私的にそれはバッドエンドなので全力で回避します
誤字報告ありがとうございます!助かります!
(──今はこんな顔してるのに、どうしてああなっちゃうんだろうなぁ)
自分を見下ろす男を眺めながら、ふと遣る瀬無さが募る。
妻に先立たれた悲しみと、我が子を愛しく思う気持ちがない混ぜになったような複雑な笑みだなと、ぼんやりそんなことを考えた。
あからさまに懐いてみせれば未来は変えられるのだろうかなんて思ってみたけれど、それよりも継母が取り入るペースの方が早いかと結論が出て、ついくしゃりと顔が歪んでしまう。
(ああ、いけないいけない。この体はどうにも感情に引っ張られすぎる)
突如ふぇぇんと泣き始めた私に、父親であるその男がオロオロと慌て始めて、側にいた乳母によって私はベビーベッドから抱き上げられてユラユラあやされるのだった。
◆◇◆
どうも私は死ぬ直前に読んでいた小説の世界に転生してしまったらしい。
しかも『ドアマットヒロイン物のヒロイン』として。
正直に言うと「マジかよ」である。
このヒロイン──エレーナは、生まれて間も無くやってきた継母に目の敵にされて、じわじわと実父含め家全体を掌握されていき長い事冷遇されるのである。もう冷遇された状態がデフォルトと言ってもいい。
んで、とっとと追い出す為に幼い頃から政略で結ばれていた婚約相手も、最終的に異母妹に乗っ取られて誰もその事を竦める者もなく味方なし。
そして実父と大差ない年齢の悪い貴族に後妻として身売り同然に嫁がされそうになった所を、ポッと出のヒーローに救われてちゃんちゃんハッピーエンド、な筋書きである。
……いや、長いわ。
それまでの苦痛の時間が長過ぎるわ。
生まれて間も無くから結婚できる成人年齢までって、冷遇期間があまりにも長過ぎるでしょ。
こちとら前世でもストレス耐性低めの一般女性である。
特に尖った専門知識もスキルもなく、平均年収より低い給料で「下々からこんなにぶんどりやがって……ッ」と給料明細に中指突き立てるくらいしか出来ない弱々低スペック人間である。
原作を読んだ限りあからさまな虐待などは無かったみたいだけれど、それでも無視されたり避けられたり邪魔者扱いされたりというのは大人だって精神的にクる。
ヒロインちゃんは生まれた時からそうだったから感覚麻痺してある意味大丈夫だったのかもしれないが、私は赤子の時点で前世の記憶を思い出してしまっていたので耐えられる気がしない。
職場の人間関係悪かったら誰だって逃げ出したくなるでしょ。こんなん鬱真っしぐらだよマジで神様なんてことしてくれやがったんだ……うう。
「エレーナ、君のお母様になる人を連れてきたよ」
そうこう悩んでいる間に継母が来てしまった。「まあ、可愛らしい子ですね」なんて実父の手前和やかに微笑んでいるが私に向ける目付きが全然笑ってなさそうで、もう好感度を上げる余地すら無くて初手から詰んでる感が凄い。
私はまだまだ喋れずろくに動けない赤子だから何かアクションをする事は出来ないけれど、とりあえず泣いて不興を買わない様に気合いで我慢する事しかできなかった。
◆◇◆
あれから、一応足掻いてみたんです……。
とにかく実父だけでも味方に出来ないかとダメ元で大袈裟すぎるくらいに懐いてみたけれど、そもそも日中は仕事で家に居ない人だ。その間にあった家庭内のことは使用人や継母の意見を参考にするし、暗躍根回し大得意の継母は早々に使用人達を味方に付けやがったので、幼い私の言葉など『子供の戯言』として処理されてしまう。
例え私にだけ聴こえる形で「私、お前のこと嫌いだから懐かないでね」なんて継母に言われようとも、だ。
継母はマジで外面だけは完璧なので、傍目には私と良好な関係を築こうとする健気な継母を演じるのが破茶滅茶に上手く、誰からも不審がられない。
そして私が四歳になった頃、継母が妊娠して子供が無事産まれた後にあいつはしくしくと匂わせ始めるのだ。
『エレーナが嫉妬から息子に意地悪するようになった』と。
継母が最初に産んだ子は男児だった。
この世界じゃ後継ぎは男優先だから実父の中の重要度も、私より異母弟に偏るのも仕方のない事である。
なので信じてしまうのだ、そんな嘘を。
私が幾らやってないと言っても関係ない。
『息子をベビーベッドから落とそうとした』
