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女は錆びやすい。
それはナココ族だけでなく、他の部族でも共通の事実だ。
加えて、女を作るための部品の産出量が、この島は極端に低い。
島の北西にある鉱山から発掘できる部品は、そのほとんどが男のものばかりだ。
男に必要な部品を他の島に輸出して、女に必要な部品のほとんどを、他の島からの輸入に頼っているのが現状なのである。
そしてそれは、島の男たちにとって、とても困ったことなのだった。
輸入された部品で各部族の女を均等に作るため、どうしてもそれぞれに新しく生まれる女の数が少なくなってしまうのだ。
他の部族であれば多くの男で囲うことも可能だが、ナココ族はそうもいかない。
恋人同士でお互いの螺子巻を持つ習慣があるからだ。
もし強引に他人の恋人を奪おうとしても、女の螺子巻は相手の男が持っている。
そして女は錆びやすい。
相手の男の螺子巻で脅すより早く、女が錆びてしまう。
女を錆びさせてしまうのはナココ族の恥だ。
だが、他の部族と同じように一人の女を多くで囲うと、それだけ女の権力が強まってしまう懸念があった。
多くの螺子巻を預かる女は、それだけ多くの男を支配しているのと同義であるからだ。
実際過去には、多くの男の螺子巻を持った女が、まるで男たちを奴隷のように扱った事件などが発生した。
言うことを聞かなければ螺子を巻いてやらない、と。
事件があってから、ナココ族は一人の男に一人の女を絶対とした。
そのため、多くの男は恋人を持てないことになった。
そしてそれは結果的に、社交性を広げ、知り合い同士で螺子巻忘れを防がなければならない社会を作り上げたのだった。
そんな男たちの楽しみが毎夜のパーティであり、今日の祝賀会なのだった。
祝賀会とは、新しく生まれた女たちを紹介する場である。
その少なさと錆びやすさから、女は優遇される。
祝賀会に登場する新しい島の仲間である女たちは、集まった男から一人を指名する権利がある。
そして指名された男がそれを受ければ、二人は晴れて恋人となれる。
そんなわけで、多くないことチャンスに恋人を作ろうと、男たちは着飾って夜の村へ繰り出していくのだった。
*
うつらうつら、としていたカルチェは、太鼓の放つ大きな振動で目を覚ました。
欠伸を一つして、壁掛け時計を見てみれば、そろそろ祝賀会が始まる頃合だった。
半ば眠っていたためか、流れるはずの放送に記憶がなかった。
首を捻る。
まぁいいか、と一人納得しておく。
とにかく、広場に行こう。
祝賀会に参加するかは別にして、美味しいご飯と飲み物は、胃が欲している。
カルチェはもう一枚重ね着をして、家を出た。
すっかり日の落ちた村は、そのところどころに行灯が吊るされ、幻想的な景色を醸し出している。
島の中心にある機械工場のいたるところにも、行灯がぶら下がっていて、そこから漏れる淡い橙が大きく聳え立つ機械工場を朧に晒す。
長く黒い煙突からは、白い薄煙が細く長くたなびいている。
カルチェはそんな光景をぼんやりと眺めつつ、小石を蹴飛ばしながら歩いた。
やがて、煌々と照らし出された村広場に辿りつく。
中央には高い櫓が組まれ、その上では、トドニスが大きな太鼓を2本のバチで軽快に叩いている。
その櫓の下で輪になった恋人持ちの夫婦や、知り合い同士が賑やかに輪になって踊っているのがわかる。
カルチェは広場の隅に置かれたテーブルに陣取って、並べられた食事を摘んだ。
ご飯に麺に、スープにサラダに、肉に魚に虫に鳥に、ネジなんてものまである。
ボトルから少し甘ったるいミルクをグラスに注いで、カルチェは静かにそれらを平らげ始める。
村の人々は大いに盛り上がっていて、カルチェに話しかけるような人はいない。
そうでなくとも、カルチェは嫌われ者だった。
カルチェは昔、一人の女を錆びさせてしまったからだ。
そのときに出来た溝が、未だ埋まりきっていないのだった。
カルチェは一人、エビの尻尾を咥えながら、広場の中央を見た。
心地よい振動と程よい熱気に満ちていて、見るからに祭りの様相である。
……何度か、彼女と踊ったことがあった。
無意味な感傷が心によぎって、カルチェは力なく首を振った。
もはやそんな資格もないのだ。
やはり今日は、居心地が悪い。
祭りのようなパーティ自体は毎日のことだが、今日は違った。
今日は祝賀会がある。
恋人のいない男から、無音の圧力が寄せられているような錯覚を覚える。
そしてそれはきっと、カルチェが自意識過剰なだけではない。
もう帰ろう、とカルチェは思った。
その瞬間、バシュッと音がした。
途端に全ての音が止んだ。
シン、
とした静寂が広場に落ちた。
全ての人間が空を見上げる。
カルチェも、人々と同じように足を止めて頭上を見上げた。
一拍の後、花火が夜空に咲いた。
静まり返った広場に、無音の興奮が広がったのを、カルチェは感じた。
花火が咲く。
夜空に二発、三発と、続けざまに咲く。
誰かの吐息が耳に入ったと思った瞬間に、広場を良く通る声が走った。
男の声だった。
