第一話:生徒会なんて、やってられるか
今日の校内見回りの担当は僕――レオポルト・フォン・ヴォルトシュタイだった。夜の生徒会室は、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っていて、壁掛け時計の「カチッ」という音が、まるで空気の一部みたいに溶け込んでいた。机の上には、校則を簡潔にまとめた冊子が置かれている。何度も目を通したはずなのに、見回り前にはなぜか毎回確認してしまう。ページをざっとめくり、ランタンを手に取った瞬間――背後から鋭い声が飛んできた。
「待ちなさい! レオ!」
振り返ると案の定、ロビン・マウリッツ・ファン・デ・メールが仁王立ちしていた。肩までの内巻きボブに、ラベンダーグレーの髪。ぱっつんと切りそろえられた前髪の隙間から覗くローズピンクの瞳が月明かりに照らされてキラリと光る。
(……こんな見た目だけど、こいつ男なんだよな。この学院に入ってからもう5年の付き合いだけど、未だに慣れない)
「身なり、ちゃんとしているの? 見回りに出るなら、見た目は大事よ」
ロビンは僕のネクタイをきゅっと直し、シャツの乱れを素早く整える。その手つきは慣れたもので、まるでスタイリストのようだ。
「あんた、見た目はいいんだから、ちゃんとしないの勿体ないわよ」
呆れ混じりの声に、僕は思わず目をそらす。
(見た目……? 茶髪に緑の目なんて、どこにでもいるような気がするけど。ロビンが第二寮生だから……っていうより実家がファッション関係だから、見た目にこだわるのか? いや、納得はするけど)
「髪も整えた方がいいわね……あ、前髪が長すぎる。あんた、いつもテキトーすぎるのよ。はい、これで大丈夫。じゃあ、行ってきなさい」
ロビンの手が離れた瞬間、僕は少しだけため息をついて、彼に問いかけた。
「なぁ、ロビン。正直に聞くけど、この校内の見回りって意味あるのか?」
ロビンは少し考える素振りを見せてから、肩をすくめて答えた。
「あたしの個人的意見だけど……正直、ないと思うわ」
「……だよなぁ」
二人は顔を見合わせ、夜の生徒会室でこっそり笑いあう。
(こういう同い年のノリ、地元じゃありえなかったな……でも、悪くない)
外に出ると、校舎は夜の陰に包まれていた。
校舎は白い石造りで尖塔がそびえ立ち、窓の縁には精巧な金細工が施され、月明かりを受けてほのかに輝いていた。廊下には厚手の絨毯が敷かれ、足音は吸い込まれるように消える。
帝国一の名門校ーー帝都魔法学園、通称 IMA。
ここに入学できた時点で未来も約束されたのも同然。卒業生は軍の高官、宮廷魔導士、魔法学会の権威、大企業の社主……まぁ、要するに『偉い人』ばかりだ。その権威は数百年の間揺るぐことなく、帝国の中枢を支えている。
IMAは全寮制の七年制。第一寮から第五寮までの5つの寮に学生が振り分けられている。第一寮は爵位持ちの貴族家系、第二寮は学者・芸術家家系、第三寮は経営者家系、第四寮は軍人家系、そして僕の所属する第五寮は一般市民階級。寮ごとに青、緑、黄色、赤、橙と制服のタイやリボンの色が違い、ひと目で所属と階級がわかるようになっている。この色分けが時に誇りとなり、壁となる。
生徒会もまた、IMAの象徴のひとつ。学生自治の名のもとに設立されたその組織は、数百年の歴史を誇る――はずだった。だが、31年前に卒業した“伝説の生徒会長”の存在が、すべてを変えてしまった。その人物は今でも学園内で『暴君』と呼ばれている。噂によれば、当時の生徒会長は、生徒はもちろん教師までも校則や法律違反があれば即座に裁いたという。もちろん、良心的な判決もあったらしいが……とにかく「やらかしただけで死ぬほど怖い」と語り継がれている。その結果、学校の運営者たちは「学生自治なんてやってられるか」と、生徒会制度そのものを廃止した。