『玩具をぶつけた』
『わざと俯せにして窒息させようとした』
……などなど、実際には継母の自作自演や作り話であっても私と継母と異母弟しかいない空間でやられたら、みんな継母の言葉を信じる。私がどんなに否定したところで全部子供が怒られたり嫌われたりするのを恐れて責任逃れに嘘を吐いていると判断されるだけ。
だから私が頑張ってお父さん大好きアピールしたって……いや逆に、大好きだからこそ父を異母弟に奪われると思い込んだ嫉妬心からやらかしているのだと周囲から思われて、完全に裏目に出てしまった。
原作読んでた時も思ったけど、マジで継母こいつ腹立つな……。
間を置かず異母妹も生まれてさらに拍車が掛かるヤツの大嘘に私はイラつきながらも、だったら方針を変えるしかないかと誰か親族──それも母方の親族で頼れる人はいないかと思い探ってみたけれども、これもいるにはいるけど保護して貰える程ではないというのが実情。
ここでも継母の立ち回りが上手すぎて「あの人が本当にそんな事したの?」と半信半疑といった手応え。
心配した人からうっかりその話が実父経由で継母に漏れれば「私が母として至らぬばかりにすみません……」としおらしく謝罪すらしてみせるので益々ヤツに株を稼がせる羽目になる悪循環。
ラスボス過ぎるでしょあの女なんなん? 血管キレそう。
ただ、既に家督は長男(私からすると叔父)に譲って隠居している母方の祖父母は、そんな中でもわりと親身になってくれて『孫に会いたいから』という理由付けで祖父母宅に行く口実を作ってくれたのだ。
もう私は感謝感激雨あられ。そこを砂漠のオアシスとして度々避難させてもらい、なんとかメンタルブレイクせずに繋いでいく事に成功した。
もう私はおじいちゃんおばあちゃんっ子になります!
当然のように継母は不愉快そうではあったけど、『前妻の子にも優しい継母』のイメージを損ねる訳にはいかないので、「そんなに頻繁に訪ねては先方にもご迷惑になるんじゃないかしら」と多少の妨害はすれども、完全に私を閉じ込める事は出来ずにいた。
祖父母も「下の子に父を取られるからと嫉妬しているという話だったが、その大好きなはずの父から離れる様なことを頻繁にするだろうか?」と徐々におかしさに気付いてくれて、そこからは祖父母の方からよく訪ねて来てくれては窮屈な家から連れ出してくれたので、私はもうウッキウキで祖父母に甘えまくった。
おじいちゃんおばあちゃん大好き!
こうして長期休みは必ずと言って良いほど祖父母宅に入り浸ることを繰り返し、九歳になった私はこれまで出来る範囲でリサーチした内容から今後の計画を云々練るのだが……まあ実際には問題点だらけだった。
まず私の今後取れるルートとして大まかに三つくらいあると思う。
一つめは正史ルート。
作品通りの展開をなぞってヒーローに救われるのを待つルート。
二つめは平民落ちルート。
貴族社会なんてやってらんねえですわ〜〜! と家出して平民として生きていくチャレンジ精神溢れるルート。
三つめは手に職ルート。
勉強や行儀作法を頑張ってなんとか女官になり仕事に生きて行くルート。
大体こんな物だろうけど、まあまあどれも問題しかなくて。
まず一つめの正史ルートは、どんな展開になるかわかっているだけに嫌過ぎる。九歳時点で既に政略で結ばれてしまっている婚約者の事はどうでも良いが、それでも裏切られるとわかってて交流するのは別の意味で苦痛だ。
二つめの平民落ちルートは……うん。実際にこの世界の平民の暮らしはどんなものなんだろうと調べてみれば、現代人ならば殆どが無理だと思うだろう。マジで無理。
だって、まず第一に汚い。
町の至る所に汚物が捨てられてるし、風呂も金持ち以外はろくに入らないとか、もう衛生観終わり過ぎ。
次に治安悪すぎ。
強盗、強姦、暴力沙汰が溢れすぎ。賄賂や汚職、職務怠慢もしょっちゅうだから治安維持組織も信用できなさすぎて、権力者相手じゃ被害者は大抵泣き寝入りとか無理すぎ。
最後に女の人権なさすぎ。
女は家にいるもの家の奴隷といった価値観強すぎて家出後の出稼ぎ方法が無さ過ぎる。あるとしても実家の手伝いとか夫の仕事の手伝いといった扱いでとにかく身寄りのない女は旦那を持たなきゃ始まらない。上記がダメならあとは娼館くらいしか残ってなくて思わず天を仰いだ。終わってるよ!
