第39話 久遠の風 - Aeozepher -
「さあて……一通り片付いたな」
空の上、エメラルド・ドラゴンの背から地上の生徒たちを見下ろし、教授は満足そうな笑みを浮かべる。
「次はよい機会ゆえ、真龍類の真の力、その身で味わってみるのも一興というもんじゃろうて」
「ええっ⁉」
その言葉に血相を変えたのはディアナだった。
「お待ちくださいローレンス教授! いくら何でも、龍は私たちには荷が重すぎます!」
「ふむ……他の皆はどうかのう」
その言葉に応えるかのように、ラルフが進み出る。
「先ほどの無礼は深くお詫び申し上げる。そして願わくば、もう一手ご指南願いしたい」
そしてレオも、それに続いた。
「俺も、もっと訓練を受けたい」
「貴方まで、いきなり何を言い出しますの!?」
「カインさんが言ってたんだ。ドラゴンの渡りが活発化しているって。そのうち、こういう奴らまでこの国にやって来るかもしれねえだろ」
「……っ! これだから、男どもは……っ!」
呆れたように吐き捨てると、ディアナは同意を認めるかのように振り返る。
「男も女も関係ない。戦いの場では」
「そういうことさ。女にだって、闘争心を燃やす資格がある」
だが、彼女の意に反してジュリアとジャンヌも参戦の意を表明した。
龍の力を恐れるディアナは、何とかそれを止めようと槍使いに呼び掛ける。
「リチャード! 貴方も皆を止めるのに協力して……」
「……嫌です」
「!? な、なぜですの!?」
「……先ほど、嫌なことは嫌と言うようにと」
「よりによってそれを私に言いますか!? あ、いえ、そういうことではなく……」
「……僕も以前、龍騎士たちの戦いを見たことがあります。こちらの大陸に渡ろうとする龍を、止めるための戦いを。でもそれは、全てあの方たちに任せてしまってもいいものでしょうか。僕たちにも、何かできることがあるはずです」
それを聞いたディアナは、目を伏せ、深くため息をつくと、再び顔を上げた。
携えていた羽扇を掲げ、彼女は祈る。かつてこの世界を守護していた神々ではなく、自身の敬愛する英雄たちに。
「――――様、私たちにお力を」
「憧れ」を力の源とする彼女の魔法が、その姿を神官風の法衣をまとった青年へと書き換える。
「それは……」
教授が小さく唸り、ジュリアも眉をひそめる。
それを意に介せず、学級委員長である少女は彼らを鼓舞するかのように、『青年』の言葉を紡いだ。
『さて、ここに反撃の狼煙を上げるとしようか』
彼女の前に居並ぶのは、5人の同級生たち。
白銀の槍を携えし槍使い。
氷の剣を操る龍騎士。
弓矢を構えた狩人。
拳を握り締めた拳士。
大刀を振りかざす戦士。
そして彼女の隣には、知識をその武器とする魔道士。
それはかつてこの国に、そして世界に訪れた危機に立ち向かった英雄たちの姿にも似て……。
このような状況でありながら、ディアナはひそかに心を躍らせた。先ほどまでの恐怖や焦りはすべて忘れたかのように。
◇
悠風龍
-動物界 脊椎動物門 真龍綱 天龍目 アイオゼファー科 悠風龍-
-その学術名は、古代語で『久遠の風』を意味する。龍巻状の吐息や翼から放出する気流など、風を利用した能力に長ける-
-その飛行速度は一部の小型鳥龍には劣るものの、中級龍種としては群を抜いている。また、その翼は状況に応じて形を変えることができ、機動性もかなり高い-
-亜成体は古くから龍騎士団において騎龍として利用されており、その体色からエメラルド・ドラゴンと通称される-
-その性格は龍種としてはおとなしい部類であり、その点でも騎龍に向いていると言える-
-淡い緑の鱗は、鳥の羽毛にも似た細長い形状に変化しており、その飛行能力を高めている。薄く見えるが、その強度は軽金属に匹敵し、気流の鎧も合わせその身を傷付けるのは困難である-
「ええと、これ、いったいどうすれば……」
自身の魔法、『大地の女神の星の全書』で呼び出したドラゴンの情報を前に、ステラは茫然とつぶやく。
『どうもこうもあるまい。訓練であろうが、ただ己が力をぶつけるのみだ』
それに応えたのは、ディアナの変身した青年の声。
とはいえ、龍の姿はいまだに手の届かぬ上空にある。
彼らがその対策を考え付くよりも早く――その眼前で、ドラゴンの翼の中で骨が、筋肉が蠢いた。
人の腕で言うならば肩から手首に当たる部分、折り曲げられていた関節が真っ直ぐに伸びる。次いで、大きく広がっていた指に当たる骨が閉じられ、一本にまとめられた。
そうしてエメラルド・ドラゴンの翼は、その形を変える。
ホバリングなど低速・高機動の飛行に向いた丸く幅の広い形状から、細長く先の尖った高速飛行向けの姿へと。
「伏せろッ!!」
ラルフが叫び、自らもその身を地へと投げ出した。
その言葉よりも早く、リチャードとジュリアの二人は地に伏せており、遅れてステラ、ディアナ、ジャンヌもそれに倣う。
「え?」
ただ一人、レオだけはその言葉の意味を理解できなかったかのように呆然とし、それでも攻撃に備えるかのように斬竜刀を構える。
そして、ドラゴンが翔ぶ。
