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廣世を事務所に担ぎ入れると、成澤は去った。
高瀬累子はまだ戻ってきていない。
ぼろぼろのジャケットやズボンを着替え、ポットの湯を沸かし、インスタントコーヒーを入れていると、彼女がおれの朝食を持って帰ってきた。
「あら、入れ違いだったんですね」
奥の机に向かう途中、廣世に気づく。
「その人は?」
「調査現場の近くで倒れてた。で、しょうがないんで連れてきたんだ」
「人攫いになりますよ。……でもどうして、こんな遠くのコンビニでしか売ってないスパゲッティが、今日に限って食べたかったんですか?」
買ってきた商品を机に出すと、彼女がぼやいた。それから気になったのか、もう一度廣世のところに戻ると、いった。
「この人、気がつきそうですよ」
「え?」
おれの右脳は共鳴しなかった。それで、すばやく状況を悟る。
「うーん」廣世健児が唸った。しばらくしてから目を開ける。
覗き込んだおれと高瀬累子の顔を見つめる廣世の目はしっかりしていた。けれども、おれのことを知り合いとして認識はしなかった。
「ここは?」
「もしかしたら、長い話になるかもしれない。まだ、じっと横になっていてください」
とっておきのインスタントスープを入れ、廣世に渡すと、おれはいった。廣世が肯く、ついで高瀬累子に、
「電話を頼む。番号は、パソコンリストの二〇一」
「なんてお伝えすればいいんです?」
「ご依頼のお探しものが見つかりましたよ、とかなんとか……」
「わかりました。……あ、そうそう、例の浮気調査の報告書、今日取りに来られるそうです。十時の予定ですから、もうしばらくですね」
「あとは?」
「先生の調査状況次第」
「わかった」
高瀬累子が電話をかける。かけた相手は、八雲会の伊達貴彦だ。伊達は昔、ある女と関係した。その関係は一晩限りだったが、やがて女は子供を産んだ。女の子だった。その後女は、生真面目な男と良縁を持った。伊達と会うことは一切なかった。
そういうことだ。
おれと廣世は不安定ながら、どうやらこの世界に定着している。だが、それを支えているのは、おれたち自身じゃないのかもしれない。そんな風に思えてきた。
おれは仕事の手が空き次第、まやか、に会いに行こうと思った。一文字足すと、素晴らしい源氏名となる名を持つ女に……。(了)