三つめの手に職ルートも……二つめの時点からわかる通り狭き門である。
女官なんて枠自体が少ないのでとにかく優秀でなきゃ成れないし、同じ優秀さの希望者が並んだ場合、強いコネがあるかないかが合否に占める割合デカすぎてもうお手上げ。
前世の自分はお世辞にも優秀とは言えず、今生のスペックもめっちゃ高い訳ではないので、ほぼ確定でコネ勝負に持ち込まれたら勝てないのである。実家も母方も子爵家で、王都での発言力はそんなに高くない低位貴族だからね。こればかりは今後の出会いに期待、というまさにギャンブル状態。
そんな色々を諸々考えると、三つめの女官ルートを本命に狙いつつ、一つめの正史ルートを進むしかないのかなあという悲観的計画になってしまうのである。
まあ、ね。一つめだってね、途中までは苦痛でも最終的にはヒーローに助けられてハッピーエンドなんだから諦めて腹括ってそこ目指すしかなくない? というのは非っ常〜〜によくわかるのである。
ああ、だけどさ。
だけどだけど、それでもさ。
そもそも論としてさ。
『原作のアレもハッピーエンドだったのか?』という疑念が、私の中にぐるぐる巣喰っているのだ。
原作を読み終わった時から思っていた。
『あの後エレーナは本当に幸せだったのか』と。
エレーナの実母はエレーナが産まれた時にはもう死んでいるのだ。つまり、出産に耐え切れずにエレーナを産んですぐ死んでしまった。
さらには作品内では語られてなかったが母方の叔父の他に、実母の妹──叔母もいた。
そう、『いた』のだ。今はいない。
母方の叔母もまた、産後の肥立ちが悪くて儚くなってしまっている。
母方の家系はどうやら"そういう家系"であるらしいのだ。
……であるならば私は?
今の、ヒロインである私も、妊娠したらそうなってしまうのでは?
私がこのヒロインに転生したと気付いた時、『何故自分が』という思いと、『まさかあの共通点のせいか』と勘繰る思いの二つがあった。
前世の私の母もまた、私の出産で死に掛けているのだ。
けれど病院の懸命な処置の結果、何とか持ち直して「あの時は大変だったんだから!」なんて母自身が笑い話しに出来るくらいには回復できた。
「もうあんな思いは懲り懲り」なんて言ってたのに私が小学生の頃に、なんでか年の離れた弟を妊娠してもいた。
てっきり大変だったのは出産の時だけかと思いきや、母は悪阻も酷くて、毎日しんどそうにしていて幼心に「お母さんが死んじゃうかもしれない!」と心配したのをよく覚えている。
そんでもって出産も二回目だろうと酷いもので、最初こそ弟が出来ることを喜んでいた私も「弟なんていらないからお母さんを助けて!」なんて父にビービー泣き縋ったのを覚えている。子供だから許される発言すぎると今なら思うが、流石に重く受け止められたのかなんなのか、それ以後家族が増える事はなかったけれど。
とにかく、私にとって妊娠出産とは過酷なものというトラウマが刻み込まれるには十分すぎる体験だった。
だから前世の時から自分の命を懸けてまで子供が欲しいなんて思えなかった私は、ヒロインの生い立ちから疑問を持ったのだ。
高位貴族の跡継ぎであるヒーローと結婚したこの子の幸せな時間は……結局どのくらいだったのだろう、と。
物語は幸せな結婚式で終わっていた。ハッピーエンドだ。小説投稿サイトに短編として上げられていた作品の、その後が語られる事なんてほぼ無いだろう。それも悲惨な結末なんて尚更に。
だからヒロインのエレーナが物語の後にどうなったのかなんてわからない。わからないけれど、もしヒーローとの間に子供を作ってしまったのなら、ほぼ助からないんだろうなとも思う。そして、跡継ぎの子供を作らないなんて我儘がこの世界で通る筈がないことも。
前世で母が助かったのは現代医療が優秀だったからだ。
整った設備に、衛生管理の徹底された環境と優秀な医者や看護師。
それらが全て揃っていたから助かったのだ。
だけどここではどうだろう?
