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潮の名を君だけが知っている ー海神ナギと神凪カノンの物語ー  作者: 宵待 桜


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第十八章 名を呼ぶことの重さ


制限が言葉として示されたのは翌朝だった。


神殿の中央広間。

白い石床に朝の光が落ち、神官たちが半円を描いて並ぶ。


カノンは、その中央に立っていた。


逃げ場のない配置だと、すぐに分かった。


「神凪カノン」


最上位の神官が儀式用ではない低い声で告げる。


「本日より、神との対話回数を制限する」


言葉は簡潔だった。


「日没後のみ。一日一度」

「呼びかけは禁止」

「神の名を、口にしてはならない」


一つひとつが刃のように落ちてくる。


カノンは俯いたまま、問い返した。


「……それは、私のためですか?」


沈黙。


やがて返ってきたのは、曖昧な答えだった。


「国と、神のためだ」


胸の奥が、冷える。


「私は……」


声が、少し震えた。


「神様が壊れるのを、望んでいません」


神官の一人が、淡々と言う。


「だからこそだ。感情の往復は、神を人へ引き寄せる」


「それは……」


「禁忌だ」


言い切りだった。




その場に、別の足音が響いた。


王子だった。


「その決定に、父王は同意していません」


神官たちの視線が集まる。


「だが、最終的な管理は神殿の権限だ」


「ならば、問い直します」


王子は、カノンの隣に立った。


「神凪は“器”ですか?」


その問いに、神官は一瞬言葉を詰まらせた。


「……繋ぐ者だ」


「人であることを捨ててまで?」


空気が張り詰める。


「王子。感情は、神を壊す」


王子は静かに首を振った。


「感情を断てば、人が壊れる」


それ以上、言葉は続かなかった。


決定は、覆らない。




昼。


カノンは神殿の中庭に一人いた。


噴水の水音が、妙に遠く感じる。


――呼んではいけない。


それが、思っていた以上に重かった。


名前を呼ぶことは繋がることそのものだったのだと今さら気づく。


「……ナ――」


喉で言葉を止めた。


胸が苦しくなる。


すると。


『呼ぶな』


強く鋭い声が響いた。


思わず顔を上げる。


『それは……君を縛る』


声は、怒っていた。


自分自身に。


「でも……」


『いい』


言葉が、遮られる。


『君が壊れるくらいなら』


短い沈黙。


『……私は、耐える』


その一言が、胸を締めつけた。


耐える。神が選ぶにはあまりに人間的な言葉だった。




夜。


定められた時間。


カノンは、ひとり海に向かって座った。


呼びかけは禁止。

だから、ただ待つ。


波が、ゆっくりと応える。


『……来た』


声は、かすれていた。


「……はい」


それだけで、精一杯だった。


『制限が、入ったな』


「……はい」


『……正しい判断だ』


嘘だと、分かった。


「ナギ……」


名前が、こぼれそうになる。


ぐっと、唇を噛む。


『呼ぶな』


けれど、その声は――


『……呼ばれたい』


かすかに、震えていた。


その矛盾に、カノンの胸が痛む。


「……どうすれば、よかったんでしょう」


返事は、すぐには来なかった。


『正解は、ない』


低く、深い声。


『あるのは、選び続けることだけだ』


波が、強く寄せる。


それは、感情の揺れそのものだった。





その夜、神殿の奥で、最上位の神官は独り記録を見つめていた。


過去の神凪。

過去の神。


崩れた文字の横に、共通する記述。


――対話の増加。

――名を呼ぶ行為。


「……また、同じ道か」


呟きは、祈りにも似ていた。




境界は、さらに細くなる。


呼ばれぬ名。

届かぬ声。


それでもなお二人は同じ海を見ている。


それが救いなのか、破滅への一歩なのか。


まだ、誰にも分からなかった。


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