第2話
俺は日の暮れ始めた商店街を歩いていた。
精肉店や青果店が店仕舞いを始める中、他の店には仕事帰りの社会人が群がっているのが目に入る。
入っていく人々の大半は中年男性で例外なく疲れ切った顔をしている。
当の本人達は広告の品であろうトイレットペーパーを抱えてレジへと向かう。
数量制限がないとはいえ、その腕には3ダースも4ダースも積み重なっている。
一番近い商店街の出口までおよそ100メートル以上距離があるため、どう考えても帰路は過酷なものになるだろう。
大変そうだな、と眉を顰めながら睨みつけた。
彼らは鋭い視線を向けられていることに気が付いていない。
そんな様子が余計に苛立たせる。
周りが見えていないのは心に余裕がない証拠ではないか。
木枯らしが吹く。
視界の端からこちらに何かが転がって来るのが見えたので俺は足を止める。
挙げたままの足を退かしてみると傷だらけの飲料水の赤い缶。
あちこちの凹みが旅路の厳しさを滲ませている。せっかくの商品ロゴが台無しだ。
缶が再び飛んで行ってしまう前に素早く拾い上げた。
手に力を込めると甲高い悲鳴を上げる。
への字に曲がっていくアルミのボディ。
ある程度までいくと思うように潰れない。
握り締めた力のまま目に入る範囲にゴミ箱がないか探すとすぐに見つかった。
ここの商店街の特徴は清潔感だと担任が言っていたのを思い出す。
見える距離に必ず1つは設置されていると言っていた。どうやら今回に限っては本当だったようだ。
俺はあっという間に辿り着き目の前で立ち止まった。
周りを見渡すがゴミ箱の前で立ち尽くす俺を不思議に思う人など誰一人としていない。
善意でゴミ拾いをしている善行を知るものは現れない。
俺はため息を付きながら視線を戻す。
2つの丸い深淵がこちらを見返す。
それに意思というものがあれば、早くそのゴミを寄越せとでも言われるのだろうか。
なぜ俺がここに立っているのか、手に持っているゴミが誰の物だったのか。
誰も想像すらしていないだろう。
自分には関係がないと無自覚に切り離しているはずだ。
彼らの思考を考えると奥歯が軋む。
なぜ他人は他人に無関心なのか。
「またかよ、親父」
背後に気配を感じて一人愚痴をこぼした。
いつだってこういうタイミングで現れやがる。
そんなに自分の生き様を真似されるのが嫌なのだろうか。
「さっさと成仏してくれよ」
缶を握り締めたままの右手を振り下ろす。
挿入口を通り叩きつけられたアルミとスチール。
ホールと化したゴミ箱。
商店街中に出来上がったばかりの協奏曲を響かせる。
俺の存在に気付いていなかった者は例外なく振り向いた。
無数に感じる疑念の眼差しを受け流しながら俺は再び家へと歩みを進める。
先程とは打って変わって辺りは静寂に包まれている。
幻影もいつしか消えていてホッと一息つく。
自分の腹の鳴った音がとんでもなく大きく聞こえた。
◇
いつもなら母が夕飯を準備して待ってくれている。
母自身仕事をしている身だが高校生の身である俺より帰りが早い。
大体家に着く頃には献立の香りが外まで漂っている。
だが今日は着くなり不思議だった。
出汁と味噌の香り。なぜか家の前はかすかな出汁の香りに包まれている。
玄関灯は灯っていない。
もしやと思いながら鍵を開けると靴がないことに気が付いた。
リビングに入るとテーブルが少し散らかっていた。
いくつかの化粧品と置手紙。
黄色い熊のキャラクターの付箋に一筆書いてある。
『総一へ。今日は遅くなるね。お金は置いとくから好きなものを食べて。母より』
省略されて読みにくい文章と扇状に広げられた千円札三枚。
よほど急いでいたのだろう、想像に難くない。
俺の母は専業主婦ではない。
女手一つで息子を育てるために長年、駅前の事務所で事務職を勤めている。
普段はフルタイムの正社員でありながら学生の俺より早く帰っている。
寛容な社長のようで融通を利かせているそうだ。
家事もこなさないといけない母のために勤務時間を前倒ししてくれているらしい。
その代わり朝が早いため、決まってバタバタしている。
しっかり者だが朝には弱い。
朝食と昼食の弁当は早起きが得意な俺が担当している。
今朝は顔を合わせた時はなにも言っていなかった。
お互いに何か変わった事柄があればその都度報告し合う太刀だ。
それに一度帰ってきているようなので仕事関係ではなさそうだ。
急遽誰かに食事を誘われたのだろうと考えた。
冷蔵庫の中を覗いてみると食材は十分揃っている。
自炊することも考えながら三千円を再び見下ろす。
訴えかけてくるような野口英雄の寂しげな視線。なぜそんな目をするのだ。
母が外食を勧めるのは珍しい。
そもそも母が有休以外の日に出掛けること自体が初めてな気がする。
節約のために控えているわけではない。
オンとオフを切り替えているためあえて土日を選んでいると言っていたことがある。
札をつかみ取り端を揃えてから丁寧に財布に収める。
几帳面な母がオフを優先させてお駄賃まで置いて行ったのだ。
据え膳はありがたくいただくことにした。
リビングの照明を消しながら行き先を考える。
近場の牛丼チェーンが真っ先に思い浮かんだがそこはやめた。
同級生と遭遇でもしたら何を言われるかわからない。
落ち着いた雰囲気を思い浮かべる。
頭の中のフィルタが張られる中、以前に母が喫茶店の話を持ち出していたのを思い出す。
たしかオムライスが絶品と言っていた気がする。
思えば店で食べたことがなかったし母も頻繁に作る献立ではない。
たまには普段食べないものを選ぶのもありだろうか。
空腹の相まって生唾が溢れる。




