第13話 悠久なる草原の守護者
「しかしでけえな。なんか、あそこまででかくなる必要でもあるのかよ」
しばらく雷電竜と導竜鳥の動きを双眼鏡で観察したり、ジュリアのスケッチを眺めたりしていたが、やがてレオはそれにも飽きてきた。
「……そうですね。その体を維持するだけでも、大量の餌が必要でしょうに」
「いや、長い首のおかげで、ほとんど移動する必要はないんじゃ。その場に居ながらにして、広範囲の葉を食べることができるぞ」
ふと放った独りごとに、リチャードと教授が答えてくれる。
「そして、あの巨体の最大の目的は、肉食獣から身をまもるためじゃ」
「確かに、あれを襲うだけでも大変だろうけどよ……」
何やらまだ納得のいっていない声で、レオはつぶやいた。
「あるものは肉食獣の牙を受け止めるため、硬い鎧を身に纏った。あるものは敵を寄せ付けぬため、その背に鋭い棘を生やした。またあるものは、植物やキノコから毒をその体に取り込んだ。あるいは角や爪、牙や尻尾を武器として戦う道を選んだものたちもいる。すべては自分自身を、ひいては自らの属する種を守るため」
「……ですが、それを食べる方の肉食獣も、対抗して進化するわけですよね」
「うむ、何万年……いや、何千万年、何億年という時間をかけ、世代を超えて種の形を変えてゆく。それが進化というもの。それは、個々において食う食われるというものとは、全く異なる闘いじゃ」
視線を二人からヴォルトサウルスに移しつつ、教授は解説を続ける。
「そんな中で、あのヴォルトサウルスを含む通称、雷竜と呼ばれるものたちが選んだ道は、ひたすらにその体を大きくする、というものじゃった」
「……しかし、それでは、もっと大きな肉食獣が出現するだけではないのですか?」
リチャードがさらに疑問を挟んだ。
「そうでもないぞ。一般に同じ形、同じ材質の物体の場合、長さが倍になれば、面積は四倍、体積は八倍となる。いささか単純過ぎる計算じゃが、体重は体積に比例すると言える。一方、筋力は筋肉量ではなく、筋肉の断面積に比例するんじゃ。すなわち、体型や体の構造が変わらずに体長が二倍になった場合、体重は八倍になるが、筋力は四倍にしかならん。骨の強度についても、同じようなものじゃ」
「えーっと……」
レオにとって、数学、いや算数といったほうがいいのかもしれないが、とにかくそのような計算は苦手なものの一つだ。学問全般が苦手、と言われてしまえばそれまでなのだが。
「とにかくじゃな、そのやって体を大きくしていけば、やがて限界が訪れる。計算上、あのヴォルトサウルスがほぼ限界のサイズじゃ。あれ以上大きくなれば、その体重を自らの筋肉と骨で支えきれなくなる」
そこで一息つき、教授はレオたちを振り返る。
「一方、肉食竜の方は、獲物を狩るためにある程度の俊敏な動きが要求される。必然的に、あそこまで大きくなることはできないのじゃ。つまりヴォルトサウルスを含む雷竜たちは、進化の戦いにおいて肉食獣たちの追撃を振り切ることに成功した、と言えよう」
とはいえ……と、教授は少しばかり悲しげな表情で、ぽつりとつぶやいた。
「それは同時に、進むも退くもできぬ道。進化の袋小路、とでも言うべきものかもしれんのう」
◇
「なんだ。呑気にあくびしてやがる」
しばらく木の葉を食べ続けて満足したのか、雷電竜は長い首を高く持ち上げると、大きく口を開き、そして動きを止めた。
「あれは……」
その様子をしばらく眺めていた教授だったが、やがて合点がいったかのようにうなずくと、レオたちの方に振り返る。
「奴は、仲間を呼んでおるようじゃの。われわれ人間には、聞こえない声でな」
「聞こえない声? なんだそりゃ?」
「聴覚を持つ動物には、可聴域というものがある。それはすなわち、認識することのできる音の高さの範囲じゃ。そして、わしら人間にとって高すぎて音と認識できない音を『超音波』、逆に低すぎて聞こえない音を『低周波音』と呼ぶ」
「……つまり、あの竜は我々が聞こえない音も聞くことができる、というわけですか」
「うむ。その通り。あのヴォルトサウルスの場合は、低周波音の方じゃな」