迷信みたいな医療行為が場合によっては本気で信じられているような世界だ。
滅菌消毒だってどこまで徹底出来ているのかわからない。
そんな状況で、股が裂け、大量に出血し、時には長時間苦しむ事になったら──
いや、拷問かな? 無理ゲー過ぎるでしょ。寧ろこんな世界で多産な家の奥様が凄すぎるな?
もうそんな事を考え始めたら一つめルートもバッドエンドにしか思えなくて、というかヒーローが死神にしか思えなくて、私は「どうすりゃいいんだよクソが……ッ」と貴族令嬢としてははしたなくも中指を突き立てる事しか出来なくて……。
(……ん? いやちょっと待てよ?)
そこでふと私は、閃いてしまったのである。
◆◇◆
「──本当に、良かったのかい?」
ガタガタと揺れる馬車の中で、彼はそう言って、気遣わしげな表情を向けてくる。
「はい、寧ろこれが一番最良です」
私はそれに対して安心させるようにニッコリ笑って、私に遠慮して離れて座っていたその人の手を取った。
ゴツゴツして皺が刻み込まれたその肌は祖父のものと似ているようで少し違って、不思議な感覚でわりと楽しい。
「以前も申し上げたように、私の家系は難産で、母体は出産と同時にほとんど死に至ります。ですからこの条件は丁度良いのですよ」
戸惑いながらも私の好きにさせてくれる人に、本当に優しい人だなあと思いつつ、あまり困らせたい訳ではないので名残惜しくもパッと離す。
「私は死ぬのが怖い臆病者です。だけど子供が嫌いな訳ではありません。どちらかというと好きです。だから、こんなに恵まれた話はありませんわ」
心からそう笑って言えば「……誰だって死ぬのは怖いでしょう」と沈痛な面持ちで返してくれる。やはりすごく良い人だ。
私はつい、フフフと笑って「サイラス様は本当に良い人です」と口に出してまた微笑んだ。
◆◇◆
私は気付いたのだ。
「後妻って最高じゃね?」と。
特に、既に跡取りもいる家の後妻なんて、子供を作ることを強要されないんだから、最高も最高じゃないかと。
そうはたと気付いてしまった私は早速とばかりにまず必死で勉強した。
そんな家で後妻に求められるのは社交力は元より教養の高さだろうと踏んで、がむしゃらに勉強したのだ。
次いで、情報収集のためにとにかく人脈作りに力を入れた。
実家じゃ継母が邪魔してくるので祖父母の伝手頼りだったけれど、結果としてお年を召した方々と繋がれて、孫や娘の様に可愛がってもらえたし似た年代の方の情報も入ってき易くて、逆に大収穫だった。
そうして遮二無二奮闘すること数年、ついに、ついに見つけたのだ。
妻に先立たれてしまって、跡継ぎはいるけれど末の娘がまだ幼いから、その子の教育のために後妻を探している殿方を!
どうも他のご兄弟は全員男で、親族もほぼ男所帯。そんな中で女子は末の子だけらしく、だからこそ日常的に手本となる女性──母が必要だろうと探していたのだとか。
もう、これっきゃないと思ったよね。
これ逃したらもうチャンスはやって来ないと確信に近い思いがヒシヒシとあったよね。
しかもその方はなんと裕福な侯爵家だった。
原作でも実家の人達は私を悪い噂もある金持ち貴族に売り飛ばそうとしたくらいだ。だから裕福な家と繋がれると思えば喜んで私を差し出してくれるだろう。
だから善は急げとばかりに私はその人──サイラス様に自分を売り込むことにした。
祖父母伝手に場を設けてもらいお会いしたサイラス様は実父よりも歳が幾分上の落ち着いた物腰の紳士だった。
今の年齢よりも二回りくらい上の相手に緊張しつつも私はなんとか話を切り出す。
自身の能力のアピールは勿論、実家での立場、婚約者はいれども異母妹にほぼ乗っ取られてて婚約解消は秒読みなこと、解消されたらどうせどこかに売り飛ばされる事を。
最早気分は就職活動だ。自分が如何に希望条件にマッチしていて、御社の力になれる存在かを訴えるあの感じ。
ああ、ああ、でもでもどうにも、面接というか自己アピールが苦手な私はつい自分のデメリットもポロッと溢してしまうから、この悪癖のせいで前世でも就職活動に難儀したんだった。
「……ただ私は子供が産めません。いえ、産めるでしょうが産みたくありません」
