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潮の名を君だけが知っている ー海神ナギと神凪カノンの物語ー  作者: 宵待 桜


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第二十章 神殿は、守るために切り離す


隔離の決定は静かに下された。


声高に宣言されることはない。

それが常であり、神殿のやり方だった。


「神凪は、明日より内殿へ移される」


白い装束の神官が淡々と告げる。


「外界との接触は制限する。王族との面会も必要最低限に」


王子は、即座に口を開いた。


「理由を」


「神の安定のためです」


「その“安定”は、誰のためのものですか」


神官は、少しだけ言葉を選んだ。


「……国のためです」


それ以上の説明はなかった。




カノンは、決定を本人のいない場で聞かされた。


伝えに来た若い神官は、視線を合わせようとしなかった。


「内殿は、安全です。静かで、清らかで……」


「……海は、見えますか」


「……見えません」


それだけで、十分だった。




移動は、朝だった。


儀式ではない。

送別でもない。


ただ、静かな移送。


白い布に包まれ、

回廊を進む。


足音が、遠くなる。


海の気配が、薄れていく。


カノンは、一度だけ振り返った。


中庭の向こうに、海は見えない。


「……ナギ」


声は、布に吸われた。


返事は、来ない。




内殿は、外界から切り離された場所だった。


厚い石壁。

高い天井。

窓は細く、空しか見えない。


祈りの音だけが、反響する。


「ここで、静養していただきます」


神官の声は、柔らかかった。


「歌は、控えてください。

 呼びかけも、祈りの文言のみで」


カノンは、うなじを下げた。


「……はい」



夜。


海の音は、届かない。


その代わり、耳鳴りのような静寂があった。


カノンは、床に座り、膝に額をつけた。


「……聞こえていますか」


返事は、ない。


それでも、続けた。


「私は、ここにいます」


言葉は、空に溶けた。



同じ頃。


海は、荒れていた。


潮は逆流し、

岸は削られ、

漁船が戻れなくなった。


神官たちは、祈祷を重ねる。


だが、効果は薄い。


神の力は、応えているのに、

整わない。


原因は、明らかだった。




『……遠い』


ナギの声は、かつてないほど不安定だった。


『声が、届かない』


理性が、かろうじて形を保っている。


だが、意識は揺れている。


見ているだけでいるための“距離”が、

強制的に広げられたからだ。


『……君は』


問いかけようとして、言葉が途切れる。


神が、人を探している。


それ自体が、異常だった。



王子は、夜明け前に動いた。


公式ではない。

命令でもない。


「内殿へ」


止めようとする神官に、低く告げる。


「責任は、私が取る」


扉は、開かれた。



カノンは、気配に気づいた。


「……誰、ですか」


「私です」


王子だった。


「許可は、ありません」


「承知の上です」


王子は、距離を保ったまま言った。


「神殿は、あなたを守ろうとしています」


「……切り離すことで、ですか」


王子は、否定しなかった。


「ですが、神は崩れかけています」


カノンの胸が、強く鳴った。


「……ナギが?」


王子は、静かにうなずいた。


「このままでは、神が神でいられなくなる」


沈黙。


カノンは、立ち上がった。


「……なら、選ばなければならないんですね」


王子は、目を伏せた。


「本来、選ばせてはいけないことです」


「それでも」


カノンは、はっきりと言った。


「私は、神凪です」


その言葉は、覚悟だった。





内殿の奥。


誰もいない聖所で、

カノンは一人、海のない空を見上げる。


守るために切り離す。


その結果、

どちらかが壊れるなら。


――守るとは、何なのか。


答えは、もう、近くまで来ていた。


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