しかし、そんな竜の姿を見ていると、レオの心に何やら不安感が込み上げてきた。いや、むしろそれは、恐怖と言った方がいいものなのかもしれない。
「なあ……あいつも討伐するのか?」
「討伐?」
レオが不安げな声を上げるも、教授の反応は鈍かった。
「何もそこまでする必要などないぞ。騒ぎは大きくなっているようじゃが、実際に死傷者が出たわけでもないようじゃしの」
そうしているうちにヴォルトサウルスは、ゆっくりと足を動かし、移動を始めた。
その巨体が近くに生えていた木に引っ掛かるも、竜は気にも留めていない様子で前進し、巻き込まれた木はそのまま引き倒される。
木が砕け、崩れ落ちる音が、一瞬遅れてレオたちのもとにも届いた。
「ああやって、森を荒らしてるんじゃねえのか?」
「……確かに、並の草食獣ならば、草木はまたすぐ生えてくるでしょう。しかし、さすがに限度というものがあるのでは?」
レオの言葉に、リチャードも賛同する。
「そんなことはないぞ。例えばじゃな……庭の草むしりを怠ると、どうなると思う?」
「そりゃあ、あっという間に草ボーボーになるんじゃないか」
「そうだな。そして、その草ボーボーをさらに放置すれば?」
「いや、そこまではやったことはねえけど……元のきれいな庭には戻らねえんじゃないか?」
「……確か、やがて木が生え始めて、何十年かの後には森になってしまうと、聞いた覚えがあります」
「その通り。動物や自然災害などの影響を受けないまま草原を放置すると、徐々に草丈の高い種へと、そこに生えている植物が変わってゆく。それを『遷移』と呼ぶ。この遷移とは、本来あらゆる物事の移り変わりを指す言葉じゃが、こと植物学においては、草原が森林へと移り変わることを意味するんじゃ」
「……それは……彼ら自身が困るのではありませんか?」
「うむ。通常それは、一方的なものでもとに戻ることはない。しかしそれでは、リチャードの言うとおり、いつか草原に棲むものたちはその生息地を失ってしまう」
「……つまりどこかで、森を草原に戻す何かが必要となるわけですね」
「一般には、水害や山火事、大嵐などの自然災害がその役目を果たしておるんじゃがのう。あのヴォルトサウルスも今では数を減らしたとはいえ、森を草原に還す役割を担っておるようじゃな」
そこまで話したところで、教授はレオの異変に気付く。
話の途中から、何やら静かになったと思っていたが、彼はヴォルトサウルスを険しい表情で睨みつけながらも、全身をこわばらせつつ後ずさりを始めていた。
「……レオ君?」
その教授の視線を辿り、リチャードも遅れて彼の様子に気付いたようだ。
「お主、もしや……あのヴォルトサウルスが怖いのか?」
「な、な……っ!」
教授の言葉に図星をさされたか、レオはその顔を真っ赤に染めて絶句した。
「あんたらは……怖くないのかよ」
レオはしばらく何かごまかそうとしていたようだが、やがて開き直ったかのように教授たちに向け叫ぶ。
「あれだけでかい奴が、街を襲って来たら、とんでもない事になるぞ!」
「心配いらんよ。奴らから見れば、緑の少ない人間の街など荒野にも等しいものじゃ。わざわざ重い体を引きずって、餌のないところに攻めてくるような理由などないわ」
「距離をとれば、問題なし」
教授に続けて、スケッチをしていたはずのジュリアまでも、あっさりとレオの言葉を否定する。
「……僕も何度か見たことがありますが、動きはかなり鈍いです。よほど油断しない限りは、やられることはないでしょうね」
続けてリチャードの方も、平然とした顔で答えた。
ジュリアもリチャードも、なぜレオがそこまで離れたところにいる竜を恐れているか、わかっていないようだった。
「いや待て……これはもしや」
教授だけは、ある可能性に気付いたようだった。
レオに近づき、両手を彼の耳へと伸ばす。
「な、今度は何だ!?」
ウサギ狩りの際、似たような状況で教授に目潰しを喰らったことがある。身をこわばらせ、さらに後ずさりを続けるレオに、だが教授はお構いなしにその耳に触れる。
そして、触れられた部分が、かすかに熱を帯びた気がした。
「…………? なんともないぞ?」
「まあ今回は、すぐには効果は出んかもしれんの」