「…………なぜ?」
それまで静かに私の話に耳を傾けてくれていた方が初めて怪訝な顔をする。
やっちゃったな。これは失敗したかなと思いつつ、吐き出した言葉は戻らないし譲れない部分なのでこのまま突き進む。
「私の母方の家系は難産の家系です。母は私を産んで死にました。母方の叔母も、第一子を産んだあと産後の肥立ちが悪く死にました。ですからきっと、私も子供を産めば死ぬでしょう。苦しみの果てに死ぬでしょう。でも、そんなのは嫌です。怖いです。死にたくありません。私は、私は…………生きて、いたいのです」
「…………」
絶句という表現が適切なほどに、それまで威厳溢れるナイスミドルといった顔を崩しもしなかった御方があからさまに表情を変えた。
やはり呆れられてしまったかしらと、この世界の女性の義務とも言えるそれから逃れようとする私にがっかりしたかしらと、諦念の滲んだ瞳を伏せて言葉を待っていると「それは……」と彼は言い淀みつつ口にした。
「死が怖いのは、普通のことです」
「え」
「誰だってそうでしょう。戦場に立つ兵士だって殆どが恐怖するものでしょう。私だって死ぬことは恐ろしい。口ではどれだけ素晴らしく立派なことを述べて見せたところで、生物の根源たる恐怖を払拭することなんて、殆どの人間が出来ないことです」
これまで寡黙だったのが嘘の様に饒舌に語った彼は、「ああ……そうか」と、ふと遠くを見詰めながら呟いた。
「私は妻に、そんな酷な事を強いていたんですね」
◆◇◆
もうこれは絶対無理でしょう……と完全にやらかした心持ちでいた私とは裏腹に、私とサイラス様の契約はトントン拍子で決まった。
そうして私が成人年齢に達する頃、案の定婚約者から「異母妹に乗り換えるから君との婚約は解消する」と大して悪びれもせず言われたので、フリーになった私はすぐさま継母に勘付かれぬよう祖父母経由でサイラス様に連絡した。彼は手筈通りに実父に話しを持ち掛けてくれて、私は順調にサイラス様に売り飛ばされる事になった。
私が後妻として嫁ぐと確定した日、長年の憑き物が落ちたと言わんばかりに「漸く厄介者がいなくなるなんて清々するわ!」と継母がこれ見よがしに嘲笑って来たけれど、私からすると脱出大成功でしかなかったので、うっかり笑ってしまわない様に悲壮な顔を維持するのが大変だった。
折角サイラス様が頑張ってろくでもない侯爵様を演じてくれたのに、私の所為で計画がバレたら破談にされかねないからね!
婚姻届も、悪い侯爵を演じるサイラス様が「逃げられない様にする為だ」と暗に示しつつさっさと提出済みだ。さらにこっそり様々な契約書の中に、私を一旦他家の養子にする手続きも踏ませたり細々とこちらに有利な条件を入れた婚姻なので、最初に渡した金額以上の援助を集られる事は無いのでニッコリ万々歳である。
養子先になった方は祖父母の伝手で知り合った伯爵家の方で、私をすごく可愛がってくれており「これからはしっかり幸せを掴んでいくんだよエレーナちゃん」とニコニコ手を握ってくれたのでうっかり泣きそうになったのは内緒の話。
こうして私は、ようやく真の自由と安全な場所を手に入れたのだった。やったね!
◆◇◆
「おかあしゃま〜〜」
「あらあらビアンカ、どうしたの?」
書類仕事を終えて少し休憩しようかしらと談話室へと向かっている途中、メイドに抱きかかえられた天使に出会した。私を見つけるなりメイドの腕から体を捩って抜け出してよたよたとまだ覚束ない足取りでこちらに向かって歩いてくる可愛いその子をしゃがんで抱き止める。
「これ!」
「ん? なぁに? お花?」
「おかしゃま、ん!」
小さな手にギュッと握ったものをグイグイと押し付けてくるのでよくよく見れば、それは真っ白なお花で「もしかして私へのプレゼント?」と尋ねてみれば「ん!」とニッコリ笑顔。静々と近寄ってきたメイドが「ビアンカ様がお庭で見つけられまして、エレーナ様のように綺麗だからプレゼントするのだと庭師に切って貰ったんですよね」と微笑ましそうに補足すると「おかしゃま、お花キレイ!」と誇らしそうにする天使が一人。
ああ、なんて可愛いの!
