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潮の名を君だけが知っている ー海神ナギと神凪カノンの物語ー  作者: 宵待 桜


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第二十五章 神の越境


王都の空は、鉛色に沈んでいた。


雨はまだ落ちていない。だが、降ることを誰もが知っている――そんな空だった。


王子は王城の高窓から海を見下ろしていた。


幼い頃から見慣れた光景。


穏やかな日は国を抱き、荒れる日は国を試す、ルミナリアの海。


だが今日、その海は違って見えた。


「……神が、揺れている」


独り言のように呟いた声に背後で衣擦れの音がする。


「揺らしているのは、人だ」


そう答えたのは、国王だった。


老いたわけではない。


だが、長く国を背負ってきた重みが、その背にあった。


「神凪を縛り、神を縛り、それでもなお秩序を守ろうとする。その結果が、今だ」


王子は振り返る。


「父上は……それでも、封声印を正しいと?」


国王は即答しなかった。


窓の外に目を向け、しばらく海を見つめる。


「正しいかどうかではない。国を守るために“選ばされた”手段だ」


それは、逃げではなかった。


現実だった。


「だが」


国王は、静かに続ける。


「神凪が“壊れてまで”守る秩序なら、それはもはや守るに値しない」


王子の胸が、強く打たれた。


「では……」


「命じる」


国王は、王としての声で言った。


「神官会に告げよ。神凪カノンの処遇は、王権預かりとする」


それは、前例のない宣言だった。


神凪は神殿の管轄。


王が直接介入することは、信仰の秩序を揺るがす。


だが――


「反発は避けられません」


「承知の上だ」


国王は微笑みもしなかった。


「それでも、彼女を“人として”守れるのは、今は王権しかない」


王子は、深く一礼した。


「必ず、伝えます」




同じ頃、海は限界に近づいていた。


神殿の沖、目に見えない境界で海神アオ・ナギル=レイヴァは立ち尽くしていた。


神としての姿。


だが、その輪郭は揺らぎ、波と同化しかけている。


『……私は、越えてはならない』


誰に向けた言葉でもない。

自分自身への戒め。


神が人に干渉しすぎれば、

世界の均衡は崩れる。


それを、誰よりも知っている。


それでも――


『彼女が声を失ったまま生きる世界を、私は許容できない』


海が、大きくうねった。


神威が、意志を帯びる。


それは、神として最も禁じられたこと。

“選択”をすること。



カノンは、神殿の中庭にいた。


空が暗く、海が騒いでいる。


理由は、わかっていた。


――ナギ。


彼女は、胸に手を当てる。


声は出ない。

だが、祈りは残っている。


そのとき、足音がした。


王子だった。


「……時間がありません」


彼は、低く、だがはっきりと言った。


「神官会は、神を鎮めるために次の儀を準備しています。それは……神凪の“存在そのもの”を縛る儀式です」


カノンの瞳が揺れる。


それが何を意味するか、わかった。


生きてはいても、もはや人ではなくなる。


王子は、彼女の前に片膝をついた。


「あなたに、選択を委ねます」


王族としてではない。

一人の人として。


「ここに留まり、役目を全うするか。それとも――」


言葉を、選ぶ。


「神と共に、越えてしまうか」


沈黙。


風が、中庭を抜ける。


カノンは、ゆっくりと首を振った。


そして――

王子の手を、そっと取った。


拒絶ではない。

託す仕草。


王子は、目を見開き、理解した。


「……あなたは」


自分が越えるのではなく神を“戻す”道を選ぼうとしている。


それが、どれほど残酷な選択かを知りながら。




その瞬間、海が裂けた。


否、裂けたように見えた。


神威が、境界を越えたのだ。


『カノン!』


初めて、はっきりとした叫びが響く。


神としてではない。名を呼ぶ声。


神殿の石壁が震え、祈祷具が音を立てて崩れる。


神官たちが悲鳴を上げる。


「神が――越境している!」


王子は立ち上がり叫んだ。


「誰も、彼女に触れるな!」


だが、もう遅かった。


海神は現れていた。


人の形を取りながら

なお海そのものを背負って。


そして、カノンの前に立つ。


『……私は、間違っているか』


問いは、弱く、震えていた。


カノンは、微笑んだ。


声はない。

だが、その表情だけで、答えは十分だった。


間違いでも、構わない。


それが、二人の選んだ場所だった。


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