「こんばんは、ナココ族の皆さん。今日生まれた、新しい仲間を紹介しますね」
そう言って、一段高くなった舞台に立つ男が何処かに向かって手招きをした。
その仕草に導かれて、人影が次々に壇上に上がる。
舞台に並んだのは、三人の女だった。
先ほどとは違った興奮が俄かに場へ広がる。
その様子をカリチェは腕組みして見守った。
広場から抜け出す機会を、逸していた。
舞台の女たちは、男に促されて自己紹介を始める。
「トトハと言います。どうぞよろしくおねがいします」
長い髪を緩く纏めた、右側の女が言った。一歩進み出て、礼をする。
「カーナだよ。みんなよろしくね!」
ショートカットで背の低い、中央の女が言う。手を振った後、頭を下げた。
「……名はアンジュ」
左側の女は身じろぎもせず、それだけを言った。
その女は長い髪をそのまま下ろした容姿だった。しかし、他の二人と差異がある。
表情がなかった。感情がすっぽり抜け落ちていると言われても、納得がいく。
それでいて、整った顔の白痴美であった。
舞台の男がにこやかに笑う。
「さて、それではお三方に、恋人を指名していただきましょう。まずはトトハさんから――」
その声を聞きながら、カルチェは歩みを再開した。
顔合わせは済んだ。
後のことにカルチェは関わりがない、そう思った。
――しかし。
「……そこの」
声を上げたのは先ほど名乗ったばかりのアンジュだった。
「足を止めよ」
そこで、カルチェは自分が呼び止められていることに気づいた。
足を止め、体だけ向き直る。
広場の全員が、アンジュとカルチェへ交互に視線を送っている。
何が起こっているのか、把握し切れていないようだった。
「私は、あなたにする」
ざわり、と音を立てて波打った広場に、カルチェは思わずくらりとよろめいた。
それだけを言って舞台を降りたアンジュは、まっすぐこちらに向かってきた。
歩みを進めるアンジュを中心に、舞台の前で扇状に立ち並ぶ男が道を開けた。
カルチェは頭が真っ白になった。
何が起きたのか、よくわからない。
女が、女がこちらに向かってくる。
カルチェは慄いた。
錆びてしまう。
錆びさせてしまう。
女が、こちらに来る!
カルチェは息に詰まって喘いだ。
ひたりとこちらを見る視線は力強く、勘違いを許さない。
その姿に、カルチェは恐怖を覚えた。
自分が錆びさせてしまった女が、死者の使いとなって向かってきている。
そんな妄執が頭をよぎる。
カルチェはたまらず、悲鳴をあげて自宅に逃げ帰った。
*
朝になって、カルチェは目を覚ました。
目を覚ましてから、昨日の夜のことを思い出した。
広場から逃げ帰った後、螺子を巻くことも忘れて寝てしまったことを。
確かに昨日は、仕事帰りに螺子を巻いたが、その後しばらく時間が空いたはずだった。
不思議に思って、カルチェはベットの上で両手を開閉してみる。
特におかしいところは感じない。
カルチェは首を捻りながらベットを降りて、居間へ向かった。
そこに、アンジュがいた。
テーブルへ朝食を綺麗に並べ、椅子の上で正座していた。
恐怖で顎の奥がカチカチと鳴った。
何故ここにいる、とカルチェは思う。
カルチェが呼吸困難に陥りながら硬直し、内心で狼狽していると、アンジュが頭を下げた。
「おはようございます、旦那様」
カルチェは、ひぃ、と震え上がって、寝室に逃げ戻った。
シーツを被って体を小さくしていると、ノックがした。
「失礼します」
返事を待たず扉が開かれ、寝室にアンジュが入ってくる。
カルチェは心の中で悲鳴をあげた。
一層体を縮めて、シーツの端を握り締めた途端、強引にシーツが引っ手繰られた。
絶句するカルチェに向けて、無表情でアンジュが言った。
「朝ご飯です、旦那様」
カルチェは否も成しに連行され、テーブルにつかされた。
すぐ隣にアンジュが座る。
テーブルの上には、ごく一般的な朝食が並んでいる。
カルチェはごくりと喉を鳴らした。
まさか、毒が……。
「毒は入っておりません」
カルチェは飛び上がるほど驚いた。
「あ、ああ、ああ……あの」
震えながら発したカルチェの言葉に、アンジュは顔を上げてこちらに向き直り、聞く姿勢を取った。
促されるままに、カルチェは口を開く。
「ど、どうしてこの家が……」
アンジュは何も変わらぬ様子で言った。
「お返事をいただいておりませんので」
指名に応じるか否かは男が決めることができる。
双方がお互いを必要としなければ、恋人同士になれないのだ。
それを聞いて、逃げ帰ったせいで否定の返事がまだであることに、カルチェは気づいた。
カルチェは心を持ち直し、断りを入れるために居住まいを正した。
自分は以前に女を錆びさせたのだと。
恋人を迎えることなど、できやしないのだと。
しかし……。
「了承は得たと、僭越ながら機械工場の者に申し上げておきました」
そう言って、アンジュは手を持ち上げた。
アンジュの手の中には、カルチェが戸棚に鍵をつけて守っていた、カルチェの螺子巻が存在していた。
「それと、2の刻に旦那様が止まっておられたので、螺子を巻いて差し上げました」
カルチェは顎が外れるほど口を開き、ただ絶句するほかなかった。