「ありがとうビアンカ、とっても嬉しいわ! 早速飾りましょう。どこが良いかしらね」
ビアンカを抱き上げて一緒に飾る場所を探し歩く。どんな花瓶が合うかしらとも話しながらふくふくご満悦の天使にこちらも笑みが溢れる。
サイラス様の後妻として侯爵家に入って一年。まだ言葉も話せなかった末っ子のビアンカは、今はまだ語彙は少ないもののすくすくと伸びやかに育ってこうして私にたくさんお喋りをしてくれるようにまでなった。
元来こども好きな方ではあったけれど、ビアンカがあまりにも可愛くて可愛くて、もう目に入れても痛くないくらいに可愛いものだから、ついつい構い過ぎてしまった自覚はある。ただそのお陰かビアンカも私の事を母だと認識してくれた様でこうやって真っ直ぐ好意を示してくれるまでになったので堪らない。それで益々可愛いが止まらなくて自分でも引くくらいには溺愛が加速してしまって……ああ、だって可愛いのだもの!
勿論、侯爵家にはビアンカの他にもご兄弟が三人いて、そちらとの親交もなるべく深めようとしている。
長男のアルロは私と歳があまり変わらないので、きっと向こうも気不味いだろうと思いなるべくそっとしておく形にしている。
次男のカリオも十歳とそこそこの年齢で、若干受け入れ難いだろうお年頃なので慎重に、けれども少しずつ距離を詰めている最中。
そして三男のパオロはまだ五歳で甘えたい欲が強いのか、おっかなびっくりといった様子ではあるものの私に興味を示してくれている。そう、今みたいに。
「あら、パオロ。ほらビアンカ、あそこにパオロお兄様がいるわ」
「ぱろろおにーたま!」
「えっと、……どうも」
物陰からチラチラこちらを窺っていたのは随分前から知っていたけれど、そこには触れずに声を掛ける。小さなお兄様はソワソワと何か言おうとしていて、今日は自分から言えるかなー? と思ったけれどまだ難しそうなので助け舟を出す。
「今ね、ビアンカが摘んできてくれたお花をどこに飾ろうかしらーって探していた所なの。もし良かったらパオロも一緒に良い場所ないか探してもらえるかしら?」
「! い、いいよ! ぼく、良いところ幾つか知ってる、よ」
「まあ、本当! 頼もしいわ、ありがとうパオロ」
「あいあとーおにーたま」
「ぅ、うん……あの、こっち!」
照れ照れと面映そうにしつつ、キリッとお兄ちゃんらしく先導する様が可愛くて堪らない。そうして私達は楽しくお屋敷を探検して、パオロがオススメした中でビアンカがここと選んだ場所にみんなで選んだ花瓶に白いお花を飾った。
「──なるほど、あそこの花はそういう経緯だったのですね」
夜も更けた談話室でサイラス様とゆったりと向き合う。ビアンカ達も寝かし付けたこの時間は唯一パートナーと二人っきりで情報共有できるタイミングだからとなるべく互いに融通を付けてこうして顔を合わせるようにしている。結婚してからずっと続く習慣だけれども、最近はこの時間が楽しくて待ち遠しいと思うくらい。サイラス様も同じ気持ちだと良いなあ。
「パオロも近頃は前より笑顔を見せてくれる様になりました。カリオはまだ仲良くなるには時間が掛かりそうです。アルロは相変わらずですが、共にいる空間では友好的に接してくれているので助かります」
「そうか、アルロが」
「ええ、これもカテリーナ様のお陰ですね。アルロがこの前話してくれました。『下の子達は親だけでなく貴方をよく見ている。貴方の行動があの子達、引いてはこの家にも影響するのだ』と母から教わったと。本当に素晴らしい方だったんですね」
「ああ、彼女は素晴らしい女性で、素晴らしい母だったんだ」
サイラス様はそうしみじみと呟いて胸元に手をやった。私はそのシャツの下に前妻であるカテリーナ様との結婚指輪が下げられているのを知っているので、良いなあと肖像画でしか知らない彼女に思いを馳せる。
「エレーナ、貴女が来てから貴女がこうして語ってくれる話で、私が知らなかった彼女を知ることができている。家の中も明るくなって、本当に感謝しているんだ。だからそんな君に、お節介かもしれないが面白い報告だ」
「? なんでしょう」
「君のご実家のことだよ」
