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「あら先生、もうお出かけですか?」
話が複雑になってきたな、と思いながら事務所を出ようとすると、入れ替わりざま、高瀬累子が出社してきた。
「事務所にいないのは構わないんですけどね、少しは情報を置いていっていただかないと、電話対応に困りますわ」
「済まんね。だが、昨日しつこく電話してきたらしい連中は、さっき帰ったよ」
「こんな朝早くから来社されたんですか?」
「会わなかったかい?」
「そういえば、駅から来る途中で黒い大型車と擦違いましたが……」
勘の良い女だった。
「で、他にも何か?」
「しつこい電話はもう一件ありました」
コーヒーを淹れながら、高瀬累子が説明した。彼女の私物コーヒーはインスタントではない。いい香りが漂っている。
「例の浮気調査の依頼人からです。早く第一報をくださいって。調査は進んでいるんですか?」
「なんて答えようかな」
「嘘つきは泥棒のはじまりですよ」
「ついた方がいい嘘も、世の中にはある」
「オトナの方便でしょう?」
「きみだって二十三だろう。歳は誤魔化していないようだが……。他には?」
「現在のところ、新しい依頼はありません」
「むふん」
「手がまわらないようだったら、臨時雇いでもしたらどうです」
「きみの給料だけで一杯だよ」
「いうほどいただいてはおりませんよ。……浮気調査の資料は下さるんですか?」
「写真はパソコンに入ってる。時間のメモだけは入れた。事実だけ纏めておいてくれ。見解はいらない」
「じゃ、やっぱり浮気してたんですね。ちょっと可哀想?」
「どっちが?」
「両方がですよ!」
なるほど。
「で、依頼人にはいつ渡せるといえばいいんです。約束の期限は昨日ですけど」
「三日後だな、早くて」
依頼人はまだ二日、旅先にいるはずなのだ。帰る予定の期日まで待てなかったのだろうか?
「時間が決まれば、先生はいらっしゃいますか?」
「わからんな」
厭なイメージが脳裡に浮かんだ。その時間に、おれは死んでいる。溝の羽目板に嵌って。
話が複雑になりすぎた場合はだが……。
「そんなもんかな?」
頭を振って、おれはそのイメージを払拭しようとする。
消えなかった。
「じゃ、出かけてくる。資料の纏めは頼んだよ」
「はい、いってらっしゃいませ」
高瀬累子の元気な声に見送られて、おれは事務所を後にした。