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中小企業への侵入は、ドアまたはシャッターが開いて比較的すぐの方が楽に行える。
けれども、決して早過ぎてはいけない。
やってきた社員が、自分以外にはまだ誰もいない、あるいはいつもの常連さん以外はいない、と体感・安心するまでは危険時間なのだ。
トイレの時間も考慮した方が安全だ。音には注意する必要がある。
ドアから階段への位置関係は、電車調査から得た断片情報をパッチワークして、ほぼ正確に掴んでいた。おれに才能があるとすれば、おそらくこの才能だろう。eatとは無関係といってよい。eatはそれを増幅しない。おそらく増幅できないのだろう。
確信はないが……。
くたびれた背広姿で、おれは会社のドアを開いた。
鍵は十分前に外されている。錆びているから、気をつけないと大きな音がする。若者は早起きしない。老人たちは変化に気づかない。既得権益を守ろうとすれば変化は嫌いなはずだが、なかなか理屈通りにはいかないものだ。そして、若者たちは背広を着ない。この会社では社員は全員作業服を着用する。技術系の会社では多い慣例だ。よって、内勤の者は私服通勤で文句をいわれない。
おれはアメ横でTソフトウィルのものとよく似た作業服を手に入れたが、長時間いる気はなかったので、侵入に際して着替えなかった。他に気を遣うことが山ほどある。見つかって逃げ出したときに、走りながら上着を脱ぐのも滑稽だ。
Tソフトウィルでは、開発部関係のものでも、会社の重要書類はすべて総務部が管理していた。
おれはその書類を拝見しにきたというわけだ。
安全にドアを抜けて、すぐさま階段に向かう。エレベーターには乗らなかった。たかだか四階だし、音を立てるのが嫌だったからだ。社屋は旧くて汚なかったが、掃除は行き届いていた。そういった意味では、よい会社なのかもしれない。仕事ぶりも丁寧そうな気がした。
音を立てずに階段を上がる。ほどなく目的の部屋に到着する。フロアを二つに間仕切りした総務室。カーテンは閉まっていたが、窓があったのがありがたかった。もちろん確認済みだが……。確かに暗いが、電気をつける必要がない。目的の書類戸棚を探す。
階段同様というべきか、整理整頓が行き届いていたので、すぐに目的の戸棚の見当がついた。
施錠方法が旧式の機械錠だったので、eatでは攻略できなかったが、いくらかの勉強期間がおれにもあった。一分とかからずに錠は開いた。ファイルを取り出す。
eatの力を借りて、部分的に写真記憶した。
廣世が関連していたソフトウェアは、ちょっと変わったものだった。生体信号、それも脳波をモニタ解析するものだったのだ。W軽機械は、F電子産業から、SQUID方式の脳波検知器を依頼されていた。吉行準が試作品の制御ソフトを依頼され、そして廣世が信号データの解析ソフトを依頼された。
おれは見るものを見ると、丁寧にファイルを戸棚に仕舞い、施錠した。
急に嫌な感じがしたのは、そのときのことだ。
少しだけ部屋の空気に血の臭いが混じっていた。
総務部長の机の後ろに、死体があった。
上を向いた死体の顔は、吉行準のものだった。