第二十二章 声が、奪われていく
封声印が完全に発動した瞬間、聖所の空気が、わずかに歪んだ。
音が――遠のく。
それは轟音が消えるような劇的な変化ではない。
水の中に沈んでいくように世界の輪郭が鈍くなる。
カノンは、自分の喉に手を当てた。
痛みは、ない。
ただ、確かに“奪われている”感覚があった。
「……っ」
声が、音にならない。
息は吐ける。
言葉を形作ろうとする意志もある。
それでも、音だけが、外へ出ていかなかった。
――これが。
これが、代償。
カノンは、理解していた。
『……やめろ』
ナギの声が、以前よりも近く、同時に遠い。
神の意識はここにあるのに力だけが引き裂かれていく。
『君の声は、君のものだ』
「……」
返せない。
代わりに、カノンは小さく首を振った。
あなたのためだから。
そう言いたかった。
だが、その言葉はもう、声にならない。
⸻
神官たちは、聖所へと駆け込んできた。
封声印の発動を止める者。
術式を確認する者。
誰もが、焦りを隠せずにいた。
「誰が許可した!」
「止めろ、今すぐに!」
しかし、誰も“止め方”を知らなかった。
封声印は、神凪自身の意思で触れなければ完全に発動しない。
そして、一度成立すれば途中解除は不可能。
王子は、その場に立ち尽くしていた。
カノンの喉元。
震える指先。
声を失いながらも、逃げない姿。
「……カノン」
名を呼ぶ。
返事は、ない。
だが彼女は王子を見て、わずかに微笑んだ。
――大丈夫。
そう言っているようだった。
王子は、歯を噛みしめる。
「……止めるべきだった」
「いいえ」
年配の神官が、静かに言った。
「これは……彼女の選択です」
その言葉に、誰も反論できなかった。
海では、異変が続いていた。
波は穏やかだが、深層で渦が巻いている。
神の力が、封じられ、圧縮されていく。
『愚かな、人の子』
ナギは、呟く。
神としてではなく、ただの存在として。
『君が壊れたら、意味がない』
声は、カノンにはもう届かない。
それでも、彼は呼び続ける。
名を。
音にならなくても。
⸻
夜が明ける頃。
封声印は、完全に定着した。
カノンの声は戻らない。
代わりに、彼女の身体には微かな変化が現れていた。
指先が冷えやすくなり、
疲労が抜けにくくなり、
ときどき、視界が白む。
命が、少しずつ削られている証。
それでも、カノンは歩いた。
神凪として。
人として。
⸻
王子は、彼女の前に立つ。
「……後悔は?」
カノンは、首を振った。
ゆっくりと、はっきりと。
王子は、息を吐いた。
「なら、私はあなたを守ります」
それは誓いだった。
「神からも、国からも」
カノンは目を伏せ、そして小さく
うなずいた。




