく分からない文字を宙に描いた。
ミミズが這った様な歪な文字列。
それを見た瞬間、老人の身体がわなわなと震え始めた。
そして――、
「やった‼︎ やったぞ‼︎ 遂にやった‼︎」
老人が歓喜の声を上げた。それはまさに長年の夢が叶った様であった。
よほど嬉しいのか、老人は思わず踊り出していた。激しく前後に腰を振り回す。そのキレはとても60歳のソレとは思えない。
一頻り踊り回ると、満足したのか傍にあった簡易なソファにどっぷりと腰を落とした。
はふぅ、と溜息をつく。
そして、老人は下種じみた表情を浮かべ、堪え切れないかの様に大声を上げ笑い始めた。
「クッ……クククッ…………クァハハハハハ‼︎ 全くもって素晴らしい‼︎ なんて素晴らしい日なんだ‼︎」
老人の高笑いが古城を駆け巡る。
「ああ、これで私の長年の願いが完成するのだ‼︎ そうだ、そうと決まれば儀式の準備に掛からなければならんなぁ‼︎」
もはやそこに老いぼれた身体は無く少年の様に全身に生気を巡らせた老人がいた。
彼は出来上がった黒い液体を持つと、隣の部屋に駆けて行く。
その部屋には同じく多くの装置が所狭しと並んでいたが彼はそれらを邪魔だと言わんばかりに無造作に手で払いのけた。
硝子の割れるような音が彼方此方から響くがそんなのはどうでもいい。
部屋の地面、払いのけた下には、先ほどとよく似た文字群と何かの陣があった。
彼はそこに完成品を隙間なくぶち撒けた。そして呪文の様なものをブツブツと唱え始める。
すると、驚くべき事に陣が七色に輝き始めた。陣の中心からはバチバチと雷が迸り辺りを焦す。そして嵐さえも巻き起こった。
彼は当然という風にニヤリと笑った。
「ああ‼︎ 成功だ‼︎ これでーー」
――これで魔神が誕生する‼︎
彼は再び高笑いを始める。
実験の成功を確信した。
しかし。
ふと、上へと続く階段から妙に間延びした声が響き渡る。
「う〜ん、一体なんなんですかぁ〜。
もう、煩くて眠れないですよ〜……」
舌足らずなしゃべり方。
階段から現れたのは、寝ぼけ目を擦りながらふわぁーと欠伸をする可愛らしい少年。
その瞬間、彼は最悪の事態を想像する。今この時においてあの少年は完全に招かねざる客だ。
あの少年は天使の様な見た目だが、その本質は真逆。まさに悪魔なのだ。
そんなスーパートラブルメーカーな少年を彼は上の部屋へと追いやり、鍵を掛け防音の魔法まで施したはずだった。
しかし、何故か少年はここにいる。
何故なんだ。
彼は悪態をつくが、そんな場合では無い。すぐさま少年を退けようと試みるが実験の為にここからは動けない。
ならばどうする。
彼がとれたのは極めて原始的な方法のみだった。
彼は必死に声を張り上げる。
「ばかもぉぉぉぉぉぉぉん‼︎
今は来るんじゃなぁぁぁぁぁぁい‼︎」
もう彼は必死だ。必死の形相。
形振りなんて構ってらんない。
懸命に声を荒げる。
しかし、現実は非情だった。
少年には全く聞こえておらず何かをブツブツと呟きながら部屋の中央、つまりは陣に向けて前進あるのみである。
どうやら、陣から出る嵐やら雷やらの音も貢献しているらしかった。
非常にまずい。
彼には少年が陣に触れると絶対に実験が失敗していまう確信があった。
今までの経験と勘がそこにはある。
何としても少年が陣に辿り着く前に陣を完成させなければ。
幸いにも今の少年のスピードなら実験をギリギリ成功させる自信が彼にはあった。
ならば。
彼は全ての力を振り絞りかつてないほどまでに集中した。
陣は更に嵐や雷を荒げ凄まじい圧力を放つ。
だが、少年の足は衰えることなく終りの時を一刻、また一刻と刻み続けている。
ふぉおおおおおおおお‼︎
彼は最後の力を振り絞った。
そして。
遂に陣は一際輝き出す。
少年を見るとまだ数歩の余裕があった。
彼は勝利を確信した。
ファンファーレが鳴り響く。
「ワシの‼︎
――ワシの、勝ちじゃぁぁぁぁぁ‼︎」
しかし。
ここで残酷な悪魔の足音が響く。
カツンと音がして、少年が唐突に「うにゃぁぁぁぁ‼︎」と声を上げた。
ハッと彼が少年を見ると、
そこには――
彼が部屋の中央から乱雑に払いのけた装置。
地面に無造作に転がるソレに足を取られ陣上の大空へと翔び立つ少年。
その姿だった。
ズザー。
少年の華麗なスライディングが決まり、陣に描かれている言葉を根こそぎ消し去った。
世界が急速に光を失う。
そして――、
ドカーン‼︎
何故か陣は爆発した。
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「…………」
「…………」
「…………」
「…………はふ〜」
「この、バカモンが‼︎ 何がはふーじゃ‼︎ 巫山戯ておるのか⁉︎」
先ほど部屋。
そこには無残に装置が転がるのみとなった。
結果から言うと、魔神は現れなかった。
やっぱりダメだったようだ。
彼はその事実に打ちひしがれ急速に元気を失ってしまった。
後に残ったのは、ひたすらにグチグチと愚痴を重ねる小煩い老人。
「全くお前さんがあんな事を――」
グチグチ、ネチネチ。
グチグチ、ネチネチ。
しかし、少年は意に介した様子は無く眠たそうに欠伸をしている。
そして、少年が一言呟いた。
「でも〜、それって教授が寝ぼけていただけなんじゃ〜ないんですか〜?」
…………。
「…………それはつまりあれか。
ワシがあの液体を造り、実験に成功しかけたのは全部夢じゃったと?」
「はい〜、そうです〜」
「……ワシは寝ぼけてなどおらん」
アレは確かに完成したはずだった。
確信がある。
少年は再び続けた。
「じゃあ〜、教授が呆けていたんですかね〜?」
…………ワシは、
「――ワシは、呆けてなどおらんわぁぁぁぁぁぁぁぁ‼︎」
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しかし。
彼らは気づいて無かった。
確かにそれは成功したことに。
魔神はこの世界に顕在した。
ならば何故魔神が現れなかったのかと言うと、それはまた別のお話。