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たまたま、あのとき佳苗と付き合っていて、結果的に彼女と結婚したが、そうでなくても、いずれ星子とは別れただろう。そういう定めと決まっているのだ。いまはまだ懐かしさの感情の方が勝っているが、やがてそのうち口喧嘩がはじまり、きつい沈黙が訪れて……。
自分がだんだんと調査対象に変わっていくのを感じた。
右脳が危険信号を発している。
小さなボールはポーンと撥ねた。
はっと正気づく。
背後に人影があった。まだ遠い。近づく。ボールが撥ねる。近づく。ボールが撥ねる。近づく。対象の直上でボールが爆ぜる。
すっと対象に入り込んでいく。
憑依!
すぐさま、おれは攻撃体勢に入った。おれの右脳、正確には右脳プラス付加活性物質エマネーターとの共同組織癒着体eatもきりきりと緊張する。瞬時に、身体に活力が漲る。カテコールアミンの按配も上上だ。筋肉の張りも適格!
先にシュッと敵のパンチがおれを掠めた。素早くジャンプして振返り、敵の顔を確認する。知らない老人だった。道の向こうに犬がいたので飼主かもしれない。だが情けはかけられない。いま、老人の筋力は通常の百倍以上になっている。殴られれば吹っ飛び、首を絞められれば骨が折れる。攻撃をかわしながらよく見てみると、日頃から鍛錬している引き締まった体型をしていた。ここで戦わなくとも、いずれおれの前に立ちはだかる人間なのだ。そんな気がした。
二発殴られ、頬が傷ついた。そこで腕を掴むと前へ投げた。車を越えて地面に落下。衝撃は若干土で吸収されたろうが、背骨に罅くらい入っているかもしれない。
地面に激突した瞬間にボールが離れた。
ポーンと上に飛んでいく。
ジャケットの内ポケットからエネルギー収束銃を取り出し、すばやく狙う。が、照準を合わせるまもなく、ボールは空中に消えた。
ふっと、空気に溶け込んだのだ。
老人に近づき脈を取ると生きていた。気は失っている。そろそろ住民が起き出すだろう。気づいた者が騒ぎ出す前に、何らかの手を打たねばならない。数台並んだ車を見やり、アパートからも車道からも見つけにくい場所を探して老人を移動させる。結局、複数の車に囲まれた位置になった。当然か? 札入れを取り出し中身を調べる。名前はわからなかったが、束田道真、という名刺が出てきた。だが、この老人のものではないだろう。W軽機械、経理部長の名刺だったからだ。
人は見かけによらないともいうが……。
軽く腕を捻って老人を起こそうとしたが、簡単には目覚めないようなので、その場に捨て置くことにした。骨や内臓の打撲はあるが、外傷は少なかったので、住民に見せても大丈夫だろう。札入れはどうしようかと考えたが、結局返すことにした。モノ取りでないとすると、警察はどう判断するだろう?
もっともそれは、警察がおれに行きついたときの心配だが……。
歩道の向こうにいた犬に挨拶すると、おれはその場を去ることにした。犬は老人の連れではなかった。戦いに集中して気づかなかったが、誰かが見ていたのかもしれない。犬の飼主? 犬を残して、交番に駆け込むため……。
犬は愛想よさそうにおれに寄ってきたが、おれは下がらせ、そして記憶を消した。
これで、次に偶然おれに出会っても、匂いから吼えつかれることはないはずだ。
これはeatの力だ。eatは、ある程度想いを放射できるのだ。
そういういい方をしても良いのならば……。