エピローグ
エピローグ ―ナギ視点・名を持たない後日談
海は、今日も穏やかだった。
潮の満ち引きは変わらず
人の営みも、国の祈りも、すべて続いている。
――それが、私には少しだけ、痛かった。
私は海神だ。
壊れてはいない。
世界の境界も、秩序も、守られている。
だが。
(……彼女はいない)
それだけが、どうしても事実だった。
私は人を見ない。声を聞かない。
名を呼ばせない。
それが本来の在り方だから。
それでも、夜になると浜辺に小さな影を探してしまう。
歌う少女を。
――愚かなことだ。
神が探すなど。
けれど。
潮が静まる夜、微かに旋律が混じることがある。
それは記憶ではない。幻でもない。
私の中に確かに刻まれたものだ。
(……カノン)
名を呼ばないと決めたはずなのに、胸の奥で音にならずに響く。
彼女は、私を救った。
神として、留めた。
だが――
それは、彼女の命と引き換えだった。
私は祈らない。神だからだ。
だがもし、祈りというものが許されるなら。
(どうか)
(歌ってくれ)
(世界のどこかで)
波が、やさしく揺れた。
それは、返事ではない。
それでも私は、その揺れを
彼女が生きた証として抱き続ける。
⸻
王子のその後 ―語り部となった者
王子は、王になった。
即位の日、神殿は静かだった。
華やかな祝福はなかったが民は彼を信じていた。
彼は、神凪の名を語らない。
記録にも残させなかった。
だが。
神凪の役目について語る時、彼は必ずこう言う。
「神凪とは神の声ではない。人であり、選ぶ者だ」
若い神官が、戸惑いながら問う。
「では、なぜ命を落とすことがあるのですか」
王は、少しだけ目を伏せる。
「それは誰かを守ると決めた人が、その代価を引き受けたからだ」
それ以上は、語らない。
夜、執務室で一人になると王は時折、海を見る。
そして、声にならない名を胸の中で呼ぶ。
(君は、正しかった)
(だが、重すぎた)
彼は後悔している。
それでも、彼女の選択を否定しない。
それが、彼女を“神凪ではなく、人として尊ぶ”唯一の方法だと知っているから。
⸻
神官たちの視点 ―神凪喪失後の世界
神殿は、変わった。
儀式は簡略化され、神凪の装束は封印された。
理由は、公式には語られない。
だが、古参の神官たちは知っている。
「神を縛ることはできても、神を救うことはできない」
かつて厳格だった神官は、夜独りで祈るようになった。
――もし、違う選択があったなら。
――もし、少女を“人として”見ていたなら。
だが、祈りは過去を変えない。
若い神官の中には神凪制度そのものに疑問を抱く者も現れた。
それでも制度はすぐには変わらない。
だからこそ神殿には新しい掟が加えられた。
「神凪は、人として尊重されねばならない」
それは彼女が遺した唯一の“制度への傷跡”だった。




