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侵入よりも脱出の方がよほど気をつかった。
だがたぶん、誰に見咎められることもなく、おれはTソフトウィルから抜け出した。
その足で最寄駅に向かう途中、嫌な男と遭遇した。
「おや、高久さんじゃないですか? 珍しいところで出遭いましたね」成澤俊哉はいった。「先の件からは、手を引いていただけたものと思ってましたが……」
「浮気調査の続きだよ」おれは答えた。「依頼人のご亭主の相手の家が、この辺りなんだ」
嘘ではない。
F電子産業とTソフトウィルは歩いて二十分程の位置関係だった。そしてF電子産業と例のアパートは歩いて五分くらい。
「もちろん知らないとは思うが、あんたに首を引っぱられたあそこは、女のアパートの前だったんだよ」
「ご冗談でしょう」
「冗談なものか。必要なら案内してやろう」
成澤はゆっくりとおれに近づきながら、「さて、困りましたね。……実はわたしはあなたを気に入りかけているんですが、こちらも雇われの身でね。雇い主が不利になるようなことをされては困るんですよ」
「それって、告げ口されては、ってことかい?」
おれの頭の中で信号が鳴った。
「おれは何も見なかったし、あんたともここで会わなかった。そういうことにしよう」
「信用できますかね」
「信用がウチの事務所のモットーだ。先代所長の塚田がよくいってたよ」
勤め人の姿が、そろそろ一廓に目立ちはじめた。おれたち二人は、期せずして肩を並べて歩くことになる。とりあえず、成澤の車の停車位置まで……
「あなたが何をどこまで掴んでいるのか、わたしには一向にわかりませんが……」
T川の支流沿いに停めてあったジャガーの助手席におれを乗せると、成澤はいった。
「高久さんがこの件にこだわる理由が知りたいですね」
成澤には、エンジンをかける気配はない。
「金のためだとも思えないし、義理があるとも思えない。不思議ですよ」
「友人が失踪したんだ」正直におれはいった。その意味では、おれは成澤を信用していた。「F電子産業との関わりは偶然だ」
「F電子にあなたのお知り合いがいるとは存じませんでした。……しかし、お友だちを探すことが、やがてはこちらの利益に反することになるのでは?」
「あるいはね?」
「それでは、わたしが困ります」
「では、どうする?」
「お友だちの名前は?」
「廣世健児」
「フーム、やっぱりあなたを自由にするわけにはいかないようだ」
遠くからパトカーのサイレンの音が聞こえてきた。辺りが俄かに騒がしくなる。
すると、成澤は二つの動きを同時にした。すばやく銃を取り出すとおれの脇腹に減り込ませ、さらに空いた方の手でイグニッションキーを捻ると、ジャガーのエンジンをふかしたのだ。
「ご同行願いましょう」
「確かに、その方が話が早いかもしれないなぁ?」
ジャガーが静かに発進する。
「銃を引っ込めてもいいよ。逃げたりはしないから……。交通事故で死にたくもないしね」
「まったくです」
しばらく考えてから、成澤は銃を仕舞った。
「高久さん、あなたは変わった人だ」
「よく、そういわれるよ」
「その自信はどこから出てくるんです」
「自信なんかないさ。いまだって、怖くてぶるぶるしてる」
「ご冗談を」
「ときに質問なんだが、吉行を殺ったのはあんたか?」
「いいえ」
「それを聞いて安心したよ」
「信用するのですか?」
「とりあえず、いまはね。……どうも、この事件は複雑らしい」
いって、おれは目を瞑った。
「目的地に着いたら起こしてくれ。それまで眠ってる」
「どうぞ、ご随意に……」
そしてジャガーは都心に向かった。