高度を落とし、そのまま襲い掛かって来るかに見えた龍は、地上近くでその首をもたげ、翼を一打ちして水平飛行に移った。
既に太陽は天頂に近づき、悠然と空を滑る蒼い龍の影が、それを見上げるレオの上に落ちる。
「ぐ、あっ!?」
短い悲鳴とともに、レオが崩れ落ちた。
いや、彼だけではない。
「く……っ」「ん」「……ッ」
伏せたままの生徒たちも、小さくうめき声を挙げ、その身を強張らせる。その様子はまるで、彼らの身に目に見えぬ何かが圧し掛かってきたかのようだ。
「龍の翼」
地に伏せた生徒たちの元に、教授の声が響く。
「自らの生命力である龍気を自然の力へと変えて吐き出す龍の吐息と同様に、龍気を揚力に変えて翼から放出する能力じゃ」
横たわったままのジュリアが、教授の言葉を引き継ぐ。
「『強さ』と引き替えに空を飛ぶ能力を手に入れた鳥たちと違って、自ら生み出した揚力で龍はその巨体を空へと浮かべている。それは、言い換えるならば間接的に大地を押し、その身を持ち上げているのと同じ」
それならば、空を舞う龍の眼下にいる者たちは……。
「じゃあ、さっき俺が押し潰されたのは……」
斬竜刀を杖代わりに、レオはよろよろと立ち上がる。
「そう、今のは攻撃などではない。ただ上空を通り過ぎただけじゃ」
ただそれだけで、地を這う者たちはドラゴンの生み出す揚力により……もちろん人の身に掛かるのはそのごく一部であるが……ひれ伏すことを余儀なくされる。
「あれで攻撃じゃねえっていうなら……もし」
「それでは、覚悟はいいな」
レオの言葉は教授に遮られ、生徒たちの間にも緊張が走る。
そして教授はゆっくりと、龍の背の上に立ち上がった。そのまま……幻闘珠の力か、それとも教授自身の能力か……その身はドラゴンから離れ、宙へと浮かぶ。
そして、エメラルド・ドラゴンは上空に生徒たちを囲む円を描くかのように、ゆっくりと旋回を始めた。
「くっ、散れっ!!」
焦りを多分に含んだ声で、ラルフが叫ぶ。
まとまっていては、一網打尽にされる。
それを悟り、立ち上がり散会しようとした彼らの眼前を、不可視の風の吐息が薙いだ。
「これも、教授殿の仕業か……」
龍の動きから何かを悟ったラルフが、苦々しげにつぶやく。
それは、龍騎士たちの戦いに近い。
ただ本能のままに力を振るうだけだった騎龍に、人の知恵と技術で新たな可能性を与える。
だがもし、その可能性を開く者が……龍についても造詣の深い学者であり、かつての戦いで名をはせた軍師でもあるならば……。
円を描く龍の動きが加速するにつれ、地上でも足の止まった生徒たちを取り巻くように風の流れが生まれていた。大地から巻き上げられた砂ぼこりが、不可視のはずの気流の姿をあらわにする。
いつしか螺旋を成す風が塔のごとく天を指して伸び、生徒たちはその中に閉じ込められていた。
このような激しく渦巻く風を――例えドラゴンに由来するものではなくとも――人間は『龍巻』と呼ぶ。
「くっ……」
レオも、上空を高速で旋回する龍を見上げてうめき声をあげる。
「レオっ!」
そこへ、ステラが助けを求めるようにすがり付いてきた。
「うぇっ!?」
同じ孤児院出身の幼馴染とはいえ、同い年のステラには……特に大きくなってからはその身に触れる機会などなかった。だから、レオはその思いのほかに柔らかな感触に驚きの声を上げる。
そこで彼女の体が細かく震えていることに気付き、レオは煩悩を振り払うかのように首を振った。
だが、何とかしなければと思っても、ドラゴンの技を防ぐ術など、レオは持ち合わせていない。このままでは、二人まとめて打ち倒されるだけ。
やむを得ず、レオは声を限りに叫ぶ。
「おい、教授!!」
『何じゃ? わしはまだそんな年ではないと言ったばかりじゃがのう』
吹きすさぶ風の中、ないものと思っていた答えが思いのほかにはっきりと返ってきた。
「そんなことより、俺は構わねえが、こいつはもういいだろう! ドラゴンどころか、戦い自体経験のないやつなんだ!」
「えっ?」
『わしのことを過保護と言っておきながら、おぬしも人のことは言えんではないか。まあ、初心者相手に龍は、確かにやりすぎと言われればそれまでじゃが』
「おい!」
『仕方がないのう。一度だけじゃぞ』
「すまん」
「え、ちょ、待っ」
抗議するステラの声を待たずに、少女の感触がレオの腕の中から消えた。
◇
龍巻の目の中、捉えた人間たちを見下ろしながら、ドラゴンは大きく息を吸い込む。
次の瞬間、人の目には映らないが、喉袋の中で圧縮された大気の弾丸がエメラルド・ドラゴンの顎から吐き出された。
それは、渦巻き続ける竜巻の壁にぶつかり、一気に弾け飛ぶ。
解ける竜巻と弾ける圧縮空気が混じり合い、荒れ狂う風がレオ達をまとめて吹き飛ばした。
(もし本物なら、この程度じゃすまねえんだろうなあ。結局全部、あの教授の掌の上か……)
薄れゆく意識の中、宙を舞う感覚を味わいながらレオはそんなことを考える。そして再び襲い来た衝撃で、少年は今度こそその意識を手放した。
最後までお読みいただきありがとうございます。
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