ニヤリと笑ったサイラス様はいつぞや悪い侯爵様を演じていらっしゃった時と似たワイルドな色気を纏っていて、ついときめいてしまい内容の理解が一瞬遅れたけど、実家と言えばファッキン継母の一派かと思い出しなんかあったのだろうかと首を傾げる。
「君がいなくなってからあの家は随分と苦労している様だね。他家からも距離を置かれて、社交界でも針の筵だとか」
「そ、そんな事に……ええっと、何が原因なのでしょう?」
「……やっぱりあの方々は茶会でその話すら君にしていない様だね。恐ろしいやら過保護やら。まあいい。それは勿論、可愛い君が原因さ」
「私、ですか?」
「君を孫娘のように可愛がってくれているご婦人方をよく思い出してご覧。子爵家に後から嫁いだ後妻の小娘一人が敵う相手だと思うかい?」
「………………まあ、そうですわね」
説明されて漸く思い至る。そういえば私を可愛がってくれていたあの方々は、他家の娘をお気に入りとして目に掛けてやれるくらいには余裕のある歴戦の猛者揃いである事を。中にはまだまだ現役で当主夫人としてご活躍されている方もいらっしゃる事を。
「あとは君の異母妹も失言が目立ってね。今や侯爵夫人となった君を侮る発言を度々するものだから、必然的に君のご実家での待遇も察せられるというものさ。つまり、化けの皮を剥がされているところ、という訳だ」
「ほ、ほほほ、考えるだけで恐ろし……頼もしいですわね」
「全くだ」
きっとその失言も、ほぼ誘導されての事だろうと思うと怖くて仕方ない。継母なら凌げたかもしれないけど、経験の浅い異母妹なら然もありなん。一番脆いところを突っついたんだろうなあ。怖いなあ。ご婦人方が味方で良かった!
「君の元婚約者もなかなか窮地のようだよ? このままじゃ自分達にも累が及ぶと早々に異母妹との婚約すら解消したそうだけれど、それすらも『婚姻を反故にしまくる男』として嘲笑の的のようでね、次が見つからない上に『契約を重んじられない』とも受け取られて決まっていた城での仕事も干されそうだとか」
「あらあらまあまあ……被害が甚大ですわねぇ」
「ははは! 因みに私もちょっとだけ、加担してしまった」
そう言ってお茶目にウインクする姿に、そういえばこの方は国の要職に就かれていたなあと思い出し、自分の味方が頼もし過ぎると今更身に染みてしまう始末。そうやってついついしみじみし過ぎて反応が遅れていたら「……ガッカリしたかい?」なんて不安そうにこちらを窺うイケオジのしょんぼりわんこフェイスに、ウッ! と心臓が逸る。やめてくださいませいきなり萌えを投下しないでくださいませやめてくださいませ!
「す、すみません、私を思って行動してくださる方がこんなにもいるのかと、つい感慨に浸っておりました。驚きはしましたが、すごく嬉しい……と言ったら意地が悪いかしら? その、スッキリしましたわ!」
「ははは! 意地が悪いなんて事はないさ。やられたらやり返す、当たり前の事だよ。寧ろエレーナ、君のこれまでを思えば私を含め、色んな人達がまだまだやり足りないと思っているくらいじゃないかな?」
「ま、まだこれ以上が……? えっと、皆様に不利益が掛かるような事まではしないでくださいね?」
「ああ、わかったよ」
クツクツと笑いを噛み殺しながらそう約束してくれるサイラス様になんだかムズムズしてしまう。嬉しいような恥ずかしいような照れるような不思議な感じだ。なんとなくだけど、幼いエレーナが微笑んでいるような気がして。
「私は……幸せ者ですね」
ポツリと、自然と声になって出てしまった言葉が、なんだかしっくりと胸の真ん中からぽかぽかと沁み渡っていくようで。そして──
「ああ、これからも幸せ者になってもらうさ」
そう優しく目を細めて微笑んでくれる人がいるから、私は「はい」と微笑み返して、穏やかな夜の温もりを、満喫するのでした。
現代でも拷問か?と慄くお産関連、前時代的な場所に転生したら更に怖すぎるよなあと思って出来ました。
エレーナちゃんは今生で満足に得られなかった父性にメロついてるだけで、サイラス様もエレーナちゃんのことは娘みたいに思っている紳士故、結婚こそしてますが恋愛関係になることはないのでヒューマンドラマカテゴリにしてます。




