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潮の名を君だけが知っている ー海神ナギと神凪カノンの物語ー  作者: 宵待 桜


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第三章 波は、名を持たない


サリュートが戻ってきたのは夕暮れの少し前だった。


籠の中には、いつもより少ない魚。


だが彼の表情は漁の不調よりも、別のことに向いているようだった。


「神殿の者が来ただろう」


玄関に籠を置きながらサリュートは言った。


カノンは驚いて顔を上げる。


「……どうして知ってるの?」


「港で噂になってた。王都から何人か来ているらしい」


その言葉を聞いた瞬間カリダの手が止まった。


「やっぱり……」


サリュートは妻の様子を見て、すべてを察したように黙り込む。


「……カノン」


呼ばれ、少女は少し緊張しながら父を見る。


「しばらく浜で歌うのは控えなさい」


「え?」


それは、初めて言われることだった。


「どうして?」


サリュートは言葉を選ぶように少し間を置いた。


「海は、声を覚える」


その言い方は、まるで――

生き物のように。


カノンは笑おうとしたが、できなかった。

父の目が、本気だったからだ。


「……わかった」


そう答えると、サリュートはほっとしたように息を吐いた。


夜。


カノンは寝台に横になりながら波の音を聞いていた。


歌わない、と決めた夜に限って、

海はいつもより近く感じられる。


(おかしいな……)


胸の奥が、ざわつく。


そのときだった。


――『歌わなくても、届いている。』


はっきりとした声ではなかった。

言葉でもない。


けれど、確かに「何か」が、耳ではなく心に触れた。


カノンは思わず、身体を起こす。


「……誰?」


答えはない。


だが、波の音が、ゆっくりと間を変えた。


寄せて、止まり、返す。

そのリズムが、まるで呼吸のようだった。


――『歌わなくて、いい』


その感覚は優しかった。


「……気のせい、だよね」


――『海に、来てはいけない』


そう呟くと胸のざわめきは少しだけ静まった。




同じ頃。


海の底深く、光の届かない場所で。


アオ・ナギル=レイヴァは、波を止めていた。


神としては、あまりに稚拙な行為。

それでも、止めずにはいられなかった。


(……聞こえすぎる)


歌っていないはずの声が、それでも彼の名を持たない部分を震わせる。


――選ばれる。


それを、ナギは知っている。


少女は、いずれ神凪になる。

歌は、その兆しだ。


だからこそ、距離を保ってきた。


見守るだけ。

触れない。

応えない。


それが、神としての最善だった。


(……なのに)


今夜は、応えてしまった。


名も呼ばれていないのに。

願いも告げられていないのに。


ナギは、自らの姿を海面に映すことはしない。


もし映せば――

声は、完全に繋がってしまう。


「……いけない」


波を動かし、再び海を通常の呼吸に戻す。


だが、完全には切れなかった。


細い糸のようなものが、少女の眠りの向こうへ残ってしまった。




翌朝。


カノンは、久しぶりに夢を見た。


深い青。

どこまでも広がる静かな場所。


誰かが、そこにいる気がした。


目を覚ますと、胸が少しだけ痛んだ。


「……変なの」


台所では、カリダが外を見つめている。


その視線の先に、また神殿の外套があった。


今度は、一人ではない。


「……始まったわね」


カリダの声は、低く、確信を帯びていた。


歌わなくても届いたその夜が、

もう――後戻りできない境界だったことを。


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