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きれつ  作者: り(PN)
5/15

 廣世とおれは、この世界では、まずフランスの片田舎に飛ばされた。

 半年後に、日本に戻った(行ったというべきか?)。

 国籍などは、最初に彼がフランスで入院中、おれが揃えた。この時代のコンピューセキュリティーは、eatの敵ではなかったのだ。

 東アジア数国にしか存在しない、戸籍の捏造には苦労したが……。

 いろいろあって、廣世はその才覚を発揮し、F電子産業に就職した。

 おれは、保険事務所に住みついた。

 そのおれの記憶で半年前に所長の塚田が急死した。事務の女の子を除けば、もともと二人で仕事をこなしていた。だから面倒なので、事務所の名前は変えなかった。事務員も更新していない。

 廣世はその後、社内結婚した。遠くから見ているおれにも、結婚相手はよくできた女だとわかった。

 おれは、いまでも一人身だが、行きつけのクラブのホステスとときどき遊ぶ。ときどき混乱して、おかしなことを口走るようだが、彼女は気にしない。気にしているとわかるときもあるが、口には出さないし、態度も変えない。

 そういえば、かつてこんなことがあったような気もする。

 ふいに世界が割れるような思いに囚われたのだ。

 女とことの最中に……。

 すると、その思いと連動するかのように、女の顔がおれの目の前でめまぐるしく変化した。

 身体も同様に脈動している。

 柔らかい、硬い、大きい、小さい。

 艶かしい、冷淡、スリム、ふうわり……。

 そのとき挿入していたら、そのまま射ってしまいそうな動きだった。

 嘔吐しそうな、極端に不安定な精神状態とは一切関わりなく。

 止めてくれ!

 そして女の顔は元に戻った。

 元に戻ったと思わされているだけかもしれなかったが、そう思いたかった。

 おれはベッドから起き上がると、台所に行き、心ゆくまでゲエゲエと吐いた。

 後は、なるようになった。


 踏み切りの音が聞こえてきた。

 さて、これからどうしたものか?

 跡をつけてくる者もいなかったので、一度事務所に戻ることにし、おれは駅で始発を待った。

 事務所に帰ると客が来ていた。

 まだ七時にもなっていないのに、ご苦労なことだ。

 事務員の高瀬累子もまだ出勤していない。来るのは早いが、それでも七時半頃だ。

「悪いとは思いましたが、中で待たせていただきましたよ」

 ソファに座った二人のうち、偉そうな方がいった。恰幅がよい。だがそれは、まだ大半が筋肉のようだった。服は渋いグレーのダブル。内ポケットに何が入っているのか見当もつかない。

「仕事の依頼ですか? 先に連絡を入れてくださればよかったのに」

「連絡がとれなかったんだ」

 連れの若い男が、口を尖らせていった。針金みたいな体躯をしている。青いスーツと黒いサングラスが決まっていた。髭もあたってある。彼も強いのかもしれない。

「昨日からずっと電話し続けておる」恰幅のよい方が繋いだ。

「ずっと出かけていたんです」おれは答えた。

 客たちの前をまわって所長用のデスクまで歩き、その端に乗っている電動ポットのスイッチを入れる。ポットの水は、夜、帰りがけに、高瀬累子が換えていく。自分が出社したときスイッチが入っていなければ、当然のように水を取り替えて沸かす。

「事務所に連絡をくださいましたか?」

「事務員の女は居所を知らないといった。携帯番号を教えろといったら、機種が変わって、番号も変わったと応えた。一応、前の番号は教えてくれたがね。しかし、かけても繋がらなかった。仕方がないので、直接ここに来た。明日になれば帰ってくるだろう、と事務員がいったからだ」

「それはどうも、失礼しました」

「客商売だろう、あんたんとこも? 潰れるよ」

「相済みません」

「では、用件に入らせてもらう」

 恰幅のよい男は、部下の青色針金に持たせたスーツケースを机に載せた。

 そこで、おれはやっと腰をおろした。化粧机を挟んで客たちの対面に座る。スーツケースが開けられ、ファイルが引っ張り出された。さらにその中から一葉の写真が……。

「この男を捜して欲しい」

 おれは、あっと叫んで、ついで、はっと息を飲み込んだりはしなかった。写真の男は廣世だった。

「誰です?」

 至極当然の質問だ。

「知っていると思うが、ここからでも車で一時間程のW市T区にF電子産業の研究所がある」

「はい」

「そこのソフトウェア研究員だ」

 おれはしげしげと写真を見つめた。わりと最近の写真だろう。まるで結婚したてのような、幸福そうな男の表情で写っている。廣世が結婚したのは、約一年前だ。

「この人がいなくなったんですね」おれは訪ねた。「横領とか、そんなんですか?」

「刑事事件なら警察の方が優秀だよ」恰幅が答える。「いなくなった。単にそれだけだ。誘拐されたのかもしれんが、脅迫状はまだ届かない。いなくなってから、すでに一週間経つ」

