最終章 海に還る歌
世界が、静かだった。
嵐は来なかった。
崩壊も、なかった。
ただ、海が――深く、深く息を吐いた。
神殿の中庭に、カノンの姿はなかった。
残っていたのは静かな水面と、神凪の装束だけ。
ナギは、膝をついていた。
神として、完全な姿で。
――壊れていない。
――消えていない。
代わりに。
胸の奥に、決して癒えない空白を抱えたまま。
『……カノン』
名を呼んでも、返事はない。
だが。
波打ち際で確かに、歌が聞こえた気がした。
それは、かつて浜辺で少女が歌っていた、
あの旋律。
王子は、静かに目を閉じた。
「……国は、守られた」
だが、その声は、勝利を語ってはいなかった。
神官たちも、言葉を失っていた。
誰もが理解したのだ。
神凪は、神のために死んだのではない。
神を“神として生かすため”に…
消えたのだと。
⸻
それから、長い時が流れた。
ルミナリアの海は、変わらず国を抱いている。
嵐は起きる。
だが、決して越えてはならない一線は守られた。
海神アオ・ナギル=レイヴァは再び“見るだけの神”となった。
人に語りかけることはない。
名を呼ばせることもない。
ただ、時折、
浜辺に歌う子どもがいると
波が少しだけ、やさしくなる。
王子は、国を支える者となった。
神凪の記録から、一人の少女の名が消された。
それが秩序だった。
だが。
夜、誰もいない浜辺で王子は時折こう呟く。
「……カノン」
それは、誰にも聞かれない名。
境界に立った者の名は歴史には残らない。
だが、海は――
確かに、覚えている。
⸻完⸻