だが、数か月前――その“暴君”本人が、再び学院に提言を行った。
「パンフレットに学生の自由意志を尊重と書いていらっしゃるのに、学生自治の象徴である生徒会がないのはおかしいのではないでしょうか」
その一言に、運営者たちは震え上がった。卒業して何十年も経っているにもかかわらず、彼の影響力は未だに絶大だった。そして、生徒会は復活した。
(卒業してから何年も経ってるのに、今でも影響力が高いなんて……『暴君』って、いったい何者だよ。まぁ、おかげで卒業後の安定は獲得できたから、文句は言えないけどさ)
そして僕は、その再結成された生徒会の役員に選ばれた。 ……といっても、庶務だけど。
校内に差し込む月明かりは頼りなく、僕の足元を照らすのは手にしたランタンの灯だけだった。静まり返った廊下を歩いていると、ふと窓の外に怪しげな煙が漂っているのが見えた。窓を開けて外を覗くと、数人の生徒が集まって喫煙しているのが見える。
(うわぁ......めんどくさ。そろそろ見回り終わるってタイミングで見つけちゃうか)
校則では校内での喫煙は禁止されている。見逃すわけにはいかない。
僕はため息をひとつ吐いて、階段を下りて彼らのもとへ向かった。煙の元を辿っていくと、青いネクタイをつけた生徒たちがいた。彼らの手には、帝都で最近話題のフルーティーな香りが特徴の煙草が握られている。
(第一寮生かよ……年齢的にも喫煙禁止じゃん)
僕は静かに一歩踏み出し、声をかける。
「すみません、校内での喫煙は禁止されています」
煙がふっと揺れ、不良たちの視線が一斉にこちらを向いた。最初は鼻で笑っていたが、一人がわざとらしくランタンの光の中に歩み出てきて、僕の胸元をじろりと見下ろす。
「……橙、か」
低い声が夜の空気を震わせる。次の瞬間、周囲から嘲笑が漏れた。
「はは、第五寮生じゃねぇか」
「庶民が俺たちを注意するんじゃねえよ」
「分をわきまえろよ、庶民風情が」
暗がりの中、青いネクタイが揺れる。第一寮生――爵位持ちの貴族の子息たち。彼らの目は冷たく、まるで「身分が低い者が出しゃばった」と断罪するかのようだった。
「調子乗ってるんじゃねぇぞ。いいこちゃん気取りやがって」
その一言と共に胸ぐらを掴まれる。布が喉に食い込み、ランタンの灯がゆらゆらと揺れる。煙草と汗の混じった匂いに、思わず顔をしかめる。
(やっぱり、こうなるよな。未だに慣れないなぁ……いや、慣れない方がいいんだけど)
だが次の瞬間、不良の視線が僕の肩に止まった。
「……マント?」
今度は別のやつが僕の胸元を凝視して呟く。
「おい、このバッジ……」
一拍の沈黙の後、不良たちが声をそろえて叫んだ。
「生徒会じゃねぇか!!」
胸ぐらを掴んでいた手がぱっと離れ、不良たちは顔をそらし、蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
取り残された僕は肩にかけたマントと胸元のピンバッジを見比べる。生徒会役員の証であるマント。そして、親父に押し付けられて仕方なくつけている家紋のピンバッジ。
「……どっち?」
(いやいや、どう考えてもマントでしょ。復活してからそんなに時間は経ってないけど、そこそこ有名になってるし。だって、バッジはうちの家紋だし。うちは建国当時からある男爵家だけど、今の帝国じゃ男爵は貴族扱いされないんだよな。だから俺は第五寮、つまり庶民枠。……それで脅しが効くなら世話ないっての)
僕は思わずため息をついた。しかし、しばらくしてあることに気づく。
(……あ、あいつらの名前聞くの忘れた。明日、会長に怒られる……)
僕はとりあえず、不良たちが逃げるときに置いていった煙草の箱を拾い、生徒会室へと戻った。
しばらく休んでいた間に思いついた話を書いてみました!評判がよかったら続きを書くかも。