「ということは、死んでいるかもしれませんね」おれが答えた。

 すると――

 死、という言葉を聞いて、青色の針金スーツが露骨に嫌な顔をした。きっと、人前では簡単にいってはならないNGワードだったのだろう。

「家出人の捜索願いは出したんでしょうね」

「それは、家族の方から出ている。もっとも身寄りは妻だけだが……」

「家出人の捜索だって、警察の方が優秀でしょう」

「彼らにやる気があればそうだろう。だがこの件では、真面目に採り受けている感じはしなかった。死体でも出れば真剣に背後調査をするかもしれんが、それでは遅いのだ」

「死んではいないという確信がおありですね」

「そんなのもはない。ただの勘だ。しかしわたしの勘は、これまで外れたことが少ない」

「どうしてこちらに?」

「高久という調査員に興味を持ったからだ」

「それは?」

「自分の方がよく知っとるだろう」

 そのとき、右脳がほんの微かだけ共鳴した……ような気がした。気のせいだったかもしれないが……。

「まあ、いいだろう。こんなにお喋りになったのは久しぶりだ。きみはわたしに似ているのかもしれん」

「恐縮です」

「業界では、きみはそこそこ有名人だ。やり手の調査員として評価されはじめた。商売をはじめてから二年だから、悪くない評価だ」恰幅が思い出すように首を捻った「電子機器を騙すのが得意らしいな。知り合いの経理の男がぼやいとったよ。なんだあいつは、と。ま、秘密を明かせとはいわんがね。そして、人探しも上手い。さらにいえば、速くて安い」

「牛丼ですか?」

「誉めてるんだよ」

「恐縮です」

「手段は問わない。だが、危ない真似はするな。するときには、前以ってわたしに連絡しろ。ここが連絡先だ」

 恰幅のよい男は名詞を渡した。社名はなく、伊達貴彦、とだけ記されていた。あとは連絡番号のみ。

「F電子産業の方には話をつけた。わたしの名前をいえば、大抵のことは大目に見てくれるだろう」

「まだ引き受けるとはいっていませんよ」

 瞬間、青色針金が身を堅くする。だが、それに気を止めるでもなく、

「そんなことはないさ。きみは引き受ける」

 大した自信だった。

「それも自由意志で。そうでなければ、こんな唐突な依頼は引き受けんだろう。別の興味でもあれば別だが…… だから朝っぱらから、出向いて来たのだ」

「誠にもって恐縮です」

「で、どうなのだ。引き受けてくれんのかね?」

「あなたと廣世さんとの関係は?」

「見つけ出したら教えてやろう。成功報酬というのではどうだ」

「わかりました。お引き受けいたしましょう」

 そのとき、ちょうど湯が沸いた。

 インスタントですが、と断って、コーヒーを入れた。三人分。本当は二人分にしたかったが……。

「当座の経費は、そこに置いておく」

 いって、伊達はやけに膨らんだ封筒を机の端に乗せた。

「残りはカード決済にしてくれ。いろいろと煩い者がおってな……」

 青色針金がしぶしぶといった風情で、おれにカードを渡す。

「成功時には、きみの上のランクの報酬を払おう」

 おれの目を見ながら、ゆっくりと伊達がいった。ついで、急に時間が惜しくなったとでもいうように、

「用件は済んだ。失礼しよう」

 ソファから立ち上がると、事務所を去ろうとした。

「あ、ちょっと待ってください」おれは訪ねた。「捜索の期限はいつまでなんです?」

「早ければ早いほどよい」伊達は答えた。「だが、一月経っても見つからないようなら、諦める」

「どういうことです?」

「他の担当者を捜す、ということだよ」

 それだけいうと、伊達たち二人は事務所を去った。


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