「一体おれに、何をしたんだよ?」
「これは、聴覚保護の魔法じゃ。お主にとって、有害な音を弱める効果がある。会話は普通に可能じゃから、安心するがいい」
「聴覚? 何で?」
教授の言っていることがよくわからない。質問をしたくても、何をどう聞けばよいのかすらはっきりしない状況だ。
「奴の鳴き声である低周波音というのはな……音として聞くことはできずとも、人によっては浴び続けると不安や恐怖、まれに幻覚といった症状が出るといわれておる」
「へ……? で、でも何でおれだけ?」
「言っておくが、お主が特別臆病というわけでもないぞ。まあ、わしらが他の人間よりも経験を積んでおるというのも否定できんがな。それに、感受性が強いというのは、別に悪いことではないぞ。危険感知の役に立つかも知れんしの」
「そうなのか……しかし、音が聞こえねえってのに怖さだけ感じるってのも、妙な話だな」
「聞こえないといっても、実体がないわけではないぞ。音というのは、すなわち空気の振動じゃ。五感で認識できずとも、それは……体に影響……を……およ」
教授の声は、突如として歯切れが悪くなった。
「どうしたんだよ、急に……」
「待てよ……振動……?」
心配するレオをよそに、教授は体の前で腕を組み、さらに右手を顎に当てて考え込む。
どれほど時間がたっただろうか。レオにはかなりの時間と感じられたが、実際には一分ほども経っていなかったのではないだろうか。
唐突に教授が、顔を上げ叫ぶ。
「わかったぞ!!」
「うわ何だ! いきなり!?」
そのまま教授は、竜車に向けて走り出す。
そして、車の窓や壁を、べたべたと触り始めた。
「なあ、聞こえてるか?」
「馬車の窓が震えたという報告があったな。じゃが、この竜車は特別製、影響は少ないか……」
レオの声が聞こえていないかのように、教授は竜車の周りを探り続ける。
「シャカル!」
「はイ。お呼びデ?」
続けて教授は、竜車の御者の名を呼ぶ。わずかに奇妙な訛りを含んだ声で、御者は呼び掛けに答えた。
「お主と地走竜たちには、何か影響はないか?」
「いエ、竜たちには特に異常は見られませン。あっしの方モ、五月蝿いのは確かですガ、耐えられないほどでハ」
竜車を牽いていた二頭の竜たちも、今は座って休んでいる。御者の言葉通り、怯えた様子は見られなかった。
「そうか。すまんな」
「いエ」
「となると、今度はこっちか」
そして教授は、竜車の中に入ると金属製の大きなタライを引っ張り出してきた。その中に、水瓶から水を注ぎ始める。
「お、おい……何かさっき幻覚とか言ってたけど、なんか変なもんでも見てるんじゃねえだろうな?」
「別に幻覚じゃない。時々、一つのことで頭が一杯になる。むしろよくある」
「……まあ、もうしばらく、結論が出るまで待つとしましょう」
焦るレオを、ジュリアとリチャードの二人がなだめる。
「っていうかおれ、幻覚とか見てねえよな!?」
「問題ない。多分」
「…………そうですね」
二人の答えも、何だかいい加減になってきた。
「よし」
「いや、よしじゃねえよ。自分だけで納得してねえで、ちゃんと説明してくれよ」
「おお、すまなんだの。とはいえわしも、今気付いたばかりなんじゃが」
と言いつつ教授は、水を張ったタライを指し示す。
「……? …………! 何だこりゃ!?」
タライの水面に、細かい波が発生していた。
風はかすかに吹いている。だが、明らかにそのせいではない。
タライの壁に沿って、波紋は幾重にも同心円状に広がっている。風の影響では、こんなことにはならないだろう。
やがて水だけではなく、それを満たした金属製のタライまで、かすかに震え始めた。
「これが、地震?」
「依頼にあった地震というのは、このことじゃろうな。じゃがこれは地震ではない。地面は揺れておらんぞ」
地面の揺れを感じ取ろうとするかのように、教授は目を閉じて立っている。
レオも真似をして目を閉じてみたが、弱い地震の有無など感じることは出来なかった。
そして教授は目を開き、たどり着いた『結論』を口にする。
「その正体は……あのヴォルトサウルスの鳴き声による、低周波振動じゃ」




